滅亡の畔

藤見暁良

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三章

◆茜空◆

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 ホテルのチェックインの時間になって、ようやく喫茶店から退店する。
 かなり長居したので、飲み物のお代わりをしたり、フードメニューまで頼んでしまった。
 今まで経験したことがなかったから、これはこれで少し楽しかったかもしれない。
 またこんな風に、喫茶店で過ごせる時が来るだろうか――――?
 それには今回の作戦を成功させないといけないだろう。成功させても、あの部屋の外に出れるのかな?
「駄目……余計なことを考えちゃ……」
 ――――今は作戦に集中しないと。

 欲というのは際限がない――――。
 望んだものは少なかった筈なのに、それが叶うと、他の欲が顔を覗かせる。そして叶わないものが増えると、水を得られず喉の渇きで苦しむように、自身の首を絞め始めるのだ。
 余り多くを望まないようにしなくては――――これから自分に課せられた任務は、呼吸するみたいに簡単なことじゃない。
 命懸けで、挑むのだから――――。
 キャリーケースを引っ張って、ホテルに向かう。ゴロゴロと響くタイヤの音が、何だか遠くに聞こえた。


「ご予約頂いてる、佐藤様ですね。お部屋は、八一三号室になります」
 予約されていたホテルは、近代的でとても綺麗なところだ。ビジネスホテルだが、ネット環境も整っていてるし、何より私みたいな小娘でも利用するのに違和感がない。高級ホテルだったら、確実に浮いていたと思う。まぁ高級ホテルなんて地元にはなかったから、テレビでの観たイメージでしかないけど。
 カードキーを受け取って、エレベーターで八階まで上がる。ビジネスホテルに泊まるのも初めてでエレベーターに乗るだけで、ドキドキと鼓動をはやらせながら、階数の表示をジッと見詰める。
 目的の階に到着しドアが開くと、目の前の壁にあったフロア案内図が目に入った。自分の泊まる部屋のある方向を確認して進んで行く。廊下に敷かれたマットはデザインもお洒落で、キャリーケースのタイヤの音も鳴らずに物静かに運べた。


 八階からの景色は、絶景だった――――とまでは言わないが、近隣の街並みをある程度見渡せた。
 何処に何があるのかは分からないし、呑気に旅行気分なんか味わえないけど、初めてみる風景は少なからず胸の奥を高鳴らせる効力はあった。

 また見れるだろうか――――。
 ううん、期待しちゃ駄目だ――――。
 それとも、また見たいと思うためにも作戦を絶対に成功すべきじゃないの――――。
 細やかな希望を抱いても、許されるのかな――――。
 生きていても未来はなかった――――。
 どうせ私の居る所は、常に絶望と隣り合わせなのだ――――。
 この景色がまた見れるかはわからないけど、せめてあの人の元には還りたい――――。
 それぐらいは望むことを――――許して欲しい。

 命を捨てるくらいの覚悟なんて誓っても、少しでも心に隙間があれば結局無欲ではいられないのだ。
 そして達観できるほど、私は人生経験を重ねていない。
 だったら――――。
「やるしかない……」
 今私の生きる希望・・・・・は、この『交換復讐』を成し遂げることしかなのだから。


 自分の心に素直になって、再び窓の外を眺める。
 まだ日が短い空が茜色に変わり始め、街並みも染めていく。
「綺麗……」
 そう――――正直に思えた。
 存在を否定される毎日は闇の中にいるような日々だったのに、この計画に参加してから段々とその闇に光が差し込んできているのだ。
 絶望の沼に突き落とされて気付かなかったけれども、まだ私の知らない世界は、もっと広くて美しいのかもしれない。
 あぁ――――だったらもっと光を浴びて、その世界を見てみたいじゃないか。
「だから……落ちて。そして……」
 ――――代わりにお前たちが、絶望の沼に落ちてゆけ。

 そっと囁きながら、茜色から紅に染まる景色に向かって、口端を上げてほくそ笑んだ。
 
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