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二度目の午後
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午後の講義も同じだった。
同じ様に要点だけ写して、他の時間はなぜ前の時は死んでしまったのかを考えていた。
前は咄嗟に手を掴んで止めようとして、そのまま突っ込んでしまったから落ちた。
だから今回は先になるべく近づいておいて動かずとも掴める位置にいよう。
彼女が飛び込もうとした瞬間は電車が来る直前だから乗り換えてから、ホームに向かうまでに猶予は少しある。
これなら命を落とさずとも上手くいけそうだ。
しかし、助けるべきなのだろうか?
彼女はどんな理由にせよ死にたがってはいるのだ。
それをその場に居合わせただけの自分がただ止めるのは問題の解決にならないのではないのか。
そこで助けてもまた別な場所で同じことが起きるのでは無いのだろうか。
助けるというこの行為自体エゴの塊ではないか。
それとも、だから考え直せという神の啓示なのだろうか。
だとしても、だとしても自殺はするべきじゃない。
いやでも、私は自殺する理由があるならしたがっている。
彼女はそうなんじゃないか?
そしたら私は自己否定で自己矛盾ではないか。
彼女は助けないべき?
いや、助けるべきなのだ。
彼女が自殺したがっているのは確かだが私がその場に居合わせたのは止めるためなのだ。
確かに自殺にたる理由があるかもしれないが無いかもしれない。
死ぬしかないと思っていても死んだらそこで終わりなのだ。
ならとりあえず助けられるなら助けておくべきだ。
本当にただ死ぬだけならもっと別な場所で確実に死ねる方法はある。
彼女が助かる可能性がある場所で自殺をするならば、助かっても良いのだ。
そこに矛盾はないはずだ。
第一に衝動的なものかもしれないし、積もり積もったものがあの時に踏み出させたのかもしれない。
しかし、どっちにしろ私には分からないならば、衝動的なものであるかもしれない可能性を考慮して止めるべきだ。
私は助ける為の理由、そして意義を無理矢理作り出した。
ただ助けるだけなのに。
講義を終えて私は電車に乗る。
前回と同じ端へ向かう。
席に座りシミュレートする。
少し動きや流れを考えたら飽きたのでスマホに指を滑らす。
創作物はとても良い。
電車に飛び込もうとした女子高生を助けるならばかっこよくこちら側に引き寄せて、上手く抱きとめたりする。
重さや速さで倒れたりなんかしない、華麗に助けることができる。
しかし、現実はそうではなかった。
人というのは案外重いものだ。
それに、覚悟を決めた人間の行動を止めるのも大変なのだ。
創作の様に止められることが前提の自殺ではないのだ。
だが、今の私はその創作の様な力をもっている、はず。
もしも本当にこれが繰り返しであって、自殺しようとしている彼女がいるならば、私は華麗に止めることができるはずだ。
唐突に私は前向きな思考回路になった。
止めた後はどうなるんだろう。
まわりから賞賛されたり、何かから表彰されたりするかも。
それを見ていた人たちがSNSにでも上げて、少しだけ時の人になれるかもしれない。
少しは自分に自信が持てるかもしれない。
少しは世界に良い影響を与えられるかもしれない。
そんなことを夢想している。
同時にそんな上手くいくはずがないと冷めている私も心のどこかにはいた。
どちらの私にせよ助けられれば良いなという思いだけはあった。
私は最悪を考えることも多いが良い事を考えることもある。
というよりは良い事と悪い事は表裏一体であって基本的にどちらも近くに存在する。
良い事をする人を見たり、聞いたりすると私は目頭が熱くなる。
人の良い側面が見えれば見えるほど、悪い側面も際立ってしまう。
不思議な事に両面を持つ人はそこまで多くない。
あるいは表向きに、赤の他人に良い面が見える人、悪い面が見える人で分かれているのかもしれない。
ともかく、悪い面があろうと良い面があれば良いし、良い面があるが悪い面がある人も良いとは思うのだ。
だが、悪い面だけ見える人というのがよくいる。
それは表面上の物かもしれない。
それでも観測できる範囲の事柄が私にとってすべてであり、事実なのである。
昔読んだ本で見た道徳律を思い出した。
これはカントと呼ばれる哲学者が言ったものであり、簡単に言えば自分の心の声の事である。
例えば、バスや電車で満員であり、お年寄りが立っている。
そんな時にお年寄りに席を譲ってあげようと思う心、そのものが道徳律である。
ここで、自分が周りの人に良い人だと思われたいからなどの理由をつけて譲ったとする。
この場合の行為は例えお年寄りが感謝していたとしても、道徳的ではないと言うらしい。
なぜなら心の声ではなく自らの利益、周りの人に良い人だと思われたいがため、もっと言えばお年寄りに譲る事と関係ない所に理由があるためである。
つまりは実質的な行動ではなく、心の持ちようの方が重要であるという事だ。
しかしだ、わたしはこう考える。
偽善でも良いじゃないか、虚栄でも良いじゃないかと。
自分に出来るもっとも良く見える状態でいれば良いじゃないかと。
あるいはそこまでいかなくても自分を悪く見せないようにすれば良いじゃないかと。
常々そう思う。
お年寄りが立っていたら、余裕があれば譲ってあげれば良い。
ゴミは大して労力もかからないんだからゴミ箱に捨てれば良い。
単位もそこそこに取れば良い、授業であからさまにサボっているところを見せなきゃ良い。
人にいらない事を言ったりしなければ良い。
もっと良く生きれば良いのにと。
しかし、世には横柄な態度をとって座っていたり、ポイ捨てしたり、単位は落としてグッスリ居眠りしたり、人にいらない事を言いまくる人がいる。
そいつらの心の中では実は物凄い道徳的な事が考えられている、かもしれない。
だが、そうだとしてそれがどうしたのだ。
実際に困らせている奴が悪なのだ。
心の持ちようが関係ないとは言わないがまずは行動だろうと思う。
これは、私自身への言葉でもある。
心の中で助けるべきと思った時には助けなきゃいけないのだ。
私の中の道徳律はそう囁くのだ。
いつも通りの時間に乗り換えの駅に着く。
少しだけ急いでホームに向かう
そして、私はもう一度見つけた。
何故かは分からないが私にだけは分かる、その普通ではない彼女。
まだ電車は来ていない。
少しだけ近寄って直ぐに止められる距離にいく。
そして電車がやってくる。
突然、何故か変わらないはずの出来事が違ってしまった。
前回は彼女は目の前にまで来た電車に飛び込もうとした。
しかし、今回の彼女は電車が来る方向に歩き出している。
もちろん周りはその行動の意味を知らない。
私も知るはずがないその意味を汲み取り、同時にもしかしたらただの夢だったかもしれない可能性に悩みながら付いてく。
突然彼女は走り出す。
やはりそうだ。
自殺だ。
周りが気付いて行動を起こす前に事が終わってしまう。
彼女は黄色い線を超えたところを走っている。
私も追う。
前を通り過ぎられている客は皆驚いた顔をしている。
彼女は私に気付いていない。
彼女が線路側に体を傾ける。
目前に電車がやってきている。
気付いた駅員がアナウンスをしている。
周りもざわめく。
私は彼女の倒れる体をホームに押し返した。
二度目の浮遊感。
私はまた、その閃光を見た。
この状況を覚悟と予測をしていた私の脳内は前回と違い状況を理解していた。
理解してしまっていた。
永遠とも思える一瞬のうちに死の恐怖が巡っていた。
本当に[今日は]繰り返していたのか。
繰り返しはただの勘違いじゃないのか。
死ぬのか。
死にたくない。
助けたじゃないか。
良かった。
死にたくない。
怖い。
怖い。
繰り返せ繰り返せ繰り返せ繰り返せ繰り返せ繰り返せ繰り返せ繰り返せ繰り返せ繰り返せ繰り返せ。
そして、また、私は消えた。
同じ様に要点だけ写して、他の時間はなぜ前の時は死んでしまったのかを考えていた。
前は咄嗟に手を掴んで止めようとして、そのまま突っ込んでしまったから落ちた。
だから今回は先になるべく近づいておいて動かずとも掴める位置にいよう。
彼女が飛び込もうとした瞬間は電車が来る直前だから乗り換えてから、ホームに向かうまでに猶予は少しある。
これなら命を落とさずとも上手くいけそうだ。
しかし、助けるべきなのだろうか?
彼女はどんな理由にせよ死にたがってはいるのだ。
それをその場に居合わせただけの自分がただ止めるのは問題の解決にならないのではないのか。
そこで助けてもまた別な場所で同じことが起きるのでは無いのだろうか。
助けるというこの行為自体エゴの塊ではないか。
それとも、だから考え直せという神の啓示なのだろうか。
だとしても、だとしても自殺はするべきじゃない。
いやでも、私は自殺する理由があるならしたがっている。
彼女はそうなんじゃないか?
そしたら私は自己否定で自己矛盾ではないか。
彼女は助けないべき?
いや、助けるべきなのだ。
彼女が自殺したがっているのは確かだが私がその場に居合わせたのは止めるためなのだ。
確かに自殺にたる理由があるかもしれないが無いかもしれない。
死ぬしかないと思っていても死んだらそこで終わりなのだ。
ならとりあえず助けられるなら助けておくべきだ。
本当にただ死ぬだけならもっと別な場所で確実に死ねる方法はある。
彼女が助かる可能性がある場所で自殺をするならば、助かっても良いのだ。
そこに矛盾はないはずだ。
第一に衝動的なものかもしれないし、積もり積もったものがあの時に踏み出させたのかもしれない。
しかし、どっちにしろ私には分からないならば、衝動的なものであるかもしれない可能性を考慮して止めるべきだ。
私は助ける為の理由、そして意義を無理矢理作り出した。
ただ助けるだけなのに。
講義を終えて私は電車に乗る。
前回と同じ端へ向かう。
席に座りシミュレートする。
少し動きや流れを考えたら飽きたのでスマホに指を滑らす。
創作物はとても良い。
電車に飛び込もうとした女子高生を助けるならばかっこよくこちら側に引き寄せて、上手く抱きとめたりする。
重さや速さで倒れたりなんかしない、華麗に助けることができる。
しかし、現実はそうではなかった。
人というのは案外重いものだ。
それに、覚悟を決めた人間の行動を止めるのも大変なのだ。
創作の様に止められることが前提の自殺ではないのだ。
だが、今の私はその創作の様な力をもっている、はず。
もしも本当にこれが繰り返しであって、自殺しようとしている彼女がいるならば、私は華麗に止めることができるはずだ。
唐突に私は前向きな思考回路になった。
止めた後はどうなるんだろう。
まわりから賞賛されたり、何かから表彰されたりするかも。
それを見ていた人たちがSNSにでも上げて、少しだけ時の人になれるかもしれない。
少しは自分に自信が持てるかもしれない。
少しは世界に良い影響を与えられるかもしれない。
そんなことを夢想している。
同時にそんな上手くいくはずがないと冷めている私も心のどこかにはいた。
どちらの私にせよ助けられれば良いなという思いだけはあった。
私は最悪を考えることも多いが良い事を考えることもある。
というよりは良い事と悪い事は表裏一体であって基本的にどちらも近くに存在する。
良い事をする人を見たり、聞いたりすると私は目頭が熱くなる。
人の良い側面が見えれば見えるほど、悪い側面も際立ってしまう。
不思議な事に両面を持つ人はそこまで多くない。
あるいは表向きに、赤の他人に良い面が見える人、悪い面が見える人で分かれているのかもしれない。
ともかく、悪い面があろうと良い面があれば良いし、良い面があるが悪い面がある人も良いとは思うのだ。
だが、悪い面だけ見える人というのがよくいる。
それは表面上の物かもしれない。
それでも観測できる範囲の事柄が私にとってすべてであり、事実なのである。
昔読んだ本で見た道徳律を思い出した。
これはカントと呼ばれる哲学者が言ったものであり、簡単に言えば自分の心の声の事である。
例えば、バスや電車で満員であり、お年寄りが立っている。
そんな時にお年寄りに席を譲ってあげようと思う心、そのものが道徳律である。
ここで、自分が周りの人に良い人だと思われたいからなどの理由をつけて譲ったとする。
この場合の行為は例えお年寄りが感謝していたとしても、道徳的ではないと言うらしい。
なぜなら心の声ではなく自らの利益、周りの人に良い人だと思われたいがため、もっと言えばお年寄りに譲る事と関係ない所に理由があるためである。
つまりは実質的な行動ではなく、心の持ちようの方が重要であるという事だ。
しかしだ、わたしはこう考える。
偽善でも良いじゃないか、虚栄でも良いじゃないかと。
自分に出来るもっとも良く見える状態でいれば良いじゃないかと。
あるいはそこまでいかなくても自分を悪く見せないようにすれば良いじゃないかと。
常々そう思う。
お年寄りが立っていたら、余裕があれば譲ってあげれば良い。
ゴミは大して労力もかからないんだからゴミ箱に捨てれば良い。
単位もそこそこに取れば良い、授業であからさまにサボっているところを見せなきゃ良い。
人にいらない事を言ったりしなければ良い。
もっと良く生きれば良いのにと。
しかし、世には横柄な態度をとって座っていたり、ポイ捨てしたり、単位は落としてグッスリ居眠りしたり、人にいらない事を言いまくる人がいる。
そいつらの心の中では実は物凄い道徳的な事が考えられている、かもしれない。
だが、そうだとしてそれがどうしたのだ。
実際に困らせている奴が悪なのだ。
心の持ちようが関係ないとは言わないがまずは行動だろうと思う。
これは、私自身への言葉でもある。
心の中で助けるべきと思った時には助けなきゃいけないのだ。
私の中の道徳律はそう囁くのだ。
いつも通りの時間に乗り換えの駅に着く。
少しだけ急いでホームに向かう
そして、私はもう一度見つけた。
何故かは分からないが私にだけは分かる、その普通ではない彼女。
まだ電車は来ていない。
少しだけ近寄って直ぐに止められる距離にいく。
そして電車がやってくる。
突然、何故か変わらないはずの出来事が違ってしまった。
前回は彼女は目の前にまで来た電車に飛び込もうとした。
しかし、今回の彼女は電車が来る方向に歩き出している。
もちろん周りはその行動の意味を知らない。
私も知るはずがないその意味を汲み取り、同時にもしかしたらただの夢だったかもしれない可能性に悩みながら付いてく。
突然彼女は走り出す。
やはりそうだ。
自殺だ。
周りが気付いて行動を起こす前に事が終わってしまう。
彼女は黄色い線を超えたところを走っている。
私も追う。
前を通り過ぎられている客は皆驚いた顔をしている。
彼女は私に気付いていない。
彼女が線路側に体を傾ける。
目前に電車がやってきている。
気付いた駅員がアナウンスをしている。
周りもざわめく。
私は彼女の倒れる体をホームに押し返した。
二度目の浮遊感。
私はまた、その閃光を見た。
この状況を覚悟と予測をしていた私の脳内は前回と違い状況を理解していた。
理解してしまっていた。
永遠とも思える一瞬のうちに死の恐怖が巡っていた。
本当に[今日は]繰り返していたのか。
繰り返しはただの勘違いじゃないのか。
死ぬのか。
死にたくない。
助けたじゃないか。
良かった。
死にたくない。
怖い。
怖い。
繰り返せ繰り返せ繰り返せ繰り返せ繰り返せ繰り返せ繰り返せ繰り返せ繰り返せ繰り返せ繰り返せ。
そして、また、私は消えた。
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