あの人、勇者の物語にはいない。

ゼリオニック

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1-15 鉄蜂作戦 5

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 部屋の扉がゆっくりと開く。リースは怯えた様子で、宿屋の娘の少女の顔を覗き込んだ。返ってきた視線は、今夜中に彼を追い出さんばかりの鋭さだった。

「えっと、誰か訪ねてきたんですか……ニシャ」

「知らない金髪の女よ!!」

 ニシャの口元がわずかに歪む。そして親指を肩の後ろに回して指す。なぜそんなに不機嫌なんだろう、とリースは心の中で思いながら、体を縮こまらせ、素直に彼女の後を追った。

 これまで少し静かだった宿屋は、今や冒険者たちで溢れかえっていた。酒を酌み交わす会話が騒々しく響き、周囲は人々が群れをなしている。グループごとに分かれていても、その会話は一体感に満ちていた。

 リースが食堂に入ると、馴染みの声が響いた。

「夜遅くに邪魔してごめんね、リース」

 ハンサムパーティーの常駐魔術師の姉さんが、そこに待っていた。彼女はリースと同年代の少女を連れていた。

 その少女は、美少女というほどではないが、可愛らしく無垢な輝きを放っていた。瞳には不屈の決意が宿り、魅惑的なオーラが漂う。髪は太陽のように輝く金色で、まるで光を放ちそうなほどだった。
 ヴィクターと同じ髪の色だ。

 少女は自信に満ちた顔でまっすぐにリースに近づいてくる。その輝きに、リースは知らず知らずのうちに彼女を認めていた。まだ一言も話したことがないのに。

「初めまして、私はミトラ。ランタン市から来た冒険者よ」

 テーブルに着くなり、『ミトラ』という名の少女は、リースの腕を狂ったように振り回しながら話した。まるで古くからの知り合いのように。

 リースはただ乾いた笑みを浮かべるしかなかった。この状況をどう対処すればいいのか、さっぱりわからない……。

「あなたがリースね!! 笑顔可愛いわ。まだ『沈黙のエス』になる前はいい感じね。こんな純粋で可愛らしいの、超愛らしいわよ」

「えっと……『沈黙のエス』になるって、どういう意味ですか?」

 リースは困惑して眉をひそめ、彼女の奇妙な言葉に尋ねた。ミトラはリースの腕を振るのを止め、顔を逸らして口笛を吹くふりをした。

「ああ、何でもないわ。ただ美少女の戯言よ。ははは」

 ミトラの反応に、リースは顔を強張らせる。彼はハンサムパーティーの魔術師の姉さんの方を見る。彼女はただ首を振り、リースに言った。

「ランタン市からの冒険者たちは到着が遅れたのよ。私は鉄蜂の対処法を説明する役を引き受けたんだけど、ミトラがリースの名前を聞いて、ぜひ連れてきてって頑なに頼んできたの」

 それを聞いて、リースはミトラの方を振り返った。

「せっかく協力するんだから、迷惑かけないでくださいね」

「うわーん、リースに会いたかったのよ! もう会えなくなる前に生で会いたくて」

「なんで僕が死ぬみたいな言い方するんですか??」

「うっ」

 ミトラは手を口に当て、無垢な顔をする。さっきの印象的な登場が、嵐に吹き飛ばされた藁の山のように消え失せた。隣の魔術師の姉さんは困った顔をし、顔を寄せて小さな声で囁いた。

「こんな感じだけど、ランタン市の冒険者たちは彼女の腕前を高く評価してるわよ」

「信じるようにします……」

 リースは平坦な声で答え、視線をその奇妙な少女から離さない。彼女が笑い終えると、再び遠慮なく尋ねた。

「ねえリース、アンジェリカはどこ?」

 それを聞くと、リースの視線は逸れ、口元を固く結ぶ。息を吐き、重い気持ちに。両手は固く握られ、苦い過去を思い出す。それでも気を取り直して尋ね返した。

「えっと、ミトラさん、アンジェリカを知ってるんですか?」

 目の前の少女は動きを止め、瞳が震える。頰に指を当て、動揺を抑える。まるで何か失敗したことを言ったように。

「あ……アンジェリカのパーティーよ。名声が轟いてるじゃない」

 彼女は引きつった笑みを浮かべ、ぎこちなく笑った。
 周囲の会話がぴたりと止む。ただアンジェリカのパーティーという言葉だけで。
 鋭い視線が四方八方から注がれ、何か不吉なことが起こる予感を告げている。
 ミトラは右往左往する。冒険者たちの苛烈な視線の中で、誰かの傷を踏んだようだ。そしてその傷はここにいる全員に及んでいる。

「あなた、あいつらの仲間か?」

 隣の魔術師の姉さんさえ、厳しい声で言う。さっきの友情が乾いたように消え、視線はミトラを切り裂かんばかり。
 少女は剣のような視線に気づき、自分の軽率な言葉が危険を招いたことを悟る。慌てて弁解した。

「あ、違うんです。私はランタン市からで、あのパーティーの名声を聞いて、最高のパーティーだと思っただけで」

「だったら考え直せ」

 声は冷たく、視線は刺すように。
 向かいのリースは顔を上げ、曖昧な声で言った。

「僕は弱くて役に立たないから、パーティーから追放されたんです」

「え、何? パーティーから追放されたの!?」

 ミトラは立ち上がり、目を大きく見開き、驚愕する。世界が砕け散ったかのよう。大半の視線はまだ彼女に向いているが、突然の叫びにびくつく。

「落ち着いてミトラ、落ち着いて」

 少女は自分に言い聞かせ、座って深呼吸を繰り返す。隣の魔術師の姉さんでさえ、彼女の様子がわからない。

 息が落ち着くと、再び立ち上がり、テーブルに頭をほぼつけるほど深く下げた。

「ごめんなさい!」

 彼女は全員に聞こえる声で言い、心からの謝罪を。

「リース、個人的に話せない?」

 ミトラの顔は真剣で、細い手がリースの手を掴む。返事を待たず、冒険者たちの前で彼を引きずって出ていく。

「何が起きてるの?」

 ランタナの美たちのリーダー、ダリアが、二人組が手をつないで出ていくところにすれ違う。彼女は食堂全体に視線を走らせ、困惑した顔で眉をひそめた。

「えっと……少し誤解があっただけですよ」

 ハンサムパーティーの魔術師の姉さんが疲れた声で答え、親しげにダリアを手招きした。

「後で説明するわ」

 そこにいる冒険者たちは一致して、彼女に説明させるのが一番だと決めた。

 少女はリースを宿屋の前に引き出し、静かに歩く。街灯が間隔を置いてあり、外はほとんど道が見えないほど暗い。
 軽い息遣いの中で、ミトラが尋ねた。

「リース、あなたアンジェリカたちに追放された……の?」

 リースは静かに頷く。今の息遣いは一つ一つが重い。

「はい」

「じゃあアンジェ、来るの?」

 ミトラの質問は、もう一振りの剣のように刺さる。しかしリースの心は混乱し始める。
 もしアンジェが戻ってきたら……本当に嬉しいのか? 彼女が来たら、ヴィクターと一緒だろう。
 リースの心はさらに沈む。アンジェリカは会いたい人だが、弱さを思い知らされる傷でもある。今も自分に価値があるか証明できるか自信がない。

「わからないですね。でも来たら……嬉しいかも……」

 リースは微笑む。ミトラはその笑みを見て、心に空虚を感じる。

「うん、私もアンジェが来るといいわ。でないと、あなたの運命が…… ううん、何でもない……」

 ミトラはため息をつき、最後の言葉を飲み込み、沈黙に任せる。返ってきた視線は絶望的に見える。
 リースはただ、言えなかった言葉の意味を推測するしかなかった。

「ありがとう、大丈夫ですよ」

 彼女の声は不思議に優しく、別れのように。ミトラの手がゆっくりとリースの頭を撫でる。疲れは解けないが、肩の荷が不思議と軽くなる。その後ミトラは闇に消え、夜は再び静寂に包まれた。


 その後二日が経ち、「鉄蜂の巣壊滅作戦」の時が来た。
 参加する冒険者たちは立ち、冒険者のギルドマスター・レオがギルドのバルコニーに立つ彼を見上げる。彼は力強い声で宣言した。

「まず、アッシュエンブルクのレオとして、この危険な任務に参加する全ての冒険者に心から感謝する」

 彼は頭を下げ、再び顔を上げ、厳かに続けた。

「今回の作戦は、急速に拡大する鉄蜂の巣と女王を壊滅させ、アッシュエンブルクの森と街への被害を止めるものだ。案内人はマリナの教会の者たちだ」

 レオは茶色のローブに模様を刺繍した者たちに手を広げる。彼らは頭を下げ、一人が前に出る。ローブをめくり、グレーモアであることを明かし、紫色の解毒薬が並ぶテーブルに手を広げた。

「感謝の意を込めて、マリナの教会が特殊解毒薬を一人三本ずつ用意した。この薬は黒サソリから石ムカデまであらゆる虫毒を癒す。効果は私が保証する」

 偽薬の宣伝のような言葉に、冒険者たちは顔を見合わせる。しかしリースはこの薬の効能を知っている。蛇毒さえ抑えるのだ。
 だからリースは腰の薬筒ポーチに解毒薬を入れに行く。ハンサムパーティーの者たちがリースの行動を見て信頼し、次々と取りに行く。皆が真似て完売した。
 あ...グレーモア様、もう少し良い宣伝文句を……とリースは心の中で思う。
 解毒薬の配布が終わると、全員が整列した。

「マリナ女神の加護を冒険者たちに。この任務が無事達成されるよう」

 グレーモアと同行の僧侶たちが一斉に大声で祈る。

 ウォオオオオオオオオ!!!

 冒険者たちは拳を上げ、意気揚々と出発した。

 鉄蜂討伐計画では、冒険者たちは三グループに分かれる。リースは第一グループ。彼らはリースが普段薬草採取に行く洞窟へ向かう。目的地の洞窟に鉄蜂の巣がある。
 第二グループは川沿い。マリナが雇った探査隊が崖近くの巣を発見。
 第三グループは川上流。そこに一巣。

 六人のチームは茂みを熟練して進む。道中木に傷跡、風が葉を揺らす音が間欠的に、沈黙と交互。ただし虫の羽音はない。

「結局アンジェリカは来なかった」

 ミトラの金髪は太陽のように輝かず、くすんだ古い真鍮のよう。
 顔と目は重く、昨日までの自信が消えたよう。

「もしかしたら……来ない方がいいかもですね。あの人たち……」

 少年の返事は傷つき、視線は遠く。振り返らない。

「アンジェリカが来なくて悔しくないの? 彼女はいつもあなたと一緒にいるべきなのに」

 青い瞳が静かなリースを見る。

 ミトラがアンジェリカの名を言うと、心の傷が繰り返し刺されるように痛む。
 しかしミトラはリースの頰を引っ張り、意識を戻す。

「ほい~、リースくん、大丈夫?」

「すみません」

 リースは顔をミトラの手から引き離そうとするが、彼女は諦めない。リースを苛立たせようとするよう。

 しかしリースより苛立っている者が後ろにいる。

 ダリアがミトラの手首を掴み、リースの顔から引き離す。彼女を睨み、粉砕せんばかりの目で。

「おい‼ お前、あいつらと何の関係だ?」

「やめてくださいダリアさん!!」

 リースは急いで二人の間に割り込み、両方熱くなりやすい者を止める。視線と顔はまだ凶悪だが、手はミトラの手首から優しく離れた。

「あの女は来ないわよ。今頃ランタナでヴィクターと愛を囁いてるんでしょ」

 ダリアは残酷な言葉を、蔑む声で吐く。
 ミトラを皮肉ったが、リースにとっては最も痛い言葉。
 アンジェリカは幼馴染で、どこへでも一緒に行く約束だったのに、今は彼を捨て他人と。真偽はわからないが、リースは耐えがたい痛み。

「待って、あなた今ヴィクターって言った!?」

 ミトラは声を上げ、手が激しく震える。全員が見えるほど。

「そうよ、ヴィクターのクソパーティーがリースを追放したのよ、今アンジェリカはあいつと一緒!!!」

「嘘!! 私が主人公なのに、ここにいるのに。もしもう一人の『ヴィクター』がいるなら、リースは……しなきゃ……」

 彼女は指をグローブごと噛み、顔に激怒。瞳は混乱で震える。

「馬鹿野郎、森で叫ぶな!!!」

 ダリアのパーティーの弓兵が吠える。勇者の地の美女たちは即座に戦闘態勢。魔術師は杖を掲げ氷の槍を浮かべ、弓手は矢を番える。
 空気が震え、微風が流れ、虫の羽音が近づく。緑の臭気が広がり、何かが空を切る。

「あっち!!」

 リースは円盾で美女パーティーの魔術師を守る。鉄針が盾に当たり響く。魔術師は即座に氷の槍を撃ち返す。

「あっち!!」

 ダリアが叫ぶ。彼女のパーティーの盾持ちが盾を上げ、もう一本の鉄針を防ぐ。弓手が反撃。

「耳いいわね」

「ありがとうございます」

 ダリアが褒めながら、自身は双剣を優雅に振るい、飛ぶ虫を斬り、鉄針を払う。

「数が多すぎる!!」

 リースが大声で。羽音が密集し、近づく。

「うわー!! もう我慢できない」

 ミトラが爆発するように叫ぶ。
 彼女は剣を抜き、前へ。鉄蜂を嵐のように狂った斬撃で切り、鉄針を正確に払う。
 リースはハンサムの魔術師姉さんの昨日の言葉を思い出す。
 確かに狂ってるけど、この女は強い。

「馬鹿、陣形崩れる!! リース、あいつを追え!!」

「はい!!」

 ダリアの命令に、リースはミトラを追って走る。鉄盾で鉄針を払い、近づく虫を斬る。
 しかしミトラはどんどん離れる。

「全員、二人の後を陣形で!!」

 ダリアの命令。声が徐々に遠ざかる。

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