50 / 76
第六章:共栄連合構想──繁栄は交差する
第三節:大公閣下の出張授業
しおりを挟む
馬車の揺れが、やけに骨に響く朝だった。
(まさか、本当に行くことになるとはな……)
加賀谷は、窓の外を眺めながらぼんやりと息を吐いた。
市街地の通学路を歩く学生たちとすれ違うたび、馬車の護衛がさりげなく視線を向ける。加賀谷の正体までは気づかれていない──はずだ。
きっかけは数日前。投ヴァルド・レヴァンティスがぽつりと口にしたのだ。
「今後、仕組みを動かすには“制度を理解している若者”が不可欠です。できれば──大公自ら学院で語ってみてはいかがでしょう?」
あの男のことだ。ただの提案ではない。
“今、貴方が出る意味がある”という判断のもとでの発言だった。
(……まあ、分からんでもない。誰かが顔を出さなきゃ、信用も根づかない)
この国の若者たちは、“大公”といっても実感がない。
過去の政変や混乱のせいで、政治そのものに懐疑的だ。
だがその一方で、“自分たちが未来を作る”という志を持つ者も、必ずいる。
加賀谷は、そこを見に行くつもりだった。
制度を語るだけなら文官でいい。資料を配るだけなら学院で済む。
けれど──その先に進むには、“誰に預けるか”を見定める必要がある。
(投資の出口は“回収”だけじゃない。人材だ。……仕組みを回す人間を、この国に残す。俺の仕事はそこまで含めて完結だ)
馬車が学院の正門前で止まった。
門前には学院の教務官らが並んでいたが、加賀谷の顔を見るなり、ほとんど固まった。
「──た、大公……自ら、おいでに?」
「言い出したのはそっちの陣営だろ」
冗談めかして言うと、教務官たちは一斉に頭を下げた。
学院は政庁からやや距離のある位置に建てられた高台の施設で、もともとは貴族子弟の受け入れを目的としていた側面もあるが現在は平民や商人の子弟も多数在籍しており、実務的な科目に特化した“産業交流科”や“会計技術科”なども増設されている。
その中心講堂で、今日の講義が予定されていた。
「教室は階段式で、収容人数は百五十ほど。今回は産業系の実務科目の生徒が中心になります」
教務官が案内しながら説明する。
だがその横顔には、まだどこか緊張の色が残っていた。
(まあ、大公が教えるなんて“前代未聞”だよな)
それでも──
「今日話すのは、俺個人の立場でもある。
制度でも、法律でもなく、“誰がこの国を動かすか”って話をしに来たんだ」
教務官たちは驚いたように顔を上げた。
だが、そこにはほんのわずかに安堵も滲んでいた。
やがて講堂の扉が開かれ、生徒たちのざわめきが聞こえてきた。
その瞬間、加賀谷は一つだけ、自分の中で決めていたことを思い出す。
(この国に、“仕組み”を根づかせるには、選ばれる人間じゃなく、“選べる人間”を育てなきゃいけない)
加賀谷は静かに講堂へと足を踏み入れた。
百を超えるまなざしが、一斉に彼を迎えた。
* * *
──公都執務室
午後の陽光が、静かに差し込んでいた。
加賀谷の執務室。主の不在中、その机を丁寧に整えているのは、専属侍女のノアだった。
任命されたのはごく最近だ。
身元も不明な少女を近侍につけるなど、周囲は反対されるかと思ったがすんなり受け入れられた。
ノアは侍女になることを命じられた時も反論もしなかった。命じられたことを、ただ静かにこなしてきた。
いまも、机の上に無造作に残された書類を無言でまとめていく。
道具の置き方、端末の角度、筆記具の配置──すべてを“元どおり”に戻すのが、彼女の日課だった。
その中に、一枚だけ――色の違う紙が紛れていた。
〈学院講義用・出席予定者名簿〉と記されたそれは、今朝加賀谷が確認していた資料の一部らしい。
ふと、目に留まる名前があった。
ユリス・アーヴェル
ノアの指が、ぴたりと止まった。
(……この名前)
意識に引っかかる。
どこかで聞いた。いつ、誰が、どんな状況で……そのあたりは霞がかかったように曖昧だった。
でも、ただの偶然とは思えなかった。
静かに名簿を閉じ、机の所定の位置に戻す。
それだけで済ませればよかったのに、ほんの一瞬、目が離れなかった。
湯を沸かしていた魔導ポットが、音もなく蒸気を上げる。
ノアは何事もなかったように小さな湯呑を用意し、茶葉をひとつまみ、丁寧に落とした。
加賀谷が好む、渋味の強い黒茶だった。
いつ戻ってくるのか、日付は知らされていない。
湯呑を机の端に置いてから、ノアは一度だけ振り返る。
部屋には誰もいない。けれど、なぜか言葉にしてみたくなった。
「……無事帰ってきてね」
当然、返事はない。
けれどその声は、彼女の中では十分だった。
加賀谷の専属侍女。
役割は、掃除でも、給仕でもない。
――ここで、待っていること。
ノアは何事もなかったように、また静かに掃除へと戻った。
◆あとがき◆
ノアが久しぶりに登場。
学院ではとうとう加賀谷の授業が始まります。
更新の励みになりますので、
いいね&お気に入り登録していただけると本当にうれしいです!
今後も読みやすく、テンポよく、そして楽しい。
そんな物語を目指して更新していきますので、引き続きよろしくお願いいたします!
(まさか、本当に行くことになるとはな……)
加賀谷は、窓の外を眺めながらぼんやりと息を吐いた。
市街地の通学路を歩く学生たちとすれ違うたび、馬車の護衛がさりげなく視線を向ける。加賀谷の正体までは気づかれていない──はずだ。
きっかけは数日前。投ヴァルド・レヴァンティスがぽつりと口にしたのだ。
「今後、仕組みを動かすには“制度を理解している若者”が不可欠です。できれば──大公自ら学院で語ってみてはいかがでしょう?」
あの男のことだ。ただの提案ではない。
“今、貴方が出る意味がある”という判断のもとでの発言だった。
(……まあ、分からんでもない。誰かが顔を出さなきゃ、信用も根づかない)
この国の若者たちは、“大公”といっても実感がない。
過去の政変や混乱のせいで、政治そのものに懐疑的だ。
だがその一方で、“自分たちが未来を作る”という志を持つ者も、必ずいる。
加賀谷は、そこを見に行くつもりだった。
制度を語るだけなら文官でいい。資料を配るだけなら学院で済む。
けれど──その先に進むには、“誰に預けるか”を見定める必要がある。
(投資の出口は“回収”だけじゃない。人材だ。……仕組みを回す人間を、この国に残す。俺の仕事はそこまで含めて完結だ)
馬車が学院の正門前で止まった。
門前には学院の教務官らが並んでいたが、加賀谷の顔を見るなり、ほとんど固まった。
「──た、大公……自ら、おいでに?」
「言い出したのはそっちの陣営だろ」
冗談めかして言うと、教務官たちは一斉に頭を下げた。
学院は政庁からやや距離のある位置に建てられた高台の施設で、もともとは貴族子弟の受け入れを目的としていた側面もあるが現在は平民や商人の子弟も多数在籍しており、実務的な科目に特化した“産業交流科”や“会計技術科”なども増設されている。
その中心講堂で、今日の講義が予定されていた。
「教室は階段式で、収容人数は百五十ほど。今回は産業系の実務科目の生徒が中心になります」
教務官が案内しながら説明する。
だがその横顔には、まだどこか緊張の色が残っていた。
(まあ、大公が教えるなんて“前代未聞”だよな)
それでも──
「今日話すのは、俺個人の立場でもある。
制度でも、法律でもなく、“誰がこの国を動かすか”って話をしに来たんだ」
教務官たちは驚いたように顔を上げた。
だが、そこにはほんのわずかに安堵も滲んでいた。
やがて講堂の扉が開かれ、生徒たちのざわめきが聞こえてきた。
その瞬間、加賀谷は一つだけ、自分の中で決めていたことを思い出す。
(この国に、“仕組み”を根づかせるには、選ばれる人間じゃなく、“選べる人間”を育てなきゃいけない)
加賀谷は静かに講堂へと足を踏み入れた。
百を超えるまなざしが、一斉に彼を迎えた。
* * *
──公都執務室
午後の陽光が、静かに差し込んでいた。
加賀谷の執務室。主の不在中、その机を丁寧に整えているのは、専属侍女のノアだった。
任命されたのはごく最近だ。
身元も不明な少女を近侍につけるなど、周囲は反対されるかと思ったがすんなり受け入れられた。
ノアは侍女になることを命じられた時も反論もしなかった。命じられたことを、ただ静かにこなしてきた。
いまも、机の上に無造作に残された書類を無言でまとめていく。
道具の置き方、端末の角度、筆記具の配置──すべてを“元どおり”に戻すのが、彼女の日課だった。
その中に、一枚だけ――色の違う紙が紛れていた。
〈学院講義用・出席予定者名簿〉と記されたそれは、今朝加賀谷が確認していた資料の一部らしい。
ふと、目に留まる名前があった。
ユリス・アーヴェル
ノアの指が、ぴたりと止まった。
(……この名前)
意識に引っかかる。
どこかで聞いた。いつ、誰が、どんな状況で……そのあたりは霞がかかったように曖昧だった。
でも、ただの偶然とは思えなかった。
静かに名簿を閉じ、机の所定の位置に戻す。
それだけで済ませればよかったのに、ほんの一瞬、目が離れなかった。
湯を沸かしていた魔導ポットが、音もなく蒸気を上げる。
ノアは何事もなかったように小さな湯呑を用意し、茶葉をひとつまみ、丁寧に落とした。
加賀谷が好む、渋味の強い黒茶だった。
いつ戻ってくるのか、日付は知らされていない。
湯呑を机の端に置いてから、ノアは一度だけ振り返る。
部屋には誰もいない。けれど、なぜか言葉にしてみたくなった。
「……無事帰ってきてね」
当然、返事はない。
けれどその声は、彼女の中では十分だった。
加賀谷の専属侍女。
役割は、掃除でも、給仕でもない。
――ここで、待っていること。
ノアは何事もなかったように、また静かに掃除へと戻った。
◆あとがき◆
ノアが久しぶりに登場。
学院ではとうとう加賀谷の授業が始まります。
更新の励みになりますので、
いいね&お気に入り登録していただけると本当にうれしいです!
今後も読みやすく、テンポよく、そして楽しい。
そんな物語を目指して更新していきますので、引き続きよろしくお願いいたします!
15
あなたにおすすめの小説
お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます
菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。
嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。
「居なくていいなら、出ていこう」
この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし
裏切られ続けた負け犬。25年前に戻ったので人生をやり直す。当然、裏切られた礼はするけどね
魚夢ゴールド
ファンタジー
冒険者ギルドの雑用として働く隻腕義足の中年、カーターは裏切られ続ける人生を送っていた。
元々は食堂の息子という人並みの平民だったが、
王族の継承争いに巻き込まれてアドの街の毒茸流布騒動でコックの父親が毒茸の味見で死に。
代わって雇った料理人が裏切って金を持ち逃げ。
父親の親友が融資を持ち掛けるも平然と裏切って借金の返済の為に母親と妹を娼館へと売り。
カーターが冒険者として金を稼ぐも、後輩がカーターの幼馴染に横恋慕してスタンピードの最中に裏切ってカーターは片腕と片足を損失。カーターを持ち上げていたギルマスも裏切り、幼馴染も去って後輩とくっつく。
その後は負け犬人生で冒険者ギルドの雑用として細々と暮らしていたのだが。
ある日、人ならざる存在が話しかけてきた。
「この世界は滅びに進んでいる。是正しなければならない。手を貸すように」
そして気付けは25年前の15歳にカーターは戻っており、二回目の人生をやり直すのだった。
もちろん、裏切ってくれた連中への返礼と共に。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
才能に打ち砕かれた日から、僕の最強は始まった
雷覇
ファンタジー
ワノクニ、蒼神流・蒼月道場。
天城蒼真は幼き頃から剣を学び、努力を重ねてきた。
だがある日、異世界から来た「勇者」瀬名隼人との出会いが、すべてを変える。
鍛錬も経験もない隼人は、生まれながらの天才。
一目見ただけで蒼真と幼馴染の朱音の剣筋を見切り、打ち破った。
朱音は琴音の命で、隼人の旅に同行することを決意する。
悔しさを抱えた蒼真は、道場を後にする。
目指すは“修羅の山”――魔族が封印され、誰も生きて戻らぬ死地へと旅立つ。
貧乏神と呼ばれて虐げられていた私でしたが、お屋敷を追い出されたあとは幼馴染のお兄様に溺愛されています
柚木ゆず
恋愛
「シャーリィっ、なにもかもお前のせいだ! この貧乏神め!!」
私には生まれつき周りの金運を下げてしまう体質があるとされ、とても裕福だったフェルティール子爵家の総資産を3分の1にしてしまった元凶と言われ続けました。
その体質にお父様達が気付いた8歳の時から――10年前から私の日常は一変し、物置部屋が自室となって社交界にも出してもらえず……。ついには今日、一切の悪影響がなく家族の縁を切れるタイミングになるや、私はお屋敷から追い出されてしまいました。
ですが、そんな私に――
「大丈夫、何も心配はいらない。俺と一緒に暮らそう」
ワズリエア子爵家の、ノラン様。大好きな幼馴染のお兄様が、手を差し伸べてくださったのでした。
地味な薬草師だった俺が、実は村の生命線でした
有賀冬馬
ファンタジー
恋人に裏切られ、村を追い出された青年エド。彼の地味な仕事は誰にも評価されず、ただの「役立たず」として切り捨てられた。だが、それは間違いだった。旅の魔術師エリーゼと出会った彼は、自分の能力が秘めていた真の価値を知る。魔術と薬草を組み合わせた彼の秘薬は、やがて王国を救うほどの力となり、エドは英雄として名を馳せていく。そして、彼が去った村は、彼がいた頃には気づかなかった「地味な薬」の恩恵を失い、静かに破滅へと向かっていくのだった。
お前には才能が無いと言われて公爵家から追放された俺は、前世が最強職【奪盗術師】だったことを思い出す ~今さら謝られても、もう遅い~
志鷹 志紀
ファンタジー
「お前には才能がない」
この俺アルカは、父にそう言われて、公爵家から追放された。
父からは無能と蔑まれ、兄からは酷いいじめを受ける日々。
ようやくそんな日々と別れられ、少しばかり嬉しいが……これからどうしようか。
今後の不安に悩んでいると、突如として俺の脳内に記憶が流れた。
その時、前世が最強の【奪盗術師】だったことを思い出したのだ。
【完結】辺境に飛ばされた子爵令嬢、前世の経営知識で大商会を作ったら王都がひれ伏したし、隣国のハイスペ王子とも結婚できました
いっぺいちゃん
ファンタジー
婚約破棄、そして辺境送り――。
子爵令嬢マリエールの運命は、結婚式直前に無惨にも断ち切られた。
「辺境の館で余生を送れ。もうお前は必要ない」
冷酷に告げた婚約者により、社交界から追放された彼女。
しかし、マリエールには秘密があった。
――前世の彼女は、一流企業で辣腕を振るった経営コンサルタント。
未開拓の農産物、眠る鉱山資源、誠実で働き者の人々。
「必要ない」と切り捨てられた辺境には、未来を切り拓く力があった。
物流網を整え、作物をブランド化し、やがて「大商会」を設立!
数年で辺境は“商業帝国”と呼ばれるまでに発展していく。
さらに隣国の完璧王子から熱烈な求婚を受け、愛も手に入れるマリエール。
一方で、税収激減に苦しむ王都は彼女に救いを求めて――
「必要ないとおっしゃったのは、そちらでしょう?」
これは、追放令嬢が“経営知識”で国を動かし、
ざまぁと恋と繁栄を手に入れる逆転サクセスストーリー!
※表紙のイラストは画像生成AIによって作られたものです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる