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第三章

14.パンケーキに惹かれて

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――オレ、矢神さんに迫っちゃいますよ。
 

 遠野がそう言っていたせいで、矢神は妙に意識をしてしまっていた。

 職場の学校では、まさか迫るようなことはしないだろうから安心なのだが、家に帰れば違う。誰にも見られていない状況下で好きな相手と二人きり。遠野の思うがままにできる。

 今まで抱きしめられたり、ベッドで添い寝されて迫られたりということは多少あった。幸運なことにそれ以上のことはされていない。欲情して理性を失えばどうなるだろうか。

 矢神にとっては、遠野は同性で恋愛対象にはならないせいか、告白されてもいまいちピンとこないところがあった。遠野の方も普段そんな素振りは見せない。だから、一緒にいても安心しきっていた。最初の頃に比べれば、今では気心知れた落ち着ける相手なのだ。


***


 矢神がいつものようにリビングのソファーでテレビを見ていれば、風呂から上がった遠野が隣に座った。

 冷蔵庫に冷やしてあった缶ビールを開けて、ごくごくと喉を鳴らして飲んでいる。
 長い髪はまとめていなかったから、さらさらと揺れた。
 不意にこちらを見た遠野と視線が交わった。

「矢神さんも飲みますか?」
「オレはいい」

 酒を飲んで酔えば、ろくなことがない。しばらくは遠野の前でアルコールを入れてはいけない気がしていた。

 テレビの方に視線を戻せば、遠野がソファーに寄りかかりながら、手をついたから身体がびくつく。
 指の長い大きな手が、矢神の太ももに触れるか触れないぎりぎりのところにあった。緊張で身体がこわばる。

 さりげなく距離を取りつつ、遠野との間にクッションを置くという、あまり意味のないことをしていた。

「矢神さん」
「はい」

 急に呼ばれて、思わず高い声を出して姿勢を正した。

「この間、本屋に行きたいって言ってましたよね? オレも買いたい本があるので、明日帰りに行きませんか?」

 帰りに行くということは、一緒に帰るということだ。
 後輩と帰ることは何も問題はないが、ただの後輩ではない。好意を持っている相手に答えを出さずに、このままでいいのか。

 気まずくなりたくないというのは矢神のエゴだ。はっきりさせたら、遠野だって次の相手に気持ちを向けられる。
 それはわかっているのに、踏ん切りがつかなかった。

「嫌ですか?」
「……嫌、ではない」

 遠野と一緒にいるのが嫌だとか、嫌いだという方がわかりやすくて良かった。つい、そんなことを考えてしまう。

「駅通りの本屋の近くに、パンケーキ専門店がオープンしたじゃないですか。そこにも行きましょうよ」

 ウキウキとパンケーキ専門店のチラシを目の前に出してきた。

 今、女子高生の間で評判のパンケーキ専門店だ。生徒からおすすめされてチラシをもらったらしい。
 いちごやバナナなどのフルーツが乗ったパンケーキに、クリームとチョコがかかっている。とても魅力的だ。

「おまえ、甘いもの苦手じゃなかった?」
「ここの店は、甘さ控えめだから苦手な人にもおすすめって、生徒たちが言ってました」
「そうなんだ」
「それに今、オープンキャンペーン中でパンケーキ1枚追加無料ですよ! 極厚ふわふわパンケーキが堪らないらしくて」

 遠野の方が、甘いものが好きなんじゃないかというくらいに興奮気味だ。

「こんなところに男二人で行きにくいだろ。うちの生徒もいるだろうし」
「いいじゃないですか。それにオレ、矢神先生と行くって生徒に言いましたよ」
「は? オレが行くって言ってないのに?」
「行きますよね?」

 ニコニコと笑顔で、断る隙を与えない。

「人気の店なんだから混んでるだろ」
「じゃあ、そんなに混んでなければ行きましょう。決まりです」

 声を弾ませ、気持ちが舞い上がっているというのが手に取るようだ。
 たかが本屋に行くだけ。甘いものだって好きではないのに。

 ――出かける相手がオレだからか。

 好きな相手なら、どこに行くのも嬉しいはず。そのことに気づいて、困った思いと共に気恥ずかしく感じた。
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