弱気な男爵令嬢は麗しの宰相様の凍った心を溶かしたい

灰兎

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2、雲の上の宰相様に無謀な恋をして堅実な結婚からどんどん遠退いています

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大広間に戻ると、アーノルドがシェリルを探していた。

「シェリル、心配したぞ。どこに行ってたんだ?」

「ごめん、ちょっと息抜きにバルコニーまで行ってて…… なんだか疲れてしまったみたいなの、アーノルドは一段落付いた?」

「あぁ、何とかな。疲れたならそろそろ帰るか」

「うん……」





馬車に乗りながら、先程の出来事をぽつりぽつりと兄に話し出す。

「実はさっきノア様に会って……」

「ノアに? あいつは今日城の警備の当番なはずだが……祝賀会の後、お前の事をやたら聞いてきてちょっとしつこかったんだ」

「そうだったんだ……バルコニーで休んでたら急に現れて、恋人候補にしてくれって言われてうなじにこれを……」

そう言ってチョーカーを少しずらす。

「なんだそれはっ! ノアのやつ、ただではすまさん! 他に何かされなかったか? すまない、俺が守ってやらなくちゃならないのに……」

突然烈火の如く怒ってから、猛反省するアーノルド。

「大丈夫だよ、実はたまたまブランデンブルグ宰相が助けて下さって」

「え、宰相様が!?」

アーノルドは目を見開いて、シェリルをまじまじと見た。

「うん、それでノア様には処分が下るって言ってて」

「そうか、それはあいつも運が悪かったな……いや、お前にしたことを考えれば当然だが……」

何を想像しているのか見当がつかないが、少し青ざめているアーノルド。

「ノア様、騎士団を追放されてしまうの?」

思わず心配になって尋ねる。

「分からない、けど宰相様のお決めになる事はいつも的確で容赦がない」

「そう……なんだ……」

ブランデンブルグ宰相の鋭い視線を思い返す。

「それで実は明日の午後、このチョーカーを宰相様の執務室へお返しに上がる約束で」

「チョーカー? あぁ、そう言えばお前、行く時はそんなチョーカーしてなかったよな?」

「うん、跡を隠す為にって宰相様が貸して下さって。それで代わりにおばあちゃんのペリドットのネックレスを預けたの。明日交換する約束で」

「そうか。さすが女性にもスマートな方だな、宰相様は」

感心する兄をよそに、シェリルの心はチクっと痛んだ。

「やっぱり、宰相様ってモテるの?」

シェリルは絶対めちゃくちゃモテるだろうなって一目見た瞬間から思っていたが、ついつい聞いてしまう。

「そりゃ当たり前だろ、遡れば100代前まで辿れると言われる程の名門ブランデンブルグ公爵家のお生まれ。優秀な先人が多い一族の中でも特に優秀と謳われ、国王陛下からの信頼も厚い。彼に恋した女性は星の数程いる上に、振られた女性から宰相様を悪く言うのを聞いたことが無い。女性の心の機微を熟知している上に、極め付けはあの見た目だ。とんでもなくかっこいい。以前は国王陛下と社交界での人気を二分していたが、陛下が御婚約なさってからは、前にもまして宰相様の人気が高まっている」

「……アーノルド凄いね、まるで弁士の人みたいにすらすらと……」

「まあな。とても厳しい御方だが、男でも尊敬している者は多い」

「だろうね……」

ちょっと、ほんの1ミリの100万分の1くらい、こんな高価そうなチョーカーを貸してくれたんだから、脈は全然無くても、自分の事を悪くは思ってないんじゃないかと、微かにでも思い上がってしまった自分を殴りたい。

「どうした? 急にうなだれて……ってまさかお前宰相様を──!?」

「違う違う!! 普通の男性からも全くモテないのに、宰相様みたいな人とどうこうなんて、ありあえないしっ!」

「いや、モテなくは無い、シェリルは可愛いし。ひょっとすると……」

「そういうの良いから、アーノルド。とりあえず明日もう一回だけお城に行ける上にあのご尊顔を拝めるだけで、ありがたいよ」

シェリルは自分に言い聞かせるように呟いた。




翌日、昼食の後に、騎士団の家族が来た時に利用できる宿舎までアーノルドが迎えに来てくれた。

昼間に見る城は、昨日の夜会の時とはまた違った荘厳さがある。

「それにしてもすごいな、俺も宰相様の部屋には伺った事はない。まさかシェリルに先を越されるとは──」

(アーノルドって宰相様のファンなのかな?)

取り乱す兄を見て、先程まで食事も喉を通らないほど緊張とときめきでドキドキしていたのに、少しだけ冷静になってきたシェリル。

長い廊下をいくつも曲がったりしながら、ようやく宰相の執務室にたどり着く。

「と、遠かった……」

一張羅のアフタヌーンドレスが重苦しく感じられる程に歩かされて、額にはうっすら汗がにじむ。

「偉い人はアクセスの良いお部屋にいらっしゃると思ってた……」

シェリルがゼーゼーしながら愚痴るとアーノルドは当然の事のように「そんな事あり得ないだろ、重要な人物こそ敵がたどり着き難い場所にいらっしゃるんだ」と言った。

「じゃあ俺は行くから。また後でな」

「え、アーノルド行っちゃうの?」

「あぁ、俺はここにお前を連れてくるのが役目だ。午後の訓練も始まるしな」

「そっか……ありがとう。頑張ってね」

「お前もな」

ウインクすると軽快な足取りで去って行ってしまった頼みの綱の兄。

ドアの前に控えていた兵士に訪問の旨を伝えて待つと、すぐに扉が開いた。

窓辺からこちらへ歩くヴィンセントにシェリルはカーテシーをする。

「ご足労をお掛けしました、シェリルさん」

「いえ、お忙しいところ、お時間を取って頂き恐縮です」

挨拶を終えて頭を上げると、昨晩見た嘘みたいに美男子な宰相が、午後の光の下ではまた別の神々しさを放って立っていた。

(造形美が神の領域……)

シェリルは一瞬で脳みそが思考をストップして妄想の方へ全力疾走しそうになるのを何とかねじ伏せて、平静さを装う。

どうぞこちらへ、とソファの方へ促してくれる。

そこへ完璧なタイミングで大層美人なメイドさん3人がアフタヌーンティーの準備をてきぱきとして、あっという間に退散していく。

シェリルが目を白黒させているとそこへ、少し開いたままの扉ががばっと開き、「遅れたな」と美声が聞こえてきた。

(うわぁ、この人もまた違ったタイプのイケメン──って!!!!)

「こ、国王陛下!!」

シェリルは即座に立ち上がり、ソファの後ろへ下がるともう一度カーテシーをする。あまりに動揺して、さっきよりも滑稽なものになってしまったかもしれない。

「あぁ、緊張しないで。貴方がシェリル殿かな?  私はヴィンセントの友人のアーサーだ。お兄さんのアーノルドの優秀さは私も一目置いているよ」

(緊張しないでって、緊張するに決まってます!!)

「もったいないお言葉、痛み入ります……」

シェリルは緊張のあまり、まともに立っていることすら出来なくなりそうだった。

「何故いらしたんですか、陛下?」

そこで初めてヴィンセントが口を開く。

陛下と言っているが、その目は疎ましいものでも見るような目付きだ。

「お前が可愛らしいレディと執務室でデートするなんて前代未聞の色っぽい話を聞いたら是が非でも参らんとな」

「陛下がそんな下世話なガセネタを信じた上にご興味を持たれるとは、この国も長くはないかもしれませんね」

ヴィンセントは並の人間なら縮み上がる様な鋭利な視線を送るが、国王アーサーは華麗にスルーする。

「シェリル殿、こいつはちょっと性格があれなんだが、根は良い奴なんだ。大分ひねくれているだけでな。だから宜しく頼む」

ヴィンセントがただ溜め息をつくだけで訂正してくれないので、シェリルは意を決して口を開く。

「陛下、私は宰相様にあるものをお返しに参っただけで、お返し次第すぐに退散致します」

「チョーカーだろう? サファイアの。ブランデンブルグ家に伝わる家宝だ」

「陛下!」

小声でアーサーをたしなめるヴィンセント。

「家宝!?」

(そんなことじゃないかと思った、だってこの宝石、見たこと無いくらい大きいもの!!)

シェリルは一目散にチョーカーをしまっていた小さなガラスの箱をヴィンセントに渡す。

「すみません、存じ上げなかったとは言え、私のようなものが宰相様の大切な物を身に付けた上にお借りしてしまって……」

「いえ、別に大した物ではありません。ずっと引き出しの奥にしまわれたままだったのです。それよりも、こちらの方がずっと大切な物だったのではありませんか?」

ヴィンセントは濃紺のビロードのジュエリーボックスを開くとネックレスを取り出し、シェリルの首に着けた。

「いえ、これは特に価値の無いものなんです。ただ祖母の形見で……」

「ではとても大切な物ですね。それにあなたの美しい瞳にぴったりです。」

そう言って微笑むヴィンセントは本当に美しい。

(もしかして、天然の女たらしさん……?)

シェリルが呆然としていると「よし、決めた!」とアーサーの決然とした声がした。

「今日の午後はヴィンセントを休みにする。シェリル殿、街でも城の中でも、好きなように案内してもらうといい」

「いえ、そんなことは……!」「陛下!」

「俺はヴィンセントの人生には常々誰か必要だと思っていた。シェリル殿の様な可愛らしい女性ならきっとヴィンセントの凍てついた心も溶かしてくれるはずだ」

「凍てついた……?」

「まぁ、詳しくはヴィンセントに聞くと良い」

「陛下、私が休めば貴方に皺寄せが来る。そうすればリューシャ様との貴重なお時間が減りますよ」

「リューシャもお前の為なら分かってくれる。ほら、善は急げだ。早くデートでも密会でも会瀬でも良いから、出掛けて来なさい」

何だか嬉しそうなアーサーが二人を急き立てて、気が付くとシェリルとヴィンセントは馬車に乗っていた。





    
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