守り守られ

ほたる

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トイレ事情

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初登校から二週間が経っていた。
朔を悩ませていたのは、トイレの問題。

朔は、もう理解していた。
高校は、想像よりずっと忙しい。
授業の合間の移動教室。
苦手な昇降運動の階段。
廊下でたむろう生徒の人混み。
授業開始のチャイム。

そして排尿のタイミングを自分で決められない生活。

四時間目終了のチャイムが鳴り、教室が一気に賑わう。

「昼飯だ!」

「購買行こ~ぜ!」

椅子が引かれる音が響きクラスメイトは、昼休憩に向かった。

だけど…朔は動かなかった。
机に手を置いたままゆっくり呼吸を整える。
下腹部が異様に重い。
鈍い圧迫感。

(……溜まってる)

でもこれは普通の尿意じゃない。
朔の膀胱は、自律的にうまく収縮しない。
だから自己導尿が必要だった。
小学生から続けている日常のケア。
病院でも、自宅でも、外出先でもやってきた。
技術的には、問題ない…。

問題は、ここが学校だということ。

「朔、行かないの?」

聖が、寄ってくる。

「……先行って」

そう短く返した。
朝陽と夕陽が、顔を見合わせ視線で会話した。
二人とも気づいていた。
最近、朔が昼休みに消えることを…。

クラッチで身体を支え廊下をゆっくり進む。
トイレの前には、長蛇の列…。
生徒がスマホを見ながら談笑している。

(マジかよ……)

個室が開いてない。
どれくらい待つのか時間が読めない。
自己導尿は数分で終わるケアだ。
だけど衛生を保った状態で、準備し集中して処置しないといけない。
誰かにドアを叩かれたら終わる。

汗が僅かに滲む。
膀胱の圧がじわじわ上がるのが分かる。

ようやく個室が空き中に入る。
鍵を確認。
もう一度確認。

背負っていたリュックからポーチを取り出す。
消毒綿に潤滑剤。
そして導尿カテーテル。

集中したいのに外の声が全部聞こえる。

「まだー?」 

「早くして」

ドンッ!ドアが揺れた。

心臓が跳ね上がる。
驚き一瞬手が止まった。

(落ち着け…)

深呼吸…早まる呼吸を整える。
視線が揺れる。
装具の関係で、狭い個室では姿勢も取りづらい。
焦りと緊張が募る。
陰茎の包皮を剥き尿道口をしっかり消毒し、潤滑剤をつけたカテーテルを尿道に入れていく。
しかし尿道がうまく開かない。
カテーテル先端が触れた瞬間。
ピリッと鋭い痛みが走った。

「……っ」

小さく声が漏れた。
騒がしかった外が急に静かになる。

最悪だ…。
失敗した。
一度入れかけたカテーテルを抜く。
手が震える。
膀胱圧が限界に近づくのが分かる。
その時、じわ…と温かさが広がっていく。

「……っ、」

止めようとしても止まらない。
少量の漏れ。
制服の内側に広がる感覚に頭が真っ白になった。

(終わった)

着替えて教室に戻った時、朔は誰とも目を合わせなかった。
椅子に座り塞ぎ込んでいる。
聖が、眉を寄せ声をかけた。

「朔?」

反応しない。
夕陽が静かに言う。

「保健室行こ」

「……平気」

声が硬い。
朝陽が、決定打を落とした。

「平気な顔じゃない」

沈黙が続く。
朔の拳が、微かに震えていた。



放課後、望月診療所の診察室。

「学校での導尿は難しい?」

静かに聞く織悠先生。
朔は視線を落としたまま。

「……できる」

即答。
でも…その先の言葉が続かない。
暁彦先生がカルテを閉じる。

「失敗したな」

図星だった。
肩が僅かに跳ねた。

「漏れたか?」

沈黙…。
それが答えだった。
織悠先生が椅子にもたれて声をかける。

「朔」

責める声じゃない。

「学校は病院と違う。環境ストレスで尿道括約筋が緊張しやすくなる。長年上手くできてた導尿でも失敗する」

医学的説明の中に逃げ道をくれる言葉。
でも…朔の声は掠れた。

「……もう嫌だ」

呟くように吐き出された弱音。

「毎回トイレ探して …時間気にして …漏れるか考えて…」

拳が震える。

「ただ普通に学校に行きたいだけなのに…」

診察室が静まった。
暁彦先生が、淡々と伝える。

「対策を変える」

朔が顔を上げた。

「昼休みじゃなく授業間導尿、職員用トイレの使用許可、学校側へ医療連携文書出す」

即決される。
逃げ場ない言い方。
朔が顔を歪めた。

「……特別扱いじゃん」

織悠先生が即座に否定した。

「違う」

真っ直ぐな視線が刺さる。

「必要な合理的配慮だよ。朔が学校に通い続けるための医療的配慮」

診察が終わった帰り際。
心配して着いて来てくれていた聖が聞いてきた。

「先生、怖かった?」

朔は少し考えて、小さく笑った。

「……いつも通り」

朔の背負うリュックの中には、新しく追加された導尿セット。
高校生活は、まだ始まったばかりだった。

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