100日後に〇〇する〇〇

Zazilia

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3 出張

9日目 気の進まない旅

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19時17分


 駅のホームが、右から左へ流れていく。
 ぼくは、その景色を少しだけ楽しんだ後、椅子に腰掛けた。
 この客室は3人一部屋だが、今回の列車旅は、ぼくとアナちゃんの2人のみとなった。
 一応は1等車なのだけれど、やはり夜行列車だけあって、窮屈だった。
 隣では、アナちゃんが手作りのバゲットサンドウィッチを頬張っている。
 ぼくは、両手を合わせて口を開いた。「いただきます」膝の上に載っているのは、パリ某所で購入した駅弁だった。
 幕の内弁当。
 列車旅といえば、やはりこれだ。
「美味しそう」アナちゃんは言った。
「へっへっへー」ぼくは、割り箸を割って、ごまを振りかけた白米の上に乗った鮭の塩焼きをつまんだ。「食べる?」
「食べる」
 ぼくは、鮭と、卵焼き、がんもどき、ちくわの磯辺揚げ、ご飯、梅干し、たくあんを半分にしてプラスチックの蓋に載せてアナちゃんに渡した。
「野菜が足りないね」
「お弁当だからね」
「オベントウ?」
「そう。これ」
「日本って面白い」
「そう?」
「遠出するときのご飯はだいたいこれだから」アナちゃんは、手の平に残っているサンドウィッチを振った。「食べる?」
「中身は?」
「ローストビーフ」
「一口頂戴?」
「良いよ」
 ぼくは、差し出されたサンドウィッチをガッツリ頬張った。
「あー!?」アナちゃんは、楽しそうな顔で悲鳴を上げた。3分の2ほど残っていたバゲットサンドの半分が、今やぼくの口に咥えられていた。「ローストビーフが……」
 牛肉の香りが口いっぱいに広がり、控えめに載せられた黒こしょうとオリーブオイル、バジルの香りが、ぼくの心を、早朝のセーヌ川のような静かな幸せの世界へと誘ったのだった。もぐもぐもぐ、ごくん。「アナちゃんの手作り?」
「地獄に落ちろ」
「ごちです」ぼくは笑った。「バジル合うね」
「褒めても許さない。列車旅は11時間ある。そして部屋は一緒。わたしは夜ふかしに慣れている。この意味がわかる?」
「良いじゃんよー、怒んないでよ。ぼくだってお弁当半分上げたんだからイーブンじゃん」
「それ言われたらなんも言えないね」
「食べてみなよ」ぼくは、ペットボトルの緑茶をプラスチックのカップに注いだ。「お弁当食べながら飲むと美味しいよ」
「ふぅん」アナちゃんは、手の平に箸を作り出すと、それで器用にご飯をつまみ上げた。「日本人は米が好きだよね」
「バゲットみたいなもんだよ。ぼくらはスープも魚も肉も米と一緒に食べる」
 アナちゃんは、米を口に含み、味わうようにして目をつぶった。「スシの米の方が美味しいね」
「酢飯は酢飯だよ。こっちはね、おかずで味をつけるような感じなの。鮭を少し口に入れて、その後に米を入れてみな」
 アナちゃんは、ぼくに言われた通りにやった。「美味しい。塩気があるものと食べるとなんか違うね」
「そうなんだよ」
「フレンチはコースで出てくるじゃん? 和食ってテーブルの上に米とスープとメインが一度に出てきて、メインと一緒に米を食べて、ミソシルで口直しする感じでしょ? 料理の概念から違うんだろうね」
「和食も、コースで出てくるよ。懐石っていうコース料理があるの」
「カイセキか。面白そう」
「和食食べたことある? 日本食」
「スシだけ」
「どうだった?」
「美味しかったよ。ちょっと生臭かったけど」
「生姜が載ったスシとか良いかもね。あとは醤油にわさびを溶かすの」
「わさび辛かった」
 ぼくはほくそ笑んだ。いつもは生意気なことばかり言ってるくせに、わさびが苦手なのか。覚えておこう。
 アナちゃんは、挑むような目でこちらを見た。「わさび持ってんの?」
「うん」
「あんたの手作りには気をつけないとね」
「ちなみにわさび醤油と牛肉も合うんだよ」
「面白そう」
 ぼくは頷いた。「梅干し食べてごらん」
「ウーメボシ?」アナちゃんは、ぼくが指さした、赤紫色の果実のかけらのようなものを箸でつまみ上げた。アナちゃんはフランス人だけれど、箸の扱いが上手だった。アナちゃんは、梅干しを口に含むと、声にならない悲鳴を上げ、足をバタバタさせた。「てめえこのやろう○○○○○!」可愛い顔したアナちゃんはフランス語でぼくを思いっきり罵倒した。
 ぼくは声を上げて笑った。
 先日、夜のバーで遠慮しないでくれと言われたぼくは、一昨日から頑張って遠慮しないようにした。
 アナちゃんを見れば、後悔している様子はなかったし、こちらが遠慮しなくなってから、アナちゃんも遠慮しなくなった。
 今の関係性は、ぼく自信がなかなか楽しいと思えるちょうど良い感じになってきた。
 友達になってから一週間。
 今の今まで散々からかいやがって。
 これからは形勢逆転だ。
 ぼくは、心の中でアナちゃんをどうやってからかおうかと考えながら、お弁当を楽しんだ。


20時4分


 夕食を終えたぼくたちは、ウェルカムドリンクのシャンパンを片手に、仕事の話を始めることにした。
「サンタ・ルチア駅で、合流だっけ」ぼくは言った。
「そう。名前はハリエット。わたし等の同僚で、ヨハンナの弟子だって」
「あのヨハンナさんのね」
「ヨハンナの話だと、一番弟子なんだって。あいつの訓練を最後まで修了したって」
「ヨハンナさんの訓練に最後まで付き合えるなんて、たぶん気があったんだろうね」ぼくも一度、ヨハンナさんに修行を付けてもらった事があるけれど、精神衛生上の理由から、一週間で切り上げることになった。ヨハンナさんを一言で表すなら、こっちがシャワーを浴びているときに、鼻息を荒くして、鍵をかけたはずのバスルームに入ってきて、へへ、良い尻じゃねぇか……、と、セクハラをしてくるタイプだった。「どうやって入ったかだって? ふっ、ピッキングをしたのさ、名探偵だからね」とかなんとか、訊いてもいないことを得意げに話すところが特に鬱陶しかった。天井をぶち抜く勢いのダルさを誇る年中欲求不満のクレイジーサイコレズの下で訓練を修了したとなると、ハリエットさんはさぞかしヨハンナさんと気が合ったに違いない。たぶん、学ばなくて良いところまで学んで第二のヨハンナさんと化していることだろう。「気をつけないとね」
「そこは協力で行こう」
「行きたくねー」ぼくは、顔をしかめながらシャンパンを啜った。
「一週間の予定だし、大丈夫でしょ。それにあのベネチアだよ?」
「綺麗なとこだよね」
「イタリア男漁り放題」アナちゃんはよだれを垂らしながらうへへと笑った。
 ぼくは、少しだけ横にずれて、アナちゃんから距離を取った。
 アナちゃんもまた、ヨハンナさんの訓練を受けていたらしい。
 自覚がないだけで、もしかするとアナちゃんもまた、あの名探偵の毒に少し侵されてしまっているのかもしれない。
 ぼくは、ゾンビウイルスのようなあの名探偵の影響を受けないように、ハリエットさんに対しては、あくまで業務上の会話のみを交わすように努めようと、心に決めた。「なにさせられんのかな」
「それは現地で聞けるってさ」
「ヨハンナさんからなにか訊いてない?」
「わたしらと気が合うだろうって言ってた」
 ぼくは眉をひそめて失笑した。「侮辱されたってことかな」
「たぶんね」
 ぼくは、A4サイズのトランクを荷棚から取った。「飲もっか」赤ワインのボトルを取り、手の平に栓抜きを生み出す。
「やだよ。ソラめんどくさくなるじゃん」
「失敬な」ぼくは、コルクを抜き、ボトルの口からぐびぐびと飲んだ。
「人が口つけたワインは飲まないの」
 ぼくは、トランクから赤ワインのボトルをもう1本取り出し、アナちゃんに渡した。
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