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Zazilia

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3 出張

12日目 神話の魔法

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13時11分


 空港には、簡素な取調室がある。
 個性豊かな旅行客の中には、いわれのない疑いを招く立ちふるまいや言動をしてしまう者もおり、主にそういった者が連れてこられる。
 壁一面に並べられたベンチ、その向かいにはマジックミラー、監視カメラは、動揺を誘うための飾りで、本命はどこかに身を潜めた隠しカメラと対象の体温を探るサーモグラフィーカメラだ。
 ぼくとシェルナーさんは、マジックミラーを挟んで、取調室に座る2人の男を見ていた。
 男たちは、会話をしていなかった。
 今からでも他人のふりが通用すると思っているのだろう。
「30分」空港警備の責任者を担う男性が言った。「もう良いでしょう」
 マジックミラーの向こうに、警備員と、ほんの少し小綺麗な私服に着替えた警備員がやってきた。
「ここで待っていろ」警備員の制服に身を包んだ男性が言った。
 私服に身を包んだ警備員の男性は、うんざりしたようなため息を吐いた。貧乏ゆすりをして、先客の2人を見た。「やあ、あんたらはどんだけ待ってるんだ?」
 先客の2人は、顔を見合わせた。
「30分だ」
 私服警備員の男性は言った。「なにしたんだ?」
「なんでもないさ」不審者さんその1は肩を竦めた。
「タバコを吸ってたら連れてこられたんだ」不審者さんその2は言った。
「こいつはジェイソン、こっちがジョナサンだ」警備責任者の男性は言った。不審者さんその1がジェイソン、不審者さんその2がジョナサンというらしい。
「データにないね」シェルナーさんは言った。「私達には関係のない連中だったな」
「インターポールの方が、どうしてこちらに?」警備責任者の男性は、シェルナーさんを見た。彼は、ぼくがすでにバッジを見せたにも関わらず、未だに疑問の目を向けてくる失礼な人だった。まるで、こんなちっちゃくて世界一可愛い女の子が刑事なわけないだろとでも言っているかのようだ。
 失礼しちゃうぜ。
 ぼくはコーヒーを啜った。
「捜査で来たんだ。市内の方は別のチームが動いているから、私と彼女は、空港で待ち伏せることにしたのさ」
「それは一体、どんな連中ですか?」
「過激な環境活動家さ。眼の前でフライドチキンを食べられることが我慢ならないくせに自分からその手の店に近づくような迷惑な連中だ」
 ぼくは、初耳の情報に反応せず、コーヒーを啜った。
「なるほど」
 シェルナーさんは、ゆったりと頷くと、ぼくを見た。「きみは構内に戻りなさい。私は2人を吐かせる」
 ぼくは頷いた。
 シェルナーさんは、取調室に入ると、ジェイソンとジョナサンに挨拶をした。「やあ、待たせてしまったね」
 ぼくは、マジックミラーの向こうで、シェルナーさんの灰色の瞳が光ったのを見た。
 次の瞬間、ジェイソンとジョナサンの目の焦点がぼやけた。
 精神の魔法。
 シェルナーさんは、2人の精神への干渉を始めたようだ。
「私は、きみたちの味方だ。ここに来た目的を教えてくれ」シェルナーさんは言った。
 ジェイソンは、虚ろな目で、口を開いた。「金を受け取ったんだ」
「誰から」
「ジョナサンと、夜のバールで、酒を飲んでたんだ。酒を奢られた。一緒に話してて楽しい奴だったよ。仕事を探してるって言ったら、名刺を渡された。書かれていた連絡先に電話をしたら、空港に行くようにと指示を受けた」
「俺もだ。金が必要だった」
「みんなそうだ。だから真面目に働いたり、貯金をしたりするのさ。空港でなにをしろって言われた?」
 ジェイソンは、首を傾げた。「覚えていない」
 ジョナサンも同様に、首を傾げた。「なんで……、俺、こんなとこに……」
 シェルナーさんは、2人の額に触れた。「そうか。すまないが、きみたちを保護する意味も含めて、今日はここで過ごしてもらうことになるぞ。これに懲りたら、今後は胡散臭い奴には近づかず、人に迷惑をかけずに、真面目にコツコツ働くことだな。正直にすべて話すように。心配ない。私たちはきみの味方だ。協力ありがとう。それとジェイソン、君はヨガと腹式呼吸をした方が良い。脳に酸素が届いていないぞ。ジョナサン、きみはモン・サン・ミッシェルか、出来ることならヴァチカンに行ったほうが良い」
 ジョナサンさんは首を傾げた。「どうしてだ?」
「信仰は救いになる。瞑想状態だと脳もリラックス出来るしな」
 ジョナサンさんは、いまいちピンとこないと言った様子で眉をひそめた。
「最近を変な夢を見るだろう。はっきり言うが、幽霊が憑いてるよ」
「幽霊……、かわいい?」
「は?」シェルナーさんは眉をひそめた。
「あ、いや。可愛い幽霊ならそのままでも良いかなって」
 ぼくは失笑した。
 警備責任者の男性も、呆れたような笑顔でぼくを見下ろしていた。
 ジョナサンさんは、なんだか少し嬉しそうな顔をしていた。「巨乳か?」
 いら。ぼくは、自分の平らな胸を抑えた。
 シェルナーさんは、失笑を漏らして、吐瀉物さん、もとい、ジョナサンさんに微笑を向けた。「きったねーおじさんだよ。性格が捻じ曲がってるから、生前は周囲を脅して人を繋ぎ止め、弱者をだまくらかして私腹を肥やし、好き放題やってたくせに、世界は醜くて残酷だとか、いや汚いのが人間だからとかほざいて自分を正当化して被害者ヅラしていたようだ。クソ野郎さ」
 ジョナサンさんは、ほこりでも払うように、肩をぱっぱと払った。
 ジェイソンさんは、ジョナサンさんを一瞥して、50cmほど横にずれ、距離を取った。
 ジョナサンさんは泣きそうな顔でジェイソンさんを見たけれど、ジェイソンさんはジョナサンさんとは目を合わそうとしなかった。
 シェルナーさんは優しく微笑んだ。「ヴァチカンで祓ってもらえ」シェルナーさんは、取調室を出た。彼女は、ぼくを見ると頷いた。「戻っていろと言ったじゃないか」
「お仕事を拝見させていただきたくて」
「しょうがない子だな」
 ぼくたちは、警備責任者の男性に挨拶をして、取調室を後にした。
「どう思った?」シェルナーさんは言った。
「精神の魔法ですね。精神干渉を受けていた」
 ぼくとシェルナーさんは、ゲートをくぐり抜け、観光客と不法移民とホームレスで溢れかえる空間に戻った。
「その通り。おかげで犯人の顔がわかった。居場所もね。一緒に来るかい?」
「良いんですか?」
「忘れ物はないか?」
「ありません」
 ぼくとシェルナーさんは、出入り口を通り過ぎ、大雨が降り注ぎ、突風が吹き荒れる嵐の中に出た。
「君に私の力を見せてあげよう」シェルナーさんは、左目を閉じて、右目で大空を見上げた。
 ぼくは、彼女の視線の先を見て、目を大きく見開いた。
 はるか上空、分厚い灰色の雲が覆う空に、地平線の先、水平線の先まで覆い尽くすほどに巨大な灰色の片目が写っていた。
 地上を見下ろすその巨大な目は、ぱちぱちとまばたきをして、なにかを探すように、黒目をあちらこちらへ、ぎょろぎょろと動かした。
 ぼくは、息をするのも忘れて、その光景を見ていた。
 心臓の鼓動が早くなる。
 視界が明るくなる。
 なんだこれ。
 なんなんだろう。
 こんなの、はじめて見る。
 これは。
「見つけた」
 右手を覆う冷たい感覚に、そちらを見れば、シェルナーさんの柔らかい手が、ぼくの手を包みこんでいた。ぼくの手が、白いモヤに変わる。白いモヤは、手の平から肘、肘から肩へと徐々に広がり、ぼくの全身は、瞬く間に、白いモヤに変わってしまっていた。幽体化。周囲の景色が白黒のモンタージュに変わり果てていた。
 ぼくは、シェルナーさんを見た。
 見れば、シェルナーさんの全身も白いモヤに変わっている。
 彼女は、左目を瞑ったまま、ぼくを見て、微笑んだ。「怖くないか?」
 ぼくは首を横に振った。
「なんだ、わくわくしてるのかい?」
 ぼくは、小さく笑った。シェルナーさんの瞳に映るぼくは、笑顔を浮かべていた。「なんなんですか、これ。バレないんですか?」ぼくは、上空に浮かぶ巨大な目を指さした。
「これが見えるのは、私と君と私が追う犯人だけだ」シェルナーさんは、左目を開けた。
 上に吸い込まれていくような浮遊感にとらわれた次の瞬間、ぼくとシェルナーさんは、濃密な灰色の世界にいた。
 周囲を見渡し、はるか下方に、ブーツのようなイタリアの地形が見えた。
 ぼくの目は、自然とベネチアを探していた。
 再び、視線の先に吸い込まれていくような浮遊感がぼくを襲う。
 視線の先にあるベネチアが凄まじい速度で大きくなる。
 ぼくの視線の先に、だれもいないサン・マルコ広場が写った。その中央に、男性が一人立っていた。男性は、呆然とした様子で、ぼく、いや、おそらくは、上空に浮かぶ巨大な灰色の目を見上げていた。
 次の瞬間、ぼくは、サン・マルコ広場に立っていた。白黒のモンタージュだった周囲の景色が、徐々に彩色と実体感を取り戻す。ぼくは、ポケットからシャンパンゴールド色の指輪を取り出し、右手の人差し指にはめた。ぼくがもっとも信頼を寄せる武器。戦場で、ぼくを生き残らせてくれた武器だ。
 大雨が降り注ぎ、突風が吹き荒れる。
 サン・マルコ広場は、深く浸水していた。
 広場には、誰もいなかった。
 たった1人の男を除いては。
 ぼくは、不敵に笑う男性を見て、シェルナーさんを見た。
 シェルナーさんは、ぼくを見下ろして、優しく微笑んだ。「さぁ、君の腕を見せてくれ」
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