28 / 47
3 出張
13日目 7人の孤児
しおりを挟む
12時
「タバコ持ってる?」
か細いソプラノの声に、ぼくは、顔を上げた。
ジュデッカ島から戻ってきたところだった。
これといった特徴もない島だったので、テキトーにふらふら歩いた後で、ヴァポレットに乗って本島のサン・マルコ広場に帰り、さて、どこでおやつを食べようかと、テキトーに歩みを進め、日の差さない路地に入った直後のことだった。
声をかけてきたのは、乳白色の肌に、ルビーのような真紅の瞳をした、吸血鬼の女の子だった。
ぼくと同じくらいほっそりとしている体躯に、頬のコケたあどけない顔立ち。
魔法族は12歳くらいで成長を終えるのだけれど、そう考えると彼女は、おそらくまだ成長期の最中にあるようだ。
ぼくは、首を横に振った。「吸わないんだ」脳裏に浮かんだのは、昨日、警察署でタバコをくれた警官さんから言われた言葉。子どもにタバコをねだられたら気をつけろよ、財布をすられるぞ。ぼくは、周囲に意識を傾けた。
「そ」吸血鬼の女の子は、寂しそうに目を伏せた。「なにか、食べ物持ってる?」
ぼくは、女の子の服装に目を向けた。
何日も洗っていなさそうな灰色のTシャツに、黒のパンツ、スニーカーはところどころに穴が空いている。
先人は、貧しい者には魚を与えるのではなく釣りの方法を教えるのだ、と言った。
ぼくは、女の子の真紅の瞳を見た。「今からランチ食べようと思ったんだけど、来る?」
女の子は、驚いたように目を見開いて、頷いた。
13時11分
トラットリアにて、ぼくは、パスタを食べていた。
テーブルの向かいでは、女の子が上品とは言えない所作で、料理を頬張っていた。「がつがつもぐもぐ」
小さい体のどこに入るんだと言うくらい。
ぼくもそれなりに食いしん坊キャラのつもりだったけど、彼女には敵わない。
影の魔素をその身に宿す吸血鬼は、魔法族の中でもっとも強靭な肉体を誇る。
代謝も良く、内蔵も丈夫なため、アマゾン川を泳いでいた魚を生で食べても平気らしい。
知り合いの吸血鬼は、エヴェレストを10分で駆け上がり、7分で駆け下りた直後にユーラシア大陸を駆け抜け、日本海を泳いで渡り、その日のうちに日本に帰ってきたことがある。
そんな吸血鬼だけれど、弱点がある。
陽の光と生命の魔素。
何故か吸血鬼は、生命の魔素に触れると、陽の光に当たったように溶けてしまうのだ。
「お代わりは?」
「良いの?」女の子は、目をキラキラと輝かせた。
「良いよ。でも、先にいくつか聞かせて」
「良いよ」
「いつもは、どうやってご飯を食べてるの?」
「教会のご飯とか、あとは、スーパーに行くと、ホームレスへの施しがあるの」
「そうなんだ」
「それだけじゃ足りないけどね」
「財布をすったり?」
「うん」女の子は、悪びれる様子も恥ずかしそうな様子もなく、頷いた。
「そっか」残念だけれど、この子には今の生活を捨ててもらわなくてはいけない。保護をしなくてはいけない。「他に友達はいるの?」
「いるよ。6人」
ぼくは頷いた。「他のみんなも魔法族?」
「うん」
「君の名前は?」
「イリーナ」
「出身は?」
「ルクライナ」女の子はツバを飲んだ。
「ウクライナ?」
女の子はツバを飲んだ。「うん」
「そっか」嘘だ、と、ぼくは思った。出身はロシアだろう。「どうして、ここでホームレスを?」
「なんでホームレスってわかったの?」
ぼくはほくそ笑んだ。今までの会話でわからないわけがないだろうに。「なんとなく。どうして、ここでホームレスを?」
「戦争があって、おじさんと逃げてきたの。おじさんは、わたしにお金を渡して、行きなさいって」
ぼくは、その場面を想像して、うつむいた。
胸が締め付けられ、呼吸が苦しくなり、目に涙が浮かぶ。
なんだか暗い気持ちになってきた。
ぼくは、頷いた。「警察に行ったらどうかな」
「行けないよ。お店から盗んだりしたから、捕まっちゃう」
ぼくの脳裏に、パリで窃盗をしている男性の顔が浮かんだ。
今も、毎日のようにアナちゃんのサングラスをかけて万引き犯を探しているけど、男は見つからなかった。「でも、これからもそうやって食べていくんでしょ?」
イリーナちゃんは頷いた。「お代わりして良い?」
ぼくはコーヒーを啜った。「うちにおいで」
「ソラの家に?」
「ホテルだけどね」
イリーナちゃんは、考えるように唸った。「他のみんなも連れてきて良い?」
「良いよ」
15時9分
一時の感情で、思い切ったことをしたことは何度かあるけれど、そのほとんどは、後悔するだけだった。
子どもたちが住んでいたのは、廃墟と化したアパートだった。
7人の子どもを引き連れて、ホテルに戻ると、受付の男性が眉をひそめた。
ぼくは、受付の男性の耳に口を寄せた。「保護することにしました。残りの滞在日数だけこちらにいさせてください」
受付の男性は、ぼくの耳に口を寄せた。「悪ガキたちだぞ。ホテルの備品を盗まれたらかなわん。壺も絵画も価値のある芸術品だ」
「カメラはあるでしょう」
「こいつらじゃ弁償出来ないだろ。なにかあったらどうするんだ。きみが弁償するのか?」
今回の保護は、ぼくの独断。今の時点じゃ、インターポールは、経費を出してはくれないだろう。「どうしましょう」
受付の男性は、少し考えるようにしてうつむき、ぼくを見た。「アパートがある。そこでどうだ?」
「水道ガス電気は?」
「通ってるよ」
「どんなアパート?」
「ただのアパートだ。結婚生活をしていると、1人になりたい時間もあるんだよ」
ぼくは、男性の左手の薬指を見た。指輪がない。「浮気してるんですか?」
「きみには関係ない」
まあ、たしかに。
ぼくは、財布を見て、紙幣が1枚しか入っていないことに気がついた。「現金がなくて……」ぼくは、先日シェルナーさんからもらった200ユーロを男性に渡した。
男性は、手を横に振った。「いらんよ。善いことをしようとしているんだろう? そのために使え」
「ありがとうございます」
「良いんだ」男性は、イリーナちゃんたちに向けて笑顔を浮かべ、手を振った。自然な笑顔。子どもが好むような、裏表のない、リラックスした表情。
ぼくは、男性から鍵を受け取り、男性のアパートへと向かった。
21時3分
ぼくは、7人分のパスタを茹でて、それらを牛肉のラグーソースに絡めた。
子どもたちは、シャワーを浴びて、安物の服に身を包み、すっかり清潔になったけれど、まだ、どこか酸っぱい匂いがした。
受付の男性は悪ガキと言っていたけれど、みんな、料理を手伝ってくれたし、アパートの掃除も手伝ってくれたし、自分の服の選択もした。
アパートには、ベッドが1つ、テーブルと折りたたみの椅子、調理器具があるだけだった。
7人は、それぞれの形でキリスト教のお祈りをしてから、パスタを食べ始めた。
ぼくは、少しばかり上品な所作を心がけて、食事を堪能するように味わった。
そのうち、イリーナちゃんがぼくのマネをしはじめて、他の子どもたちも真似をし始めた。
「あ」ソースで新品の服を汚した男の子、エドワードが、ごまかすように笑った。
ぼくが彼の藍色の瞳を見ると、彼は、泣きそうな目でぼくを見た。
ぼくは、ナプキンを取って、エドワードの口元を拭ってあげた。
彼は、泣き出してしまった。
「どうしたの?」
エドワードは、シャツの袖で目に浮かぶ涙を拭った。「どうして優しいの」
ぼくは、少し考えて、口を開いた。「普通だよ」
「わたしたちに、なにをさせるつもり?」少し離れたところに座る女の子、ジャスミンが言った。
ぼくは、女の子の灰色の瞳を見た。「きみたちは、魔法族だ。地球で暮らす魔法族は、学園で教育を受けないといけない。そうしないと、自分の力を盗みや、周りを傷つけることに使ってしまうからね」
「そんなことしないよ」緑色の瞳の女の子、ジャンナが言った。
「嘘は言わなくて良いよ」イリーナちゃんが言った。「この人は、全部知ってる。その上でこうしてくれてるの」
ジャンナちゃんはうつむいた。
ぼくは、ジャンナちゃんの頭を撫でて、抱きしめた。「ただ、きみたちは、この街を離れないといけない。学園にそれぞれ寮の部屋が与えられる。そこで、色々なことを学ぶと良いよ」
「パパとママに会える?」ジャンナちゃんは言った。
ぼくは、首を横に振った。「わからない」ぼくは、少しだけ強く、ジャンナちゃんを抱きしめた。「でも、今の生活を続けてるだけだと、そのうち、もっと酷いことになるよ」
「もっと酷いこと?」
ぼくは、なんて言ったものかと考えた。「ぼくのことどう思う?」
「わからない」
ぼくは頷いた。「それで良い。自分で見て考えて、ぼくのことを判断してくれ」
「お代わりして良い?」大柄な吸血鬼の男の子、ゲイリーが言った。
「良いよ。ぼくたちがここにいられるのは、あと3日だけ。その後は、フランスに行くよ」
「なにをさせるつもり?」ジャスミンが言った。
「言ったろ。学園に行くんだ。きみたちは勉強をしないといけない」
「その後は?」琥珀色の瞳をした女の子、イネスが言った。
「俺達は困ってないぞ」ゲイリーは言った。
「きみたちが逮捕されていないのはなんでかわかる?」
「俺達が魔法使いだからさ」
「違うよ。警察には、悪い魔法使いを逮捕する部署がある。きみたちが逮捕されていないのは、君たちが子どもで、大人たちが見逃しているからだよ。大人になっても今のままの生活を続けていれば、だれもきみたちに優しくしないぞ」
「その時は、俺達だってもっと強くなってる」ゲイリーは、自信たっぷりな様子で言った。身体が大きいからだろうか、子どもたちの中で1番自信があるようで、いつも周りを注意深く見ていた。それでも、その目はいつも潤んでいて、明らかに自分よりも大人な言動をするぼくに対して、必死で虚勢を張っているのがバレバレだった。
「その考え方は危険だな。警察は組織だよ。きみたちが彼らの誰か1人を倒したとしたら、次はもっと強い人が3人来る。そもそも、訓練を受けた魔法使いたちは、訓練を受けていない魔法使い100人よりも強いんだよ。それよりは、働いてお金を稼いで、毎日パスタをお腹いっぱい食べたほうが良いと思わないかな」ぼくは、パスタを口に含んだ。「人に優しく出来るような大人になったら、今のきみたちみたいな子どもたちを助けてあげれば良いよ。それまでは、学園で生活すれば良い。家賃はかからないし、食堂でご飯も食べられる。将来返す必要もあるけど、毎月自由に使えるお金ももらえるよ。自分たちとは違う人達との関わり方もそこで学びながら、大人になれば良いよ」
ゲイリーは、はちみつ色の瞳をした女の子を見た。「どう思う、オドレイ」
オドレイちゃんは、先程から上品な所作でナイフとフォークを扱い、音も立てずに食事をしていた。彼女は、はちみつ色の瞳で、ぼくをちらりと見ると、柔らかく微笑んで、ウィンクをした。「その人は、嘘を言ってない。良い人よ。信じて大丈夫」
ゲイリーは、オドレイちゃんを見て、ぼくを見た。「わかったよ。でも、騙そうとしたらぶっ殺すから」
ぼくは頷いた。「大丈夫。ちなみに」ぶっ殺そうとしてきたらぶん殴るから、と言いそうになったぼくは、言葉を飲んだ。ゲイリーくんが威圧するような態度を取っているのは、ぼくが気に入らないからでも、ぼくを見下しているからでもない。1番大きな身体をしている自分が、他の6人を守らないといけないからだ、とでも思っているのだろう。それを証拠に、ゲイリーくんからは、胸が重くなるような敵意や殺意や悪意を感じなかった。ただの子どもだからかも知れないけれど、なんにしても、ぼくにとって、7人の子どもたちは、危険ではなく、保護する対象でしかなかった。「ちなみに、ぼくは18歳で、働いてる。今は休暇中。今日はここで寝る。明日は、新しい服を買いに行こう」
子どもたちは、大人しく頷いた。
「ぼくのこと信じてくれるの?」ぼくは、オドレイちゃんに訊いた。なんとなくだけれど、たぶん、彼女がこの子達のリーダーだ。
オドレイちゃんは頷いた。「胡散臭さがないからね。利用しようとする人は、軽薄さがあるか、気持ち悪い感じに表情が硬い。それがない。危ない感じもしないし、嘘を吐いている感じもしない」
「きみたちのような子どもが、こういう生活をしているのはすべて、ぼくたち大人の責任だよ」ぼくは、少しだけ背伸びをして言った。「大人も、みんなそれぞれが生きていくだけで精一杯だ。でも、幸いなことに、今のぼくは、きみたちに食べさせてあげて、綺麗な服を買ってあげるくらいの事は出来る。きみたちが学園に着くまでの間、ぼくが面倒を見るよ」
オドレイちゃんは笑った。「この中で1番子供っぽいのはソラでしょ」
ぼくは、口元を引きつらせながら笑った。「どこ見て言ってんの」
オドレイちゃんは、自分の頭の辺りで手の平を横にした。「ソラが1番チビだし」
「大人をからかうんじゃありません」ぼくは、目に涙を浮かべながら、水を飲んだ。「オドレイだって、対して違わないでしょ」ぼくは震える声で言った。
7人は、顔を見合わせて、ニヤリとした。
しまった、ぼくは思った。コミュ障がバレてしまったか……。
「ねえ、彼氏いる?」イネスちゃんが言った。
「いないよ」
「じゃあ彼女は?」
「いない」
「キスしたことある?」ジャンナちゃんが言った。
「ない」
「なんでおっぱい小さいの? 大人なのに」ゲイリーくんが言った。
「それはぼくが1番思ってる。二度と言うな」
エドワードくんは、オレンジを2つ掴んで、自分の胸の前に寄せた。
ゲイリーくんは大声で笑い、それを見たエドワードくんも笑った。
「くらえ」ぼくは、ジャンナちゃんの髪からヘアゴムを取り、エドワードくんのおでこに飛ばした。
「おぉー」ゲイリーくんは、楽しそうに声を上げた。
なんで急にセクハラタイムが始まったんだろう。子どもは謎だ。
「男からバラもらったことある?」これはイリーナちゃんだった。
「あるよ」
イリーナちゃん、イネスちゃん、ジャンナちゃん、ジャスミンちゃんが声を上げて、煌めく目でぼくを見た。
ぼくは、鼻を鳴らしてみせた。どーだこの野郎。
9歳の女の子にマウントを取って得意げになってしまう18歳の世界一可愛い女の子の姿が、そこにはあった。
っというかぼくだった。
なんの偶然か、7人は、みんな9歳だった。
そして、みんな、ぼくよりも背が高かった。
負けるもんか、ぼくはそう思いながらパスタを口に含んだ。
「タバコ持ってる?」
か細いソプラノの声に、ぼくは、顔を上げた。
ジュデッカ島から戻ってきたところだった。
これといった特徴もない島だったので、テキトーにふらふら歩いた後で、ヴァポレットに乗って本島のサン・マルコ広場に帰り、さて、どこでおやつを食べようかと、テキトーに歩みを進め、日の差さない路地に入った直後のことだった。
声をかけてきたのは、乳白色の肌に、ルビーのような真紅の瞳をした、吸血鬼の女の子だった。
ぼくと同じくらいほっそりとしている体躯に、頬のコケたあどけない顔立ち。
魔法族は12歳くらいで成長を終えるのだけれど、そう考えると彼女は、おそらくまだ成長期の最中にあるようだ。
ぼくは、首を横に振った。「吸わないんだ」脳裏に浮かんだのは、昨日、警察署でタバコをくれた警官さんから言われた言葉。子どもにタバコをねだられたら気をつけろよ、財布をすられるぞ。ぼくは、周囲に意識を傾けた。
「そ」吸血鬼の女の子は、寂しそうに目を伏せた。「なにか、食べ物持ってる?」
ぼくは、女の子の服装に目を向けた。
何日も洗っていなさそうな灰色のTシャツに、黒のパンツ、スニーカーはところどころに穴が空いている。
先人は、貧しい者には魚を与えるのではなく釣りの方法を教えるのだ、と言った。
ぼくは、女の子の真紅の瞳を見た。「今からランチ食べようと思ったんだけど、来る?」
女の子は、驚いたように目を見開いて、頷いた。
13時11分
トラットリアにて、ぼくは、パスタを食べていた。
テーブルの向かいでは、女の子が上品とは言えない所作で、料理を頬張っていた。「がつがつもぐもぐ」
小さい体のどこに入るんだと言うくらい。
ぼくもそれなりに食いしん坊キャラのつもりだったけど、彼女には敵わない。
影の魔素をその身に宿す吸血鬼は、魔法族の中でもっとも強靭な肉体を誇る。
代謝も良く、内蔵も丈夫なため、アマゾン川を泳いでいた魚を生で食べても平気らしい。
知り合いの吸血鬼は、エヴェレストを10分で駆け上がり、7分で駆け下りた直後にユーラシア大陸を駆け抜け、日本海を泳いで渡り、その日のうちに日本に帰ってきたことがある。
そんな吸血鬼だけれど、弱点がある。
陽の光と生命の魔素。
何故か吸血鬼は、生命の魔素に触れると、陽の光に当たったように溶けてしまうのだ。
「お代わりは?」
「良いの?」女の子は、目をキラキラと輝かせた。
「良いよ。でも、先にいくつか聞かせて」
「良いよ」
「いつもは、どうやってご飯を食べてるの?」
「教会のご飯とか、あとは、スーパーに行くと、ホームレスへの施しがあるの」
「そうなんだ」
「それだけじゃ足りないけどね」
「財布をすったり?」
「うん」女の子は、悪びれる様子も恥ずかしそうな様子もなく、頷いた。
「そっか」残念だけれど、この子には今の生活を捨ててもらわなくてはいけない。保護をしなくてはいけない。「他に友達はいるの?」
「いるよ。6人」
ぼくは頷いた。「他のみんなも魔法族?」
「うん」
「君の名前は?」
「イリーナ」
「出身は?」
「ルクライナ」女の子はツバを飲んだ。
「ウクライナ?」
女の子はツバを飲んだ。「うん」
「そっか」嘘だ、と、ぼくは思った。出身はロシアだろう。「どうして、ここでホームレスを?」
「なんでホームレスってわかったの?」
ぼくはほくそ笑んだ。今までの会話でわからないわけがないだろうに。「なんとなく。どうして、ここでホームレスを?」
「戦争があって、おじさんと逃げてきたの。おじさんは、わたしにお金を渡して、行きなさいって」
ぼくは、その場面を想像して、うつむいた。
胸が締め付けられ、呼吸が苦しくなり、目に涙が浮かぶ。
なんだか暗い気持ちになってきた。
ぼくは、頷いた。「警察に行ったらどうかな」
「行けないよ。お店から盗んだりしたから、捕まっちゃう」
ぼくの脳裏に、パリで窃盗をしている男性の顔が浮かんだ。
今も、毎日のようにアナちゃんのサングラスをかけて万引き犯を探しているけど、男は見つからなかった。「でも、これからもそうやって食べていくんでしょ?」
イリーナちゃんは頷いた。「お代わりして良い?」
ぼくはコーヒーを啜った。「うちにおいで」
「ソラの家に?」
「ホテルだけどね」
イリーナちゃんは、考えるように唸った。「他のみんなも連れてきて良い?」
「良いよ」
15時9分
一時の感情で、思い切ったことをしたことは何度かあるけれど、そのほとんどは、後悔するだけだった。
子どもたちが住んでいたのは、廃墟と化したアパートだった。
7人の子どもを引き連れて、ホテルに戻ると、受付の男性が眉をひそめた。
ぼくは、受付の男性の耳に口を寄せた。「保護することにしました。残りの滞在日数だけこちらにいさせてください」
受付の男性は、ぼくの耳に口を寄せた。「悪ガキたちだぞ。ホテルの備品を盗まれたらかなわん。壺も絵画も価値のある芸術品だ」
「カメラはあるでしょう」
「こいつらじゃ弁償出来ないだろ。なにかあったらどうするんだ。きみが弁償するのか?」
今回の保護は、ぼくの独断。今の時点じゃ、インターポールは、経費を出してはくれないだろう。「どうしましょう」
受付の男性は、少し考えるようにしてうつむき、ぼくを見た。「アパートがある。そこでどうだ?」
「水道ガス電気は?」
「通ってるよ」
「どんなアパート?」
「ただのアパートだ。結婚生活をしていると、1人になりたい時間もあるんだよ」
ぼくは、男性の左手の薬指を見た。指輪がない。「浮気してるんですか?」
「きみには関係ない」
まあ、たしかに。
ぼくは、財布を見て、紙幣が1枚しか入っていないことに気がついた。「現金がなくて……」ぼくは、先日シェルナーさんからもらった200ユーロを男性に渡した。
男性は、手を横に振った。「いらんよ。善いことをしようとしているんだろう? そのために使え」
「ありがとうございます」
「良いんだ」男性は、イリーナちゃんたちに向けて笑顔を浮かべ、手を振った。自然な笑顔。子どもが好むような、裏表のない、リラックスした表情。
ぼくは、男性から鍵を受け取り、男性のアパートへと向かった。
21時3分
ぼくは、7人分のパスタを茹でて、それらを牛肉のラグーソースに絡めた。
子どもたちは、シャワーを浴びて、安物の服に身を包み、すっかり清潔になったけれど、まだ、どこか酸っぱい匂いがした。
受付の男性は悪ガキと言っていたけれど、みんな、料理を手伝ってくれたし、アパートの掃除も手伝ってくれたし、自分の服の選択もした。
アパートには、ベッドが1つ、テーブルと折りたたみの椅子、調理器具があるだけだった。
7人は、それぞれの形でキリスト教のお祈りをしてから、パスタを食べ始めた。
ぼくは、少しばかり上品な所作を心がけて、食事を堪能するように味わった。
そのうち、イリーナちゃんがぼくのマネをしはじめて、他の子どもたちも真似をし始めた。
「あ」ソースで新品の服を汚した男の子、エドワードが、ごまかすように笑った。
ぼくが彼の藍色の瞳を見ると、彼は、泣きそうな目でぼくを見た。
ぼくは、ナプキンを取って、エドワードの口元を拭ってあげた。
彼は、泣き出してしまった。
「どうしたの?」
エドワードは、シャツの袖で目に浮かぶ涙を拭った。「どうして優しいの」
ぼくは、少し考えて、口を開いた。「普通だよ」
「わたしたちに、なにをさせるつもり?」少し離れたところに座る女の子、ジャスミンが言った。
ぼくは、女の子の灰色の瞳を見た。「きみたちは、魔法族だ。地球で暮らす魔法族は、学園で教育を受けないといけない。そうしないと、自分の力を盗みや、周りを傷つけることに使ってしまうからね」
「そんなことしないよ」緑色の瞳の女の子、ジャンナが言った。
「嘘は言わなくて良いよ」イリーナちゃんが言った。「この人は、全部知ってる。その上でこうしてくれてるの」
ジャンナちゃんはうつむいた。
ぼくは、ジャンナちゃんの頭を撫でて、抱きしめた。「ただ、きみたちは、この街を離れないといけない。学園にそれぞれ寮の部屋が与えられる。そこで、色々なことを学ぶと良いよ」
「パパとママに会える?」ジャンナちゃんは言った。
ぼくは、首を横に振った。「わからない」ぼくは、少しだけ強く、ジャンナちゃんを抱きしめた。「でも、今の生活を続けてるだけだと、そのうち、もっと酷いことになるよ」
「もっと酷いこと?」
ぼくは、なんて言ったものかと考えた。「ぼくのことどう思う?」
「わからない」
ぼくは頷いた。「それで良い。自分で見て考えて、ぼくのことを判断してくれ」
「お代わりして良い?」大柄な吸血鬼の男の子、ゲイリーが言った。
「良いよ。ぼくたちがここにいられるのは、あと3日だけ。その後は、フランスに行くよ」
「なにをさせるつもり?」ジャスミンが言った。
「言ったろ。学園に行くんだ。きみたちは勉強をしないといけない」
「その後は?」琥珀色の瞳をした女の子、イネスが言った。
「俺達は困ってないぞ」ゲイリーは言った。
「きみたちが逮捕されていないのはなんでかわかる?」
「俺達が魔法使いだからさ」
「違うよ。警察には、悪い魔法使いを逮捕する部署がある。きみたちが逮捕されていないのは、君たちが子どもで、大人たちが見逃しているからだよ。大人になっても今のままの生活を続けていれば、だれもきみたちに優しくしないぞ」
「その時は、俺達だってもっと強くなってる」ゲイリーは、自信たっぷりな様子で言った。身体が大きいからだろうか、子どもたちの中で1番自信があるようで、いつも周りを注意深く見ていた。それでも、その目はいつも潤んでいて、明らかに自分よりも大人な言動をするぼくに対して、必死で虚勢を張っているのがバレバレだった。
「その考え方は危険だな。警察は組織だよ。きみたちが彼らの誰か1人を倒したとしたら、次はもっと強い人が3人来る。そもそも、訓練を受けた魔法使いたちは、訓練を受けていない魔法使い100人よりも強いんだよ。それよりは、働いてお金を稼いで、毎日パスタをお腹いっぱい食べたほうが良いと思わないかな」ぼくは、パスタを口に含んだ。「人に優しく出来るような大人になったら、今のきみたちみたいな子どもたちを助けてあげれば良いよ。それまでは、学園で生活すれば良い。家賃はかからないし、食堂でご飯も食べられる。将来返す必要もあるけど、毎月自由に使えるお金ももらえるよ。自分たちとは違う人達との関わり方もそこで学びながら、大人になれば良いよ」
ゲイリーは、はちみつ色の瞳をした女の子を見た。「どう思う、オドレイ」
オドレイちゃんは、先程から上品な所作でナイフとフォークを扱い、音も立てずに食事をしていた。彼女は、はちみつ色の瞳で、ぼくをちらりと見ると、柔らかく微笑んで、ウィンクをした。「その人は、嘘を言ってない。良い人よ。信じて大丈夫」
ゲイリーは、オドレイちゃんを見て、ぼくを見た。「わかったよ。でも、騙そうとしたらぶっ殺すから」
ぼくは頷いた。「大丈夫。ちなみに」ぶっ殺そうとしてきたらぶん殴るから、と言いそうになったぼくは、言葉を飲んだ。ゲイリーくんが威圧するような態度を取っているのは、ぼくが気に入らないからでも、ぼくを見下しているからでもない。1番大きな身体をしている自分が、他の6人を守らないといけないからだ、とでも思っているのだろう。それを証拠に、ゲイリーくんからは、胸が重くなるような敵意や殺意や悪意を感じなかった。ただの子どもだからかも知れないけれど、なんにしても、ぼくにとって、7人の子どもたちは、危険ではなく、保護する対象でしかなかった。「ちなみに、ぼくは18歳で、働いてる。今は休暇中。今日はここで寝る。明日は、新しい服を買いに行こう」
子どもたちは、大人しく頷いた。
「ぼくのこと信じてくれるの?」ぼくは、オドレイちゃんに訊いた。なんとなくだけれど、たぶん、彼女がこの子達のリーダーだ。
オドレイちゃんは頷いた。「胡散臭さがないからね。利用しようとする人は、軽薄さがあるか、気持ち悪い感じに表情が硬い。それがない。危ない感じもしないし、嘘を吐いている感じもしない」
「きみたちのような子どもが、こういう生活をしているのはすべて、ぼくたち大人の責任だよ」ぼくは、少しだけ背伸びをして言った。「大人も、みんなそれぞれが生きていくだけで精一杯だ。でも、幸いなことに、今のぼくは、きみたちに食べさせてあげて、綺麗な服を買ってあげるくらいの事は出来る。きみたちが学園に着くまでの間、ぼくが面倒を見るよ」
オドレイちゃんは笑った。「この中で1番子供っぽいのはソラでしょ」
ぼくは、口元を引きつらせながら笑った。「どこ見て言ってんの」
オドレイちゃんは、自分の頭の辺りで手の平を横にした。「ソラが1番チビだし」
「大人をからかうんじゃありません」ぼくは、目に涙を浮かべながら、水を飲んだ。「オドレイだって、対して違わないでしょ」ぼくは震える声で言った。
7人は、顔を見合わせて、ニヤリとした。
しまった、ぼくは思った。コミュ障がバレてしまったか……。
「ねえ、彼氏いる?」イネスちゃんが言った。
「いないよ」
「じゃあ彼女は?」
「いない」
「キスしたことある?」ジャンナちゃんが言った。
「ない」
「なんでおっぱい小さいの? 大人なのに」ゲイリーくんが言った。
「それはぼくが1番思ってる。二度と言うな」
エドワードくんは、オレンジを2つ掴んで、自分の胸の前に寄せた。
ゲイリーくんは大声で笑い、それを見たエドワードくんも笑った。
「くらえ」ぼくは、ジャンナちゃんの髪からヘアゴムを取り、エドワードくんのおでこに飛ばした。
「おぉー」ゲイリーくんは、楽しそうに声を上げた。
なんで急にセクハラタイムが始まったんだろう。子どもは謎だ。
「男からバラもらったことある?」これはイリーナちゃんだった。
「あるよ」
イリーナちゃん、イネスちゃん、ジャンナちゃん、ジャスミンちゃんが声を上げて、煌めく目でぼくを見た。
ぼくは、鼻を鳴らしてみせた。どーだこの野郎。
9歳の女の子にマウントを取って得意げになってしまう18歳の世界一可愛い女の子の姿が、そこにはあった。
っというかぼくだった。
なんの偶然か、7人は、みんな9歳だった。
そして、みんな、ぼくよりも背が高かった。
負けるもんか、ぼくはそう思いながらパスタを口に含んだ。
20
あなたにおすすめの小説
ヤンデレ美少女転校生と共に体育倉庫に閉じ込められ、大問題になりましたが『結婚しています!』で乗り切った嘘のような本当の話
桜井正宗
青春
――結婚しています!
それは二人だけの秘密。
高校二年の遙と遥は結婚した。
近年法律が変わり、高校生(十六歳)からでも結婚できるようになっていた。だから、問題はなかった。
キッカケは、体育倉庫に閉じ込められた事件から始まった。校長先生に問い詰められ、とっさに誤魔化した。二人は退学の危機を乗り越える為に本当に結婚することにした。
ワケありヤンデレ美少女転校生の『小桜 遥』と”新婚生活”を開始する――。
*結婚要素あり
*ヤンデレ要素あり
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる