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Zazilia

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4 映画撮影

18日目 映画監督とは

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12時


 久々に再会したヤコは、ちっとも変わっていなかった。
 痩せ細った身体、コケた頬、血色の悪い肌、チョコレートブラウンの髪を短く揃えているのは、髪の手入れが面倒だからだ。
 ぶかぶかのダウンコートの下には、ヨレヨレのTシャツと所々が破けているデニム。
 清潔感は一切なく、健康そうな感じもない。
 それでも、淡褐色のオパールのような瞳はキラキラと輝いていて、まるで、すべての生命力がその瞳に集められているかのような雰囲気がある。
 脂肪のない薄いまぶたに、豊かなまつ毛、彫りの深い顔立ち。
 リヒテンシュタインとオーストリア、そして日本の血を宿す彼女は、ぼくの数少ない人間の友達だ。
 彼女は、ホームセンターで買った2000円くらいのリュックサックを、箱のようなワンルームに置くと、シャワーを浴びた。
 シャワーを浴び終え、新しいヨレヨレのTシャツとデニムに着替えたヤコからは、ルームシェア時代、何度も嗅いだ安物のシャンプーとボディソープの香りがした。
 ぼくが、ヤコのどういうところが好きかと言うと、芸術家肌で、細かいことは気にせず、細かいことが気になってしまうぼくの習性や、ぼくが魔法族であることも気にしないでいてくれるところだった。
 学園で、ぼくたち魔法族とともに生まれ育った彼女は、どうしてもということ以外はなにも気にせず、ぼくになにかを押し付けてくることもなかった。
 学園の外で暮らしてみれば、ヤコのその人間性がいかに貴重だったのかを気付かされる。
「落ち着いた?」
 ヤコは頷いた。「ありがと。2週間ぶりのシャワーでさ、助かったよ」
「そっか、なにしてたの?」
「プラハでロケしてて、そっからウィーンとイタリアのあっちこっち行ってた。安いホステルがないもんだから、シャワーとかまあいっかなって」ヤコは、リュックサックからMacBook AirとiPhoneを取り出した。「動画の編集がまだだから、脚本は今夜渡して」
「わかった」
 ヤコのiPhoneが震えた。「はい、ヤコ。あ、ウェンディ。今ね、動画編集してる。夕方にはアップするから。……。は?」ヤコは眉をひそめた。「舐めてんの? 舐めた出来の映画なんか見せられるわけねーだろ! それでコメ欄にぶつくさ書かれて不機嫌くんになっちまうのはそっちだろうが! ……。良いから黙って待ってろよ。そっちが言った期限の中でやってんだからそれで文句言うのはちげーだろ? あぁ? どうせ映画のことなんか毛ほどもわかんねートーシローがごちゃごちゃ言ってんじゃねーよ〇〇ぞわかったか! ……。そういうことされっと萎えんだよこちとらよぉ、200年生きてんだか300年生きてんだかしんねーけど、現代っ子の事わかってねーようだな? あんたが惚れたっていうあの映画はな、ウチが撮りてーように撮っていじりてーようにいじって出来たもんなんだよ。あんたっていう不純物はこれっぽっちも入っちゃいねーんだよ。またあのレベルが観てーってんなら黙って待ってろハゲが! 楽しんでるところに金だプライドだ信頼だ言われて水差されんのが一番むかつくんだよばーか! 信頼だぁ? テメーからすり寄ってきて勝手なことばっかほざいてんじゃねーよばかが! ぺっ!」ヤコは、焚き火の中にツバを吐いた。
「きたね」ゲイリーくんが言った。
 見れば、子どもたちは、ニワトリ小屋の方に集まって、怯えた様子でこっちをちらちら見ていた。
 ヤコちゃんは、通話を切ってiPhoneをぼくに放り投げた。「ごめん、目に届かないところにやってくれる? 邪魔だわ」ヤコは、カタカタカタと、ものすごい速さでキーボードを叩き始めた。
 ぼくは、心臓をばくばくさせながら、iPhoneをポケットに仕舞った。「今のは?」
「パトロン。うちの映画が好きだって言ってくれたから契約したの」
「良いの?」
「後悔してるよ。あれこれ言ってくんだよね。ここはコーラじゃなくてペプシだろとか、マックじゃなくてイン&アウトにしろとか。なんもわかってないくせに口出して来るからイライラする。お前のじゃないんだよ、うちの映画なんだよって言ってやろうかなー……ぁぁぁああああーっ! 言ってやりゃ良かったなちくしょう!」ダンッ! ダンッ! ダンッ! と、怒りを載せたキータッチを喰らい続けているMacBook Airは、もう勘弁してくださいと言わんばかりにその画面を明滅させていた。
「いや、思いっきりぶちまけてたじゃん」
「あとであれこれ浮かんでくるんだよね。ほんと邪魔だわ。あのゴミ野郎」
「パトロンでしょ?」
「パトロンなんか居なくても生活出来てたし、あれこれ言ってくるなら切るだけ。会食とかプレゼントとか全部断ってるし、こっちのギャラは出来高にしてて、なんも受け取ってないから、いつでも切れるんだよね。初対面のときはご飯奢ってくれたけど、奢りですか? って訊いて奢りですって言ってたからノーカンよね。ほんと金のことしか考えてないゴミと仕事すんのだるいわ。いや、悪くないかなとも思ったんだよね。MacBookとかすぐ壊れちゃうし。見てよこれ。もう画面が消えかけてる。先月買い替えたばっかだよ。なんなんだろうねこれ、もっと丈夫に作れよって」ヤコはダンダンダンと、まるで足踏みのような激しいキータッチをMacBookに喰らわせながら言った。「まあ、今まで見てきた連中と比べりゃマシな方だから、一応ね。あ、そうだ、空?」
 ぼくは、ヤコの隣に座った。「うん?」
「あの子達は?」
「ホームレス。ベネチアで保護したの。来週には学園に預ける」
「みんな魔法使いなんだ」
「うん」
「あの子達映画に興味あるかな」
「どうだろ」映画に興味あるかは知らないけど、怒鳴り声を浴びせてくる映画監督と仕事をしたがらないのは確かだろう。その証拠にニワトリ小屋のそばにいる子どもたちはみんな震えていた。ゲイリーくんはなんとか頑張ってこちらに睨みを利かせてはいたけれど、その真紅のルビーのような目には涙が浮かんでいた。べ、べ、べ、別に? びびってねーよ? とでも言い出しそうな感じだ。ぼくがゲイリーくんの師匠なら、別にびびっても逃げても良いから、敵が隙を見せたときに確実に仕留めろとでも教えを授けるところだけれど、ぼくは別に誰の師匠でもないので、今頭に浮かんだことは次の脚本のアイデアにしておこう。
「あの子かっこいい、あの子かわいい、あの子綺麗、あの子お嬢様っぽい、あの子は儚い感じが良いね、あの子はなんか人でも殺してそう、あの子はミステリアスで良いね」
 ヤコは、ゲイリーくん、エドワードくん、ジャンナちゃん、イネスちゃん、ジャスミンちゃん、イリーナちゃん、オドレイちゃんの順に、指を指しながら言った。
 子どもたちは、こちらに背を向け、ニワトリたちと戯れながら、コソコソ話をしていた。子どもたちの小さな背中が、そっちの話は聞いていませんから、どうぞ構わないでくださいと言っていた。
「……ミステリアスな子良いね。なんか人間離れしてる。キリストみたいな感じ。会ったことないけど」ヤコはリクライニングチェアから立ち上がり、屋上の隅のニワトリ小屋のそばで震えている子どもたちの下へ向かった。
 ぼくは、いつでもヤコを黙らせられるように、その後ろについて行った。
 ヤコは、オドレイちゃんの肩をつんつんした。「やぁ、こんにちは」
「ひぃっ!」びくっ、と、肩を震わせてこちらを見上げるオドレイちゃん。
「ごめんねびっくりさせちゃった?」
「な、なんですか?」オドレイちゃんは、ヤコを見上げて、ぼくを見た。
 ぼくは、オドレイちゃんに向かって親指を立てて、ヤコの後頭部を殴るジェスチャーをしてみせた。
 オドレイちゃんはガクガクと頷くと、きっ、と、目に力を入れて、ヤコを見上げた。
 小さな女の子から睨みつけられたヤコは、優しく頷いた。「名前は?」
「……オドレイ」
「そ、わたしはヤコ。空の友達。映画撮ってるんだけど、良かったら出てみない?」
「い、いや。やだ」
「どうして?」
「どうしてって?」
「映画興味ない? 有名女優になれるかも」
 なんだか、ヤコが怪しい人に思えてきた。
 いや、そうでなくても、子どもたちからすれば危険人物に見えてしまうのはしょうがない。
 実際のところ、ヤコがキレるのは、自分にとって価値のないものを押し付けてこられたときだけだ。なので、現状オドレイちゃんはこの中で一番の安全地帯にいるわけだけれど、ヤコの第一印象は最悪だから、そんなこと、子どもたちからすれば知るよしもないことだろう。
「おいババァ! ひぃっ」ゲイリーくんは、そう声を張り上げた。勇気を出して立ち上がったゲイリーくんは、ヤコに睨みつけられて、目に涙を浮かべた。
「そ、そうだ!」エドワードくんが立ち上がった。「そ、ソラの友達だかなんだか知らねーけどオドレイに触んな!」
「ババアじゃない。まだ18だよ」
「知るか!」立ち直ったゲイリーくんが声を張り上げた。
 良いぞゲイリーくん、やっちまえ。ぼくは、ゲイリーくんを励ますように微笑んで、頷いた。
「俺等からしたら18もババアだっ!」
 そんなっ!
 関係ないはずのぼくの目に涙が浮かんだ。
 そんな……、そんなこと、ないよね?
 視線に気づいてそちらを見れば、ジャスミンちゃんの灰色の瞳に同情の色が浮かんでいた。
「どうしてもって言うなら、俺が有名俳優になってやる! だからオドレイに近づくなっ!」
「そーだそーだっ!」
「オドレイに近づかないでよっ!」イネスちゃんが声を張り上げた。
「変態!」ジャンナちゃんがオドレイちゃんを抱き寄せた。
 ジャスミンちゃんはヤコを睨みつけながらオドレイちゃんを抱きしめた。
 イリーナちゃんは、ゆったりと立ち上がって腕を組んだ。
 ヤコは、ぼくを振り返った。「なんでこんなに嫌われてんの? ……なんで泣いてんの?」
「なんでもないよぅ……」ぼくは、目に浮かんだ涙を袖で拭った。「あんだけ怒鳴り散らしてたら、危ない奴にしか見えないって。それにあんた、子どもに合わせるの下手じゃん」
「あんただってそうじゃん」
「ぼくは生命の魔法使いだからね。子どもとか動物には好かれるんだよ」
「良いなぁ」
「なに撮るにしても、今回はぼくが協力するから、この子達はそっとしておいてよ。悪い大人に盗みやらされてたから、怒鳴り声とか怖いのとか、過剰に反応しちゃうんだよ」
「どうせあんた、うちの映画出てチヤホヤされたいだけでしょ」
「そうだよ」
「そうなんかい」
「だってみんな可愛いって言ってくれるし」
「彼氏出来た?」
「男なんかいらねーよ」
「そ」ヤコは、子どもたちを見た。「ごめんね。怖がらせちゃったね」
「怖がってねーよ!」
「そーだそーだ!」
「変態!」
 ぼくは、ゲイリーくんとエドワードくんの頭を撫でた。「ごめんね。こいつちょっとこだわりがあってさ。自分が作る映画のことを、人からあれこれ言われるのがやなんだよ。それでさっき、電話の人に怒鳴ってたの。きみたちに怒鳴ったりはしないから。ね? 良く見たらババアじゃなくって綺麗なおねえさんでしょ? ぼくと同い年なんだよ? だから、ね? ババアじゃないよね? ぼくを良く見て? ババアじゃないでしょ? ほぉらババアじゃなーい。ババアじゃないよぅ?」ぼくは、目に涙を浮かべながら渾身の猫撫で声で子どもたちにそう言った。自分でも気色の悪い声だと思ったけれど、ババアの烙印を免れるためならやむを得まい。
「ぴちぴちだよ。18歳だよ。幼馴染で仲良しなの」ヤコもぼくのマネをして、可愛い声を出した。思えば、18年の記憶を遡ってみても、ヤコがこんな声を出しているのを聞いたことは一度としてなかった。
 なかなか可愛いじゃねーか。
 負けねえからな?
「ね? 後でアイス買ってあげるから、とりあえず機嫌直してさ、何歳からがババアで何歳からがババアじゃないのか、後で教えてね?」ぼくは、言った。
 子どもたちは、顔を見合わせて、こちらに背を向け、コソコソと内緒話を始めた。
 ぼくは、ヤコの頭を小突いた。「あんたのせいだからね」
「なにが」ヤコは、ぼくの腰を叩いてきた。
「こんな気色悪い声出す羽目になったことだよ」
「なんでよ。可愛いじゃん」
「そっちこそ」
「あんな声出したの始めてだよ」
「彼氏の前じゃあんな感じでしょ?」
 ヤコは鼻を鳴らした。「馬鹿女が好きな男なんかこっちから願い下げだよ」
「今食べたい」
 その言葉に子どもたちを見てみれば、みんなぼくを見つめていた。
 ぼくはイネスちゃんを見た。「今?」
 イネスちゃんは頷いた。「アイス、今食べたい」
「良いよ。みんなで行こっか」
 イネスちゃんは頷いた。「ヤコも?」
「だめ?」
 イネスちゃんは、ヤコを見上げて、子どもたちを見た。
 子どもたちは、イネスちゃんと顔を見合わせて、頷いた。
 イネスちゃんは頷いた。「……うん。良いよ。ソラの友達なんでしょ?」
「うん、そうなんだ」
「良いよ」
「ありがと」
 その後、ぼくたち9人は、テキトーなところでアイスを買い、セーヌ川の辺で食べながら、18歳はババアか否かという議論をぼくが中心になって行った後、ババアじゃないという結論に落ち着いたのだった。
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