【完結】俺の好きな人は誰にでも優しい。

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膨らみ続ける違和感

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 馬車がきしむ音を立てて動き出した、その直後だった。
 向かいに座っていた彼が、何の前触れもなく俺の腕をつかみ、ぐっと引き寄せる。視界が一気に近づき、バランスを崩した俺は彼の膝に倒れ込むようになりかけ、慌てて腰を引いた。
 だが、その抵抗は意味を成さなかった。有無を言わせぬ力で再び腕を引かれ、逃げ場を失った体はそのまま彼の膝の上へと落ち着く。馬車の揺れの中、近すぎる距離と彼の体温が否応なく伝わり、胸の奥がざわめいた。

「あの男に無理やり押し掛けられ、家に迎え入れるしかなかったのだろう?可哀想に…迎えに来るのが遅くなってごめんね」
「ぇ、あ…いや…」
「本当はもっと早く来たかったんだが、生憎の大雪で足止めを食らってしまってね。突然ロランが実家に帰ったと聞いたときは驚いたが、学園の揉め事に君が巻き込まれることはなくて良かったよ。ご家族もお元気そうで何よりだ」
「あ…え、エヴァドネ様が侯爵令息に危害を加えられたとお聞きしました。エヴァドネ様は大丈夫ですか?」
「何も問題ないよ。むしろわざとその舞台を作り出したのだからね」
「え…?」

 ――わざと、とはどういう意味だ。その言葉が胸の内で反芻され、疑念がじわりと広がっていく。
 侯爵令息のダンスパートナーを承諾したのも、それをエヴァドネ様の前で断ったのも、すべて偶然などではなく、最初から計算された行動だったのではないか。そう考えた途端、背筋に冷たいものが走った。
 もしそうだとしたら、彼はただ人当たりのいい優しい男などではない。状況を読み、感情すら利用する、底の見えない思考の持ち主――そう思わずにはいられなかった。
 胸に芽生えた不信は、小さな棘のように抜け落ちる気配もなく、俺の心を蝕んでいく。

「勘違いしないで。私はすべて、君を守るために仕組んだんだよ」
「え…?ど、どういうことですか?」
「あの侯爵令息は、前々から君に目をつけていてね。私がよく君に自ら声をかけに行っていることに、目敏く気付いたのだろう。ロランを敵視している部分があったんだよ。だから少し彼の機嫌を取るために、ダンスの申し出を受けたんだ」

 そんなことは初耳だ。侯爵令息から敵意を向けられていたことなど、全く気付かなかった。驚きに目を見張る俺を、フィリオン様は苦笑しながら言葉を続ける。

「やはり気付いていなかったんだね。いよいよ動きが怪しくなってきたのは、ロランがヒューゴから逃げるために私の部屋で過ごすようになってからだ。
 どんなに気をつけていても、私の部屋に出入りする君を見たか、気付いたのだろう。自分の取り巻きを使ってロランを傷付けようと企んでいたようなんだ」
「ほ、本当ですか…?そんなこと、全く知りませんでした…教えてくださればよかったのに…」
「ロランはあの男から逃げるので精一杯だっただろう?あまり負荷をかけたくなかったし、私が守ればいいかと思っていたんだ」
「そんな…も、申し訳ありません!俺が不甲斐ないばかりに、フィリオン様にお手数をおかけしてしまって…」
「謝らないで。君は私の家令になるのだから、君を守るのは当然の義務だ」

 "義務"という単語に胸に影が差し、重苦しくなる。どうしたって俺は彼にとって"利用価値のある道具"なのだと思い知らされる。

「エヴァドネ譲にこのことを話したら、一芝居を打とうということになってね。わざと彼の敵意が君から彼女に移るように、彼の怒りを刺激させる行動をしたんだ」

 フィリオン様ほどの人が、侯爵令息の動きを読めないはずがないと疑ってはいたが、やはり彼の動きを読んだ上で逆手に取った行動だったのだと府に落ちる。
 まさかそれが俺のためだったとは思いもよらなかった。――いや、俺のためではなく、利用価値のある道具を守るため、の間違いだ。

「侯爵令息が一線を越えてくれるようなら退学に追い込めるし、越えなかったとしても君からエヴァドネ譲に敵意は移る。彼女なら護身術も取得していて自分の身は自分で守れるから大丈夫だと思ったんだよ。
 彼の視線を君からエヴァドネ嬢へ完全に移すために、しばらくロランへの接触を控えていたんだ。うまく退学に追い込めたからもう君を害そうとする愚か者はいなくなった。もう安心して大丈夫さ」
「…ありがとうございます」

 優しく微笑む彼を前にしても、胸の内には微塵の喜びも湧かなかった。
 エヴァドネ様は女性でありながら、自らの身を守れると信頼されているというのに、俺は何も知らされないまま、ただ影で守られているだけの存在だ。その事実を目の前に残酷に突きつけられる。
 そこまで手を尽くすのは、俺が利用価値のある道具だからだ。その認識は霧ではなく輪郭を持った現実として立ち上がり、余計に濃く胸に刻まれた。
 気分は底の見えない沼へと沈み込み、浮上の兆しすら見えなかった。

「さて、じゃあ次はロランに説明してもらおうか。――あの男と、実家で、どう過ごしていたのかを」

 氷点下の笑みをたずさえながら、穏やかな口調で言った彼の言葉に、俺は何も応えることができず、凍りついたように固まる。じっとこちらを見つめ続ける彼の視線から逃げるようにして、俺は強く瞼を閉じた。
 今さらのように、どうにも居心地の良くない感覚が強まってくる。不安、そして焦り、だろうか。内部から蟻に食い荒らされた甲虫の姿が、脳裡にちらつく。

「私の言葉を信じられなかったかい?私ではなく、あの男の言葉を信じるつもりかい?」
「っ、そ、れは…違くて。どちらも信じたい、という気持ちがあるんです」
「ヒューゴは危険な男だと言っただろう?彼が実家に帰っていたことは知っているね?その理由は聞かされたかい?」
「…いえ」
「ならば私が教えてあげる。あいつが毒を盛られたことがあるというのは、話をしたよね。そのことについて、男爵家現当主がもう一度当時の状況を調べ直し始めたんだ」
「どうしてですか?」
「最近まで、彼の義姉があいつに毒を盛ったと思われていた。でもどうやら彼女ではないという確かな証拠が出てきたようでね。とある疑惑が浮かび上がった」

 嫌な予感が、胸の奥で黒く脈打った。これから彼の口からこぼれ落ちる言葉を、どうしても聞きたくない。そんな幼い願いが頭をよぎる。
 だが、その思いを汲み取ってくれるほど、現実は優しくない。無情にも彼は言葉を止めることなく、俺の覚悟など待たずに、その先を告げようとしていた。

「――ヒューゴ本人が、自分の皿に毒を盛ったのではないか、という疑惑。つまり、自作自演だね」

 まさか。信じられない思いに喉が塞がれ、言葉にならない乾いた息だけが漏れた。
 彼の、自作自演だというのか。姉をあれほど慕っている彼が、自らの皿に毒を盛り、その罪を姉に被せた――そんな筋書きを、どうして受け入れろというのだ。
 あり得ない。頭では何度もそう否定するのに、その否定さえ空虚に響く。信じられるはずがない、信じたくもない。
 にもかかわらず、実家に帰った理由を聞いた俺に、歯切れ悪く濁した彼の姿が脳裏に浮かび、疑念の影だけがじわじわと胸の奥に広がっていった。

「あいつが自作自演で義姉が毒を盛っていなかったのなら、彼女が勘当宣告されたのは不当だったということだ。勘当宣告されたから、彼女は私のもとに最後会いに来て――自殺したのだから」
「でっ、でも、あり得ません!ヒューゴがそんなこと、慕っていた義姉に罪を被せるようなこと、するはずがありません…!」
「彼も義姉に罪を被せたかったわけではないだろう。たまたまそうなってしまっただけで。きっと、私にお熱だった義姉の関心が少しでも自分に向くようにと、自分に毒を盛ったのだろう。
 医学の知識がすでにあったヒューゴなら、毒の種類も分かっていたはずだ。だが幼いながらに量を間違えて、瀕死まで追い込まれた。そしてあいつが目を覚ましたときには――すでに義姉は死んでいた」

 あまりにも綺麗すぎる筋書きだった。一つ一つが無理なく繋がり、反論の余地さえ与えないほどに筋が通っている。気づけば、こちらが納得してしまいそうになる危うさを孕んでいた。
 そして、その内容以上に厄介なのが語り口だった。落ち着いた声、迷いのない言葉選び。
 まるで真実だけを丁寧に掬い上げているかのようで、知らず知らずのうちに信じてしまいそうになる。だからこそ、胸の奥では警鐘が鳴り続けていた。この美しさは、疑うべきものだと。

「自分のしたことで義姉を自殺に追い込んだのだと、信じたくなかったのかもしれない。悲哀を私への憎悪に転換させ、自分の罪を私の罪へと変えたんだ」
「…ヒューゴの自作自演だという証拠はあるんですか?」
「それをこれから現当主が調査するんだよ。だがあり得ない話ではないだろう?調査結果が出るまで、あの男は危険人物として警戒しておくに越したことはない。私は間違っているかい?」
「……おっしゃる通りだと思います」

 彼の話に、おかしなところは見当たらない。ヒューゴという人物を知らなければ、信じてしまいそうなほど説得力があり、辻褄があう。
 しかし俺はもう、ヒューゴ・ファレルという人間をそれなりに知っているつもりだ。
 取り繕わず、明け透けな物言い。衝動的に体が動き、難しいことは考えない。他人への異常な冷たさは認めるが、一度認めた人間にはそれなりに優しさを見せる。身内であったのなら、なおさらだ。

 彼と異母兄弟であるフィリオン様なら、そんなこと分かっているのではないか。本気でヒューゴの自作自演を疑っているのではなく、俺をヒューゴから遠ざけるために嘘を吐いているのではないか。
 一度ひっくり返したオセロがまたヒューゴによってひっくり返されたから、さらにそれをひっくり返そうとしているだけなのではないか。
 目の前にいるフィリオン様という存在そのものに対する、何やら抑え込みようのない違和感が、ここに来て加速度的に膨らんできつつあった。


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