【完結】俺の好きな人は誰にでも優しい。

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どうして

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 2日後、胸の奥に張りつめていた糸が、ふっと緩むような報せが舞い込んできた。フィリオン様に相談して本当に良かったと、心からそう思えた。
 彼の助言を受け、教師たちが改めて例の目撃証言者に事情聴取を行ったらしい。その結果、証言は揺らいだ。

「橙色の頭を見ただけで、顔までは見ていない。……見間違いかもしれない」

 そう言い始めたという。橙色の髪を持つ生徒は、学園でも数えるほどしかいない。
 その中で、遊び人で素行不良と噂されるヒューゴを、無意識のうちに犯人像へと当てはめてしまったのだろう。
 思い込み。たったそれだけで、人は容易く罪を着せられる。
 その証言だけを根拠に、ヒューゴを自室へ謹慎させ続けるのは不公平だと、フィリオン様が口添えしてくれたらしい。

 そして、ヒューゴの謹慎は解かれることになった。その知らせを聞いた瞬間、胸が熱くなった。

「だから、もう会いに行っても問題ないよ」

 フィリオン様に優しい笑顔でそう告げられたとき、こみ上げる安堵をうまく隠せなかった。
 放課後、必ず会いに行こう。直接、顔を見て、無事を確かめて、たくさん話をしたい。
 だがその日は、それだけでは終わらなかった。

 放課後、ヒューゴの部屋に行く前に荷物を置きに寮に戻ると、机の上に一通の封筒が置かれている。
 見慣れた筆跡。見慣れた封筒。兄たちからの返信だ。いつものごとくピートが受け取って、置いておいてくれたのだろう。

 一瞬、呼吸が止まる。緑色の糸が何なのか。その答えが、今、目の前の机に乗っているのだ。
 ヒューゴの部屋に行く前に、中身を確認してからこれも一緒に持っていこうと考えた俺は、手紙をすぐに開けることにした。
 封を切る指先に、自然と力がこもる。運命の歯車が、静かに噛み合い始めている。そして開いた手紙の内容は――。

『ロラたん!せっかく帰りを待っていたのに運悪く橋が僕たちを引き裂いてしまって、そのまま会えずに学園が始まってしまったのがとっても悲しいよ!ヒューゴの実家に行くと電報が届いたけど、男爵家で意地悪なことされなかった!?大丈夫だった!?その辺を書いて寄越してくれなきゃだめじゃないか!もっとコキ使ってやれば良かったよ!僕の可愛いロラたん、夢でもたまにしか会いに来てくれないのは何でなの?もっと会いに来てくれなきゃ――…』

 ……そこまで読んで、ひとまず一旦、手紙を閉じた。あまりにも長ったらしい文章がつらつらと書かれていたからだ。

 学園に入学した当初、毎回手紙をくれるたびに溢れ出る末弟愛を長文で殴り書きしてくる兄たちに、紙が勿体ないし読む時間もかかるからと、それぞれ1枚ずつにおさめるように約束した。
 今まではしっかり守ってくれていたが、今回は実家にヒューゴとフィリオン様という異分子が登場したからか、枷が外れている様子が紙の枚数で伝わってくる。
 6枚の紙にびっしりと書かれた文字。どうやら長兄と次兄、それぞれが3枚ずつ書いたと思われる。

 一目見てこれは読むのに時間がかかると察する。さらっと見てもどこに緑色の糸の正体が書かれているのかが分からなかった俺は、読むのはヒューゴの部屋から帰ってきてからにしようと決めた。
 封筒の中にはあの糸も同封されて返ってきていたことを確認してから、机の引き出しの奥に大切にしまう。そして俺は、ヒューゴの部屋へと向かった。

***

 前回訪ねたときは部屋前に見張りがいたが、もうその影はなかった。
 久しぶりにヒューゴに会えるという嬉しさと少しの緊張感を滲ませた拳で扉をノックする。しかし、誰も出てこない。もう一度、ノックする。それでも出てこない。

 俺は違和感を感じた。
 今日、謹慎が解かれたとはいえ、まだ彼の疑いが完全に拭いきれていない今、好奇と恐怖の視線を向けられながら授業を受ける彼の姿が想像出来なかったのだ。
 だから今日はまだ、部屋にいると思い込んでいた。他人の視線云々よりも、単純に授業に出るのが面倒だと思っていそうだし、案外、ヒューゴは謹慎生活を楽しんでいた可能性すらあると思っていたのだ。

 しかし応答がないということは、授業に出てまだ帰ってきていないということだろうか。
 もしも部屋にいるのに応答しないということは――瞬間、俺は背筋を震わせた。
 もしかしたら、謹慎が解かれて早速、ヒューゴの命を狙う人間が動き出したのかもしれない。室内で、彼が倒れていたりでもしたら……。

 俺は確かめずにはいられなくなり、ドアノブを下げる。すると、拍子抜けするほどすんなりと扉が開き、俺はつんのめる形で室内に入った。

 室内の空気は、ひどく静まり返っていた。静寂というより、音を吸い込む深い水の底のような。人の気配があるのかないのかさえ、判然としない。
 扉を閉めた音が、やけに大きく響いた気がした。

「……ヒューゴ?」

 呼びかけは、頼りなく宙に溶ける。返事はない。
 俺は息を殺し、忍び足で奥へと進んだ。床板が軋まぬよう、慎重に。

 キッチンを覗く。匂いがしない。料理の残り香も、湯気の気配もない。しかし、嗅いだことのない、料理ではない妙な匂いを微かに感じとる。
 暖炉には火がついていた。赤く燻る炎が、ぱちりと小さな音を立てる。
 人がいる証のはずなのに、その温もりだけが、逆に不気味さを際立たせていた。
 ソファを見る。人影はない。
 クッションは整えられたまま、そこに「不在」を置いている。

 鼓動が早まる。嫌な予感が、背中を這い上がる。
 俺は、寝室のほうへ足を向けた。そちらに向かうたび、妙な甘ったるい匂いが濃くなっていく。
 指先でそっと扉を押し、ベッドのほうへ視線を滑らせる。

 そして――固まった。
 時間が、凍りつく。喉が音を立てて鳴る。そこにあった光景を、脳が拒絶する。

 そこには。

「…?きゃあっ!あんた、なに勝手に入ってきてんのよ!」

 女性の甲高い声が肌にぶつかり、俺は口から氷の棒を突っ込まれたように全身を硬直させた。
 ヒューゴのベッドに寝そべる、下着だけを身につけた女性。ほとんど裸に近い。そして、その隣で眠る、夕焼け色の男。
 彼の顔を見たとたん、周りの景色が真っ白になって消えた。

「いつまで突っ立ってんのよ!早く出てきなさいよ!この状況がどういうことか、分からないの!?」

 全身の血管を、一気に血が駆け抜けた。瞬間的に意識が遠退く。しかし顎に力を込めて俺は眼を見開いた。
 足が、動かない。息の仕方を、忘れたように。ただ、目だけが見開かれたまま、逃げ場を失っていた。

「……?」

 女性の声に眠りを起こされたのか、ヒューゴが身動ぎ、ゆっくりと目を開けた。
 半開きの目が、俺を捉える。するとまるで彼は、俺の衝撃など全く見えていないかのように、くわっと欠伸を溢して、気まずそうに口角を上げた。
 しかしすぐに、異変を感じ取ったのだろう。隣にいる女性に視線を移し、眉根を寄せる。そして、口が開かれようとしていた。

 瞬間、俺は凄い勢いで部屋から飛び出した。バンッと大きな扉の閉まる音すら、俺が風を切る音で掻き消える。
 ヒューゴの声が聞こえたような気がするが、それは俺の幻聴だったかもしれない。
 ただただ、真っ白になった頭で、真っ白になった視界で、足を動かし続けた。

 あまりの動揺に足の感覚がおかしくなって、廊下がスポンジか何かのように感じられた。跳ねるように走りながら、自分の心臓が肋骨の内側で、動物のように暴れているのを意識していた。

 程なくして、足が勝手に止まった。体力切れだ。
 ぜいぜい、ひゅぅひゅぅ、変な呼吸音が頭の中でうわんと響く。
 息がうまくできなかった。吐く量よりも吸う量のほうが多くなってしまい、俺は肺を膨らませたまま、小刻みに呼吸を繰り返した。

 気づけば、廊下の床に雫が落ちていた。ぽたり、ぽたりと、間の抜けた音を立てて。
 それが汗なのか、涙なのか、鼻水なのか、自分でも分からない。ただ、頬も視界も、何もかもが滲んでいることだけは確かだった。
 顔も、心も、ぐちゃぐちゃだ。胸の奥で、心臓が潰れた果実のように軋んでいる。息を吸うたび、鋭い痛みが走る。

 ベッドの上で、ヒューゴは眠っていた。
 無防備な寝顔。その隣には、下着姿の女が寄り添うように横たわっていた。
 白い肌が、シーツに沈む。指先が、彼の腕に触れている。その光景が、何度も脳裏に焼きつく。
 さきほど部屋に漂っていた、あの妙な匂い。甘ったるくて、生ぬるくて、肌にまとわりつくような空気。あれは、事後の匂いだったのか。

 理解した瞬間、胃の奥がひっくり返る。鼻腔が、あの生々しい残り香を思い出す。喉の奥がきゅっと縮まり、込み上げるものがせり上がってくる。俺は壁に手をつき、必死に息を整えた。

 吐くな。
 ここで、崩れるな。

 込み上げた胃酸を無理やり飲み込み、歯をぎり、と食いしばる。奥歯が軋む音が、自分のものとは思えないほど遠い。

 どうして。

 その一言すら、うまく形にならない。
 廊下の冷たい空気だけが、火傷のように熱い胸を、無遠慮に撫でていく。

 どうして。

 分かっていたはずなのに。きちんと、分かっていたはずなのに。
 ヒューゴ・ファレルという人間は遊び人で、野性的で、欲望にも直感にも衝動にも忠実で。
 彼にとって、誰かと寝るということは、肌を重ね合わせるということは、取るに足らない性欲処理でしかないのに。

 どうして。

 分かっていたはずなのに、分かっていたつもりでいただけなのか。
 心のどこかで、勝手な甘えた幻想を抱いていたとでもいうのか。

 どうして。

 彼は遊び人。それは、今までもこれからも変わらない。
 でもそれは、俺への気持ちを自覚したら変わるかもしれないと、勝手に期待していたのだろうか。

 どうして。

 彼が恋をすることに、根が深い抵抗感を持っていると分かっている。
 だから、彼がそれを受け入れられるようになるまで、恋をすることへの恐怖が払拭されるまで、俺への思いを自覚するまで、ゆっくりと待つ気でいた。

 どうして。

 それまでの間は、彼が誰と何をしようが、見てみぬフリをして、受け入れるつもりでいた。
 空き教室から出てきたふたつの影も、のまれそうになる激情を必死に堪え、彼の冤罪を晴らすことに集中しようと思った。

 どうして。

 今回のことも、ただ生々しい現場を見てしまっただけで、あのときと同じように見てみぬフリをすればいい。
 彼は無意識で悪意なくやっているだけだ。これで俺が傷付くなんてことも、考えていないはずだ。
 だって俺は、彼への思いを友情の仮面の下に隠しているのだから。

 どうして。

 だこら、俺が傷付くなんて、おかしい。この肺の奥から飛び出してきそうな、今にも噴火しそうな怒りを持つことは、おかしい。

 どうして。

 俺は、彼を責める権利も、彼に怒りを向ける資格もない。そういう関係じゃないのだから。
 俺たちの関係に、名前はついていないのだから。

 ―――けれど、それならば。


「どうして……俺に、キスなんか…したんだよぉ…っ…!」



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