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我慢して我慢して我慢している獣 ※R18
しおりを挟む講義をサボってヒューゴの部屋に戻ったとき、ちょうど朝一番の講義が終わる頃だった。
今から急げば、次の講義には間に合う。頭のどこかで、律儀な声がそう囁く。けれどその声は、ひどく遠い。
もう家令科で上位を守る必要もない、とそんな甘い諦めが胸に沈み、俺は抵抗することなくヒューゴに抱えられたまま、ベッドへと下ろされた。
柔らかな寝具が背を受け止める。覆いかぶさる影。夕陽色の瞳が、視界いっぱいに広がった。
朝だというのに、その瞳に射抜かれると、まるで一日の終わりに差し込む茜の光の中にいるような錯覚を覚える。時間の感覚が、ゆるやかに溶けていく。
部屋に入った瞬間、言葉よりも先にキスが降ってきた。早急で、ためらいのない口づけ。
触れた途端、強く吸い寄せられ、唇はぴたりと重なったまま離れない。まるで、ほんの少しでも隙間が生まれれば、互いの命がこぼれ落ちてしまうかのように。
呼吸が浅くなる。離れようとすれば、そのたびに追いかけてくる。指先が頬に触れ、顎を包み、逃がさないと告げるように。
ヒューゴの熱が、唇から、胸から、じわじわと移ってくる。講義の鐘の音も、時計の秒針の音も、すべてが遠のいた。
今はただ、この夕陽色の瞳の中だけが世界だ。
離れたら、きっと死ぬ。そんな大げさな思いが、冗談ではなく本気で胸に芽生えるほどに、彼の口づけは執拗で、切実で、どこか必死だった。
「っ、はぁ…んんっ」
唇が離れる、ほんのわずかな隙間。その合間に、俺の喉から零れた甘ったるい吐息が、静まり返った室内にやけに大きく響いた。
自分のものとは思えないほど熱を含んだその音に、羞恥心で頬に熱が溜まる。
「なぁ……やっぱ、触れてぇ。だめか…?まだ、怖いか…?」
唇を触れあわせたまま、ヒューゴは甘えるように俺の唇の上でうかがうように尋ねる。
野獣が途端にじゃれつく犬猫のように見え、俺は心の準備など出来ていないのに、絆されていく自分を自覚していた。
「……優しく、してくれる?痛いのは……やだ」
「善処……する。我慢するとか言っときながら、かっこわりぃかもしんねーけど……わりぃな、オレは今すぐあんたを抱きたい」
直球な物言いに嬉しさと恥ずかしさと戸惑いが交錯し、少しばかり逡巡する。学園は授業や講義が行われ、通常通りの顔をしているのに、この部屋だけは特別な空間だった。
サボってこんなこと、まだ早い気もする、男の体なのに大丈夫なのか、幻滅されたらどうしよう。そんな思いがぐるぐると駆け巡る。
「お、俺は……男だよ?きちんと分かってる?」
「あ?あたりめーだろ。男とか女とか関係ねぇ。あんたを抱きてぇっつってんだよ」
「……でも、体を見たら萎えるかも。だってヒューゴ、女の人しか相手にしてこなかったでしょ?」
「そりゃそーだけど。でもあんたの体を見て今さら幻滅するようなら、こんな風になってねぇ」
そう言いながら、ヒューゴは俺の右手を自分の心臓の上にピタリとくっつけた。
掌から伝わる動悸はまるで荒々しい太鼓のようで、心臓の血管が巨大な龍となり、激しく脈打っているイメージが瞼の裏に浮かんだ。
「すっごい……どくんどくん、激しい…」
「……こんでも、すんげー緊張、してんだよ。あんたを抱きたいけど、うまく出来ねぇかもってすんげーそわそわしてる。不安なのは、あんただけじゃねぇよ」
その言葉に驚いて眼を見開く。あの、遊び人で数々の女を抱いてきたであろう男が、情事を前にこんなにも心臓を高鳴らせて緊張しているなんて。
そう自覚した瞬間、酩酊したように体の芯が揺らぎ、俺の迷いや不安は、薄れていった。
「……実は俺も…ヒューゴに、抱かれたかった。だから……いいよ」
それを聞いた瞬間、ヒューゴの瞳の色が、さらに深くなる。
再び重なる唇。さっきよりも強く、さっきよりも熱い。まるで吐息一つで煽られた炎が、一気に燃え広がるみたいに。
いつの間にか外套は肩から滑り落ち、気づけばベッドの下へと転がっていた。厚手の布が床に落ちる鈍い音さえ、遠く感じる。
指先が急くように動く。着込んでいた服が、一枚、また一枚と剥がされていく。布越しだったはずの体温が、肌に直接触れられるたびに、ぞくりと背筋を駆け上がる。
冬の乾いた空気のせいか、衣擦れのたびに小さな静電気が弾けた。パチ、と軽い音。
その瞬間、俺たちの間で火花が散る。思わず身を竦めれば、ヒューゴが低く笑う。その笑い声まで熱を帯びていて、余計に心臓を煽る。
触れ合うたび、離れられなくなる。静電気の小さな痛みすら、甘く感じてしまうほど、部屋の空気は濃く、重く、俺たちの呼吸で満たされていた。
最後の肌着が指先に引っかかり、するりと剥がされる。冷えた空気が、むき出しになった上半身を撫でた。けれど次の瞬間には、ヒューゴの体温が覆いかぶさり、その寒さは一瞬で溶けていく。
唇が、首筋に落ちた。やわらかいはずの感触が、すぐに強く吸いつき、じゅう、と湿った大きな音を立てる。
思わず肩が跳ねた。甘い痛みが一点に集まり、そこからじわりと痺れが広がっていく。
背骨に沿って、ぞくりと震えが走る。耐えきれず、鼻から熱い息が漏れた。
逃げようとわずかに身をよじるが、ヒューゴの手が腰を押さえ、動きを封じる。吸われるたびに、刻みつけられていくような感覚。
俺が寝ているあいだに、これを首の裏にやっていたのか。ふいに脳裏に浮かんだその考えに、ゾクリとする。あのときも、こんな音を立てて。こんなふうに、容赦なく。
それでも目を覚まさなかった自分が、信じられなかった。どうして気づかなかったのか。どうして、こんなにも強い痕を残されるほど触れられていて、眠り続けていられたのか。
首筋に残る熱と、まだ消えない痺れが、その現実を静かに証明している。
ヒューゴの吐息が、耳元で低く揺れた。その音に、心臓がひどく大きく跳ねた。
「寒いか?暖炉、つけっか?これからたぶん、汗かくことになっけど」
耳元で囁かれ、くすぐったさに肩をすくめる。
「……ううん、大丈夫。ヒューゴの熱であたためてくれるんでしょ?」
そう返した瞬間、彼の動きがぴたりと止まった。
「ロランちゃんさぁ……分かってやってんの?」
「なにを?」
本気で首を傾げた俺を見て、ヒューゴは短く息を吐く。
「すんげー我慢しながら、やったこともねぇのに、ゆっくり丁寧にやろうとしてんだぜ?そのオレの気力と努力を無駄にさせんな」
「……?」
言葉の意味をうまく掴めずに瞬きをすると、彼は喉の奥でくくっと笑った。
「とにかく、あんま煽るようなこと言うな。理性ぶっ飛びそうになっから」
声音は軽い。いつもの調子だ。けれどその瞳の奥には、冗談では済まない熱が揺れていた。
笑っているくせに、どこか必死で、真剣で、ぎりぎりのところで踏みとどまっているような重さがある。その視線に射抜かれたまま、再び唇が重なった。今度は深く、逃げ場を奪うように。
舌がゆっくりと入り込み、口内をなぞる。熱が絡みつき、思考が溶ける。甘い痺れが喉の奥まで降りていき、思わず彼の服を握りしめた。
さっきの言葉が、遅れて胸に落ちる。
――我慢している。その言葉を胸の内で反芻すると、触れられるひとつひとつが、ひどく切実に感じられた。
彼の理性が、今どれほど細い糸で繋がっているのか。その糸を、自分が指先で揺らしているのだと気づき、胸の奥が、熱く震えた。
ヒューゴの掌が、ゆっくりと俺の首をなぞり、肩へ、そして胸元へと下りていく。
大きくて、節の目立つ男らしい手。少しだけざらついた感触があるのに、不思議と触れられるたびに安心が広がる。
この手で優しくてあたたかな料理を作り出してきたのだと思うと、そのぬくもりが余計に愛おしく感じられた。
俺の体温よりも高いその掌が、素肌を包む。撫でられるだけで、胸の奥がふわりと甘くほどけていく。力任せではなく、確かめるように、慈しむように触れてくるからこそ、感覚が研ぎ澄まされる。
「ふぁ、ん、…ぁ」
唇は深く重なり、息が絡む。舌と舌を合わせるたびに、入りきらなかった涎が口の端から溢れ落ちていく。
互いの呼吸が混ざり合い、思考がゆっくりと溶けていく。こんなふうに、誰かに全身を委ねるのは初めてだった。
触れられているだけなのに、体の奥がじんわりと熱を帯びる。ヒューゴの指先が動くたびに、心臓がひとつ強く打つ。
触れられるたび、皮膚の下を火が走るように熱が巡る。それは衝動でありながら、同時に愛情でもあった。
抗う気持ちはどこにもなく、ただその温もりに身を預けながら、俺はうっとりと目を細めた。こんな感覚が、この世にあるなんて知らなかった。
「あっ…!」
唐突に、乳首を親指と人差し指で摘ままれ、高い声が思わず飛び出る。
普段、ヒューゴに悪態をついている口と同じ口から出てくるとは思えないほどの、高くて甘ったるい声。
「あぁ…っ、んんっ…」
自分の口から出ていることが信じられなくて、咄嗟に口許を両の手で覆う。しかしすぐにその手をヒューゴに絡めとられ、頭の上に持ち上げられた。
「声、抑えようとすんな。全部聞かせろ。あんたから出てくるもんは、全部オレのもんなんだから」
「で、も……っ、俺の声、男だし…」
彼が今まで聞いてきた綺麗な声とは、明らかに違うだろう。彼女たちはきっと、歌の一部分のように鳴いてきたはずだ。でも俺は、違う。
これまで彼が抱いてきた女性の影がどうにもちらついてしまい、劣等感を隠しきれない俺に、ヒューゴは片方の眉を上げ、怪訝な顔をした。
「あぁ?まだ男とか女とか気にしてんのか?言っただろ、オレは確かに遊び人だったが……人を好きになんのも、好きなヤツを抱くのも初めてなんだよ。だから、オレの心はいま、初めて尽くしで爆発しそうなんだから……目の前のオレのことだけ考えてろ」
荒々しい口調なのに優しげな声音で言われ、興奮の小さな波が身内を駆け抜け、うなじがぞくぞくした。
彼の表情も、言葉も、声も、体温も、すべてが俺を魅了する。悔しすぎるほど、あまりにかっこいい男。
「あんっ…!」
憂いなんてどこかへ消し飛び、乳首をざらりとした舌で舐められて我慢せず声を出す。
ちろ、れろ、ぐりゅ、じゅる、と舐めたり噛んだり吸われたりするたびに、下半身に血液が集中して腰が重くなる。もう俺のペニスはヒューゴの腹を突き刺す勢いで勃起していた。
「はぁ、ぁっ」
「きもちーか?」
「…っ、…ぅん、き、もちぃ……」
素直に言うのが恥ずかしくて言葉に詰まりそうになるが、腕で顔の半分を隠し、視線を外したことでなんとか本音を言う。
するとヒューゴは、バッと俺の胸から顔を上げたと思えば、俺の腕を片手で取り上げ、もう片方の手で顎を鷲掴んで濃厚なキスをした。
まるで食べる勢いで、丸のみしそうな勢いで、はしたない音を幾つもさせながら。何度も、何度も。
「―――すっげぇ、好きだ」
キスの合間に、溢さずにはいられないと言わんばかりに、ヒューゴは切実な声で告げた。
あまりに熱を帯びた真剣な声に、体の芯が震える。
額や鼻先を擦り付けるようにすりすりとしながら、唇は何度も深いのと軽いのを交互に落としていく。
「好き。えぐいほど好き。どうしようもねぇほど、好きだ」
まるでキスが"好き"の電源ボタンみたいに、キスと好きを繰り返すヒューゴの姿は、あまりにも愛おしかった。
胸がきゅぅんと苦しいほどに高鳴り、今この瞬間も彼への思いが膨らんでいくのを感じる。
「お、俺も…っ……俺も、すっごく、…す、好き」
俺の言葉に、ヒューゴはふっと動きを止めた。
「……あー」
一度、ゆっくりと天を仰ぐ。まるで見えない何かに問いかけるように、あるいは自分の内側で暴れ出した衝動を押さえ込もうとするように。深く息を吐き出す音が、やけに重い。
「無理だわ。我慢、やっぱ無理。痛くねぇようにだけ頑張るから、あとは好きにさせてくれ」
そして次に俺を見下ろしたとき――その瞳は、さきほどまでとはまるで違っていた。
何かが、静かに吹っ切れたような色。
迷いも、躊躇も、葛藤も、すべてを置き去りにしたあとの、澄みきった熱。
夕陽色の奥で、抑え込まれていた炎がはっきりと形を持って揺れている。
ぞくり、と背筋が震えた。
それはただ純粋な、欲と愛。
その瞬間、目に見えない鎖が音もなく断ち切られたのだと悟る。空気が変わる。距離は同じはずなのに、圧が違う。
彼の理性を縛っていた枷が、外れた。
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