【完結】俺の好きな人は誰にでも優しい。

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阿鼻叫喚の春の帰省

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 春が来た。

 実家の屋根に積もっていた雪はすっかり溶け、黒い瓦がやわらかな陽射しを受け止めている。白に閉ざされていた庭先には淡い緑が芽吹き、風はまだ冷たいくせに、どこか甘い匂いを含んでいた。

 年度末休暇。学年が変わる前の、わずかな隙間のような時間に、俺とヒューゴは再び俺の実家へと戻ってきた。
 本来なら、この短い休みを帰省に使うつもりはなかった。だが――。

 俺と最後に別れたとき、兄たちはそれが最後だとは思っていなかった。また近いうちに帰ってくると思っていた。しかし雪によってそれは途絶え、言い残した言葉や溢れ出る末弟愛が燻っていたのだろう。
 追い打ちをかけるように、何度も届いた手紙。
 兄嫁が妊娠8ヶ月に入り、いよいよ腹が大きくなって仕事が出来なくなったこと。その代わりを手伝えという、半ば命令のような催促。

 封蝋を割るたび、紙面から漂う必死さが伝わってきた。
 無視し続けることも出来たが、結局、俺は帰ってきた。一緒に行くと言って聞かない、ヒューゴを伴って。

 馬車から降りると、胸の奥が妙に落ち着かない。商人家特有の、香辛料と革の匂い。帳簿をめくる音。忙しなく行き交う人々の足音。
 それはほんの3ヶ月前にも感じたのに、まったく違う感覚になるのは、隣に立つ男との関係が大きく変化したからだろうか。家令科をやめて、医学科に転科しようとしていることを報告するのが、怖いからだろうか。

 隣に立つヒューゴは、そんな俺の様子を横目で見て、小さく鼻を鳴らした。

「顔、固ぇぞ」

 からかうような声。それでも、彼が隣にいるだけで、ほんの少しだけ肩の力が抜ける。

 店先には、黒山の人だかりができていた。春の陽気に誘われたのか、旅商人や近隣の住人たちがひっきりなしに出入りしている。
 威勢のいい声、布を広げる音、値段交渉の笑い声。商家らしい活気が、通りいっぱいに溢れていた。
 その中心で、ふたりの兄は忙しなく立ち働いている。

 次兄は軽やかな口調で客の懐に入り込み、長兄は落ち着いた声音で確実に品を勧める。対照的なのに、息はぴたりと合っていた。

 ――やっぱり、すごい。

 少し離れた場所から眺めていると、不意に次兄の視線がこちらを射抜いた。ぱちり、と目が合う。

 次の瞬間。

「ロラたん!!!」

 通りに響き渡る大声。

「……!ちびランラン!」

 間髪入れずに、長兄までが恥ずかしげもなく俺の愛称を叫ぶ。
 やめろ。
 心の中で叫ぶより早く、周囲の客たちの視線が一斉にこちらへ向いた。ざわ、と空気が揺れる。

「え、なんて言った?」
「今の呼び名……?」
「あぁ、末弟が帰ってきたのか」
「あの子が噂の彼らが溺愛する末弟…?」

 ひそひそ声まで聞こえてくる。顔が一瞬で熱を帯びた。耳まで赤くなっている自覚がある。やめてくれ、本当に。
 だが当の兄たちは、そんな俺の羞恥など一切意に介さない。客を半ば置き去りにする勢いで、競うようにこちらへ駆け寄ってくる。

「ロラたん帰ってきてくれたんだね!」
「ちびランラン、痩せてないか!?」

 両側からがっしりと肩を掴まれ、覗き込まれる。

「ちょ、ちょっと!お客さんがいるでしょ…!」

 抗議の声もむなしく、ふたりの顔はきらきらと輝いている。まるで宝箱を見つけた子どものようだ。
 通りの真ん中で晒し者になりながら、俺はただ、どうしようもなく真っ赤になって立ち尽くすしかなかった。

「ダメ元で手紙を送り続けてよかった!あの生意気野郎にロラたんを迎えに行かせたのに、帰ってこないままだったから…!」
「そうだぞ。俺たちがどれほど落胆したことか……」

 両脇からぎゅうぎゅうと抱き締められながら、そんなことを言われる。普通に苦しい。
 顔が引きつるのが自分でも分かった。店先だ。客がいる。しかも大勢。珍獣でも見るような好奇の視線が、痛いほど突き刺さる。やめてくれ、本当に。
 だが、兄たちはまったく気にしていない。むしろ俺を抱き締める腕にさらに力を込める始末だ。
 そのとき、後ろから、ぐい、と強い力で引き寄せられた。

「っ…」

 身体がふわりと宙を滑る感覚。
 次の瞬間、俺は見慣れた胸板に背中を預けていた。兄たちの腕が、虚しく空を切る。
 ヒューゴはがっしりと俺を抱き締め、守るように背後から包み込んでいる。

「……ロラたん、どうしてこいつまで一緒なのかな?」

 次兄が目を細める。

「ひとりで帰ってくれば良かったよね?後ろのゴミはその辺にポイっしてきなさい!」
「いや、こんななりでも一応、ちびランランの命の恩人だ。それなりにもてなしてさっさと帰らせよう」

 長兄まで、さらりとひどい。俺は額を押さえたくなった。だが、その直後。

「ぶっ……くはは!」

 ヒューゴが、俺を抱き締めたまま吹き出した。腹の底からこみ上げるような、遠慮のない笑い声。
 その振動が、背中越しに伝わる。肩が揺れ、俺の身体まで小刻みに揺さぶられる。

「やっぱすげぇな、あんたん家」

 涙が滲むほど笑いながら、ヒューゴは言う。怒るでもなく、むしろ楽しそうに。
 兄たちはむっと眉を寄せるが、ヒューゴはまるで気にしない。腕の力を緩める気配もない。

「ロランちゃん、愛されすぎだろ。まぁ――オレ以外の腕ん中にいんのは気に喰わねぇから、邪魔すっけどな」

 耳元で囁かれ、心臓が妙に跳ねる。

 店先ではまだ客たちがざわめいている。
 春の陽射しの下、騒がしくて、恥ずかしくて、でもどこかあたたかい。
 俺は深く息を吐きながら、結局また、振り回される側でいるしかなかった。

 兄たちがさらに喚き散らす前に、俺はその腕をすり抜け、客の山へと飛び込んだ。ざわり、と空気が揺れる。
 好奇の目で見ていた客たちの中には、幼い頃から顔を合わせてきた常連の姿も多い。

「ロラン坊じゃないか!」
「久しぶりだな!」

 あちこちから名前を呼ばれ、懐かしい声が重なる。
 自然と口元がほころび、身体が覚えている所作で頭を下げ、言葉を返す。布の質を確かめ、品を勧め、軽口を交わす。
 少し遅れて追いついた兄たちが、悔しそうな顔で俺の隣に立つ。

「僕のロラたんなのに」
「俺たちの見せ場を――」

 ぶつぶつ言うふたりの背中を、俺は遠慮なくバシッと叩いた。

「仕事」

 短く言い放つと、兄たちは一瞬ぽかんとし、それから同時ににやりと笑う。次の瞬間には、すっかり商人の顔に戻っていた。切り替えの速さは、さすがだ。

 ふと視線をやれば、ヒューゴは店の端、けれど俺からそう遠くない場所に立っている。壁に背を預け、腕を組み、まるで護衛のように周囲を睥睨していた。その視線は、どこか鋭い。

「大きくなったなぁ、ロラン坊」

 懐かしい客が、俺の頭を撫でようと手を伸ばす。その瞬間。ぱしん、と乾いた音。
 ヒューゴの手が素早く伸び、客の手を無慈悲にも叩き落とした。客が目を丸くし、俺は凍りつく。

「ヒューゴ!」

 小声で抗議するが、当の本人はどこか不機嫌そうにそっぽを向いている。

「触んな」

 低く、短い。子どもか。
 このままでは客に迷惑をかけるのも時間の問題だと、背筋に冷たい汗が流れる。俺は即座に決断した。

 固まる客に謝罪をしたあと、ヒューゴの腕を掴み、兄たちの抗議の声を無視して、俺はそのまま店の玄関を抜け、2階へと続く階段を駆け上がった。
 足音が木の階段に響く。春の光が差し込む踊り場で、ようやく立ち止まり、荒くなった息を整えながら振り返る。
 腕を引かれたままのヒューゴは、不満げに眉を寄せていた。まるで獲物を横取りされた猛獣のように。

「もう!お客さんにあんなことしちゃだめでしょ!」
「…あ?あんたに触ろうとしたヤツを見過ごせと?無理だろ、そんなん」
「小さいときから来てくれているお客さんだし、他意のない、親しみの挨拶だよ?」
「そんでも、イヤなもんはイヤなんだから仕方ねーだろ。あんたに触れんのは、オレしかだめだ。あんたに、オレ以外が触れていい箇所なんて、どこにもねぇ」

 子どものように唇を尖らせ、不貞腐れた顔のまま、ヒューゴは真正面から俺を抱え込むようにして抱き締めた。
 大きな身体。広い背中。腕の力は容赦ないのに、その仕草はひどく幼い。
 さっきまで店先で見せていた鋭い視線も、今はただ拗ねた色を宿しているだけだ。

「……ばか」

 呆れ半分で呟きながらも、胸の奥がきゅっと締めつけられる。あまりにも子ども染みた独占欲。
 なのに、それが嫌ではないどころか、むしろ嬉しいと思ってしまう自分がいる。――同類だな、と苦笑する。

 俺はそっと腕を伸ばし、大きな背中に回した。背骨の感触。体温。少し早い鼓動。
 抱き締め返した瞬間、ヒューゴの腕に込められる力がさらに強まる。まるで、奪われるものなど何ひとつないと確かめるように。

「ロランちゃんはオレのだろ」

 低く、くぐもった声が胸元に落ちる。返事の代わりに、俺は彼の服をぎゅっと掴んだ。
 その仕草に満足したのか、ヒューゴはふっと息を吐き、俺の旋毛にそっとキスを落とす。
 不意打ちの柔らかな感触。階下からは、まだ店の喧騒が微かに響いている。

 春の陽射しに浮かされ、2階の自室に戻った俺たちは、そのままなし崩しに距離を失っていった。
 久しぶりに嗅ぐ匂い。窓から差し込む柔らかな光。子どもの頃から変わらない机や棚。
 その中心で、ヒューゴは遠慮という言葉をどこかに置き忘れたかのように、俺を壁際へと追い詰める。

「続き、しようぜ」

 低く囁く声に、抗議する余裕もなく。抱き寄せられ、唇が触れ、笑い声が漏れる。
 くすぐったくて、でも甘くて、結局は俺のほうが先に観念した。

 ――そのとき。

 どたどたどた、と階段を駆け上がる派手な足音。嫌な予感が背筋を走る。

「ロラたん!」
「ちびランラン!」

 勢いよく開かれた扉。次の瞬間、時間が止まった。

 部屋の真ん中で密着している俺とヒューゴ。彼の腕はまだ俺の腰を抱いたまま。俺の手は彼の襟元を掴んだまま。

 兄たちの目が、見開かれる。

 沈黙。
 そして―――。

「ぎゃああああああああああ!!!」
「何してるんだこの不届き者ぉぉぉぉ!!」

 阿鼻叫喚。

 次兄は頭を抱えて床に崩れ落ち、長兄は額に青筋を浮かべてヒューゴを指差す。

「僕のロラたんが…!僕のロラたんが…!」
「ちびランランから離れろ!!」

 怒号が部屋を震わせる。
 ヒューゴはというと、俺をさらに抱き寄せながら、どこか楽しげに口角を上げた。

「……見ての通りだけど?」

 火に油。次兄が絶叫し、長兄が本気で袖をまくる。
 俺はというと、顔を真っ赤にしたまま、どう収拾をつければいいのか分からず立ち尽くすしかなかった。

 春の帰省は、どうやら穏やかには済まないらしい。

 ――その後、大きなお腹を抱えて3階から下りてきたロザリーさんの雷が落ちるまで、階下にまで響く大騒動へと発展したのは、言うまでもない。


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