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第七話 悪天候
しおりを挟む「座ってていいのに」
「だめだよ。片付けくらい手伝わせて」
泡立てたスポンジで洗われた食器を矢野くんから受け取って、丁寧に拭き上げるのをのんびり繰り返しながら、他愛もない会話をする。この皿を洗ったら終わりというところで、矢野くんは「そういえば」と切り出した。
「今日って、何時には帰らなきゃいけないとかあります?」
「んー、明日予定もないから、特にないかな。なんで?」
「『腹戦』の劇場版Blu-ray、一昨日発売されたんですけど」
「え、買ったの…!?」
「…初回生産限定盤の特典映像、観ます?」
初回生産限定盤には未公開エピソードが収録されており、それが意味深だとファンの間で話題になっていた。ただ、結構高い買い物になるので、購入を躊躇っていたところにこの誘い。
勢いよく頷いた私を見て、笑いながら矢野くんは自分の濡れた手をタオルで拭いて、ついでのように私の手も一緒にタオルで拭いた。手を繋がれるのかと思ってちょっとドキドキしたけれど、諸々の片付けをてきぱきと終えた矢野くんは、冷凍庫から小さなカップアイスをいくつか取り出して、「どれがいいですか?」とにやっと笑うから、ドキドキよりも逆にわくわくして。
映画館みたいにしようとカーテンを閉め切ってからソファに並んで座り、まずは特典映像ではなく、本編を見ようということになった。時々、どちらがということもなく「うわー」とか「えー」とか呟きながらテレビの画面を眺める時間は、あまりにも心地よかった。
あっという間に2時間弱が経ち、エンドロールが終わってもなんだかぼーっとしてしまう。
「よかった…」
「うん、よかったですね」
「え、どうしよ。まだ特典映像にいくメンタルになれない」
「わかる。とりあえずなんか飲みます?」
矢野くんが背中をぐーっと伸ばしながら立ち上がってキッチンに向かうと、一度暗くなったテレビの画面がメニュー画面に切り替わった。
そこで部屋の窓から見える景色が妙に薄暗いことに気付く。部屋に置かれていたデジタル時計を見ると、17:23を表示している。いつもはもう少し明るいはずなのに変だなと思って、立ち上がってカーテンを開けようとした瞬間、ピカッと稲光が部屋を照らした。
「わっ…、雷?」
少し遅れて、ごろごろと音がする。
私の声に矢野くんがこちらを振り返る。
「あれっ、今日天気崩れるんでしたっけ?」
「ううん、晴れだって言ってた気がするけど………あ、えっと、じゃあそろそろ、帰ろうかな」
「え、特典映像見ないですか?」
見たいと思ったけれど、かなり大きな雷のようだったし、雨が降ってくる前に帰りたいという気持ちが勝った。
私は雨が苦手だ。とにかく濡れたくないし、じめじめしてなんとなく気持ちが沈むというのもある。雷も大嫌いだった。いつくるかわからない感じに、怖いというよりも、落ち着かなくなる。今日はとりあえず退散し、改めて今日みたいにお邪魔させてもらえたらいいな…と考えていたところで、矢野くんが私の頭を撫でた。
「そしたら送っていきます」
「え、まだそんなに遅い時間じゃないし大丈夫だよ?」
「いやいや、わざわざ家まで来てもらって一人で帰したりしないですよ」
しかし、その直後、ものすごい雷の音が響き渡った。
「ひゃああっ…!!」
「うわ、今すごい近かっ…」
その瞬間、ふっと部屋が暗くなる。
「な、何?」
「え、まさか停電?うわー珍しいなあ」
矢野くんがなんということもないように暗くなった部屋でスマホの懐中電灯を起動させながら、部屋の中で立ち尽くしている私の手を掴んで引き寄せた。
「まあ、そのうちつくでしょ」
「…そ、そうだね……」
「え、美緒さん?大丈夫?」
「うん、大丈夫。全然、大丈夫…」
「大丈夫じゃなさそうですけど…もしかして、雷のせい?」
聞かれたと同時にぱっと部屋が明るくなった。
「お、つきましたね」と言った矢野くんは私の手首を掴んだまま、こちらを見下ろすと、ぴたりと動きを止めた。目が合ったまま何秒経ったか。思っていたよりも近かった距離への恥ずかしさと、電気がついた安堵が混ざり合い、何とも言えない気持ちになった私は思わずぱっと目を伏せた。
すると、手を引かれ、ソファに座らされる。慰めるように背中をさすられ、そのままぎゅっと抱き締められた。髪を漉くように頭を何度も撫でられながら、あっという間にものすごい音を立て始めた雨の音を聞く。手遅れだった。
「雷、だめなんですか?」
「だ、だめじゃないよ。苦手ってだけで」
矢野くんは少し体を離して、私の指に自分の指を絡めながら笑った。
「それは‘だめ’とは違うんですか?」
「……いちいち雷に大騒ぎしてたら、いい大人がかっこ悪いでしょ」
「俺の前では騒いでくれていいんだけど。ワァーコワイヨー!って」
その怖がり方がさっき見た映画に出てきたキャラクターにそっくりで、思わず吹き出してしまう。
「似てる」
「でしょ」
外ではまだ雷が鳴っている。でももうあまり気にならなかった。
矢野くんがさっきの停電で消えてしまったテレビをもう一度つけると、雨音をかき消すような騒がしいバラエティー番組が流れ始めた。スマホで、天気をチェックするのを横から覗き込む。
「この天気、今日この後ずっと続くみたいですよ。もう注意報出てるとこもあるし」
そんなやり取りをしていると、テレビの画面の上部に臨時の気象情報が表示された。ここからは少し離れた場所の話だったけれど、ここもそのうちに該当箇所になりそうだ。
「電車も遅延してるって」
スマホをこちらに見せながら「うわ、停電したせいで電光掲示板も映ってない」と、SNSに落ちていたであろう最寄り駅の画像を表示する。突然の豪雨で立ち往生している人や、バス停の行列も投稿されていた。最悪である。思わずため息をついた私に、スマホの画面を閉じてから矢野くんが言った。
「……美緒さん」
「ん?」
「今日、もう泊まっていきません?うちに」
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