彼と彼女の話

篠宮華

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いっしょに はいろう

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「圭一さん、スマホ鳴ってます」
「…ん?ああ、本当だ。ありがとう」

 結構な時間鳴っていたのに、圭一さんは一向に出ようとしなかったから、キッチンから声をかけた。
 それまでも、ソファに座ったままじっとタブレットを見つめて何か考え事をしている風だったけど、それにしても着信に気付かないほど上の空なんておかしい。研究関係の考え事をしているときには、書斎に籠るか、いつもノートやレジュメに何か書き付けていることが多いけれど、今日はそれもない。
 電話に出て応対している様子をじぃっと見つめていると、なんということはなく通話終了。

「…大丈夫ですか?」
「ああ、うん。研究室の学生からだった」

 最近 猛暑が続いているし、もしかして体調でも悪いのかもしれないと思って聞いたつもりだったけれど、返ってきたのは仕事の内容。
 泡のついていたお皿を急いで濯ぎ、隣に座ると、彼はきょとんとした顔でこちらを見る。投げ出されていた手を掴み、ぎゅっと握った。

「ん?どうしたの?」
「どうしたのって…それはこっちのセリフです。なんだか圭一さん、今日、ぼーっとしてません?」

 夕飯の洗い物をしていたせいで少し冷たくなった手を彼のおでこに当てる。熱はない。
 目の前で首を傾げるこの人は、以前、研究に没頭するあまり寝食を疎かにして、倒れかけたことがある。だから、何をおいても健康管理だけは私がしっかりとしておかなくてはと密かに注意している。それなのに私の心配をよそに、彼はうっとりと目を閉じた。

「彩花の手、冷たくて気持ちいいね。水仕事、ありがとう」
「もう、そうじゃなくて。具合が悪いとか、相談事とか心配事とかあるんじゃないかって心配してるんですよ」

 すると、彼はぱちりと目を開いて少し驚いたように私を見た。

「相談事か…確かに。相談事だね。彩花にしか出来ない、大切な話だ」

 予想外の返答。
 ふむ、と口に手を当てて、眉間に皺を寄せる様子を見て、一体何を相談されるのかと姿勢を正す。まさか研究のための単身赴任や海外移住?はたまた明日の朝ご飯?いろいろな予想を立てる。
 けれど、投げかけられたのは意外な言葉だった。

「君は、風呂に夫婦で一緒に入ることについてどう思う?」
「…はい?」
「いや、実は昨日、久しぶりに会った同輩にそんな話をされてね」

 よくよく聞いてみると、圭一さんは友達から、初めて奥さんと一緒にお風呂に入った時の話を聞いたのだそうだ。曰く、「自転車で転んで足を怪我をした。患部を濡らしてはいけないと医者に言われたけれど、風呂に入らないわけにはいかない。ずっとついていてもらうのも面倒だから一緒に入ってもらった」とのことだそうで。

「ゆっくり話が出来たり、ガス代も浮いたりで一石二鳥だったって言っててね。そういえば僕たちって一緒に風呂に入ったことないなと思ったんだ」
「ま、まぁ、入ったことはありませんけど、別に一人ひとりで入れば問題は…」
「せっかくだから入らない?これから」

 そんな、散歩に誘うような気軽さで言われても…。そして何が‘せっかくだから’なのか。
 圭一さんは、私がさっきまでおでこに当てていた手をぎゅっと握って指を絡める。

「いや、でもさすがに恥ずかしいというか…」
「えっ、でも僕たち、普段もっと恥ずかしいこといろいろして、」
「そっ…そういうことじゃないです!」
「あぁ、一緒に入りたいなぁ。きっと疲れも吹き飛ぶだろうなぁ」
「うっ……そりゃ疲れはとれると思いますけどやっぱりちょっと……」
「もしかしたら、美容にもいいかもしれないよ?」

 どういう理屈…?
 しかし、彼の瞳は好奇心できらきらしている。
 その目をずっと見ていられなくて俯くと、顔にかかった髪の毛を何気なく耳にかけられて、顔を覗き込まれる。
 期待の眼差し。
 こうなってしまうと、結局従わざるをえなくなることを、私はこれまでの生活から身をもってよく理解している。でも今回は少し粘りたい。のらりくらりとかわし続けたら諦めてくれないだろうか。
 しかし…。

「そうだ、それなら彩花は、身体にタオルを巻いたまま入ればいいよ」
「え?」
「恥ずかしいっていうなら風呂場の電気も消すし、ね。そうしよう」

 彼はそう言いながら私の答えを待たずに、立ち上がる。そして、「自分の着替えを持っておいでね」と最後に音符マークでもつきそうな上機嫌でバスルームに向かってすたすたと歩いていったのだった。









「彩花ー?大丈夫ー?」

 暗い浴室から聞こえるのは自分の名前を呼ぶ呑気な声。項垂れながら、私は着ていたシャツに手をかける。今まで家族以外の異性とお風呂に入ったことなんかもちろんない。けれど、彼は旦那さんだし、きっと悪いことではないのだろうとも思う。本当にお風呂場の電気を消してくれているし、実際に圭一さん本人はどうってことなさそうに見えなくもない。
 肩につくくらいまで伸びていた髪の毛をクリップでひとつにまとめ、意を決して 浴室の外から声をかける。

「あの、ちょっと壁の方向いててくれませんか?」
「壁?」
「ちゃんと一緒に入るので…でもその、やっぱりちょっと恥ずかしいから…」

 ああ、と納得がいったような声が聞こえて、小さく水音が聞こえる。

「いいよ、背中向けてるからいつでも入っておいで」

 そっと浴室の扉を開けると、本当に壁の方を向いて髪をかき上げている彼の背中が見えた。
 広い肩幅と、すらりとした腕。職業柄、日頃あまり運動をしないし、結構痩せ型で比較的色白な方だと思うけれど、身長は190cm近いし、骨格がしっかりしているから、服を脱ぐとすごく大きく見える。抱き締められるとすっぽり覆われるようで安心できる。
 でも今はそんな姿に見惚れている暇はない。

「そのまま!そのままでいてください!!」

 私は大急ぎでお湯を浴び、髪を洗い、身体を洗い、タオルを身体に巻き直す。薄暗かったけれどだんだん目が慣れてきて、どうにかやりきることができた。その間、圭一さんはくすくす笑いながら、壁の方を向いたまま待っていた。

「あ、入る?」
「は、はい…」

 どうぞ、と圭一さんが浴槽の中を少しだけ右側に移動する。そして生まれた空間に、私は片足を踏み入れた。うちのお風呂は結構広い。大人が二人並んで入ってもゆとりがあるくらいの広さがある。だからこそ転ばないように、何事も起きないようにと祈りつつ、そっと湯船に身体を沈めた。横並びで二人が壁を向いている。なんとも不自然な光景ではある。
 すると、隣から案の定腕が伸びてきた。

「ちゃんと肩まで入らないと冷えちゃうよ」

 大きな掌が肩をそっと包む。ゆっくりと身体の向きを変えられて、背後からそっと抱き締められた。薄暗い浴室に、ちゃぷちゃぷと水音だけが聞こえる。肩に当たる肌の感触が何だかいつもと違うように感じる。びくびくしている私の耳元で、圭一さんは笑いながら言う。

「身体がすごく強張ってるね。風呂に入ったら、普通は力が抜けるものなのになぁ」

 …これが強張らずにいられるわけがないでしょう!
 少しからかうように言われて、言い返そうと後ろを向いたとき、目元にちゅっと音を立てて小さなキスが落とされた。その動きがあまりに自然で反論を飲み込んでしまう。
 一瞬 時間が止まったかのような短い沈黙。
 薄暗い中で、瞳だけがぎらぎらと光っているように見える。
 その後、圭一さんは呟くように言った。

「…想像以上だな。これは」
「想像以上ってな……んっ…」

 噛み付くような口づけ。
 向き合うように身体の向きを変えられて、再び唇が重ねられる。後頭部を抑えられ、舌が歯列をなぞるように動き回り、口の中を蹂躙する。

「んぅ……ふぁ…っ」
「…彩花、ちゃんと息してね」
「わかってま……ぁっ!」

 あんなにしっかりと巻いたはずのタオルが、強く抱き締められたせいで身体から滑るように湯船の底へ沈む。圭一さんは、私の鎖骨や肩に唇を這わせながら、水を吸って重くなったタオルを拾い上げ、浴槽の縁にかけた。
 突然の激しいキスにぼぅっとしていたら、軽々と持ち上げられ、彼の足が伸ばされた上にへたり込むように座らされる。丁度私が彼を見下ろすような体勢になり、顔から火が出そうなほどの羞恥を覚える。慌てて彼の肩に額を当てて顔を隠そうとしたのに、そうする前に胸の先端を口に含まれて、声が漏れた。

「ひゃぁっ…」

 彼は片方の手で私の胸をやわやわと揉みしだき、もう片方の手で太腿や脇腹を撫でる。舌の先で胸の突起を転がすように舐められて、身体が仰け反る。

「…お風呂に、入ろうって…言ったじゃない、ですか…っ」
「んー?まぁ、間違ってはいないでしょう」

 胸の突起をしゃぶりながらそう返事をされて、その快感に腰が引けそうになるのに、それも許さないというように、腰に添えられた手にぐっと引き寄せられる。彼の昂ったものがお腹に当たった。

「こ、んな、こと、するなんて、言ってなか…ぁっんん…!」

 耳をぴちゃぴちゃと舐められて、鼓膜にダイレクトに響く水音に身を捩ると、心底楽しそうに笑ったのが首筋にかかった吐息でわかった。
 胸を弄っていた手がすっと下へ動く。

「これだと、お湯が入っちゃうね。…ちょっと立てる?」

 ざばりという音と共に腕を引っ張られ、浴室内の窓の縁に掴まっているように促される。何が何だかわからないまま言われたようにすると、腰骨の少し上の辺りに、彼の硬くなったものが当たった。
 伸びてきた手が足の間に入り、ぐぐっと秘裂を指が押し広げる。

「ここがとろとろしてるのはお湯のせい…じゃないよね」

 嬉しそうに笑った彼にゆっくりと花芯をなぞられて、嬌声が漏れる。音が反響する浴室の中で、私はどうにかそれを飲み込むために口を押さえようとするのだけど、身体から力が抜けてしゃがんでしまいそうになるのを堪えるので精一杯だった。

「お、おねが……いじわる、言わないで…」
「……たまらないな」

 彼が指を奥にずぶずぶと突き入れる。内壁のいいところを探るように手首を返しながら、容赦なくそこを蹂躙していく。

「あぁぁあっ…!!」
「彩花、頑張って立ってて」

 あっという間に足腰ががくがくしてきた私の腰を片手で支えながら、もう片方の手で奥にある快感を引きずり出そうと、彼は何度も指を往復させる。
 サウナ状態になった浴室の中で、汗なのかお湯なのかわからなくなった液体でべたべたの身体が重なり合う。

「やだぁっ…!もう、無理ぃ…っ」
「うん…僕も無理かも。挿入れていい?」
「わ、ざわざ、聞かないで…」

 足を少し開くように促されて、素直に従うと、彼のものが後ろからぐぐっと一気に入ってきた。よく濡れてほぐされたそこは、自分でも驚くほど簡単に彼を飲み込む。まるで彼の形になってしまったようだ。
 ゆっくりと様子をうかがうように動き始めた圭一さんは、覆い被さるように私の胸に手を伸ばした。焦らすような動きによって生まれるじりじりとした快感に、お腹に回された腕を掴んで耐える。

「あっ、はぁっ、け…いちさ……あつい…」
「うん、暑いね。気持ちいい?」
「んっ、き、もち、いいっ…けどっ…あつ、い…のっ」
「そうか。のぼせるのはまずいね」

 その声をスタートに、少しずつ抽送が速くなる。後ろから、耳元で囁くように話しかけてくる圭一さんの声をぼんやりと聞きながらされるがまま揺さぶられる。

「ふあっ、んっ、あっ、うぅ……っ!」
「ねぇ、またこうして一緒に風呂に入ってくれる?」
「えっ、や、やだっ…だってそしたらまた…っ」
「ということは今日が最後か。それは残念だな。じゃあまだもう少し入っていようか」
「えっ、んぅ…やっ、やだぁ…!も、むりなのっ…!」
「うーん。でもそうするとほら、せっかく今日一緒に入ったのに次いつ入れるかわからないってことになるよね。それじゃあ出るのが勿体無い」

 尤もな言い方をしているけれど、そもそも彼が一緒にお風呂に入ろうと言ったのは「ゆっくり話が出来たり、ガス代も浮いたりで一石二鳥だった」という話を聞いたというのが理由だった。こんな行為をするためではなかったはず。こんなときにそんな言い方をするなんて卑怯だ。
 でも今の私にそんな冷静な言い訳をするほどの余裕はない。

「はいるっ…またいっしょにっ…だから…」
「本当?今度は電気を消さなくてもいい?」
「いい…っ!いいです、から…だからもう……っ!」
「そうか…よかった。じゃあまた一緒に入ろうね。彩花」

 名前を呼ばれ、頤に手をかけられ、顔を後ろに向ける。身体が熱くて何が何だかわからない上、かなり苦しい体勢なのに、彼の微笑んだ顔が見えてほっとする自分に、内心呆れる。

「愛してる」

 甘い言葉と優しいキスと一緒に、私は全身で彼のことを受け止めた。







「ごめんごめん」
「……」
「いや、最初は本当にゆっくりお湯に浸かるつもりだったんだけど」
「…けど?」
「彩花を見ていたら気持ちが盛り上がってしまったというか…」

 ベッドに並んで横になり、頭を撫でられる。
 結局 あの後私は軽くのぼせてふらふらになってしまった。さすがに焦った彼は私をタオルで包み、ベッドに運んだ。それからは甲斐甲斐しく世話を焼かれ、口移しで水を飲まされたり(これは完全に彼がしたいからしただけだと思うけれど)髪を乾かしてもらったり、氷枕を当てられて冷たくないか温くないかを何度も聞かれたりした。さすがに下着をはかせようとしてきたときは断固拒否したけれど。
 私は小さく溜め息をつく。

「圭一さん、ずるいです。そんな風に言われたら、怒る私が悪いみたいじゃないですか」
「いや、でも本当のことだから。でも、ただでさえ君のことが好きでどうしようもないのに一緒に風呂なんて入ったら正直どうなるかなんてわかりきって……いや、これ以上言ったら墓穴を掘りそうだからやめる。ごめん」

 申し訳なさそうにぺこりと頭を下げる姿を見て、自分の顔が熱くなるのを感じる。もうほとんど全部言っちゃってますけど…と突っ込みたいところだけど、何だか力が抜けてしまう。
 そもそも彼の誘いにのってしまった私の方もこんなことになる理由の一端である。本当に嫌ならきっぱり断ればよかったのだから。そう、圭一さんは、私が本当に嫌がることは絶対にしない。押したらいけそうだと思われるくらいの抵抗だったのだ。多分。
 そんな私の様子を感じ取ったのか、彼はこちらの機嫌を伺うように尋ねる。

「今度はこんなことがないようにするから」
「…今度があるんですか?」
「いや、風呂場でそう言って…いや、でも…うん……うーん…まぁ、君さえよければ、だけど…」

 こんなに自信がなさそうにぼそぼそと話す彼の姿はなかなか見られない。きっと、彼にとってはこれが必死なのだろう。普段は優しくて大人なのに、時々こういうぶつけるような愛情表現(と、後に大反省)をすることがあるのだから、なんだかおかしい。

「考えておきます。リベンジですよ」

 よかった、と。
 心からほっとしたように微笑んだ顔を見て、ついこちらまで笑ってしまう。‘恋は盲目’とはよく言ったもので、‘好き’という気持ちは、多少の理不尽くらいなら吹き飛ばすほどの力をもつのだ。
 そして、今度からお湯が白くなるような入浴剤を買っておこうと心に決めるあたり、私もまんざらでもないのかもしれない。


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