彼と彼女の話

篠宮華

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まぶしいもの

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 昔から勉強がよくできた。

 物心ついたときから、大体のことは一度聞けば覚えられたし、新しく学習したことが自分の元々知っていたことと繋がっていく感覚が好きだった。
 小学校は公立に進んだけれど、中高は都内有数の進学校に進んだ。親は仕事で忙しかったこともあり、基本的には放任主義だった。「圭一は何を考えているかよくわからない」と言われることが多かったけれど、問題を起こさず成績優秀でさえいればなんの文句もない。進学先についての相談も、ほぼ決定事項を報告したようなもので。「思っていたよりも案外ちゃんと考えていたんだな」などと言われたけれど。
 結果的に利害が一致するような形で、大学も都内で一番の難関大と言われるところへ進んだ。研究室で朝から晩まで毎日研究に明け暮れる日々。

 素直に、楽しかった。
 自分と同じように学びを深める仲間がいることが。それを見守ってくれる師がいることが。研究はうまく進むことばかりではなかったけれど、仮説が立証されたり、自分の目で事象を目の当たりにしたときのあの感覚は何物にも変え難かった。
 就職活動をする時間が勿体無い、と。迷うことなく大学院に進んだ。そんな僕を研究室の教授も気に入ってくれたようで、いろいろな学会や研究会に帯同させてくれた。

 しかし、ある時。

「これ…僕の…」

 何気なく研究室に置かれていた最近発売されたばかりの専門雑誌に寄稿されていた記事。たまたま目にしたそれの内容が、ついこの間自分がまとめた研究レポートと酷似していることに気付いたのは、博士課程に進んでしばらく経った頃だった。

 気のせいじゃない。
 だってこれ、何度も実験して…。

 しかしその記事に、当然のことながら自分の名前はない。心臓が早鐘を打つようだった。雑誌を手に 立ち尽くす僕に、後から部屋に入ってきた教授は「ああ」となんということもないように言った。

「その雑誌、何冊かあるからあげようか」
「あ…いえ…」

 メンターとして、教授からアドバイスを受けたことはあったから、共同研究だったと言われてしまえばそうかもしれない。それに僕のは正式な論文ではなく、ただのレポート。
 でも、ほぼ一言一句同じと言っても過言ではないような内容のそれを、そっくりそのまま自分のもののように発表するのは、筆頭著者云々どころか…剽窃にあたるのではないかと。

 しかし当時の自分にはそれを指摘する力も、立場もなかった。

 大好きなことを研究できることは幸せなことだ。自分の研究がその分野における礎になるのなら、それでいい。それは紛れもない事実。でも、一生懸命向き合ったものを、他人が自分のもののように扱うのを見るのはやはり苦しかったし、信頼していた相手にそれをされたことがあまりにショックだった。
 これまでの学生生活が、頭の中をぐるぐると回り、その日はどうやって家に帰ったのか思い出せない。ずっと一人で学んでいればよかったのか。誰かに自分の考えを話さなければ、教えを乞わなければ。ずっと。一人で。

 …とはいえ、しがない大学院生だ。それからも、もちろん研究は続けた。しかし、なんとなくこれまでと同じような気持ちでは没頭することができずにいた。やはり就活をした方がいいだろうか、タイミングが遅すぎるだろうかなどとぼんやり考え始めていたところへ、以前見学させてもらった研究会で知り合った別の大学の教授から「院を卒業したら、こっちを手伝ってくれない?」と声を掛けられた。
 博士課程まで進んだ後の進路となると難しいものがあるらしいと聞いたこともあったから、ありがたい話だった。そんなわけでその教授のいる大学で研究を続けながら、非常勤講師をすることになった。

 それからは、何かを振り切るように、より一層研究に明け暮れた。非常勤講師としての仕事もあったから結構忙しかったけれど、そうしていれば、いつまでも言い知れないもやもやしたものを、考えなくても済むような気がして。
 空腹をやり過ごすための最低限の食事に、細切れ睡眠。眠るときは半分気絶するような形だった。ある時、さすがにやばそうに見えたのか、研究室の学生に「外の空気でも吸ってきてください」と心配された。

「桐原さんに倒れられたら困ります」

 そして、まるでフラグを回収するように、大学のキャンパス内で倒れたのは、そんな毎日を送っていたときだった。







「彩花が来てくれたとき、天使みたいだなって思ったんだ」
「…大袈裟過ぎます」
「いや、本当に」

 陳腐な表現であれだけど、本当にそう思ったし、今でもそう思っている。

 日陰に設置されたベンチで休もうかと思っていたところ、急な眩暈に襲われた僕はその場に蹲るようにしゃがみ込んだ。
 きっと軽い貧血か何かだろうから少し休めば大丈夫だとは思いつつも、たまたま人通りの少ない時間帯と場所だったこともあり、やや不安になってきたときに、声を掛けてくれたのが彼女だった。

「私は圭一さんのこと、不審者かなって思ってました」
「…確かに怪しかったもんね」
「まさかお付き合いが始まって、旦那さんになるなんて思ってませんでした」

 今日は久しぶりにお互いの休みが重なったため、二人で二度寝をし、いつもより遅くまでベッドでごろごろしていた。
 ようやく起きようかというところで懐かしい話になったのだった。

「それに、こんな風に私の寝坊に付き合ってくれるとも思ってなかったし、こんなに寝癖がつきやすい髪質の人だとも思ってなかったです」

 横になって体をぴたりとくっつけながら、うふふと微笑む彼女を、ぎゅっと抱き締める。



 助けてもらったことがきっかけでなんとなく連絡を取り合うようになり、親しくなるのにそう時間はかからなかった。
 学部は違うし、僕の講義を彼女が選択することもなかった。学内で重なる部分がほぼ全くなかったこともあり、あまり教員と学生という雰囲気ではなかったことも、今となっては理由の一つだったかもしれない。
 彼女と親しくなってから、感情豊かにくるくると表情を変える素直なその姿に、気付かされるものがたくさんあった。口に出さなくては伝わらないことが、自分が思っているよりも多いということにも。
 人とのコミュニケーションが苦手だった僕に、彼女は『圭一さんはいつも何を考えているか、かなり顔に出てるから気を付けてくださいね』などと事あるごとに言った。そうして、僕は初めて「何を考えているかよくわからない」と言われてきたことが自分にとっては小さなコンプレックスだったのだと気付いた。

「今の僕は、彩花のおかげなんだよ」

 腕の中からこちらを見上げてくる視線を受け止めながら額に唇を落とすと、彼女はまた「大袈裟です」と笑った。


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