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いってらっしゃい
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カーテンの隙間から朝の光が差し込んでいる。
薄明るい寝室のダブルベッドの上でゆっくり目を開けると、向かい合うように眠っている愛しい彼女の寝顔が飛び込んでくる幸せに目を細める。昨日も随分遅くまで肌を合わせていたため、腕の中でぐっすりと眠り込んでいる。ちょっと無理をさせたかもしれない。肩が寒そうだったから、ブランケットをかけ直すと、一瞬寝息が少し大きくなってから、また静かになった。
顔にかかっていた髪を後ろへ流すように梳く。さらさらと伸びた髪の毛は細くて柔らかい。ふっさりと長い睫毛に縁取られた大きな瞳は閉じられている。
ずっとこのまま眺めていたいけれど、生憎今日は仕事の打ち合わせがある。もう間もなく家を出る準備をしなくてはならない。彼女はというと、今日は休みだ。眠る彼女が目を覚さないようにベッドをそっと抜け出す。
キッチンへ行き、お湯を沸かす。彼女がいれば一緒に食べるけれど、一人の時は基本的に眠気覚ましのコーヒーくらいしか飲まない。ペーパーフィルターをセットし、粉を入れる。
こぽこぽと音を立てるコーヒーメーカーを眺めながら、小さく息をつくと、かちゃりと寝室の扉が開く音がした。
「あれ、起きたの?まだ寝てていいのに」
「うん…でも圭一さん起きたから」
気が抜けてぼんやりしたような目でこちらをちらりと見てから、ぺたぺたと歩いてソファに座る。
手近にあった服を身につけたのか、僕が寝る前に着ていたTシャツを着ている。僕ですら少し大きいと感じるそれは、彼女が着ると少し丈の短いワンピースのようになる。太腿が露になったその姿は、いつも男心を掴む。というか、掴み過ぎる。
「…この間も言ったけど、それは目に毒だな」
「んー…でも近くにこれしかなかったんだもん…」
半分寝ぼけているのか、話し方が幼い。にしても、朝に弱い彼女が休みにもかかわらず僕の起床に合わせて起きてくるのは結構珍しい。嬉しいけれど、仕事に行きたくなくなってしまうから微妙なところだ。
自分の分のコーヒーをマグカップに注ぎ、彼女のマグカップにはほんの少しのコーヒーとたっぷりの牛乳を入れる。
「彩花はまだ寝てていいんだよ。今日休みなんだから」
「やだ…今日こそ……」
何だかむにゃむにゃ言っている。この状態の彼女と話すのは面白いから、わざわざ覚醒させるようなことはしない。リビングのローテーブルに彼女のマグカップを置いて、隣に座る。
膝を抱えてソファに座る彼女を見ると、ぶかぶかな俺のTシャツに両足を入れて、丸い塊のようになっていた。可愛い。
コーヒーを飲みながら、彼女の頭を撫でる。
「カフェオレ置いたよ」
「んー…」
まだぼんやりと視点の合わない彼女を横目で見ながら、いつものように何気なく声をかける。
「彩花、好きだよ」
「んー…私もすき…」
「えっ、君も僕のことが好きなの?」
「ん。すきー…」
この何気ない告白に対する反応が面白くて、くすぐったくて、彼女が寝惚けていると よくしている。わざと白々しく返しては、心の中で幸せな余韻を味わっている、なんて、言ったことはないけれど、寝ぼけている彼女の記憶に残っているのだろうか。
「そうなんだ。じゃあ同じだね」
「そうです。でも、」
― たぶん、私の方がすき。
呟くような言葉と共に、こてんと肩に寄り掛かってきた重み。
胸をぎゅっと掴むような言葉に、持っていたマグカップを取り落としそうになる。
返りうちにあったかのような甘い衝撃。
顔が熱くなってきたのが、頬に触れなくてもわかる。額をすり、と肩にこすりつけるようにしてから、聞こえてくる吐息が悩ましい。
平常心を装い、彼女の頭が動かないように腕を伸ばして、ローテーブルに自分のマグカップを置く。
ゆっくりと身体を彼女の方へ向けて、そっと抱き締めると、少し身動ぎした後、ふふっと小さな笑い声が聞こえた。
「あれ、起きてる?」
返事はない。
幸せな夢でも見ているのか。うっすら微笑んでいるように見えるのは気のせいではないように思う。
腕の中で安心しきったように眠るその姿に、何だか泣きたくなるような幸福を感じる。
「……やっぱり僕の方が、君のことを好きだと思うな」
その笑顔が好きで、考え込む表情が好きで、些細なことで涙ぐむくせに歯を食いしばって涙がこぼれないようにするところも好きで、むっとしたようにこちらを見る目も好きで。
一人で生きていくことを諦めるほど、君のことが好きでたまらなくなってしまった。…なんて言ったら、どんな顔をするか。
小さく息をついてから、彼女の背中に手を添えて、膝の裏に手を差し込む。
よいしょと持ち上げると、彼女がばちっと目を開けた。
「ん…っ!?うわわっ!」
「うぉっ!!痛っ」
急に覚醒した彼女の額が、僕の額と思い切りぶつかった。
「ご、ごめんなさい!っていうか、なんで私抱っこされて…っ…!!」
「ちょっと 急に動かないで、落としちゃうから」
「そ、そんな、だって怖…あ、ていうか!駄目です!私今日はお見送りをちゃんとしようと思ってたんですー!」
気が動転したのか じたばたし始めた彼女を本気で落っことしそうになり、渋々下ろす。
「お見送りなんて、別にいいのに」
「駄目です!今日は決めてたから」
それから、彼女は僕が出勤するまでの間 忙しく動き回り、簡単な朝食を用意してくれた。朝食を食べる気はなかったから、ありがたいやら申し訳ないやらという気持ちだったけれど、正面でカフェオレを美味しそうに飲む姿を見ていたら、とても貴重な時間のように思えてきて、気持ちが和らいだ。
そして、僕が荷物を準備している間に、いつの間にかぱぱっと準備をして、'目に毒'だった格好から着替えている。少し残念だけど、その速さに感心した。
そんなわけで後ろ髪を引かれながら、玄関で靴を履く。
「朝からごめんね。本当は寝かせておいてあげたかったんだけど」
「いえ、全然。こちらこそ、お仕事お疲れ様です」
鍵を開けて外に出ようとしたとき。
「あ、圭一さん!」
「ん?」
急に大きな声で呼び止められて何かと思い 振り返ると、大きく開かれた細い腕にぎゅっと捕らえられた。胸にぐりぐりと頭を押し付けられ、すぐにぱっと離れる。彼女の顔がほんのり赤い。
「行ってらっしゃいのキスはちょっと恥ずかしかったから…」
普段スキンシップが積極的な方ではない彼女からの触れ合いに、一瞬嬉しさで息が止まりそうになる。だから。
「……君はどうしてそういう不意打ちをするのかな」
「え……や、ちょ…んぅ…っ!」
…僕がそんなことをされて我慢できるわけもなく。
お返しのように、熱烈なキスをしてから出勤したことは言うまでもない。いや、むしろキスくらいで済んだことを褒めてほしいくらいだと、図々しくも思いながら電車に揺られたのだった。
薄明るい寝室のダブルベッドの上でゆっくり目を開けると、向かい合うように眠っている愛しい彼女の寝顔が飛び込んでくる幸せに目を細める。昨日も随分遅くまで肌を合わせていたため、腕の中でぐっすりと眠り込んでいる。ちょっと無理をさせたかもしれない。肩が寒そうだったから、ブランケットをかけ直すと、一瞬寝息が少し大きくなってから、また静かになった。
顔にかかっていた髪を後ろへ流すように梳く。さらさらと伸びた髪の毛は細くて柔らかい。ふっさりと長い睫毛に縁取られた大きな瞳は閉じられている。
ずっとこのまま眺めていたいけれど、生憎今日は仕事の打ち合わせがある。もう間もなく家を出る準備をしなくてはならない。彼女はというと、今日は休みだ。眠る彼女が目を覚さないようにベッドをそっと抜け出す。
キッチンへ行き、お湯を沸かす。彼女がいれば一緒に食べるけれど、一人の時は基本的に眠気覚ましのコーヒーくらいしか飲まない。ペーパーフィルターをセットし、粉を入れる。
こぽこぽと音を立てるコーヒーメーカーを眺めながら、小さく息をつくと、かちゃりと寝室の扉が開く音がした。
「あれ、起きたの?まだ寝てていいのに」
「うん…でも圭一さん起きたから」
気が抜けてぼんやりしたような目でこちらをちらりと見てから、ぺたぺたと歩いてソファに座る。
手近にあった服を身につけたのか、僕が寝る前に着ていたTシャツを着ている。僕ですら少し大きいと感じるそれは、彼女が着ると少し丈の短いワンピースのようになる。太腿が露になったその姿は、いつも男心を掴む。というか、掴み過ぎる。
「…この間も言ったけど、それは目に毒だな」
「んー…でも近くにこれしかなかったんだもん…」
半分寝ぼけているのか、話し方が幼い。にしても、朝に弱い彼女が休みにもかかわらず僕の起床に合わせて起きてくるのは結構珍しい。嬉しいけれど、仕事に行きたくなくなってしまうから微妙なところだ。
自分の分のコーヒーをマグカップに注ぎ、彼女のマグカップにはほんの少しのコーヒーとたっぷりの牛乳を入れる。
「彩花はまだ寝てていいんだよ。今日休みなんだから」
「やだ…今日こそ……」
何だかむにゃむにゃ言っている。この状態の彼女と話すのは面白いから、わざわざ覚醒させるようなことはしない。リビングのローテーブルに彼女のマグカップを置いて、隣に座る。
膝を抱えてソファに座る彼女を見ると、ぶかぶかな俺のTシャツに両足を入れて、丸い塊のようになっていた。可愛い。
コーヒーを飲みながら、彼女の頭を撫でる。
「カフェオレ置いたよ」
「んー…」
まだぼんやりと視点の合わない彼女を横目で見ながら、いつものように何気なく声をかける。
「彩花、好きだよ」
「んー…私もすき…」
「えっ、君も僕のことが好きなの?」
「ん。すきー…」
この何気ない告白に対する反応が面白くて、くすぐったくて、彼女が寝惚けていると よくしている。わざと白々しく返しては、心の中で幸せな余韻を味わっている、なんて、言ったことはないけれど、寝ぼけている彼女の記憶に残っているのだろうか。
「そうなんだ。じゃあ同じだね」
「そうです。でも、」
― たぶん、私の方がすき。
呟くような言葉と共に、こてんと肩に寄り掛かってきた重み。
胸をぎゅっと掴むような言葉に、持っていたマグカップを取り落としそうになる。
返りうちにあったかのような甘い衝撃。
顔が熱くなってきたのが、頬に触れなくてもわかる。額をすり、と肩にこすりつけるようにしてから、聞こえてくる吐息が悩ましい。
平常心を装い、彼女の頭が動かないように腕を伸ばして、ローテーブルに自分のマグカップを置く。
ゆっくりと身体を彼女の方へ向けて、そっと抱き締めると、少し身動ぎした後、ふふっと小さな笑い声が聞こえた。
「あれ、起きてる?」
返事はない。
幸せな夢でも見ているのか。うっすら微笑んでいるように見えるのは気のせいではないように思う。
腕の中で安心しきったように眠るその姿に、何だか泣きたくなるような幸福を感じる。
「……やっぱり僕の方が、君のことを好きだと思うな」
その笑顔が好きで、考え込む表情が好きで、些細なことで涙ぐむくせに歯を食いしばって涙がこぼれないようにするところも好きで、むっとしたようにこちらを見る目も好きで。
一人で生きていくことを諦めるほど、君のことが好きでたまらなくなってしまった。…なんて言ったら、どんな顔をするか。
小さく息をついてから、彼女の背中に手を添えて、膝の裏に手を差し込む。
よいしょと持ち上げると、彼女がばちっと目を開けた。
「ん…っ!?うわわっ!」
「うぉっ!!痛っ」
急に覚醒した彼女の額が、僕の額と思い切りぶつかった。
「ご、ごめんなさい!っていうか、なんで私抱っこされて…っ…!!」
「ちょっと 急に動かないで、落としちゃうから」
「そ、そんな、だって怖…あ、ていうか!駄目です!私今日はお見送りをちゃんとしようと思ってたんですー!」
気が動転したのか じたばたし始めた彼女を本気で落っことしそうになり、渋々下ろす。
「お見送りなんて、別にいいのに」
「駄目です!今日は決めてたから」
それから、彼女は僕が出勤するまでの間 忙しく動き回り、簡単な朝食を用意してくれた。朝食を食べる気はなかったから、ありがたいやら申し訳ないやらという気持ちだったけれど、正面でカフェオレを美味しそうに飲む姿を見ていたら、とても貴重な時間のように思えてきて、気持ちが和らいだ。
そして、僕が荷物を準備している間に、いつの間にかぱぱっと準備をして、'目に毒'だった格好から着替えている。少し残念だけど、その速さに感心した。
そんなわけで後ろ髪を引かれながら、玄関で靴を履く。
「朝からごめんね。本当は寝かせておいてあげたかったんだけど」
「いえ、全然。こちらこそ、お仕事お疲れ様です」
鍵を開けて外に出ようとしたとき。
「あ、圭一さん!」
「ん?」
急に大きな声で呼び止められて何かと思い 振り返ると、大きく開かれた細い腕にぎゅっと捕らえられた。胸にぐりぐりと頭を押し付けられ、すぐにぱっと離れる。彼女の顔がほんのり赤い。
「行ってらっしゃいのキスはちょっと恥ずかしかったから…」
普段スキンシップが積極的な方ではない彼女からの触れ合いに、一瞬嬉しさで息が止まりそうになる。だから。
「……君はどうしてそういう不意打ちをするのかな」
「え……や、ちょ…んぅ…っ!」
…僕がそんなことをされて我慢できるわけもなく。
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