春は手段を選ばない

篠宮華

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会えない時も

9.アドバイス

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「春日、当日のスタッフの手配のことなんだけど」
「今朝言ってた発注の件、役員にも一応共有しといてくれる?」
「M社の連絡、窓口になってたの春日だよね?」

 座る間もなく矢継ぎ早に飛んでくる質問や指示。「忙しくなってくると、こっちもよくわからなくなってきて慌てちゃうから、そういう時こそ落ち着いてね」とよく桃子さんに言われていた教えを守り、どうにか平常心を保っているが、正直ぎりぎりだ。

 海外事業部に異動して初めて中心となって担当した大きな案件が、まもなくスタートしようとしている。
 引き継ぎを受けた時はこんな大きな話になっていくとは思っていなかった。はじめのうちは嬉しい気持ちが強かったが、次第にその責任の重さがしんどくなってきていた。

 何より、桃子さんに会えないのは違う。付き合い始めてから、桃子さんの家に毎日のように通い詰めていたから、会いに行けなくなってからの反動がすごい。
 まじで無理。充電したい。桃子さんを抱き締めて、その匂いを全力で吸い込みたい。キスしたいし、頭のてっぺんから爪先まで撫で回してべったべたにしたい。足りない足りない足りない。

 どこにぶつけたらいいのかわからない苛立ちが募りながらも、仕事は待ってはくれない。

 そんな時。

「春日、ちょっといいか」

 山岡課長に呼び止められる声にはっとして振り返ると、「疲れた顔してんなー」と苦笑される。

「いい加減に休憩しろ。業務命令」
「いや、でも…」
「じゃあ俺の休憩に付き合え」

 しなくてはならないことが山のようにある。あれとか、それとか、これとか。それなのに結局、無理矢理休憩スペースに連行された。







「最近毎日最後なんだって?退勤」
「まあ…はい」
「ちゃんと寝れてんのか?」
「寝れてます」
「えー?ほんとかよー?」

 疑うように言われたけれど、割と眠れてはいた。というか、眠ることしかしていないと言った方がいいか。
 ばたばたと仕事をしながら合間に適当に軽食をつまんで、夜遅くに家に帰ったらスーツだけ脱いでそのまま倒れるように寝てしまう。朝起きて、寝落ちしたことを大後悔しながらシャワーを浴びてどうにか目を覚まし、コーヒーだけ飲んで出勤する。ここ一週間はそんな感じの日々だった。

「今、詰めの時期だとは思うけど、スタート直前で力尽きて倒れるとかなったら、逆に周りに迷惑かけることになるぞ」
「…はい」
「ちなみに、そんなことになりそう?」
「いや…うーん、ならないようにしてるつもりではあります、けど…」
「俺、今日で今動いてるやつがひと段落するんだけど、そしたらそっちのサポート入ってもいい?」

 お前だけじゃ頼りないからサポートに入らせろ、ではなく、あくまでもこちらに最終決定を委ねるような確認の仕方。山岡課長の余裕と気遣いが見えて、ありがたい一方で、同時にほんの少しの情けなさも感じてしまう。

「でも…」
「その分だと花山にも会えてないだろ?」
「……はい」
「春日ってほんっとわかりやすいな!」

 俺の項垂れた様子を見て、心底楽しそうに笑いながら、山岡課長は「ま、花山と会えてるならこんな疲弊しきってないか」と俺の背中をばしんと叩いた。

「頼れないやつは倒れるぞ」
「……」
「春日の真面目なところは買ってるけど、一人で自分を追い込むところは直した方がいい」
「追い込んで…ますかね?俺」
「いや、もう追い込み過ぎ。顔からしんどそうなオーラががんがん出てるよ。菅原とか、他のやつもみんな心配してる」

 「頑張れよ」とは言われたけれど、「大丈夫?」と声をかけられることはなかったから、そんな風に思われているとは思ってもいなかった。
 でも、あの先輩だったらもっと要領よくやれるんだろうなとか、俺じゃない人間がやった方がよかったんじゃないかとか、誰かと比べて落ち込むことは、ここ最近多かった。

「周りが見えてなかったです…すいません」
「いや、そんなことはない。春日はめちゃくちゃよくやってるよ。だからこそ、こんな若いうちに背負い込んで潰れないでほしい。そんでもって春日を上司としてちゃんとサポートするのが俺の仕事」

 急に真面目なトーンでそんなことを言われて、その顔をぽかんと見つめてしまうと、山岡課長は「だから、俺にも仕事を頂戴?」と揉み手をしながらにやにや笑う。
 わざとおどけて見せるその様子に、この人には頭が上がらないなと改めて思う。

『大知くんはもうちょっと自分のこと褒めてあげて』
 この間、桃子さんにも言われた。
 もう少し自分を、そして周りを信じてみた方がいいのかもしれない。

「なんかいろいろすいませんでした…後でもう少し具体的に進捗状況を共有させてもらってもいいですか」
「もちろん」

 ゴミ箱に飲み終えたコーヒーの紙コップを入れようと立ち上がると、「あ、でもその前に」と、山岡課長が何かを思い付いたように言う。

「忙しいところ悪いんだけど、総務部におつかい行ってきてくんない?届けてほしいファイルがあるんだよな」
「総務部…」
「大好きな花山センパイと会えるといいな。でもちゃんと帰って来いよ?」

 最近は、チャットや社内クラウドを使ってやり取りすることが増え、他の部署に足を運ぶことはほとんどない。そんな中、わざわざ総務部まで行く用事なんておそらくなかっただろう。
 その飄々とした様子をじっと見つめると、山岡課長は「俺って意外といい上司だろ?」と笑った。


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