魔力なしと虐げられた令嬢は孤高の騎士団総長に甘やかされる

橋本彩里(Ayari)

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黒いもや②

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 私はさっそく準備をしてディートハンス様の部屋へと向かった。
 容体の報告をフェリクス様たちしに部屋を出た時よりも、美しい顔の眉間にしわが寄ってしんどそうである。
 そのまま額に浮かぶ汗を拭うと同時に、少しでも解れたらいいなとそろそろと手を伸ばし、その眉間をちょんと押してみる。

「んっ」

 小さな呻き声を上げ、その美しい相貌が歪められた。それらを見つめ、知らず知らず溜め息がこぼれ落ちる。
 ディートハンス様は小さく身じろいだが、起きる気配はない。

「しんどうそう……、え、もや?」

 じっとその姿を眺めていると、違和感に気づく。ディートハンス様の周囲が薄く黒くもやみたいなものがゆらりと揺れたように見えた。
 ぞくりと肌が粟立つ。

 気のせい?
 再度凝視してみるけれど今は何も見えない。

 先ほどの腹の底から圧迫するような違和感を気のせいにするにはまだお腹あたりがぞくぞくして、確かめるように手を伸ばすとディートハンス様の手が伸びてきてがしりと腕を掴まれる。

「わっ!?」
「……くるし、……」
「大丈夫ですか?」

 声をかけるが、眉間に思いっきりしわを寄せて苦しげに呻くだけだ。
 はっ、はっ、と荒く吐かれる息が熱っぽく、汗をかいて熱いはずなのに顔色は真っ青で尋常ではない様子にさぁっと血の気が引く。

「どうしよう……。人を」

 呼ばなければとテーブルの上に置いていた通信魔道具に掴まれていないほうの手を伸ばそうとしたところで、呻くような声とともにそのまま腕を引っ張られた。

「……っ!」
「行くな」

 弱っていても騎士。圧倒的な力の差をもってそのままベッドの上に引きずり込まれる。

「えっ、ちょっ」

 一瞬のことであった。
 慌てて距離を置き体勢を立て直そうとするけれど、さらにぎゅっと腰に腕を回された。ぐっと回された手は力強く、みしみしと骨が鳴る。

「い、いたっ」
「……うぅっ」

 痛みで声が出るも、ディートハンス様は夢の中にいるようで呻きながらも縋るように私をかき抱く。
 この状態はとにかく良くないと抵抗すると、さらに力を込められた。

「ディートハンス様! 離してください。人を呼んできますので」

 距離を縮められたといっても、手が触れるくらいだったのに急に全身が密着する状態はさすがにダメだろう。
 魔力の件もあり、ディートハンス様から引き寄せられたとはいえさすがにこれはまずい。ディートハンス様が気にするという意味で。
 とんとんと離してくれと胸を叩くと、うっすらと瞼が開いたかと思えばすっと伏せられ一向に力を緩められない。

「うっ、ちょっと……、すみません。一度起きてこの手を」

 するともう一度目を開けた。その瞳に私の焦った顔が映る。
 認識してもらえただろうかとわずかな期待を乗せてもう一度声をかけようとすると、ふるりと首を振って荒い息のまま縋るように私にすり寄った。

 ――えっ、ちょっと! さっき私だってわかったよね?

 なのに抱き寄せられたまま、むしろさらに密着するように抱き込まれ私はバタバタと拘束されながら身体を動かした。
 だけど、ぴくともせずその上熱っぽく掠れた声が私の行動を咎めるように耳元で響く。

「ダメだ。離せばどこかに行ってしまう」
「どこかって……。ただ、人を呼びに」

 起きてほしいと声をかけるが、意識が朦朧としているディートハンス様には届かない。
 何度か声をかけその度にどうにかしようともがいたが、もがけばもがくほど力が強まる。私は抵抗するのを諦め、そっと力を抜いた。
 それに気づいたのか、少しだけ力が弱まる。

「ディートハンス様?」
「いてくれ。こうしていると、苦しさが和らぐんだ」

 その言葉にディートハンス様の顔を見つめる。
 眉間にしわが寄ったまま苦悶な表情は変わらないけれど、そう言われればさっきまで息をするのも苦しそうだったのが少し落ち着いて見えた。

 何より、本人がそう言うのなら、私はここで抵抗しないほうがいいだろう。
 それに総長のお世話係をするにあたって、この部屋ではたとえ慣れないことだとしてもディートハンス様の思うように動くことが正しいのだと思ったばかりだ。

 ――万が一、この状態を見られたとしても説明すればわかってくれるはず……。

 理不尽に怒るような人ではない。
 それよりもずっと呻く苦しそうな声、縋るような腕が徐々に抵抗したい気持ちを弱らせる。

「わかりました。ディートハンス様が落ち着くまでそばにいます」

 いまだに逃れないように拘束されているしで動けばまた逃げると思われそうだったので、なるべく幼子に話しかけるようゆっくりと言い聞かせるように声をかけた。

「そうか……」

 すると、安心したのかゆっくりと瞬きをし、またゆっくりと瞼を閉じていった。
 しばらくその様子を眺め、完全に寝入っていたのを見計らって徐々に体勢を整える。離れようとしては抱きしめられの繰り返しで、体温が離れることを厭っているようなのでベッドから出られないが、ようやく上半身を起こすことができた。

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