詰みたくないので奮闘します~ひっそりしたいのに周囲が放っておいてくれません~

橋本彩里(Ayari)

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第二部 第三章 記憶と夢と過去

sideシモン 記憶と過去①

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 あの日と変わらぬエリザベスの柔らな髪の感触に、シモンは我知らず笑みを刻んだ。
 乗馬のため後ろに一つにくくっている髪が馬の尻尾みたいで可愛らしく、普段は公爵令嬢に恥じない行動をしているが、隠す気があるのかないのか漏れ出てしまう活発な彼女に似合っている。

 出会ったことをなかったものとされている、もしくは忘れられている可能性もあるとは思っていた。
 夢での出来事だと思っていたとの言葉に嘘は見当たらず、彼女は上手くとぼけられるタイプではないので、熱で数日朦朧としていたのならばそうなのだろう。

 あの日のことはどこか現実味を帯びず、シモンの中では触れてけがしてはならない神域のような出来事となっていた。
 それもあって、今まで彼女を前にしてもそれに触れず、気になりながらもずっと見守ってきた。

 だが、今は理由を知りひどく安堵した。
 そして、思った以上に自分が気にしていたことに気づき内心苦笑する。

 エリザベスはシモンの中でどこにも位置しない。血縁でもなく、ユーグのように心を許したわけでもなく、赤の他人である。
 ただ、出会いが出会いなのでずっと気になっていた。

 ──あの日、ルイが入学延期を申し出た理由を告げ、彼女の名前を聞いてからもっと……。

 エリザベスは忘れてしまっていたわけだが、ルイが彼女と夏に出会ったと聞いているより先、その年の春に自分たちは出会っている。
 彼女と出会ったあの日から、シモンの胸に何かが埋まったままだ。

 これは何に起因するものなのか、過去のこともどうしたいのか釈然としない一年を過ごしていたが、いざ二人きりの機会を得るともっと話してみたいという衝動が湧き上がった。

 もっと距離を詰めたい。
 仲良くなりたい。

 どんな景色もどんな立場の人物も彼女の前では名は関係ない。
 感動するものに感動し、興味の赴くままに動く。そこにあるものが、彼女の心次第で変わり過ぎ去っていく。
 彼女と一緒にいると自然と湧き上がる自由な笑いが、シモンの心を軽くした。

 そして、どうやら従兄弟や弟たちが仲良く話しているのを羨ましいと思っていたようだと、ここにきて気づく。
 自分も、彼らと同じように心から輪に入りたい。

 そのためにはもう少し自分に正直にあるべきだろう。少なくとも彼女の前では……。

 シモンは水色の瞳をまっすぐにエリザベスへと向けた。菫色の瞳美しい瞳が迷いなく自分を見つめてくる。
 二人の視線が絡み合うことに、そこに自分だけが映し出される喜びを噛み締めた。
 それから静かに話を切り出すと、食い入るように頷くエリザベスの姿にシモンは目を細めて笑った。

   ◇ ◇ ◇

 エリザベスとは、互いに赴いたベントソン家所有の丘陵地帯であり青草が生い茂る放牧地で、同時に周囲の目を盗んで抜け出すという偶然が重なり出会った。
 
 普段のシモンはそんなことはしないが、その日だけはどうしても気持ちが抑えきれなかった。
 幼く未熟なため大人たちに保護される立場であることを理解しながら期待を負わされることに、今から考えるとその頃の自分は少し疲れていたのだろう。

 シモンなりになんとか変えたいと思った発露なのか。
 特にこれがという明確な理由もなく、ただどこか靄がかかるようで、そんなことを思う自分にも嫌気がさし悪循環を抱える日々。

 べったり周囲が付いているわけではないが、常に行動は把握される。
 どこに行っても第一王子であり、双子の兄。
 双子は可愛い。その思いに偽りはないのに、まっすぐな眼差しが眩しすぎてたまに目を逸らしたくなることがあった。

「……溶け込んでしまえたらいいのに」

 上を向くと自分の瞳と同じ色の空が広がっている。
 眩しい太陽が輝くなか雲が自由に流れていくのを眺めていると、己はずいぶんと窮屈で小さい存在だと感じる。

 抜け出すのも少しだけ。そう遠くにではないと言い聞かせ、愛馬とともに駆け抜けた。
 誰にも内緒で、一人きり。
 たったそれだけのことに悪いことをしたような気分と同時に、ひどく高揚した。

 行き着いたのは川のほとり。
 すぐに帰ってくるつもりでこそっと抜け出したが、気持ち良すぎて気づけば少し遠くまで走っていた。

「結構、走ったな」

 さすがにまずいかと一度愛馬を休めてから戻ろうと決め、愛馬から降りた。
 雪解けや春雨を含む水が静かに流れる川のなかで、ときおりチャプンッと生物が過ごす音がする。

 そこにはすでに先客がおり立派な白馬が頭を上げてちらっとこちらを見たが、ふっとばかりに尾を一振りし水を飲む。
 馬は警戒心が強く臆病な動物だが、この馬は人馴れし根性が座っている。

「ライナー、お疲れ」

 愛馬の背をぽんっと叩きそう告げると、シモンは周囲を見渡した。
 ひらひらと小さな蝶が舞い、黄色の花に止まる。暖かな日が届き草木が伸び始め、背後にある木々は青い葉を大きく広げていた。

 つい最近まで暖炉に火を入れて暖まっていたのに、すっかり自然は春へと移行しだしているようだ。
 夏場になると、ここ一帯でしか見かけることのない植物にしか繁殖しない昆虫もいるそうで、王城もそうだがここも自然豊かな場所だ。

 シモンが春を観察している間に、馬同士は付かず離れずの距離でくつろぎだした。
 馬同士仲良く休息できるならそれで良いとシモンは愛馬をぽんぽんと叩きながら、凛々しい白馬を眺めた。

「さて、お前の主人はどこにいるのかな?」

 ざっと確認したところ人の姿は確認できないが、白馬に乗ってきた人物はそう遠くに行っていないはずである。
 ならば背後にある小さな森の中だろうか。

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