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紫と衝動
44.全力とは
しおりを挟む瞬きするたびに、空気が睫毛を揺らす。
少しでも動けば、唇と唇が触れ合ってしまう。
触れる吐息が、見つめられる双眸の奥が、私の肌を焼くかのように熱かった。
ベアティにとって、私は安定剤。
存在を主張されると、なら私にとってベアティは何かと考えることが増えた。
こつんとおでこをつけられ、艶やかな黒髪が私の肌をこする。
金黒オレンジと魅力的な色の瞳が、私だけを映そうとじっと見つめてくる。その間、するりと掴んだ手の指を撫でるように動かし存在を主張する。
“ ここにいるよ。忘れないで ”
そうやって必死に訴えてくる。
こちらの様子を見ながら確実に逃げ道を塞いで、精一杯両手を広げて自分をアピールされ、どうやって素通りできようか。
「ベアティ、くすぐったい」
「それだけ?」
息が唇を撫でていく。
すべての意識がベアティに持っていかれそうになる。
私はゆっくりと息を吐き出した。
「近い」
「エレナ様を少しでも感じたくて近づけてる」
ふっと口端を引いて目を細めるその姿は、人をたぶらかす悪い男のような色気を醸し出す。
「感じっ……!?」
「全力を出すなら、エレナ様補給も全力でしないと」
「……」
不安定さをさも当然のように主張され、私は絶句する。
私が気持ちを固めたようにベアティも吹っ切ったようだが、何やら方向が思っていたものと違う。
――全力ってそっち?
前回王都に来てから不安定になったベアティは、私と触れ合うと気持ちが安定するため接触する頻度が増えた。
なぜ私なのかは、私の聖女スキルの影響なのだろう。あとは、刷り込みか。
最初、ベアティには助けた私の存在がとても大きかったから、そうなることを私は是とした。それで立ち直ることができるのなら、必要なことだと判断した。
誤算はそれがこの年齢まで続いていること、そしてまだ終わりが見えないこと。
そして、慣れたというか、やはり全力で頼られ慕われたら悪い気はしていない自分だろうか。
――うーん。なんだかしっくりこない……。
マリアンヌと対峙していく。ベアティたちと共闘して、自分たちの大事なものを守っていく。
それらははっきりとし、同じほうに向いているとわかるのにどこかわずかにずれを感じる。
ベアティのことを考えると、あらゆる感情が綯い交ぜになる。
決して嫌なものではないのだけど、はっきり見えないものに包まれてしまうようで落ち着かない。
そわそわしていると、ベアティが言葉を重ねた。
「俺はエレナ様がいないと生きていけない」
「だからといってこれは違うような……」
ベアティのやることを否定したくはないが、さすがにこれはやりすぎではないだろうか。
マリアンヌから逃げていたことを意識したと同時に、私はベアティやシリルたちのことを改めて考えることが増えた。
私たちは年頃になってきたため、少し動けば唇が触れ合いそうな距離はさすがに意識する。
これまでは死に戻り前の印象や、彼らの過去、自分のことなど、どれもいいものではないため今回はとにかく前を向いていこうと、それだけを考えていた。
それが自分だけではなく彼らの未来の自由に繋がると信じて、子爵領の強化を図ってきた。
でも、彼らも成長し、図らずもマリアンヌと関わることになって、様々なことを考えるようになった。
特にベアティはこうして事あるごとに触れてきて、主張してくる。
じっと見つめられ、ベアティはベアティであるのだけど男性だなと感じることが増え、そわっと心が乱れる。
「顔、赤くなってる」
「それは、こんなふうに触れられればなるよ」
これまでと変わらないようで、どこか雰囲気が、距離が違う。
それを感じ取り、わずかに声が上擦る。どこか自分をコントロールできない。
うむむと考えていると、ベアティがそこで花が綻ぶように笑った。
「よかった。エレナ様はあまり異性を意識することがないかと思っていたから。そういったことに興味がないのかと思っていた」
「興味がないわけではないけど……」
ただ、意識が向かなかっただけだ。余裕がなかっただけだ。
「なら、これからは俺を意識して」
「ベアティを?」
「そう。俺以外はダメだから」
笑みを浮かべながら、熱のこもった双眸に囚われる。
「……その」
どう言えばいいのだろう。
ベアティが私を好きなこと、大事に思ってくれているのは知っている。
――ちょっと待って。もしかしてベアティはそういう意味で?
そうなの? と視線で問うと、ふっと笑みを浮かべたベアティは目を細めた。
「エレナ様の近くに男が増えても一番そばにいるのは俺だから。その場所は譲らない」
「ベアティ」
「少しずつでいい。俺がこうであるということを忘れないで。そういうことで、そろそろ行こう」
こう、とはどのことを差しているのか。
それを私自身は理解しているのか。
言及するのも憚られ表情をうかがうと、にっこりと笑みが返ってきた。
それ以上、本人は明確に示すつもりはないらしい。
でも、これまでのことからそれは決して軽いものではないことは伝わってくる。
当初とは違ったどきどきで顔を赤くしたまま、私は奴隷商の扉を押した。
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