殿下、そんなつもりではなかったんです!

橋本彩里(Ayari)

文字の大きさ
4 / 8

4.兆し

 
「リリエーン」

 ここ最近、第五皇子の女性を呼ぶ声が響く。
 そのためすっかり男色との噂は消え、皇后の機嫌とともに皇室の雰囲気もよくなっていた。

 名を呼ばれたリリエンは、暇つぶしに読んでいた小説を閉じ顔を上げた。
 小説なんて娯楽という贅沢品を買うことも読む時間もなかったので、懐痛まずして時間もあるしとエルドレッドの執務室で寛いでいた。

「はい。殿下」
「これは何だ?」

 目くじらを立てた赤い瞳が、ぎらりとリリエンを捕らえる。
 あら、いやだ。そんなに感情をあらわにするなんてこれまた進歩ではとリリエンは感動した。
 選んだかいがあるというものだ。

 によによと締まりのない顔を浮かべるリリエンを見て、エルドレッドがぎりぎりと奥歯を噛んだ。
 機嫌の悪さだけがひしひしと伝わってくる。

「リリエン」

 ドスの利いた声音。
 鍛えた肉体美に、艶やかな黒髪と赤い瞳を持つ美貌。持って生まれた華やかさが加わり、声音を変えるだけで相手を支配する。
 そこらの貴族令嬢なら泣きが入るところであるが、リリエンはそれも悠然と受け止めにっこりと微笑んだ。

「それは殿下のものですよ」
「お前、ふざけているのか」
「まあ、殿下。女性に対してお前だなんて。ダメですよ」

 おほほっと笑うと、ぴきりとエルドレッドの顔に青筋が立った。

「ほお?」
「凄んでも怖くはありませんわ」

 領地には三メートルほどある大柄な熊がいる。それと比べると、凄んでいても優美さを纏うエルドレッドはちっとも怖くない。
 余裕で笑みを浮かべると、ビリッとエルドレッドは手に持っていた薄い本を真っ二つに破り捨てた。

 ばさりと床に落ち、ちょうど女性のまろやかなフォルムが丸見えになる。
 それを見て眉根を上げたエルドレッドが、その上からばさばさと他の資料を落とし見えないように被せた。
 ご機嫌斜めなエルドレッドを前に、リリエンは嘆息した。

「せっかく頑張って手に入れたのに」
「そういえば、どうやって手に入れた?」
「まあ、それは友人に」

 そのせいで今度デートすることになったのよね、と頬に手を当てながら息をついていると、エルドレッドがぴくぴくっと眉を跳ね上げた。

「――……男か?」
「それは、ご令嬢にこんなことを頼むわけにはいきませんもの」
「ほぉ?」

 先ほどよりもトーンが低くなる。
 さすがのリリエンも本気の苛立ちを感じ取り、笑顔をさっと引っ込めた。
 何がそんなにエルドレッドの機嫌を損ねたのかわからないと、様子をうかがうように声をかけた。

「殿下?」
「リリエン。お前は俺に女性に興味を持ってほしいんだよな?」
「はい。できれば」

 それがリリエンの仕事である。そのために多額の報酬を貰えることになっているのだ。
 無理強いするつもりはないが、殿下が興味を示してくれるのならこちらとしてはありがたい。

 その気になったのかときらきらと目を輝かせると、エルドレッドが掴めないヤツだなとぼそっと呟いた。
 失礼な。自分ほどわかりやすい人はいないと思う。

 すべてはお金のため。
 一か月先を心配しなくてもいいように、リリエンはここにいる。

「だから、こんなことをすると?」
「興味の入り口はどこから開くかわかりませんから」
「なるほどな」

 そこでエルドレッドが腕を組み、とんとんと指をあてながらリリエンをじとりと見た。
 穏やかさとはかけ離れたまるで真っ赤なルビーのような瞳がまっすぐにリリエンを見つめてきて、息を呑む。
 近くで見ると、笑みを浮かべる瞳の奥は、一体何を考えているのか底の読めない鈍い光が宿っていた。

「殿下?」

 今までの無関心が嘘のように、ひたとリリエンを見据える双眸を前に、この時初めてリリエンはエルドレッド・ザハディストという一人の男性として意識した。
 これまでは仕事の依頼対象でしかなく、第五皇子殿下をどのように女性に興味を持ってもらおうとそれしか頭になかった。

 初っ端から興味もないと追い出され、同じ部屋にいても無関心。
 どんな女性を前にしても熱のない双眸を前に、リリエンはひたすら職務として向き合ってきただけだった。

 急に目の前に現れた異性の存在にそわそわする。
 初めて見る熱のこもったエルドレッドの瞳から目が離せない。

 何か言わなければと口を開いてみたが何を言えばいいかわからず閉じると、エルドレッドは目を細めてふっと笑った。
 何か企むにしては実に楽しそうな表情に訝しんでいると、エルドレッドは見たことのない爽やかな笑顔を浮かべた。

「よくわかった。リリエンに付き合ってやろう」
「本当ですか?」

 リリエンはぱっと顔を上げて、思わずエルドレッドの両手を掴んだ。
 この流れでそうなるとは思わなかった。

 やはり、薄い本の作戦が功を奏したとほくほくとする。
 どういう心境の変化かわからないけれど、任された職務がうまく進んでいることにリリエンは浮かれた。

 ――この調子で、どんどんエルドレッド殿下に興味を示してもらわなくちゃ。

 意気込んだリリエンは、エルドレッドが思案するようにじっと観察してくるのをよそに、にこにこと掴んだエルドレッドの大きな手を振りながらにっこりと笑顔を浮かべた。


感想 4

あなたにおすすめの小説

幼馴染しか見えない婚約者と白い結婚したので、夜明け前にさよならしました

ゆぷしろん
恋愛
公爵令嬢レティシアは、家同士の都合で伯爵アルフレッドに嫁ぐ。 けれど夫は結婚後もずっと幼馴染のシルヴィばかりを優先し、婚礼の夜から夫婦として触れ合おうともしなかった。名ばかりの妻として伯爵家を支え、領地経営まで立て直しても、彼にとってレティシアは“都合のいい伯爵夫人”でしかない。 やがて結婚一周年の夜、アルフレッドが自分を手放す気はない一方で、幼馴染を屋敷に迎え入れようとしている会話を聞いてしまったレティシアは、ついに決意する。 ――もう、この結婚には見切りをつけよう。 夜明け前、彼女は離縁の準備を整え、伯爵邸を出奔。 身を寄せた北の港町で薬舗を手伝いながら、自分の力で生きる穏やかな日々を手に入れていく。そこで出会ったのは、身分ではなく一人の女性として彼女を尊重してくれる青年医師ノアだった。 一方、都合よく尽くしてくれる妻を失ったアルフレッドは、ようやく自分が何を失ったのかを思い知ることになる。 幼馴染ばかりを優先する婚約者との白い結婚に終止符を打ち、傷ついた公爵令嬢が新天地で本当の幸せを掴む、離縁から始まる逆転ラブストーリー。

死ぬまでに叶えたい十の願い

木風
恋愛
「あなたを妻として、愛することはない。おそらく、生涯抱くこともないだろう」 三年間の白い結婚——捨て置かれた王太子妃エリアーナに、側妃が『死の呪い』をかけ余命一年を宣告する。 離縁を願うも拒否され、代わりに「死ぬまでに十の願いを叶えて」と契約する—— 二人きりの外出、星空、海…ささやかな願いが王太子の心をほどいていく。

還俗令嬢のセカンドスローライフ

石田空
恋愛
「神殿にいたんだから大丈夫だろう。頑張れ」 「神殿育ちは万能調味料じゃありませんけど??」 幼い頃から、流行病が原因で顔に斑点があり、「嫁のもらい手はいないだろう」とシルヴィはそのまんま神殿に放り込まれていた。 そんな中、突然実家に呼び戻され、訳あり伯爵の元に嫁ぐように言われる。 呪われている土地だからとおそれられているため、姉は流行病(仮病)で別荘に籠城してしまい、神殿育ちなら大丈夫だろうと、そこに送られてしまうこととなった。 しかしそこの伯爵様のジルは、農民たちに混じって元気に田畑を耕している人だった。 「神殿出身だったら、なにやら特産品はつくれないかい?」 「ええっと……待っててくださいね……」 呪われている土地と呼ばれる謎と、町おこしで、彼女のセカンドライフはせわしない。 サイトより転載になります。

【完結】遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。

沼野 花
恋愛
【残り数話を持ちまして3月29日完結!!】 夫にも子どもにも、私は選ばれなかった。 長年の裏切りを抱え、離縁状を置いて家を出た――。 待っていたのは、凍てつく絶望。 けれど同時に、それは残酷な運命の扉が開く瞬間でもあった。 「夫は愛人と生きればいい。  今さら縋られても、裏切ったあなたを許す力など残っていない」 それでも私は誓う―― 「子どもたちの心だけは、必ず取り戻す」 歪で、完全な幸福――それとも、破滅。 “石”に翻弄された者たちの、狂おしい物語。

政略結婚だからと諦めていましたが、離縁を決めさせていただきました

あおくん
恋愛
父が決めた結婚。 顔を会わせたこともない相手との結婚を言い渡された私は、反論することもせず政略結婚を受け入れた。 これから私の家となるディオダ侯爵で働く使用人たちとの関係も良好で、旦那様となる義両親ともいい関係を築けた私は今後上手くいくことを悟った。 だが婚姻後、初めての初夜で旦那様から言い渡されたのは「白い結婚」だった。 政略結婚だから最悪愛を求めることは考えてはいなかったけれど、旦那様がそのつもりなら私にも考えがあります。 どうか最後まで、その強気な態度を変えることがないことを、祈っておりますわ。 ※いつものゆるふわ設定です。拙い文章がちりばめられています。 最後はハッピーエンドで終えます。

役立たずのお飾り令嬢だと婚約破棄されましたが、田舎で幼馴染領主様を支えて幸せに暮らします

水都 ミナト
恋愛
 伯爵令嬢であるクリスティーナは、婚約者であるフィリップに「役立たずなお飾り令嬢」と蔑まれ、婚約破棄されてしまう。  事業が波に乗り調子付いていたフィリップにうんざりしていたクリスティーヌは快く婚約解消を受け入れ、幼い頃に頻繁に遊びに行っていた田舎のリアス領を訪れることにする。  かつては緑溢れ、自然豊かなリアスの地は、土地が乾いてすっかり寂れた様子だった。  そこで再会したのは幼馴染のアルベルト。彼はリアスの領主となり、リアスのために奔走していた。  クリスティーナは、彼の力になるべくリアスの地に残ることにするのだが… ★全7話★ ※なろう様、カクヨム様でも公開中です。

『お前を愛する事はない』旦那様、それではごきげんよう

あんど もあ
ファンタジー
結婚初夜に「お前を愛する事はない」と言われたアレクシア。成金男爵令嬢が名門旧家の伯爵家の令息との恋を実らせたはずが、彼は贅沢を享受したいだけで、愛する女性は別にいた。それから三年。アレクシアは夫から家を追い出される事になるが……。

「お前を愛することはない」と言われたお飾りの妻ですが、何か?

あんど もあ
ファンタジー
「お前を愛することはない!」「そんな事を言うために女性の寝室に押し入ったのですか? もう寝るつもりで化粧を落として髪をほどいて寝着に着替えてるのに! 最っ低!」 仕事大好き女が「お飾りの妻最高!」と恋愛感情無しで結婚したらこうなるよね、というお話。