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第4章
美しく完璧な執事は、恋人に頼られたい
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陽太が黒川芳太郎に売られたのは、家計を助けるためだった。親や弟達を助けるためならと奉公に出た陽太は、屈辱の中で芳太郎の慰みものとなった。孤独で、寂しくて、どうにかなってしまいそうな時。陽太の側には一人の少年がいた。自分と同じようにひどい目にあいながらも、彼はいつも明るかった。
「陽太。必ず笑える日が来るから、耐えろよ」
そう言って、いつも励ましてくれた少年。家族に会いたいと陽太が言った時に、彼が逃してくれたのだ。
「オレが奴らを引き付ける。早く行けっ」
勝ち気な笑顔が、今でも忘れられない。
「あそこで待ってるからなっ」
陽太が叫んだ時に、彼はとても優しくて寂しい笑みを浮かべていた。
もしかすると、彼は陽太を逃がすために…。
「陸…」
恋人の腕の中で目を覚ました陽太は、友人の名前を呟いた。今頃、どうしているのか。どこにいるのか。陽太は、幸せを感じれば感じるほど陸の行方が気になっていた。
「いない?」
陽太は、あんみつを頬張りながら驚きに声を上げた。
ここは、路地裏の奥にある和菓子屋『蜜月堂』。ここの主人である深山涼雅は、パンッと両手を顔の前で合わせた。
「悪いっ。なんとか実家までは突き止めたんだが、そこには帰ってなかった」
「そんな…っ」
先日。陽太は、涼雅に人探しを依頼した。陸という少年で、陽太にとって友人であり恩人だった。
「両親はいたが…。もう縁を切ったと言われたよ」
「…え?」
陽太にとっては予想外の言葉だった。てっきり、陸は実家に戻ったとばかり思っていたのだ。それなのに、戻っていないだなんて。
『じゃあなっ』
そう言って別れた時の笑顔が浮かぶ。陸がいなかったら、陽太は黒川家から逃げ出す事などできなかった。再会するのを楽しみにしてたのに。
「ところでさ、陽太」
「ん?」
「この事。智樹は知ってるのか?」
聞かれて、陽太は慌てて首を横に振った。涼雅の表情が不意に変わる。
「あ~、陽太。智樹には言った方がいいぞ」
「え?」
何かを感じて振り向けば、そこには無表情の智樹が立っていた。亜麻色の髪と瞳が美しく輝き、白く透き通った肌は芸術品のようだ。きっちりと着こなした燕尾服に、トレードマークのような白手袋と銀の懐中時計。音もさせずに現れた平野家の完璧な執事は、可愛くて可愛くて仕方がない恋人をジッと見下ろした。陽太はひきつった笑みを浮かべると、涼雅の背中へと隠れた。
その夜。
陽太はいつも以上に執拗な愛撫に、何度も絶頂を迎えさせられた。
「あ…っ、んっ」
両手で口を覆っても、微かに声が漏れてしまう。その瞳は潤み、今にも涙がこぼれそうだ。が、決して嫌な事をされている訳ではない。
「どうした?もっと声を聴かせてくれ。お前の可愛らしい声を」
壁を背中にして足を開いている陽太の足の間では、興奮している欲望の証が微かに震えている。その部分を、智樹は丹念に唇と舌で味わった。
「ここからなら、旦那様の部屋まで声が聞こえる事はないよ」
クスクス笑いながら、智樹の指が陽太の濡れた先端を優しく拭う。そして、そのままヒクヒクと震える小さな蕾へとゆっくりと指を沈めた。
「はぁっ、ああっ、智樹…っ、許し…っ」
クイクイと中で動く智樹の指に、陽太の悲鳴が上がった。やがて、ハァハァという激しい息遣いと共に智樹の指が白い液体にまみれる。
「なぜ、私ではなく涼雅に頼んだ?」
今夜は、これで終わりじゃない。陽太は、ギュッと目を閉じた。決して、この行為が恐いとか嫌いという訳ではない。気持ちがいいから困るのだ。自分が自分ではなくなるような、そんな気持ちにさせる。
「心配させたくなかった」
「それだけか?涼雅の方が頼りになるからではないのか?」
指が増やされ、陽太は足をガクガクと震わせる。
「違う…っ。はあっ、あっ」
智樹は、やっと陽太の中から指を引き抜いた。
「陸とは何者だ?」
陽太はなんとか答えようとしたが、奥をかき乱され声を詰まらせた。
「話は、後にしようか」
智樹の優しい微笑みに、陽太はコクコクと頷く。智樹が、ゆっくりと腰を揺らす。陽太は、広い背中にギュッとしがみついた。
「陸とは、黒川の屋敷で会ったんだ」
浴衣を着せられ、智樹の腕を枕にした智樹がポツリと呟く。智樹は黙って耳を傾けた。
陽太は、この屋敷に来るまでは悪名高い黒川芳太郎の私邸にいた。性玩具として扱われ、身体には今でもその名残が刻まれている。
「俺と同じぐらいの年で、とっても生意気な奴だった」
小柄な身体ながら、黒川にいつも反抗していた。陽太を庇ってくれた事もある。
「一緒にいると、心強かった」
いつしか友達になった陽太と陸は、なんでも話すようになった。黒川の元を脱走しようと陸に持ちかけられ、陽太も覚悟を決めた。
「いつの間にか、陸が抜け道を作ってくれていたんだ。そこから出たんだけど、誰かに見つかっちゃって。分かれて逃げる事にしたんだ」
陽太は、なんとか待ち合わせの場所まで走った。だが、待っても待っても陸はこなかった。そのうち追手に見つかり、陽太は逃げるしかなかった。てっきり陸は家に戻ったとばかり思っていた陽太は、安心していたのだ。
「智樹に、余計な心配させたくなかったんだ。本当だよ」
「そうか」
智樹が、そっと陽太の額に唇を押し当てる。陽太の胸がドキッとなった。
「さっきの、意地悪だったぞ」
動揺がバレないように、陽太はわざとつっけんどんに言う。智樹が小声で謝罪した。
「嫉妬したんだ。お前が、私よりも涼雅を頼るから」
智樹の唇が、耳や頬を愛撫する。そして、指が浴衣の中を這い回った。
「智樹…っ」
「お前の願いなら、どんな事でも聞いてやる。だから、私だけを…」
陽太は、のしかかってくる智樹の体重をしっかりと受け止めた。
2日後。
智樹は、陽太の願い通り陸を見つけてくれた。その手際の良さに涼雅はかなりムッとしていた。
「…俺、廃業しようかな」
「お前がとろいだけだ」
陽太は、自分のために智樹が奔走してくれた事に喜びを隠せなかった。泣き出しそうな表情で智樹に抱きつけば、優しく背中を撫でられる。
「旦那様を頼むぞ」
「へいへい」
涼雅は、ヒラヒラと手を振って智樹と陽太を見送った。
「どうしたの?智樹」
馬車の中で陽太が不思議そうに聞く。もし、他の人が見たらいつもの智樹と変わりはないように見えるが、目元や口許がわずかに柔らかく見える。つまり、とても楽しそうなのだ。
「なにか良いことでもあったの?」
小首を傾げて自分を見つめる陽太に、智樹はそっと身を屈めて口づける。
「お前が私に甘えてくれた事が嬉しいんだ」
唇を離した後に囁かれ、智樹はボッと赤面した。陸が住む村は近く、陽太一人でも行ける距離だ。だが、陽太は珍しくワガママを言った。
『智樹も、一緒に来て』
恋人にすがるように見上げられたら、誰だって心がぐらつくものだ。聡真に許しを得て、智樹は陽太と共に馬車に乗った。
目的地に近づくにつれ、陽太の手が震える。その手を、智樹がそっと包んだ。
「怖いのか?」
智樹の言葉に、陽太は小さく頷いた。
「俺の事、怒ってるのかも…」
もしかしたら、もう少し待っていたら会えたかもしれない。
「追手が来たんだ。仕方あるまい」
智樹の声に、陽太は切なげに眉を寄せた。
「俺は、智樹や旦那様に会えた。幸せにしてもらった」
優しくされ、大切にされる毎日に、陽太は満ち足りた日々を送っていた。その反面、罪悪感が増えていく。
「俺だけ、幸せになっていたら…」
「それでいいんだよ。人は、誰だって幸せになる権利があるのだから」
智樹が優しく陽太の手の甲に唇を押し当てる。まるで、童話に出てくる王子様のように。陽太は、慌てて手を引っ込めた。
「は、恥ずかしいよっ」
「誰もいないのに?」
「お天道様が見てるっ」
陽太の意外な答えに、智樹は声を上げて笑った。馬車の運転手は、滅多に笑わない智樹の声にかなり驚き、危うく手綱を落としそうになった。やがて、馬車が静かに停まる。先に降りた智樹が腕を伸ばし、陽太を抱えおろした。
「ここ?」
そこには、小さいが真新しい一軒家が建っていた。庭には畑があり、そこに小柄な人影が動いているのが見える。陽太の瞳に、みるみる涙が浮かんできた。
「陸っ」
呼び掛けると、小柄な人影が振り向いた。陽太の姿を見るなり、持っていたザルを放り投げて駆けてきた。
「陽太っ」
二人は泣きながら抱き合い、互いの無事を喜んだ。
「陸?」
声に驚いたのか、家の中から一人の青年が出てくる。短く揃えられた髪に、やや浅黒い肌をした男だ。やたらと目付きの鋭い男だった。陸が嬉しそうに笑う。
「紹介するよ。護っていうんだ。俺の、え~っと…」
「世話係だ」
護と呼ばれた青年は、陽太の顔をジロジロと眺めた。そして、陸の髪をクシャッと撫でた。
「良かったな」
「うんっ」
それだけなのに、陽太は陸が護に心を許している事がわかった。
(良かった。陸にも大切な人ができたんだ)
護は料理人で、普段は料亭で腕を振るっているらしい。
「お茶を持ってくる」
護が家の中に入ると、陸は陽太に庭を案内した。
「黒川の事。新聞で読んだ」
「…うん」
「オレ達、自由になったんだな」
「…うん」
陽太と陸は、抱き合って泣いた。声を出さずに、肩を震わせて…。まるで、繋がった鎖が切れたような気分だった。
それから、しばらく陽太と陸は2人だけで話した。
「あの時、待ち合わせ場所に行けなくてごめん」
「…陸」
「逃げるだけで、精一杯だったんだ」
陸は、チラッと家の方を見た。
「ボロボロで倒れているところを、護が拾ってくれた」
「そうだったんだ」
「無口だけど、良い奴なんだ」
それは、陽太が初めて見る陸の笑顔だった。優しくて、切なくて、とても綺麗だった。
「陽太は、どうしてたんだ?あんなすげー人と来るなんて」
智樹の事を言われて、陽太はほんのりと頬を染めた。
「平野って屋敷で使用人として働いている。皆、優しくしてくれる」
「そっか」
互いに家族の事には触れなかった。言わなくても、辛い思いをした事はたやすく想像できたからだ。
「なぁ、オレ達。まだ友達だよな?」
不安そうに陸が聞いてくる。
「もちろん」
陽太は笑って手を差し出した。2人は握手を交わして、再会を約束した。
「陽太。そろそろ帰る時間だ」
懐中時計で時間を確認した智樹が、躊躇いがちに声をかけてくる。
「うん」
陽太は陸をもう1度抱き締めると、智樹の元へと走った。長い会話をするよりも、この方が気持ちが伝わる気がした。
「なんか、安心したら眠くなってきちゃった。寝ても、いい?」
馬車の中で聞けば、智樹が黙って両手を広げる。陽太は、智樹の膝に座り目を閉じた。
「安心して寝なさい」
優しい声に陽太は微笑む。
そのまま燕尾服の胸に凭れて目を閉じれば、智樹が優しく髪を撫でてくれる。
恋人に甘えるのはとても嬉しいのだと、陽太は心の中でそっと呟いた。
「陽太。必ず笑える日が来るから、耐えろよ」
そう言って、いつも励ましてくれた少年。家族に会いたいと陽太が言った時に、彼が逃してくれたのだ。
「オレが奴らを引き付ける。早く行けっ」
勝ち気な笑顔が、今でも忘れられない。
「あそこで待ってるからなっ」
陽太が叫んだ時に、彼はとても優しくて寂しい笑みを浮かべていた。
もしかすると、彼は陽太を逃がすために…。
「陸…」
恋人の腕の中で目を覚ました陽太は、友人の名前を呟いた。今頃、どうしているのか。どこにいるのか。陽太は、幸せを感じれば感じるほど陸の行方が気になっていた。
「いない?」
陽太は、あんみつを頬張りながら驚きに声を上げた。
ここは、路地裏の奥にある和菓子屋『蜜月堂』。ここの主人である深山涼雅は、パンッと両手を顔の前で合わせた。
「悪いっ。なんとか実家までは突き止めたんだが、そこには帰ってなかった」
「そんな…っ」
先日。陽太は、涼雅に人探しを依頼した。陸という少年で、陽太にとって友人であり恩人だった。
「両親はいたが…。もう縁を切ったと言われたよ」
「…え?」
陽太にとっては予想外の言葉だった。てっきり、陸は実家に戻ったとばかり思っていたのだ。それなのに、戻っていないだなんて。
『じゃあなっ』
そう言って別れた時の笑顔が浮かぶ。陸がいなかったら、陽太は黒川家から逃げ出す事などできなかった。再会するのを楽しみにしてたのに。
「ところでさ、陽太」
「ん?」
「この事。智樹は知ってるのか?」
聞かれて、陽太は慌てて首を横に振った。涼雅の表情が不意に変わる。
「あ~、陽太。智樹には言った方がいいぞ」
「え?」
何かを感じて振り向けば、そこには無表情の智樹が立っていた。亜麻色の髪と瞳が美しく輝き、白く透き通った肌は芸術品のようだ。きっちりと着こなした燕尾服に、トレードマークのような白手袋と銀の懐中時計。音もさせずに現れた平野家の完璧な執事は、可愛くて可愛くて仕方がない恋人をジッと見下ろした。陽太はひきつった笑みを浮かべると、涼雅の背中へと隠れた。
その夜。
陽太はいつも以上に執拗な愛撫に、何度も絶頂を迎えさせられた。
「あ…っ、んっ」
両手で口を覆っても、微かに声が漏れてしまう。その瞳は潤み、今にも涙がこぼれそうだ。が、決して嫌な事をされている訳ではない。
「どうした?もっと声を聴かせてくれ。お前の可愛らしい声を」
壁を背中にして足を開いている陽太の足の間では、興奮している欲望の証が微かに震えている。その部分を、智樹は丹念に唇と舌で味わった。
「ここからなら、旦那様の部屋まで声が聞こえる事はないよ」
クスクス笑いながら、智樹の指が陽太の濡れた先端を優しく拭う。そして、そのままヒクヒクと震える小さな蕾へとゆっくりと指を沈めた。
「はぁっ、ああっ、智樹…っ、許し…っ」
クイクイと中で動く智樹の指に、陽太の悲鳴が上がった。やがて、ハァハァという激しい息遣いと共に智樹の指が白い液体にまみれる。
「なぜ、私ではなく涼雅に頼んだ?」
今夜は、これで終わりじゃない。陽太は、ギュッと目を閉じた。決して、この行為が恐いとか嫌いという訳ではない。気持ちがいいから困るのだ。自分が自分ではなくなるような、そんな気持ちにさせる。
「心配させたくなかった」
「それだけか?涼雅の方が頼りになるからではないのか?」
指が増やされ、陽太は足をガクガクと震わせる。
「違う…っ。はあっ、あっ」
智樹は、やっと陽太の中から指を引き抜いた。
「陸とは何者だ?」
陽太はなんとか答えようとしたが、奥をかき乱され声を詰まらせた。
「話は、後にしようか」
智樹の優しい微笑みに、陽太はコクコクと頷く。智樹が、ゆっくりと腰を揺らす。陽太は、広い背中にギュッとしがみついた。
「陸とは、黒川の屋敷で会ったんだ」
浴衣を着せられ、智樹の腕を枕にした智樹がポツリと呟く。智樹は黙って耳を傾けた。
陽太は、この屋敷に来るまでは悪名高い黒川芳太郎の私邸にいた。性玩具として扱われ、身体には今でもその名残が刻まれている。
「俺と同じぐらいの年で、とっても生意気な奴だった」
小柄な身体ながら、黒川にいつも反抗していた。陽太を庇ってくれた事もある。
「一緒にいると、心強かった」
いつしか友達になった陽太と陸は、なんでも話すようになった。黒川の元を脱走しようと陸に持ちかけられ、陽太も覚悟を決めた。
「いつの間にか、陸が抜け道を作ってくれていたんだ。そこから出たんだけど、誰かに見つかっちゃって。分かれて逃げる事にしたんだ」
陽太は、なんとか待ち合わせの場所まで走った。だが、待っても待っても陸はこなかった。そのうち追手に見つかり、陽太は逃げるしかなかった。てっきり陸は家に戻ったとばかり思っていた陽太は、安心していたのだ。
「智樹に、余計な心配させたくなかったんだ。本当だよ」
「そうか」
智樹が、そっと陽太の額に唇を押し当てる。陽太の胸がドキッとなった。
「さっきの、意地悪だったぞ」
動揺がバレないように、陽太はわざとつっけんどんに言う。智樹が小声で謝罪した。
「嫉妬したんだ。お前が、私よりも涼雅を頼るから」
智樹の唇が、耳や頬を愛撫する。そして、指が浴衣の中を這い回った。
「智樹…っ」
「お前の願いなら、どんな事でも聞いてやる。だから、私だけを…」
陽太は、のしかかってくる智樹の体重をしっかりと受け止めた。
2日後。
智樹は、陽太の願い通り陸を見つけてくれた。その手際の良さに涼雅はかなりムッとしていた。
「…俺、廃業しようかな」
「お前がとろいだけだ」
陽太は、自分のために智樹が奔走してくれた事に喜びを隠せなかった。泣き出しそうな表情で智樹に抱きつけば、優しく背中を撫でられる。
「旦那様を頼むぞ」
「へいへい」
涼雅は、ヒラヒラと手を振って智樹と陽太を見送った。
「どうしたの?智樹」
馬車の中で陽太が不思議そうに聞く。もし、他の人が見たらいつもの智樹と変わりはないように見えるが、目元や口許がわずかに柔らかく見える。つまり、とても楽しそうなのだ。
「なにか良いことでもあったの?」
小首を傾げて自分を見つめる陽太に、智樹はそっと身を屈めて口づける。
「お前が私に甘えてくれた事が嬉しいんだ」
唇を離した後に囁かれ、智樹はボッと赤面した。陸が住む村は近く、陽太一人でも行ける距離だ。だが、陽太は珍しくワガママを言った。
『智樹も、一緒に来て』
恋人にすがるように見上げられたら、誰だって心がぐらつくものだ。聡真に許しを得て、智樹は陽太と共に馬車に乗った。
目的地に近づくにつれ、陽太の手が震える。その手を、智樹がそっと包んだ。
「怖いのか?」
智樹の言葉に、陽太は小さく頷いた。
「俺の事、怒ってるのかも…」
もしかしたら、もう少し待っていたら会えたかもしれない。
「追手が来たんだ。仕方あるまい」
智樹の声に、陽太は切なげに眉を寄せた。
「俺は、智樹や旦那様に会えた。幸せにしてもらった」
優しくされ、大切にされる毎日に、陽太は満ち足りた日々を送っていた。その反面、罪悪感が増えていく。
「俺だけ、幸せになっていたら…」
「それでいいんだよ。人は、誰だって幸せになる権利があるのだから」
智樹が優しく陽太の手の甲に唇を押し当てる。まるで、童話に出てくる王子様のように。陽太は、慌てて手を引っ込めた。
「は、恥ずかしいよっ」
「誰もいないのに?」
「お天道様が見てるっ」
陽太の意外な答えに、智樹は声を上げて笑った。馬車の運転手は、滅多に笑わない智樹の声にかなり驚き、危うく手綱を落としそうになった。やがて、馬車が静かに停まる。先に降りた智樹が腕を伸ばし、陽太を抱えおろした。
「ここ?」
そこには、小さいが真新しい一軒家が建っていた。庭には畑があり、そこに小柄な人影が動いているのが見える。陽太の瞳に、みるみる涙が浮かんできた。
「陸っ」
呼び掛けると、小柄な人影が振り向いた。陽太の姿を見るなり、持っていたザルを放り投げて駆けてきた。
「陽太っ」
二人は泣きながら抱き合い、互いの無事を喜んだ。
「陸?」
声に驚いたのか、家の中から一人の青年が出てくる。短く揃えられた髪に、やや浅黒い肌をした男だ。やたらと目付きの鋭い男だった。陸が嬉しそうに笑う。
「紹介するよ。護っていうんだ。俺の、え~っと…」
「世話係だ」
護と呼ばれた青年は、陽太の顔をジロジロと眺めた。そして、陸の髪をクシャッと撫でた。
「良かったな」
「うんっ」
それだけなのに、陽太は陸が護に心を許している事がわかった。
(良かった。陸にも大切な人ができたんだ)
護は料理人で、普段は料亭で腕を振るっているらしい。
「お茶を持ってくる」
護が家の中に入ると、陸は陽太に庭を案内した。
「黒川の事。新聞で読んだ」
「…うん」
「オレ達、自由になったんだな」
「…うん」
陽太と陸は、抱き合って泣いた。声を出さずに、肩を震わせて…。まるで、繋がった鎖が切れたような気分だった。
それから、しばらく陽太と陸は2人だけで話した。
「あの時、待ち合わせ場所に行けなくてごめん」
「…陸」
「逃げるだけで、精一杯だったんだ」
陸は、チラッと家の方を見た。
「ボロボロで倒れているところを、護が拾ってくれた」
「そうだったんだ」
「無口だけど、良い奴なんだ」
それは、陽太が初めて見る陸の笑顔だった。優しくて、切なくて、とても綺麗だった。
「陽太は、どうしてたんだ?あんなすげー人と来るなんて」
智樹の事を言われて、陽太はほんのりと頬を染めた。
「平野って屋敷で使用人として働いている。皆、優しくしてくれる」
「そっか」
互いに家族の事には触れなかった。言わなくても、辛い思いをした事はたやすく想像できたからだ。
「なぁ、オレ達。まだ友達だよな?」
不安そうに陸が聞いてくる。
「もちろん」
陽太は笑って手を差し出した。2人は握手を交わして、再会を約束した。
「陽太。そろそろ帰る時間だ」
懐中時計で時間を確認した智樹が、躊躇いがちに声をかけてくる。
「うん」
陽太は陸をもう1度抱き締めると、智樹の元へと走った。長い会話をするよりも、この方が気持ちが伝わる気がした。
「なんか、安心したら眠くなってきちゃった。寝ても、いい?」
馬車の中で聞けば、智樹が黙って両手を広げる。陽太は、智樹の膝に座り目を閉じた。
「安心して寝なさい」
優しい声に陽太は微笑む。
そのまま燕尾服の胸に凭れて目を閉じれば、智樹が優しく髪を撫でてくれる。
恋人に甘えるのはとても嬉しいのだと、陽太は心の中でそっと呟いた。
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