レモンの花咲く丘

すいかちゃん

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レモンの花咲く丘

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少女にとって、それは初恋でした。たまたま偶然書店で会った少年。キリッとしていて、とてもまっすぐな目をしていました。文学が好きな2人は、互いに面白かった本を勧め合うようになったのです。
最初は、一言二言会話するだけだった2人。いつしか、帰り道を並んで帰るようになりました。恋なんて小説のなかでしか知らない少女は、少年と並んで歩くだけでドキドキしたものです。彼は父親の町工場を手伝っていて、いつもオイルの匂いをさせていました。
「特別な場所に案内するよ」
少年は、少女を小高い丘に案内しました。そこに、レモンの樹が1本だけ立っていました。
「この本に、僕の気持ちが書いてある」
少年は一冊の本を少女に渡しました。それは、花言葉の本です。少女がレモンの花を調べてみると、そこには『心からの思慕』と書かれていました。驚く少女に、少年はレモンの花冠を渡します。
「最初に会った時から、君の事が気になってたんだ」
少女は、真っ赤になって俯きました。
「私も、あなたが好きです」
小さな淡い恋を、レモンの樹は見守り続けました。
このまま、平穏に時が過ぎていくと誰もが思っていました。ですが、時代の波に否応なく翻弄される事になったのです。

この日。少女は、レモンの樹の前で少年を待っていました。泣かないように決めていたのに、ポロポロと勝手に涙がこぼれ落ちていきます。少女は、手のひらで何度も何度も頬を拭いました。今日だけは、とびっきりの笑顔を見せたいのです。
「なんだよ。こんな日に泣くなんて」
少年の声に、少女は慌てて笑顔を作りました。そして、目の前に立つ軍服姿の少年に深々とお辞儀をします。
「お祝い申し上げます」
何度も何度も練習した言葉。本当は、言いたくなかった言葉。でも言わなければいけない言葉。本当は、行かないでと言いたかった。このまま2人で逃げようと…。
白い軍服に身を包んだ少年は、なんだか違う人みたいでした。少し伸びていた髪も、今は短くなっています。
少女は、本当の気持ちを隠して無理矢理笑顔を作りました。泣けば、少年が哀しむから。少女ができるのは、美しい笑顔を見せる事だけだったのです。
戦争なんて嫌い。
住んでいた家を壊し、遊んでいた公園を潰し、大切な人を奪っていく。哀しみだけをもたらす戦争を、誰が望んでいるのでしょう。
「行ってくる。俺の事は忘れて、幸せになってくれ」
少年が言います。その声は微かに震えていました。
少女は、少年にしがみつき何度も「待っている」と叫びました。
昨日まで、このレモンの樹の前でふざけあっていたのに。戦争は、そんな穏やかな日常さえ壊していくのです。
元気で帰ってきてと言おうとして、少女は止めました。そんな無理なお願いは、言えなかったのです。少年は、小さな声で少女に告げました。
「俺の、たった1つのワガママを聞いてくれ。俺に何があっても、君は笑っていてくれ。君の笑顔は俺の希望だから」
少年の声に、少女は顔を上げました。
「俺は、世界を変える事はできない。けれど、お前の事だけは絶対に守るから」
少年は、レモンの花を少女の髪に飾りました。互いに涙で頬が濡れています。
「レモンの花が咲く頃に、帰ってくる」
そう言って、少年は戦地へと向かいました。
少女は、来る日も来る日もレモンの樹の前で待ちました。不思議な事に、他の樹は倒れてもレモンの樹だけは残ったのです。まるで、少年の代わりとでも言うように少女を守り続けました。
雨の日も、風の日も、雪の日も少女は変わらず少年を待っていました。
ある日。少年がいる部隊が危機に陥っていると聞き、少女はレモンの樹へと走りました。頼れるのは、レモンの樹しかなかったのです。

「どうか彼を守って!どうか、私から彼を奪わないでっ」

その時です。
季節ではないというのに、レモンの樹に花が咲きました。そして、花びらは風に乗りあっという間に吹き飛んで行ったのです。まるで、意思があるように…。
少女は、夢を見ているのかと思いました。ですが、夢ではありません。
長かった戦争が終わり、兵隊達が帰ってきました。ですが、少年のいた部隊だけが戻ってこなかったのです。皆は、少年はもう帰ってこないと嘆きました。
少女は誰になんと言われようと、レモンの樹の前で少年を待ち続けました。少女には次々と縁談話が持ち上がりましたが、全て断りました。帰ってくると言った少年の言葉を信じていたのです。しかし、とうとうレモンの樹が枯れかけていきました。少女の希望も、樹と同時に尽きようとしていました。しかし、奇跡が起きたのです。
枯れかけたレモンの樹が生き生きと輝き、花びらを咲かせたのです。少女が駆け寄ると、そこには少年が立っていました。あちこち怪我をしていましたが、元気に戻ってきたのです。
「遅くなって、ごめん」
あの日と同じように、少年がレモンの花を髪に飾ってくれました。少年が不思議そうにレモンの樹を見ます。
「不思議な事が起きたんだ。ジャングルで迷った時、どこからかレモンの花が飛んできたんだ。花が出口を教えてくれた。そのおかげで、俺達は戻ってこれたんだ」
少女は、あの夜を思い出しました。レモンの花が少年を助けてくれたのです。
翌年。
少年と少女は、レモンの樹の前で結婚式を挙げました。少女の髪には、レモンの花で作られた花冠が乗せられました。
それからも、レモンの樹は2人を見守り続けました。2人には子供ができて、孫ができて、平凡で穏やかな日々が訪れました。






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