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第壱章 【万年雪と紅の雫編】
新暦25年 夏 【1-1】 (side:レトロ)
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【都市ザバキエル郊外の橋頭堡跡】
私は熱々のココアが入ったコップを両手で持ち、息をふきかけて冷ましていました。
私の左手側には真ん中で白と黒に分かれた髪を後ろで結んだ黒い軍服姿の女性がソファに深く腰掛けてうなだれています。彼女の名はジーベンさん。一応、私達の隊長です。
彼女はなぜうなだれているのか。
それは、ジーベンさんが数時間前、私に熱々のココアを提供してしまったからです。
それが原因で、ミステルによる長い長いお説教を受けて絶賛反省中の身というわけです。
「おや、帰ってきたのか?」
ふと、ジーベンさんが顔を上げ、廊下の暗闇に顔を向けました。
「あら、ジーベン。それにレトロちゃんも居るのね。大幹部が二人も居るとは、この街で戦争でも始めるつもり?」
廊下の暗闇から現れたのは、駅員の制服を着たイヌイット族の少女でした。彼女の名前はメイザースさんと言います。私の所属する部隊では衛生兵長と副隊長を兼任しています。メイザースさんはそのままジーベンさんと向かい合う形で、空いているソファに深く腰掛けると、少し誇らしげにポケットから取り出した金貨をジーベンさんに見せつけて親指で弾き、人差し指と中指で見事に挟んでキャッチしてみせました。
「お前も大幹部だよ。それに今回は戦争をしに来たわけじゃない。目的はレトロの里帰りだ。まさか現地にお前が居るとは思わなかったが」
「そういえばそうだったわね。私に肩書きは似合わないので忘れていました。ところで、私が居るのは不服かしら」
「いや、逆に僥倖とも言える。レトロの世話を押しつけられるからな」
ジーベンさんがそう言い終わるか否かのタイミングで二人とも銃を抜き、互いの眉間に向けました。これは面倒なことになると、私の長年の経験則が訴えかけてきます。実際やり合っても勝負はつかないでしょう。最終的に弾薬と医療物資の無駄使いになるだけです。最悪の場合、確保したこの橋頭堡が崩壊する可能性だってあります。ここは鶴の一声として制止を促すのが最善策でしょう。
「お二人さん。同僚同士での殺し合いはご法度です」
私がよと言うよりも早く、二つの銃口がこちらを向きました。やはりこうなるんですねと心の中で苦笑しながら、発砲より僅かに早く横跳びで回避行動を取りました。二人共、互いを睨み合っていることから、反射的なノールック射撃なのは安易に想像できます。よって先読みしてこない分、回避自体はそこまで難しくはありません。ただ、二人共プロです。逃げ場をなくすために放たれた弾丸は存在します。いくら回避に専念しようと私の身体能力では全てを完璧に回避する事はできません。私の固有能力を使えば当たらないと思いますが、このままでは戦闘が発生し、激化した後では止められません。自分自身のダメージか、喧嘩の止め時。二つを天秤にかけた私は後者を選びました。
このまま固有能力を使わずに二人を殴──。
次の瞬間、私の左頬にジーベンの拳がめり込みました。
分かっていました。
なぜなら私とジーベンでは体格が違いすぎるのですから。
単純に身長だけでも二尺以上は違います。それに比例して腕の長さも私は劣ります。
小柄なら、懐に入るのがセオリーという方もいますが、そんなことをしたら蹴りを受けて内臓が潰れてしまいます。だから蹴られるより、殴られる方がよっぽどマシです。
「レトロ!?」
「レトロちゃん!?」
(あぁ、良かった。二人の意識を私に逸らすことが出来た)
私は右の眼窩に違和感を感じながら、そのまま壁に向かって吹き飛ばされ、ゴパンッという音を響かせて壁に叩きつけられました。
しかし、不思議なことにどこも痛みを感じません。でも頭の中がぼんやりします。頭の中に霧がかかったみたいに、全てが白い霧の向こう側で像を結びません。
「あ……れ……?」
次第に視界は赤く染まり、ぐにゃりと大きく歪んだかと思うと、ほどなくしてプツリと暗闇に包まれました。
「レトロちゃん!?すぐ、治療するね」
やや高い女性の声が聞こえます。
「メイザース。お前のそれ、いつ見てもすごいな。変装繊維だったか。確か、ミステルとの共同開発の」
中性的な声が聞こえます。
「ジーベン。今はレトロちゃんの治療が先ですわ。A-3とD-8の救急箱取ってきて、地下の十三番倉庫にあるから」
やや高い女性の怒りがこもった声が聞こえます。
「地下の十三番倉庫……って遠いな!?」
中性的な声がさっきより小さく聞こえます。
「あなたがレトロちゃんを殴るのが悪いんでしょ。早く行って」
やや高い女性の怒りがこもった声が微かに聞こえます。
「わ、分かったよ」
今にも消えそうな中性的な声が聞こえたのが最後に、音が途絶えました。
次に目を覚ました時には、天井が視界に入りました。私はソファに寝かされ、傍らには黒い軍服を着て、額には手術用拡大鏡をつけた大きなケモノ耳をした女性が簡易的な椅子に腰掛け、私を覗き込んでいました。
「おや、気が付いたのね。レトロちゃん」
女性の右腕には赤い十字架のマークと赤い文字でSRと書かれた黒地の腕章が部屋の光を反射して、少し眩しいと感じました。
「ここは……?」
「ザバキエル郊外の橋頭堡跡よ。ジーベンに殴られて忘れちゃった?」
「ジーベン?」
「一時的な記憶障害が出てるのね。あのバカどんな力で殴ったのよ。長くても数時間もすれば記憶は戻るわ。それにミステルには感謝しなきゃね。とっさの判断でレトロちゃんに麻酔レベルの強力な鎮痛剤を投与するなんて、私には到底、真似出来ない芸当だわ。常にレトロちゃんのバイタルを知覚しているミステル様々ね」
「ミス……テル……」
「さて、レトロちゃんが目覚めたし、ブレイクタイムにしましょう。レトロちゃん、無理せずゆっくり起きてね」
私は促されるまま、ゆっくりと体をおこしました。
「それにしても子供の姿になるのは全身が凝り固まりますし、味蕾も凄まじく敏感になるからコーヒーが嗜めないのが欠点ですわね」
湯気の立つコーヒーを少し嗜み、少しため息をつくと、女性は廊下へと顔を向けました。
「ところで、せっかくこんな極北の橋頭堡に来たのですから、あなたも何か飲まない?コーヒーくらいは入れますわよ」
私が視線を廊下に移すと、紅い光を放つ瞳が二つ。こちらの様子を窺うように廊下の暗闇からこちらを覗き込んでいる存在がいました。
「ぼ、僕はいいよ。まかないなんて……。呼ばれたから仕事をしただけ。当たり前のことだよ。お姉ちゃんを助けるのも当たり前。そう、当たり前なんだ……」
「誰?」
「ごめんねレトロ。僕は名乗れないんだ……。ミステルの鬼札だから。僕、もう帰るね。メイザースさんお邪魔しました」
フッと廊下の気配が暗闇に溶けるように消えました。
「え、ちょっと待って。あなた、私の名前知ってるの?それにまだ話したいことがってもう居ない。せっかくミステルの鬼札ちゃんと話す、いい機会だったのに……」
女性はため息をつきながら、ソファに深く腰掛けてコーヒーの注がれたコーヒーカップに口をつけました。
ジーベンと呼ばれる女性が帰って来たのは、鬼札さんが、帰ってから十数分後でした。
「あら、お早いお帰りですわねジーベン」
「言われた通りの救急箱を取ってきたぞメイザース。レトロの容態はどうだ?」
メイザースさんは眉間に青筋を浮かべ、笑顔を作りながら私を指さしました。
「お、おかえり。ジーベンさん」
「……へ?」
時間にして数秒、ジーベンさんは口をあんぐりと開いて私を見つめています。何か信じられないものを見たような反応です。
ジーベンさんは錆びた機械のようなぎこちない動きで私からメイザースさんへと視線を移しました。
「メイザース……まさか、私をパシリに使ったのか?」
「いいじゃない。ちょうど薬品が不足していたし、マスコットを殴り飛ばしたあなたには丁度いい罰ではないでしょうか。それに、あなたにとっても地下トンネルの全力ダッシュは程良いトレーニングになったんじゃない?」
メイザースさんは作り笑顔のまま、ティースプーンの先端をジーベンさんに向けた。
「確かに、良いトレーニングに……。ってサラッと論点すり替えるな。リーダーの私をパシリに使ったのが問題なのだ」
「イライラは欲求不満の証拠よ。もう一回、地下トンネル走ってきたらリフレッシュするんじゃない?」
「行くわけ無いだろ」
「そう。意外だわ」
メイザースさんは自分のティーカップをテーブルに置いて立ち上がり、棚からもう一組のソーサーとティーカップを出して、ジーベンさんの前に置いた。
「本来、紅茶とコーヒーの選択肢がありますが、生憎茶葉を切らせているので、強制でコーヒーですが飲みます?まぁ断っても注ぎますが」
メイザースさんはコーヒーを注ぎ始めました。注ぎ終わって湯気の立つコーヒー。
「どうぞ、ジーベン」
しかしジーベンさんはコーヒーに手をつけず、ソファに戻ったメイザースさんを鋭い眼光で睨みつけていました。
「そんな警戒せずとも薬なんて盛っていませんわ」
「お前がそれを言ったら、本当に盛ってそうだよ」
「やるなら、もうちょっと手の込んだやり方をしますわ。その点、付き合いが長いのですから分かっているでしょう?」
「それもそうか」
ジーベンさんはティーカップに口をつけ、コーヒーを口に含みました。
確か、ミステルが言っていました。「喧嘩するほど仲がいい。あの二人はその典型例だ。傍から見たら殺し合いをしている様子でも本人達は、ただじゃれ合っているだけだな」って。
「さて、戯れはここまでにして、ここからが本題ですわ。ジーベン、私の拠点まで来たんです。何か目的があるんでしょ?単にレトロの里帰りだけなら設備の揃っているザバキエルのホテルで待ち合わせた方が理にかなっています。しかし、それをしなかったという事は相応の理由があるのではないですか?ザイングラート軍人には知られたくない内容。例えば今日、正規軍の中央本部からザバキエルを訪れた遺物収集隊員の件とか」
「流石はメイザース。その情報はすでに耳に入っていたか。メイザースのことだ、すでに目標と遭遇したのだろ?」
「遭遇したわね。あ、レトロちゃんには棒付きココア氷をどうぞ」
メイザースさんが私の前に凍らせたココアに木製の棒が刺さったものを置きました。私はココア氷をぺろぺろと舐めながら、2人の話を聞くことにしました。
「我々を嗅ぎ回っている奴はどんなやつだった?」
「率直に危険度は低いと考えますわ。本物のターミナル職員であるかどうか見分けられないのは、一軍人が持つべき慎重さを欠いていると言わざるを得ないですね。考えられるとすれば、観光目的の気の抜けた軍人であるという結論が関の山でしょう」
「探るだけなら誰でもやっていることだからな。敵になったら消すだけだ。そうだろレトロ?」
意見を求められた。しかし、内容が難しすぎて理解できなかった。それどころか聞いて理解しようとするほど、代わりに何かが抜けていく気がしました。
(そうだ、今の私が感じている最大級の疑問と不安を投げかけてみよう)
「えっと、お姉さん達は誰?」
一瞬で場の空気が凍りついたのを感じました。すぐに、右手側に座る女性が私に駆け寄り、右のまぶたを指で開き、私の右目を覗きこみました。そういえば視界の右側が大きく欠けています。
「え、いない」
その言葉につられて左手側に座る女性も私の顔を覗き込んできました。
「おい、嘘だろ」
二人は顔を真っ青にしてほぼ同時に声を上げました。
「「ミステルどこ行ったぁぁ!!」」
私は熱々のココアが入ったコップを両手で持ち、息をふきかけて冷ましていました。
私の左手側には真ん中で白と黒に分かれた髪を後ろで結んだ黒い軍服姿の女性がソファに深く腰掛けてうなだれています。彼女の名はジーベンさん。一応、私達の隊長です。
彼女はなぜうなだれているのか。
それは、ジーベンさんが数時間前、私に熱々のココアを提供してしまったからです。
それが原因で、ミステルによる長い長いお説教を受けて絶賛反省中の身というわけです。
「おや、帰ってきたのか?」
ふと、ジーベンさんが顔を上げ、廊下の暗闇に顔を向けました。
「あら、ジーベン。それにレトロちゃんも居るのね。大幹部が二人も居るとは、この街で戦争でも始めるつもり?」
廊下の暗闇から現れたのは、駅員の制服を着たイヌイット族の少女でした。彼女の名前はメイザースさんと言います。私の所属する部隊では衛生兵長と副隊長を兼任しています。メイザースさんはそのままジーベンさんと向かい合う形で、空いているソファに深く腰掛けると、少し誇らしげにポケットから取り出した金貨をジーベンさんに見せつけて親指で弾き、人差し指と中指で見事に挟んでキャッチしてみせました。
「お前も大幹部だよ。それに今回は戦争をしに来たわけじゃない。目的はレトロの里帰りだ。まさか現地にお前が居るとは思わなかったが」
「そういえばそうだったわね。私に肩書きは似合わないので忘れていました。ところで、私が居るのは不服かしら」
「いや、逆に僥倖とも言える。レトロの世話を押しつけられるからな」
ジーベンさんがそう言い終わるか否かのタイミングで二人とも銃を抜き、互いの眉間に向けました。これは面倒なことになると、私の長年の経験則が訴えかけてきます。実際やり合っても勝負はつかないでしょう。最終的に弾薬と医療物資の無駄使いになるだけです。最悪の場合、確保したこの橋頭堡が崩壊する可能性だってあります。ここは鶴の一声として制止を促すのが最善策でしょう。
「お二人さん。同僚同士での殺し合いはご法度です」
私がよと言うよりも早く、二つの銃口がこちらを向きました。やはりこうなるんですねと心の中で苦笑しながら、発砲より僅かに早く横跳びで回避行動を取りました。二人共、互いを睨み合っていることから、反射的なノールック射撃なのは安易に想像できます。よって先読みしてこない分、回避自体はそこまで難しくはありません。ただ、二人共プロです。逃げ場をなくすために放たれた弾丸は存在します。いくら回避に専念しようと私の身体能力では全てを完璧に回避する事はできません。私の固有能力を使えば当たらないと思いますが、このままでは戦闘が発生し、激化した後では止められません。自分自身のダメージか、喧嘩の止め時。二つを天秤にかけた私は後者を選びました。
このまま固有能力を使わずに二人を殴──。
次の瞬間、私の左頬にジーベンの拳がめり込みました。
分かっていました。
なぜなら私とジーベンでは体格が違いすぎるのですから。
単純に身長だけでも二尺以上は違います。それに比例して腕の長さも私は劣ります。
小柄なら、懐に入るのがセオリーという方もいますが、そんなことをしたら蹴りを受けて内臓が潰れてしまいます。だから蹴られるより、殴られる方がよっぽどマシです。
「レトロ!?」
「レトロちゃん!?」
(あぁ、良かった。二人の意識を私に逸らすことが出来た)
私は右の眼窩に違和感を感じながら、そのまま壁に向かって吹き飛ばされ、ゴパンッという音を響かせて壁に叩きつけられました。
しかし、不思議なことにどこも痛みを感じません。でも頭の中がぼんやりします。頭の中に霧がかかったみたいに、全てが白い霧の向こう側で像を結びません。
「あ……れ……?」
次第に視界は赤く染まり、ぐにゃりと大きく歪んだかと思うと、ほどなくしてプツリと暗闇に包まれました。
「レトロちゃん!?すぐ、治療するね」
やや高い女性の声が聞こえます。
「メイザース。お前のそれ、いつ見てもすごいな。変装繊維だったか。確か、ミステルとの共同開発の」
中性的な声が聞こえます。
「ジーベン。今はレトロちゃんの治療が先ですわ。A-3とD-8の救急箱取ってきて、地下の十三番倉庫にあるから」
やや高い女性の怒りがこもった声が聞こえます。
「地下の十三番倉庫……って遠いな!?」
中性的な声がさっきより小さく聞こえます。
「あなたがレトロちゃんを殴るのが悪いんでしょ。早く行って」
やや高い女性の怒りがこもった声が微かに聞こえます。
「わ、分かったよ」
今にも消えそうな中性的な声が聞こえたのが最後に、音が途絶えました。
次に目を覚ました時には、天井が視界に入りました。私はソファに寝かされ、傍らには黒い軍服を着て、額には手術用拡大鏡をつけた大きなケモノ耳をした女性が簡易的な椅子に腰掛け、私を覗き込んでいました。
「おや、気が付いたのね。レトロちゃん」
女性の右腕には赤い十字架のマークと赤い文字でSRと書かれた黒地の腕章が部屋の光を反射して、少し眩しいと感じました。
「ここは……?」
「ザバキエル郊外の橋頭堡跡よ。ジーベンに殴られて忘れちゃった?」
「ジーベン?」
「一時的な記憶障害が出てるのね。あのバカどんな力で殴ったのよ。長くても数時間もすれば記憶は戻るわ。それにミステルには感謝しなきゃね。とっさの判断でレトロちゃんに麻酔レベルの強力な鎮痛剤を投与するなんて、私には到底、真似出来ない芸当だわ。常にレトロちゃんのバイタルを知覚しているミステル様々ね」
「ミス……テル……」
「さて、レトロちゃんが目覚めたし、ブレイクタイムにしましょう。レトロちゃん、無理せずゆっくり起きてね」
私は促されるまま、ゆっくりと体をおこしました。
「それにしても子供の姿になるのは全身が凝り固まりますし、味蕾も凄まじく敏感になるからコーヒーが嗜めないのが欠点ですわね」
湯気の立つコーヒーを少し嗜み、少しため息をつくと、女性は廊下へと顔を向けました。
「ところで、せっかくこんな極北の橋頭堡に来たのですから、あなたも何か飲まない?コーヒーくらいは入れますわよ」
私が視線を廊下に移すと、紅い光を放つ瞳が二つ。こちらの様子を窺うように廊下の暗闇からこちらを覗き込んでいる存在がいました。
「ぼ、僕はいいよ。まかないなんて……。呼ばれたから仕事をしただけ。当たり前のことだよ。お姉ちゃんを助けるのも当たり前。そう、当たり前なんだ……」
「誰?」
「ごめんねレトロ。僕は名乗れないんだ……。ミステルの鬼札だから。僕、もう帰るね。メイザースさんお邪魔しました」
フッと廊下の気配が暗闇に溶けるように消えました。
「え、ちょっと待って。あなた、私の名前知ってるの?それにまだ話したいことがってもう居ない。せっかくミステルの鬼札ちゃんと話す、いい機会だったのに……」
女性はため息をつきながら、ソファに深く腰掛けてコーヒーの注がれたコーヒーカップに口をつけました。
ジーベンと呼ばれる女性が帰って来たのは、鬼札さんが、帰ってから十数分後でした。
「あら、お早いお帰りですわねジーベン」
「言われた通りの救急箱を取ってきたぞメイザース。レトロの容態はどうだ?」
メイザースさんは眉間に青筋を浮かべ、笑顔を作りながら私を指さしました。
「お、おかえり。ジーベンさん」
「……へ?」
時間にして数秒、ジーベンさんは口をあんぐりと開いて私を見つめています。何か信じられないものを見たような反応です。
ジーベンさんは錆びた機械のようなぎこちない動きで私からメイザースさんへと視線を移しました。
「メイザース……まさか、私をパシリに使ったのか?」
「いいじゃない。ちょうど薬品が不足していたし、マスコットを殴り飛ばしたあなたには丁度いい罰ではないでしょうか。それに、あなたにとっても地下トンネルの全力ダッシュは程良いトレーニングになったんじゃない?」
メイザースさんは作り笑顔のまま、ティースプーンの先端をジーベンさんに向けた。
「確かに、良いトレーニングに……。ってサラッと論点すり替えるな。リーダーの私をパシリに使ったのが問題なのだ」
「イライラは欲求不満の証拠よ。もう一回、地下トンネル走ってきたらリフレッシュするんじゃない?」
「行くわけ無いだろ」
「そう。意外だわ」
メイザースさんは自分のティーカップをテーブルに置いて立ち上がり、棚からもう一組のソーサーとティーカップを出して、ジーベンさんの前に置いた。
「本来、紅茶とコーヒーの選択肢がありますが、生憎茶葉を切らせているので、強制でコーヒーですが飲みます?まぁ断っても注ぎますが」
メイザースさんはコーヒーを注ぎ始めました。注ぎ終わって湯気の立つコーヒー。
「どうぞ、ジーベン」
しかしジーベンさんはコーヒーに手をつけず、ソファに戻ったメイザースさんを鋭い眼光で睨みつけていました。
「そんな警戒せずとも薬なんて盛っていませんわ」
「お前がそれを言ったら、本当に盛ってそうだよ」
「やるなら、もうちょっと手の込んだやり方をしますわ。その点、付き合いが長いのですから分かっているでしょう?」
「それもそうか」
ジーベンさんはティーカップに口をつけ、コーヒーを口に含みました。
確か、ミステルが言っていました。「喧嘩するほど仲がいい。あの二人はその典型例だ。傍から見たら殺し合いをしている様子でも本人達は、ただじゃれ合っているだけだな」って。
「さて、戯れはここまでにして、ここからが本題ですわ。ジーベン、私の拠点まで来たんです。何か目的があるんでしょ?単にレトロの里帰りだけなら設備の揃っているザバキエルのホテルで待ち合わせた方が理にかなっています。しかし、それをしなかったという事は相応の理由があるのではないですか?ザイングラート軍人には知られたくない内容。例えば今日、正規軍の中央本部からザバキエルを訪れた遺物収集隊員の件とか」
「流石はメイザース。その情報はすでに耳に入っていたか。メイザースのことだ、すでに目標と遭遇したのだろ?」
「遭遇したわね。あ、レトロちゃんには棒付きココア氷をどうぞ」
メイザースさんが私の前に凍らせたココアに木製の棒が刺さったものを置きました。私はココア氷をぺろぺろと舐めながら、2人の話を聞くことにしました。
「我々を嗅ぎ回っている奴はどんなやつだった?」
「率直に危険度は低いと考えますわ。本物のターミナル職員であるかどうか見分けられないのは、一軍人が持つべき慎重さを欠いていると言わざるを得ないですね。考えられるとすれば、観光目的の気の抜けた軍人であるという結論が関の山でしょう」
「探るだけなら誰でもやっていることだからな。敵になったら消すだけだ。そうだろレトロ?」
意見を求められた。しかし、内容が難しすぎて理解できなかった。それどころか聞いて理解しようとするほど、代わりに何かが抜けていく気がしました。
(そうだ、今の私が感じている最大級の疑問と不安を投げかけてみよう)
「えっと、お姉さん達は誰?」
一瞬で場の空気が凍りついたのを感じました。すぐに、右手側に座る女性が私に駆け寄り、右のまぶたを指で開き、私の右目を覗きこみました。そういえば視界の右側が大きく欠けています。
「え、いない」
その言葉につられて左手側に座る女性も私の顔を覗き込んできました。
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二人は顔を真っ青にしてほぼ同時に声を上げました。
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