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初めましてシードロヴァ博士編
1 初めての所長勤務
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そよそよと心地の良い風が空から降ってきて私の体に当たった。崖の上で、足の長い草が、座っている私の体の隣で揺れている。この崖の淵に座り、眼下に広がる焼け野原を見下ろすことが今となっては日課となった。
サラサラと草花が風に揺れて生い茂っているこの場所とは違い、崖下は、数年前の戦争の影響でそれまでの緑一面の景色からうって変わり、コゲと残骸が散らばっていた。
この場所は勤め先の研究所から、少しばかり遠いが、以前、私が所属していた調査部での任務のおかげで、足腰だけは鍛えられている。
昼休みの時間になると、この場所まで来て、崖の淵に座って、下を覗き見ることが、最近は好きだ。決して変わり者では無いと思う。高いところが好きな人だって、この世界の何処かには少なくとも居るだろうし、私はそうだ。この崖に座って、落ちるか落ちないかの瀬戸際、ギリギリの興奮感が好きなのだ。
暫く崖下を覗いて満足すると、両手を地面につけて、体を支えながら反らして、今度は青い空を眺めた。小さな雲がゆっくりと風に乗って行くのを目で追って、物思いに耽る。今は研究所の所長は私だ。以前とは違い、自由な時間は少なくなっている。
以前の所長は、とても意地悪な性格をしていて、研究所の職員からとことん嫌われていた。
彼は研究開発部の出身で、その知識力を買われてヘッドに抜擢されたのだが、何せ自分よりも仕事が出来ない人間のことが理解出来ないようだった。以前、私もミスをしてしまった時に「どうやら頭まで筋肉で詰まっているようだな」なんてことを言われた経験もある。そんな意地の悪い彼が、急に研究所に来なくなったのは、今から二週間前のことだった。
その日の朝、私の所属する調査部と総務部の職員が、研究所のロビーで騒ついていたが、何故か研究開発部の人達はニヤニヤと楽しげに笑っていたのだった。それから彼らは、清々しくスッキリとした表情へと変えて、朝の研究室の空気を深呼吸し始めたのだ。彼らに話を聞けば、研究開発部の博士たちが、私の理解出来ない何かしらの高度な技術で、例の嫌われていたボスを嵌めたらしい。
そして、その後すぐに問題になったのは、次に誰が研究所のボスを務めるかだった。それを決める全体会議で、皆の視線が一気に私に集中したのは、まさしく心外で、一瞬自分の勘違いなのか自意識過剰なだけなのか、私が予想していることは間違っている、ただの自分の勘違いだと思ったが、「それじゃあ決まりで」という皆の言葉で、自分の考えが正しかったことを悟ると、オフィスからゾロゾロと出て行く皆のことを慌てて追いかけて、その理由を聞いた。
大体の意見が、私が取り敢えず所長をやれば皆が気持ちよく働けるから、だということだった。まだまだ二年目だし、所長の器でも無い気がしたが、皆がそれでいいと言うので、渋々とその座を引き受け、途方に暮れていると、一人、調査部の新人であるロケインという若い男性が私の元へやって来てくれて、照れた様子でこう語ってくれた。
「これまでも、キルディアさんが皆のことを前の所長から守ってくれたり、愚痴とか仕事上の悩みとか聞いてくれたりしたから、皆はついて行こうと決めたんです。僕だって、初めて働くこの職場で、あの所長の下でも楽しく勤務してこれたのは、あなたがいたからです。」
……何て素敵な言葉をくれるのだろう!例えそれが、おべんちゃらだったとしても構わない!彼のような素晴らしい人がいてくれて、感謝の気持ちで胸が満たされた私は、ついでに天や大地にまで感謝をしておいた。
何て素直で、いい人で優しいのだろう。単純かもしれないが、彼のその言葉で、私は「よし!これから頑張ろう!」と、簡単に意気込む事が出来た。
しかしそれも束の間、この研究所には前の所長が置いていった、負の遺産が多すぎる事が、皆からの報告書で次々に明らかとなった。
まず、研究開発部の人手が、明らかに足りなかった。この研究所は、帝国や一般企業、それから市民からの依頼で、壊れたメカを調査部がどの程度なのか見積もり、研究開発部が具体的な対策を講じるか、ツールを作成し、それを持ってまた調査部が修理しに行く、というのが大抵の業務なのだが、依頼に対して研究開発部の人間が足りなかったのだ。
さらに調査部では、備品が古いままで人命に関わるものだし、その上私も、他の研究所との会議や調査部や総務部の手伝い、研究依頼の対応など、所長としてのスケジュールを把握する事が困難になった。
気休め程度に参加した事業主交流会で、他の研究所の所長が秘書を雇っていることを知り、私もそうしたいと思うようになった。そして、その人物には、願わくば研究開発部としても作業してほしい……。
「募集をかけるか……。」そう呟いた私は、崖下の焼け野原を、もう一度だけ眺めてから立ち上がった。そして研究所に戻ることにした。
研究所に戻ってから、真っ直ぐに自分のオフィスに向かって、机のPCを使って、新しい職員をネットから応募することにした。募集要項に書き込みながらも、具体的にどのような人物が欲しいのか、練っていく。研究開発部や秘書として働いてくれる、そして、出来れば経験者が良かった。
でも、それらの条件をクリア出来るような人材が、この小さな研究所に来てくれるなんて、そんなうまい話は中々転がってはこないだろう……。半ば諦めの気持ちになったまま、募集を出した。
だが、事態は変わった。私が求人媒体から募集を出してから僅か数十分後に、応募があったことを総務のキハシくんが教えてくれたのだ。彼に呼ばれて、ロビーのカウンターの中に入った私は、驚いた。
いつも淡々と仕事をこなして、無表情がデフォルトの彼が、何度も自分の眼鏡のレンズを拭いては、PCの画面を食い入るように見つめていて、かなり動揺している様子だったからだ。どうしたのかと彼の隣からPCを覗くと、彼が私に言った。
「ボス、すごい経歴の人物から応募があったんだけど……いや、これはいたずらかもしれないな。でも一応見てみて、これなんだけど!」
キハシくんがPCの画面を指差した。その時に、もう一人の総務部である、ロングの真っ直ぐな黒髪が綺麗で、背がすらりと高く、一見モデルのような風貌をしたリンという女性が、ファイルを抱きしめながらやって来た。
彼女とは付き合いが長く、プライベートでも仲が良いので、私たちは肩をくっつけながらその画面を見た。PCには、応募書類が表示されていて、その顔写真には、金色?いやクリーム色に近い長髪の、端正な顔立ちの男性が写っていた。そして何かに気付き、真っ先に「あっ」と声をあげたのは、リンだった。
「なになに、え!?帝国大学院卒で……帝国研究所の所長!?この人、天才的な発明をしたって、ニュースで何度も見たことあるから知ってる!シードロヴァ博士だよ!」
聞きなれない発音の名前だったので、私は苦い顔をして、リンに聞き返した。
「し、シードなに?」
「え?知らないの?シードロヴァ博士だよ!ねえねえ、キハシくん、これ本当なのかな?絶対に嘘に決まってるよ!だって、帝国研究所の現所長が応募してくるとか、ははは!確かにこのジョークは笑えるけどさ!」
ケラケラ笑うリンが、戸惑うキハシくんの肩を、バシバシと手のひらで叩いている。確かに、帝国研究所と言えば、このルミネラ帝国の最高研究機関であるし、そこの所長ともなれば、帝国議会に発言を許される程に、位の高い立場にある。
その地位を捨てて、この小さなソーライ研究所に来ることなど、メリットが全く見えないし、まず考えられない。残念だけど、これはリンやキハシ君の言う通り、イタズラなのかもしれない……。
キハシくんはツーブロックの髪の毛を、手のひらで押さえながらPCの画面を見つめていて、この応募が、本当に本人のものからなのか、何度も確かめている。リンが画面を指差して、私に言った。
「だってこの人、先月だか、また帝国新聞の一面に載ってたよ?位置測定機能がどうとかで、何をどう発明したのか、私もよく分からないジャンルだから深いところまでは読んでないけど、彼の研究が何なのか、アリスだったら知ってると思うから聞いて。そうそう、それに……あとすっごくイケメンなの!ほらほらこの顔写真見てよ!誰もが悩み、苦しむ、証明写真というジャンルで、このクオリティだからね、実際に会ったら、もっとイケメンに違いないよ!」
リンの興奮具合は明らかに上昇している。側から見れば、ただの清楚美人なお姉さんなのに、一度口を開くと、彼女の頭の中で考えていることが、彼女の口から垂れ流されてしまう。彼女にとっては呼吸をすることと、おしゃべりすることは同等なのかもしれない。そして、それが原因で、その容姿でも中々恋人が出来ないのだろうが……何度、彼女にモテない原因を聞かれても、まだそのことは言えずにいる。どうも私は、攻め込んだ発言が出来ない人間なのだ。
彼女の発言を薄ら笑いで流した私は、キハシくんのPCの画面をこちらに向けて、もう一度よく博士の志望データを拝見した。その末尾に博士のサインがあるのを発見した。それは本人の直筆だと思われた。となると……理由は不明だが、これは事実なのかもしれない。
「一応、志願書に博士のサインもあるし、シードロヴァ博士と、面接をしてみようと思う。」
私の発言を聞いた二人が、戸惑った表情で目を合わせ、そして苦笑いしたキハシ君が、私に話した。
「僕が悪かった。こんなに分かりやすい冗談に、まんまと引っかかってしまってさ。これはきっと、嘘のデータに違いないよ。サインだって頑張れば偽装出来るし、経歴だって博士は有名だから、ちょっと調べれば他の誰かにも細かく書くことが出来る。だから、面接のアポ取るだけ無駄だよ。」
「まあ、それでも、一応面接の日時を彼と話し合ってみることにする。だってそれで本当にシードロヴァ博士が来たら、すごいじゃない。」
「すごいけど」と、目を合わせた二人を背にして、私はオフィスに戻り、自称シードロヴァ博士に面接OKの返事をしたのであった。
その後のシードロヴァ博士とのやりとりは、怖いほどに順調に進んでしまった。私だって、半信半疑のまま彼に返事をしたのだが、どうもやりとりをしていると、彼の文面の節々に、今まであまり感じたことのない知性を感じた。それが、どうやら志願しているのは、本物の博士らしいと私の中で裏付ける証拠になってしまっている。だけど、お金も権力もあって、人生に困らなさそうな人間が、どうして、この小さな研究所の来たいと思う?何度も頭の中で、そう疑問に思った。
そして、彼との面接が翌日になったことを、カウンターで作業している総務の二人に告げると、二人は戸惑いと疑惑の溢れる表情で、私を見つめてきたのだった。そして、キハシ君がカウンター越しに私の肩を掴みながら言った。
「ボス、やっぱりやめておいたほうがいい。信じたい気持ちは分かるけど、その人絶対にシードロヴァ博士じゃないと思うし、もし万が一、本人だったとしても、帝国研究所の差し金……にしてはダイレクト過ぎる!このちっさな研究所に、そんなことするメリットがあるのか、全く分からないけど、きっと!何か裏があるんだと思うよ。」
そうだそうだ、と言わんばかりの表情をしたリンが、椅子から立ち上がった。
「うん、私たちのこの研究所が、海沿いでオーシャンビューだから、きっと帝国研究所の支社として欲しがってるに違いないよ!」
「それはないと思う。」
キハシくんのツッコミが無かったら、私が同じことを言って突っ込んでいただろう。リンの考えはともかく、私はこめかみに手を当てながら、この困った問題を考えた。……いや、純粋にこの出来事を受け入れることができれば、レジェンドレベルの人材確保が出来る、千載一遇のチャンスなのだ。この、傾きかけて綱渡り状態の研究所に、彼のような人物が来てくれたら、皆の士気だって高まるだろう。やはり、私は彼と面接をしたい。だから二人を説得することにした。
「でも、アドレスもシードロヴァ博士本人のものだし、帝国研究所の所長が、自分のアドレスを盗まれるほど抜けているとは思えない。何だか、なんとなく本人っぽいもの、来たら来たで理由も事情も分かるだろうから、とにかく会うことにしてみるよ。」
「まー、確かにこの博士のアドレスは簡単に偽造出来ないかもしれないけど……分かった。ボスが会うというのなら、俺はもう何も言わない。」
根負けしてくれたキハシくんが座った。彼のことを見ていたリンも「面白そう~」と呟きながら座った。こうして私は、その自称帝国研究所の所長と面接をすることになった。
サラサラと草花が風に揺れて生い茂っているこの場所とは違い、崖下は、数年前の戦争の影響でそれまでの緑一面の景色からうって変わり、コゲと残骸が散らばっていた。
この場所は勤め先の研究所から、少しばかり遠いが、以前、私が所属していた調査部での任務のおかげで、足腰だけは鍛えられている。
昼休みの時間になると、この場所まで来て、崖の淵に座って、下を覗き見ることが、最近は好きだ。決して変わり者では無いと思う。高いところが好きな人だって、この世界の何処かには少なくとも居るだろうし、私はそうだ。この崖に座って、落ちるか落ちないかの瀬戸際、ギリギリの興奮感が好きなのだ。
暫く崖下を覗いて満足すると、両手を地面につけて、体を支えながら反らして、今度は青い空を眺めた。小さな雲がゆっくりと風に乗って行くのを目で追って、物思いに耽る。今は研究所の所長は私だ。以前とは違い、自由な時間は少なくなっている。
以前の所長は、とても意地悪な性格をしていて、研究所の職員からとことん嫌われていた。
彼は研究開発部の出身で、その知識力を買われてヘッドに抜擢されたのだが、何せ自分よりも仕事が出来ない人間のことが理解出来ないようだった。以前、私もミスをしてしまった時に「どうやら頭まで筋肉で詰まっているようだな」なんてことを言われた経験もある。そんな意地の悪い彼が、急に研究所に来なくなったのは、今から二週間前のことだった。
その日の朝、私の所属する調査部と総務部の職員が、研究所のロビーで騒ついていたが、何故か研究開発部の人達はニヤニヤと楽しげに笑っていたのだった。それから彼らは、清々しくスッキリとした表情へと変えて、朝の研究室の空気を深呼吸し始めたのだ。彼らに話を聞けば、研究開発部の博士たちが、私の理解出来ない何かしらの高度な技術で、例の嫌われていたボスを嵌めたらしい。
そして、その後すぐに問題になったのは、次に誰が研究所のボスを務めるかだった。それを決める全体会議で、皆の視線が一気に私に集中したのは、まさしく心外で、一瞬自分の勘違いなのか自意識過剰なだけなのか、私が予想していることは間違っている、ただの自分の勘違いだと思ったが、「それじゃあ決まりで」という皆の言葉で、自分の考えが正しかったことを悟ると、オフィスからゾロゾロと出て行く皆のことを慌てて追いかけて、その理由を聞いた。
大体の意見が、私が取り敢えず所長をやれば皆が気持ちよく働けるから、だということだった。まだまだ二年目だし、所長の器でも無い気がしたが、皆がそれでいいと言うので、渋々とその座を引き受け、途方に暮れていると、一人、調査部の新人であるロケインという若い男性が私の元へやって来てくれて、照れた様子でこう語ってくれた。
「これまでも、キルディアさんが皆のことを前の所長から守ってくれたり、愚痴とか仕事上の悩みとか聞いてくれたりしたから、皆はついて行こうと決めたんです。僕だって、初めて働くこの職場で、あの所長の下でも楽しく勤務してこれたのは、あなたがいたからです。」
……何て素敵な言葉をくれるのだろう!例えそれが、おべんちゃらだったとしても構わない!彼のような素晴らしい人がいてくれて、感謝の気持ちで胸が満たされた私は、ついでに天や大地にまで感謝をしておいた。
何て素直で、いい人で優しいのだろう。単純かもしれないが、彼のその言葉で、私は「よし!これから頑張ろう!」と、簡単に意気込む事が出来た。
しかしそれも束の間、この研究所には前の所長が置いていった、負の遺産が多すぎる事が、皆からの報告書で次々に明らかとなった。
まず、研究開発部の人手が、明らかに足りなかった。この研究所は、帝国や一般企業、それから市民からの依頼で、壊れたメカを調査部がどの程度なのか見積もり、研究開発部が具体的な対策を講じるか、ツールを作成し、それを持ってまた調査部が修理しに行く、というのが大抵の業務なのだが、依頼に対して研究開発部の人間が足りなかったのだ。
さらに調査部では、備品が古いままで人命に関わるものだし、その上私も、他の研究所との会議や調査部や総務部の手伝い、研究依頼の対応など、所長としてのスケジュールを把握する事が困難になった。
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「募集をかけるか……。」そう呟いた私は、崖下の焼け野原を、もう一度だけ眺めてから立ち上がった。そして研究所に戻ることにした。
研究所に戻ってから、真っ直ぐに自分のオフィスに向かって、机のPCを使って、新しい職員をネットから応募することにした。募集要項に書き込みながらも、具体的にどのような人物が欲しいのか、練っていく。研究開発部や秘書として働いてくれる、そして、出来れば経験者が良かった。
でも、それらの条件をクリア出来るような人材が、この小さな研究所に来てくれるなんて、そんなうまい話は中々転がってはこないだろう……。半ば諦めの気持ちになったまま、募集を出した。
だが、事態は変わった。私が求人媒体から募集を出してから僅か数十分後に、応募があったことを総務のキハシくんが教えてくれたのだ。彼に呼ばれて、ロビーのカウンターの中に入った私は、驚いた。
いつも淡々と仕事をこなして、無表情がデフォルトの彼が、何度も自分の眼鏡のレンズを拭いては、PCの画面を食い入るように見つめていて、かなり動揺している様子だったからだ。どうしたのかと彼の隣からPCを覗くと、彼が私に言った。
「ボス、すごい経歴の人物から応募があったんだけど……いや、これはいたずらかもしれないな。でも一応見てみて、これなんだけど!」
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「なになに、え!?帝国大学院卒で……帝国研究所の所長!?この人、天才的な発明をしたって、ニュースで何度も見たことあるから知ってる!シードロヴァ博士だよ!」
聞きなれない発音の名前だったので、私は苦い顔をして、リンに聞き返した。
「し、シードなに?」
「え?知らないの?シードロヴァ博士だよ!ねえねえ、キハシくん、これ本当なのかな?絶対に嘘に決まってるよ!だって、帝国研究所の現所長が応募してくるとか、ははは!確かにこのジョークは笑えるけどさ!」
ケラケラ笑うリンが、戸惑うキハシくんの肩を、バシバシと手のひらで叩いている。確かに、帝国研究所と言えば、このルミネラ帝国の最高研究機関であるし、そこの所長ともなれば、帝国議会に発言を許される程に、位の高い立場にある。
その地位を捨てて、この小さなソーライ研究所に来ることなど、メリットが全く見えないし、まず考えられない。残念だけど、これはリンやキハシ君の言う通り、イタズラなのかもしれない……。
キハシくんはツーブロックの髪の毛を、手のひらで押さえながらPCの画面を見つめていて、この応募が、本当に本人のものからなのか、何度も確かめている。リンが画面を指差して、私に言った。
「だってこの人、先月だか、また帝国新聞の一面に載ってたよ?位置測定機能がどうとかで、何をどう発明したのか、私もよく分からないジャンルだから深いところまでは読んでないけど、彼の研究が何なのか、アリスだったら知ってると思うから聞いて。そうそう、それに……あとすっごくイケメンなの!ほらほらこの顔写真見てよ!誰もが悩み、苦しむ、証明写真というジャンルで、このクオリティだからね、実際に会ったら、もっとイケメンに違いないよ!」
リンの興奮具合は明らかに上昇している。側から見れば、ただの清楚美人なお姉さんなのに、一度口を開くと、彼女の頭の中で考えていることが、彼女の口から垂れ流されてしまう。彼女にとっては呼吸をすることと、おしゃべりすることは同等なのかもしれない。そして、それが原因で、その容姿でも中々恋人が出来ないのだろうが……何度、彼女にモテない原因を聞かれても、まだそのことは言えずにいる。どうも私は、攻め込んだ発言が出来ない人間なのだ。
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「一応、志願書に博士のサインもあるし、シードロヴァ博士と、面接をしてみようと思う。」
私の発言を聞いた二人が、戸惑った表情で目を合わせ、そして苦笑いしたキハシ君が、私に話した。
「僕が悪かった。こんなに分かりやすい冗談に、まんまと引っかかってしまってさ。これはきっと、嘘のデータに違いないよ。サインだって頑張れば偽装出来るし、経歴だって博士は有名だから、ちょっと調べれば他の誰かにも細かく書くことが出来る。だから、面接のアポ取るだけ無駄だよ。」
「まあ、それでも、一応面接の日時を彼と話し合ってみることにする。だってそれで本当にシードロヴァ博士が来たら、すごいじゃない。」
「すごいけど」と、目を合わせた二人を背にして、私はオフィスに戻り、自称シードロヴァ博士に面接OKの返事をしたのであった。
その後のシードロヴァ博士とのやりとりは、怖いほどに順調に進んでしまった。私だって、半信半疑のまま彼に返事をしたのだが、どうもやりとりをしていると、彼の文面の節々に、今まであまり感じたことのない知性を感じた。それが、どうやら志願しているのは、本物の博士らしいと私の中で裏付ける証拠になってしまっている。だけど、お金も権力もあって、人生に困らなさそうな人間が、どうして、この小さな研究所の来たいと思う?何度も頭の中で、そう疑問に思った。
そして、彼との面接が翌日になったことを、カウンターで作業している総務の二人に告げると、二人は戸惑いと疑惑の溢れる表情で、私を見つめてきたのだった。そして、キハシ君がカウンター越しに私の肩を掴みながら言った。
「ボス、やっぱりやめておいたほうがいい。信じたい気持ちは分かるけど、その人絶対にシードロヴァ博士じゃないと思うし、もし万が一、本人だったとしても、帝国研究所の差し金……にしてはダイレクト過ぎる!このちっさな研究所に、そんなことするメリットがあるのか、全く分からないけど、きっと!何か裏があるんだと思うよ。」
そうだそうだ、と言わんばかりの表情をしたリンが、椅子から立ち上がった。
「うん、私たちのこの研究所が、海沿いでオーシャンビューだから、きっと帝国研究所の支社として欲しがってるに違いないよ!」
「それはないと思う。」
キハシくんのツッコミが無かったら、私が同じことを言って突っ込んでいただろう。リンの考えはともかく、私はこめかみに手を当てながら、この困った問題を考えた。……いや、純粋にこの出来事を受け入れることができれば、レジェンドレベルの人材確保が出来る、千載一遇のチャンスなのだ。この、傾きかけて綱渡り状態の研究所に、彼のような人物が来てくれたら、皆の士気だって高まるだろう。やはり、私は彼と面接をしたい。だから二人を説得することにした。
「でも、アドレスもシードロヴァ博士本人のものだし、帝国研究所の所長が、自分のアドレスを盗まれるほど抜けているとは思えない。何だか、なんとなく本人っぽいもの、来たら来たで理由も事情も分かるだろうから、とにかく会うことにしてみるよ。」
「まー、確かにこの博士のアドレスは簡単に偽造出来ないかもしれないけど……分かった。ボスが会うというのなら、俺はもう何も言わない。」
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