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38.グラキエスは動揺する。
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薄いクリーム色の石材で造られた柔らかな曲線を描くロウバイ宮殿の前で、皇帝グラキエスとカメリアは立っていた。カメリアが扉をノックしても返事がなく、その宮殿の主は自分ならば皇帝の臨御を拒否することができる、と思っているようだ。
「陛下、ロウバイ宮殿に鍵がかかっております」
「開けるように言え」
「無理だと思いますよ」
カメリアが何度目かはわからないため息を吐いた。陛下はなぜこのような愚かな振る舞いをしだしたのだろうーー、その顔にははっきりとそう書かれている。
何度か扉を叩き、チャイムを鳴らしても中からひとが出てくる様子はない。
「無駄足ですね」
「ーーー」
グラキエスの手が光る。彼はその手でドアノブに触れた。
パキッ。
ドアノブが徐々に凍りつき、扉から外れる。凍ったノブを払い、開いた扉をグラキエスは通る。
「ーーおやまあ……。これはこれは野蛮なことをーー」
セラフィナの侍従セチアが呆れたようにため息を吐いた。
「ーークラメンを呼べ」
「侍女の名をご存じとは……。凄まじいご寵愛ですな……」
「どこだ?」
「ーーさあ……ッ」
皇帝に詰め寄られようと余裕を見せていたセチアだが、次の瞬間、顔を恐怖に引きつらせることになる。宮殿の温度が急に下がったのだ。そして、徐々に部屋に霜がつき、床の石タイルは表面が凍りついていく。
「陛下!落ち着いてくださいーー!侍従殿!凍りたくなければ、陛下の言う通りにしなさい!」
「!」
カメリアはぶるぶると震えだしたセチアに、きつい口調で言葉を放った。男が口元を引きつらせ、悔しそうな表情で後ろにいる侍女に顔を向ける。
「クラメンはどこにいるのだ!?」
「は、はいっ!いまーー、セラフィナ様がーー……」
青ざめた侍女が、口ごもる。グラキエスは無表情のまま侍女の前を横切った。
「あ、あのーー……」
「発言を許していない」
「クラメンを助けてくださいっ!!」
その言葉にグラキエスが走りだした。
「ーー陛下が、ーー走るなんて……」
唖然とした顔で、カメリアははじめて見る光景を見送る。
奥の扉を開けると、グラキエスの目の前には天井から吊るされたクラメンの姿が入ってきた。
「ーーあら、何のご用です?」
ぐったりと気を失っている彼女の横で、鞭をもつセラフィナがにたりと笑う。
「何の真似だ?」
「ほほっ。躾ですわーー、わたくしに意見するなんてね」
「ーー侍女は何を言った?」
鋭く切り込んでいくグラキエスの問いを、軽くかわすような態度でセラフィナが返した。
「陛下が気にすることはありませんわ……」
ふふっ、とうれしそうに乙女が鞭を振り回し、子供のような無邪気さでグラキエスに微笑えむ。そんな自身の妃候補を、冷めきった目で皇帝は見た。内心は話すのも疎ましく、見るに堪えないーー、と思っているのかもしれないーー。
「妃候補であるわたくしを、そんな目で見るとは……。あんまりですわ……」
「ーー陛下!」
突如、気を失っていたはずのクラメンが、主の言葉を遮り、凛とした声をあげた。
「おまえーーッ!」
すぐにセラフィナは侍女の口を塞ぐために、手に持った鞭を大きく振り上げる。
「ツキリ様は城にはいることができず、ーー路銀も持っておりませんーー!」
「お黙りなさい!」
振り上げられた鞭を恐れることなく、クラメンが大声をあげた。彼女の目には自身の主ではなく、ここにいない彼のことを主と思う覚悟が見える。
「そうかーー……」
迎えにいかなければーー、すぐに城から出ていきそうなグラキエスに、セラフィナが声をかけた。
「ほほっ……。行ってどうなります?」
「………」
「ーーあの日、この侍女に指示をだし、ツキリをある館で泊まるように仕向けたんですのーー」
「………」
静かにグラキエスのまわりの空気が凍りついていく。それは彼の動揺する心と、まるで同調しているような現象だった。
「ーーあれは、たしか……、ラノス伯爵別邸……、いえ、伯爵令嬢ロディテ様のお屋敷でしたわねーー」
「!」
「ちゃんと見たそうですよ……。貴方様とロディテ様の絵をーー」
「…………ッ」
拳を握りしめたグラキエスは、ゾッとするような暗く冷たい目でセラフィナを睨んだ。その生気のない瞳には、眼前にいる女への明確な憎悪が滲みでている。
「ほほほっ。知られたくなかったですわよねーー……。もう陛下のお顔を見るのも嫌でしょう……」
「ツキリ様はーー!」
バシッ。
クラメンの肩に鞭が飛ぶ。「グッ!」、逃げ場のない痛みにクラメンがもがき苦しむ。グラキエスは手を少しだけ動かした。すると、クラメンを拘束していた綱が切れ、彼女が床にドサッと落ちる。
「まあ、お優しいことーー」
その言葉を聞かず、グラキエスは身を翻した。
「お帰りですかーー?誰かお見送りをしてさしあげてーー」
「………」
馬鹿にするようなセラフィナの姿を気にもとめず、グラキエスは部屋を後にする。ーーいや、気にしている余裕など彼にはないのだろうーー……。
乱れた靴音を響かせ、グラキエスは無言で歩く。その不規則な音は、まさにいまの彼をよく現していた。
ーー自分がここまで動じるとはーー、彼の心は自身が予想しなかった感情に揺さぶられ、冷静さを保てなくなっている。
ーーロディテを見てツキリはどう思った?どう感じている?ーー気になるのはそこだ、今すぐにでもツキリに聞きたいーー……。だが、…………、聞いてどうなるーー……?
「陛下……」
表情の凍りついた主を案じ、カメリアが言葉をかけた。
「………」
だが、グラキエスは一言も言葉を発することもなく、ロウバイ宮殿から出ていく。
「いかがなさいました?」
後ろを歩きながら、カメリアが気を使う。あまりにも陛下の様子がおかしいーー、いまのグラキエスからは、いつもの威厳に満ちた凄みが感じられない。まったくといっていいほどだ。
「………」
失意に沈むような主の顔に、カメリアもそれ以上何も言葉を続けられなかった。
ただ、彼女は悟った。フリーギドゥム城におけるセラフィナの目に余る行為は、その後も続くことになるだろうとーー………。
「陛下、ロウバイ宮殿に鍵がかかっております」
「開けるように言え」
「無理だと思いますよ」
カメリアが何度目かはわからないため息を吐いた。陛下はなぜこのような愚かな振る舞いをしだしたのだろうーー、その顔にははっきりとそう書かれている。
何度か扉を叩き、チャイムを鳴らしても中からひとが出てくる様子はない。
「無駄足ですね」
「ーーー」
グラキエスの手が光る。彼はその手でドアノブに触れた。
パキッ。
ドアノブが徐々に凍りつき、扉から外れる。凍ったノブを払い、開いた扉をグラキエスは通る。
「ーーおやまあ……。これはこれは野蛮なことをーー」
セラフィナの侍従セチアが呆れたようにため息を吐いた。
「ーークラメンを呼べ」
「侍女の名をご存じとは……。凄まじいご寵愛ですな……」
「どこだ?」
「ーーさあ……ッ」
皇帝に詰め寄られようと余裕を見せていたセチアだが、次の瞬間、顔を恐怖に引きつらせることになる。宮殿の温度が急に下がったのだ。そして、徐々に部屋に霜がつき、床の石タイルは表面が凍りついていく。
「陛下!落ち着いてくださいーー!侍従殿!凍りたくなければ、陛下の言う通りにしなさい!」
「!」
カメリアはぶるぶると震えだしたセチアに、きつい口調で言葉を放った。男が口元を引きつらせ、悔しそうな表情で後ろにいる侍女に顔を向ける。
「クラメンはどこにいるのだ!?」
「は、はいっ!いまーー、セラフィナ様がーー……」
青ざめた侍女が、口ごもる。グラキエスは無表情のまま侍女の前を横切った。
「あ、あのーー……」
「発言を許していない」
「クラメンを助けてくださいっ!!」
その言葉にグラキエスが走りだした。
「ーー陛下が、ーー走るなんて……」
唖然とした顔で、カメリアははじめて見る光景を見送る。
奥の扉を開けると、グラキエスの目の前には天井から吊るされたクラメンの姿が入ってきた。
「ーーあら、何のご用です?」
ぐったりと気を失っている彼女の横で、鞭をもつセラフィナがにたりと笑う。
「何の真似だ?」
「ほほっ。躾ですわーー、わたくしに意見するなんてね」
「ーー侍女は何を言った?」
鋭く切り込んでいくグラキエスの問いを、軽くかわすような態度でセラフィナが返した。
「陛下が気にすることはありませんわ……」
ふふっ、とうれしそうに乙女が鞭を振り回し、子供のような無邪気さでグラキエスに微笑えむ。そんな自身の妃候補を、冷めきった目で皇帝は見た。内心は話すのも疎ましく、見るに堪えないーー、と思っているのかもしれないーー。
「妃候補であるわたくしを、そんな目で見るとは……。あんまりですわ……」
「ーー陛下!」
突如、気を失っていたはずのクラメンが、主の言葉を遮り、凛とした声をあげた。
「おまえーーッ!」
すぐにセラフィナは侍女の口を塞ぐために、手に持った鞭を大きく振り上げる。
「ツキリ様は城にはいることができず、ーー路銀も持っておりませんーー!」
「お黙りなさい!」
振り上げられた鞭を恐れることなく、クラメンが大声をあげた。彼女の目には自身の主ではなく、ここにいない彼のことを主と思う覚悟が見える。
「そうかーー……」
迎えにいかなければーー、すぐに城から出ていきそうなグラキエスに、セラフィナが声をかけた。
「ほほっ……。行ってどうなります?」
「………」
「ーーあの日、この侍女に指示をだし、ツキリをある館で泊まるように仕向けたんですのーー」
「………」
静かにグラキエスのまわりの空気が凍りついていく。それは彼の動揺する心と、まるで同調しているような現象だった。
「ーーあれは、たしか……、ラノス伯爵別邸……、いえ、伯爵令嬢ロディテ様のお屋敷でしたわねーー」
「!」
「ちゃんと見たそうですよ……。貴方様とロディテ様の絵をーー」
「…………ッ」
拳を握りしめたグラキエスは、ゾッとするような暗く冷たい目でセラフィナを睨んだ。その生気のない瞳には、眼前にいる女への明確な憎悪が滲みでている。
「ほほほっ。知られたくなかったですわよねーー……。もう陛下のお顔を見るのも嫌でしょう……」
「ツキリ様はーー!」
バシッ。
クラメンの肩に鞭が飛ぶ。「グッ!」、逃げ場のない痛みにクラメンがもがき苦しむ。グラキエスは手を少しだけ動かした。すると、クラメンを拘束していた綱が切れ、彼女が床にドサッと落ちる。
「まあ、お優しいことーー」
その言葉を聞かず、グラキエスは身を翻した。
「お帰りですかーー?誰かお見送りをしてさしあげてーー」
「………」
馬鹿にするようなセラフィナの姿を気にもとめず、グラキエスは部屋を後にする。ーーいや、気にしている余裕など彼にはないのだろうーー……。
乱れた靴音を響かせ、グラキエスは無言で歩く。その不規則な音は、まさにいまの彼をよく現していた。
ーー自分がここまで動じるとはーー、彼の心は自身が予想しなかった感情に揺さぶられ、冷静さを保てなくなっている。
ーーロディテを見てツキリはどう思った?どう感じている?ーー気になるのはそこだ、今すぐにでもツキリに聞きたいーー……。だが、…………、聞いてどうなるーー……?
「陛下……」
表情の凍りついた主を案じ、カメリアが言葉をかけた。
「………」
だが、グラキエスは一言も言葉を発することもなく、ロウバイ宮殿から出ていく。
「いかがなさいました?」
後ろを歩きながら、カメリアが気を使う。あまりにも陛下の様子がおかしいーー、いまのグラキエスからは、いつもの威厳に満ちた凄みが感じられない。まったくといっていいほどだ。
「………」
失意に沈むような主の顔に、カメリアもそれ以上何も言葉を続けられなかった。
ただ、彼女は悟った。フリーギドゥム城におけるセラフィナの目に余る行為は、その後も続くことになるだろうとーー………。
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