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チワワ男が豹変したら
しおりを挟む華々しいファンファーレとともに、合成音声のアナウンスが響いた。
「アナタ方ハ 誘拐サレマシタ!」
――は?
杏はふらつく頭を押さえながら眉をしかめた。
目覚めたのはついさっき。四限の眠たい古文書解読の講義を受け終わり、あくびを噛み殺しながらコンビニへバイトに行こうとしたところまでは覚えている。気づけば、けばけばしいピンク色のカーペットの上に転がっていた。
こめかみのあたりに突き刺さるような痛みがある。口の中もカサカサだ。咳き込みながらあたりを見回すと、赤みがかった薄暗い部屋の中だった。キングサイズらしきベッドが中央に鎮座ましましていて、そこだけ明るく照らし出されている。シーツや枕も薄いピンク色で、可愛らしいというよりは、何だかいやらしい。
「杏、大丈夫?」
駆け寄ってきたのは同じゼミの楓だった。ふわふわの明るい髪。猫のような大きな目。村上春樹を愛する文学少年で、女子たちと一緒に買い物に行くのが好きな、どちらかというと女の子っぽい男である。杏もあまり異性として意識したことはない。
見知った顔と出会って杏はほっとした。
「楓……どこ、ここ?」
「わからない。窓もないし、ドアも開かないんだ」
楓は可愛らしい眉をひそめて首をぶるぶる振る。
杏も立ちあがり、部屋の中を改めた。ベッドとカーペット以外に何もない空間だった。ドアは紫っぽいピンクに塗りつぶされている。壁も原色のピンクだし、この部屋の持ち主とは趣味が合いそうにない。
ビーズをびっしり貼り付けられてギラギラしたドアノブを握ってみる。動かなかった。
心臓の音が耳の中に響いている。何が起こっているのだろう。
楓の顔を見る。今にも気絶してしまいそうなほどに真っ白だった。そして、おそらくは自分も。
その時だった。パリパリとした音が聞こえ、ファンファーレとともに「アナタ方ハ 誘拐サレマシタ!」のアナウンスが流れたのは。
「誘拐……?」
漏れでた声は自分のものとは思えなかった。膝ががくがくと笑っている。
「安心シテ クダサイ! 危害ヲ 加エル ツモリハ アリマセン!」
胡散臭い声が高らかに宣言した。確かに怪我はしていないが、誘拐された時点で充分危害は加えられているのではないだろうか。
「アナタ方ニハ、みっしょんヲ 与エマス! みっしょんヲ くりあスレバ 自由ノ 身デス!」
楓と顔を見合わせる。最近見た映画に、部屋に閉じ込められた男女が殺し合いをさせられる、というものがあった。まさか楓と戦えというのではないだろうか。杏の背中を冷たいものが走る。
「ソノ みっしょん トハ――」
アナウンスが一瞬途切れ、ドラムロールが鳴り出した。勿体ぶった演出だ。完全に遊ばれている。
「ジャ、ジャン! せっくす デ―ス!」
パンパカパーン! という音が虚しく響いた。
「は、ぁ?」
杏の口から間抜けな声が漏れた。今何と言った。
セックス。言われてみればここには男と女が二人きり。部屋の中央には大きなベッド。
だがしかし、相手が楓とは。同じゼミで仲はいいが、そういう対象として見たことはない。
目が合った瞬間、楓は弾かれたように顔を背けた。首筋が赤い気がする。照明が赤っぽいからそう見えるだけかもしれないが。
「せっくす スルマデ、絶対ニ 部屋カラ 出ラレマセン! ソレデハ、二人トモ 励ンデ クダサ―イ!」
ぶつん、と放送が途切れた。
楓が眉をしかめながら耳たぶを引っ張っている。考え事をしている時の彼の癖だ。
「これ、もしかして『ピンク色の部屋』ってやつじゃないかな」
「なにそれ?」
壁がピンクなのは見ればわかる。杏の視線に、楓は説明し始めた。
「ネットで噂されてる都市伝説だよ。今のアナウンスとか、部屋の内装とか、丸っきり同じだ。犯人はわかってないけど、言われた通りに、その、セックスすると、無事に出られるらしいんだ。生還者を名乗る書き込みが何件かある」
セックスの部分だけもごもごとした口調で楓が言う。耳を赤くしている様は女の子みたいだ。
「他に方法はないの?」
「うん。脱出できないか何日か粘ったカップルもいたみたいなんだけど、餓死しそうになって最終的に、その、したらしい。自力では絶対に出られなかったって。もしかしたら拒否し続けた人もいるかもしれないけど、まぁ、出られなかった人は書き込みなんて出来ないだろうから、どうなったかはわからないよね……」
つまりセックスしないと出られないということか。
部屋にはぎこちない沈黙だけが残った。
それから二人は脱出できる場所がないか部屋の中を調べ回った。
悲鳴をあげるでもなく、映画のように騒いだりはしない。はたから見れば冷静そのものだっただろう。でもお互いに手が震えているのはわかっていた。
何度か楓が壁の向こうへ助けを求めて大声を出したが、案の定反応はない。しばらく頑張ってみたものの、何の収穫もなく、疲れてしゃがみこむ。
ただし二人の間には妙な距離が空いている。セックスしろと言われてからずっとこうだった。
「楓、私はいいよ。しても」
杏は疲れとともに諦め始めていた。不可抗力とはいえバイトを無断欠勤している。服以外の荷物を奪われているから何時かわからないし、もしかしたら一日以上眠らされていたかもしれない。家族が捜索願いを出している可能性もある。大学だってテストが近い。それに何より、差し迫った問題として、ここにはトイレがない。餓死するよりもそちらの方が杏には恐怖だった。
楓が目を見開いていた。もとから大きい目が更に大きくなっている。
「犯人を喜ばせるのも癪だけど、それしか方法がないんだったら」
死ぬわけじゃないし、貞操観念など非常事態ではくそ食らえだ。杏も処女じゃないが、たぶん楓も童貞ではない。
「で、でも、杏は女の子だし」
楓は外見が可愛いくせに、変なところで男を見せてくる。
「そーゆーのはいいよ別に」
「でも……」
乗り気なのが杏で、及び腰なのが楓。理想を言えば杏も恥ずかしがって「だって」とか「でも」とか言いたいのだが、残念ながらしおらしさは持ち合わせていない。
「杏、強いね。泣いたりしないし。こんな状況、ねーちゃんだったら大変なことになってる」
「そうかな。みんな案外こんなもんなんじゃないかな」
それに、ただの噂だとしても、セックスした男女は無事に帰還しているというのが希望になっている。犯人の言うことさえ聞けば、安全は保証されているのだ。
「……でも、杏は他に好きな人いるじゃん」
「は?」
楓の口からそんな言葉が出てくるとは思わなかった。
「いや、え? 誰のこと?」
とぼけているのではない。本当にわからないのだ。
「孝太郎」
楓は間髪入れず指摘してくる。
「……あー、あれはいいんだよ」
学科の仲間と好きなタイプは誰々という話になった時、盛り上がっている空気を壊すのが面倒くさくて、適当な男の名前を言ったことがある。もうこっちも忘れていたのに、いつの間にか本人の耳に入って、わざわざ呼び出されてお断りされたのがついこの前。告白もしてないのにふられるってどういうことだ。苦々しくてあまり思い出したくない。
「孝太郎かっこいいじゃん。俺と違って男らしいし。そんなにすぐ忘れられる?」
「うん、忘れられる、忘れられる」
「そう……」
適当に相づちを打つと、楓はしばらく考えこんでしまった。またもや微妙な沈黙が広がって内心汗をかく。
「そ、そりゃ、セックスは好きな相手としたいよ? でも孝太郎のことは気にしないでいいし。お互い好きでもない相手とするのは嫌かもしれないけど、でも仕方ないじゃん? こんな状況だしさ」
いたたまれずにペラペラしゃべると、楓がピクリと反応した。
「『仕方ない』……?」
「そ、そうでしょ。だってうちら付き合ってるわけでもないし」
楓がゆっくりと立ち上がった。なぜか纏っているオーラが今までと違う。
「そっか、『仕方ない』、か……」
薄暗い照明を背後に、楓のほの光る目が見下ろしてくる。なよなよしいと思っていたらこんな顔もできるのか。
「う、うん……?」
何かわからないが楓のスイッチを押してしまったらしい。杏はこの期に及んで逃げ出したくなった。
「……わかった。本当にいいんだよね?」
手首をぐいと捕まれた。引っ張られるまま立ちあがり、転ぶようにベッドに乗る。びっくりする間もなく、楓が上から覆い被さってきた。
「だって、これは『仕方ない』ことだもんね?」
さっきまで及び腰だったくせに、急にどうしたのだろう。
楓の手は性急だった。杏の着ていたセーターとブラウスを一度にめくりあげ、ブラジャーまでたくしあげてしまう。
「ひゃ」
乳首をぱくりと咥えられて間抜けな声が出た。下を見ると、楓の大きな目がこちらを射ぬくようにギラギラと光っていた。怒気を孕んだ視線にびくりとする。
なぜ怒っているのか。そんなに杏を抱くのが嫌なのか。
確かに杏は胸は大きくないし、ウエストも括れていないし、足もむっちりしている。顔も普通。楓みたいな可愛い男には可愛い女の子がお似合いだ。
まるで告白してもいないのにふられたような気分だった。ついこの前にも同じ気持ちになったはずだが、自分はそういう運命のもとに生まれてしまったのだろうか。
「硬くなってきたよ」
「んんっ」
胸の突起を爪で弾かれて、杏は鼻にかかった声を出す。
スカートの中に手が潜り込んできた。引きちぎるような勢いで下着を脱がされる。
強引に膝を割り開き、楓が体を滑り込ませてきた。そして暗く笑う。
「仕方なくでも濡れるんだね」
「そ、そーゆーの、言わないで……」
誰かが楓のことをチワワに似ていると言っていた。だが今は獰猛な狼にしか見えない。普段よく話していたのに、こんなふうになるとは思わなかった。豹変しすぎて怖い。
楓の顔が足の間に降りてくる。
「うそうそっ! それはだめっ!」
風呂にも入っていないのに舐められるのは抵抗がある。だが楓は言うことを聞いてくれなかった。
ぴちゃり。
舌が触れた瞬間、全身の肌が気化してしまうような気がした。
「ひああ……」
軟体動物のような舌が、溝を縦になぞる。一枚一枚めくるように分け入ってくる。
「うぅんっ……」
割れ目のあわいに潜む突起をかすめられた瞬間、脳に突き刺さるような電流が駆け抜けた。
「あぁ……」
柔らかく捏ね回され、じっとりと汗をかく。中途半端に脱がされた衣服が鬱陶しかった。漏れ出る喘ぎを抑えるように手を口へ持っていく。
「すごい、濃いね」
何が、とは聞けなかった。体がおかしい。決して丁寧な愛撫ではないのに、今まで経験したことがないぐらい熱い。熟れすぎて地面に落ちた柿のように、そこがグズグズになっているのがわかる。
こんな状況で興奮しているなんて、自分はどうしてしまったのか。むしろこんな状況だからなのか。
いや、それとも。
――相手が楓だから?
顔を上げた楓の唇がぬらぬらと光っている。そこから今、恥ずかしい場所を舐めた舌がちらりと覗いて、杏の首がかっと燃え上がった。
「もう入れるけど、ここまで濡れてればいいよね?」
どう返事すればいいのかもわからない。杏は口に手を当てたまま、楓が下だけ脱ぐのを見ていた。
ご丁寧にも枕元にはコンドームの包みがあり、楓がそれを装着する。その一瞬だけ誘拐犯のことを思い出して、本当に思い通りになっていいのかと迷いが走った。
遮ったのは楓の言葉だ。
「いくよ」
低い声。同時に硬いものが侵入してくる。杏は息を止めた。この時だけは体が強張る。
蛇が這い入るように、ずず、とそれは進む。やがて楓の腰がぴったりとくっついた。痛みもひきつれもなく、ただ抉られるような硬さと、ずんと響く質量だけがある。
「っは……」
唇を噛んでいた楓が、上擦った声を漏らした。こちらと目があって、苦しそうに瞳が歪む。
「これ、被ってて」
楓はパーカーを脱ぐと、杏の顔の上に被せた。視界が真っ暗だ。杏がとっさに取り払おうとすると、強い力で押さえ込まれる。
「なんでっ」
「孝太郎のこと考えてていいよ」
「は?」
訳もわからず、パーカーを握りしめる。楓の匂いがする。とたんに心臓が締め付けられたような気がした。
「杏を抱いてるのは俺じゃない。孝太郎だと思えばいい。俺の顔が見えなきゃ大丈夫でしょ?」
ゆっくりと引き抜かれて、内襞を擦られる。
「っあぁ……!」
「俺に抱かれるのは仕方ないのかもしれないけど、好きな人だと思えば杏も楽しめるよね?」
「何言って……! ひぃんっ!」
また深く叩き込まれる。腹の奥にぶつかって、快楽が鈍く響く。
「あ……はぁ……あぁ……!」
視界を奪われていると、体の感覚が研ぎ澄まされて、余計に刺激を追ってしまう。恥骨が男性器の付け根にぶつかり、クリトリスが押し潰される。その度に背骨が熔けてしまいそうな快感が走る。足の先まで熱が飽和して行き場がない。
微かな水音と、肉と肉のぶつかる音がする。楓は無言だ。どんな顔をしているのだろう。何を考えているのだろう。暗闇の中では杏は独りぼっちだ。
「あ、あっ、……目! 見えないの、怖いぃっ! はぁっ……楓の顔っ、見たいよっ……! あっ……!」
杏は力の入らない手でパーカーを投げ捨てた。
とたんに楓の泣きそうな顔が飛び込んでくる。なぜそんな顔をしているのだろう。怒っているのではなかったのか。
「杏って馬鹿!? 俺がどんな思いで……!」
「かえで……っ!」
名前を呼ぶと動きがぴたりと止まった。
「ここにいるのは、楓だよ……。他の誰でもない。他の男なんか、関係ないよ……!」
楓の顔がますますくしゃくしゃになる。
「……あんずっ!」
ぶつかるようにキスをされた。楓の舌が入り込んでくる。荒々しく吸われて、後頭部がじぃんと痺れた。
「杏! 杏!」
楓が再び動き始める。切羽詰まった男の顔。すがりつくような、許しを乞うような。
「あぁ……っ! んん……!」
楓のふわふわの頭の向こうに、持ち上げられた杏の爪先が揺れている。視界が滲んで、やがて焦点も合わなくなる。
熱が渦巻いて、体が飴のように甘く、どろどろと、べたべたと溶けていく。
――好き。
ふいに浮かび上がってきた言葉に、杏は驚いた。
違う。これは閉じ込められて、仕方なくしていることだ。流されてどうする。
ちょろい自分に嫌気がさしてきた。楓がキスなんてしてくるから勘違いしてしまうのだ。男がベッドで言うことは信用するなと誰かも言っていた。
だが思考は次々と恐ろしい仮説を導き出してくる。
家族が捜索願いを出すのを待っていれば、もしかしたら警察が見つけてくれて、こんなことしなくても助け出されたのでは。
トイレが我慢出来なくなるのも怖かったけれど、せめて一晩くらいは粘ってみてもよかったのでは。
――それなのに、すんなりとセックスを受け入れたのは、楓に抱かれるのがそんなに嫌じゃなかったからでは。
ぎゅん、と膣が締め付けられるのが自分でもわかった。
「き、つ……!」
楓が呻く。気づけば杏は自ら腕を伸ばして彼に抱きついていた。意外に逞しい肩にすがりつき、彼の柔らかい髪をかき回す。
キスをするたび、きゅんきゅんと楓を咥えこんでいる場所が、そして心臓が締め付けられる。
もうどうでもいい。
だって、気持ちいい――。
「っく!」
楓が一番奥に肉槍を抉り込み、びくびくと跳ねた。杏はふわふわした前髪の間の、切なそうに閉じられた目を見ていた。これが楓のイク時の顔か。長い睫毛が細かく震えている。
「っは! はぁっ、はぁっ……」
楓が体を引抜き、杏の横に転がった。
今まで楓が触れていた部分に冷たい空気が入り込む。起き上がろうと思ったが足に力が入らない。
「かえで……」
かすれた声で名前を呼ぶ。そしてぎょっとした。楓が大きな目からぼろぼろと涙をこぼしていた。さっきの狼っぷりはどこへやら、もとのチワワに戻っている。
「な、なんで泣いてんのっ!?」
「だって、杏との初めてがこんな形って……」
薄いピンク色のシーツに突っ伏しながら楓はグスグス言っている。
「どういう意味」
「俺、もし杏と付き合ったら、もっと大事にしたいとか、雰囲気も盛り上げてとか、いろいろ考えてたのにっ……。杏が俺とするの『仕方ない』とか言うから、ついカッとなっちゃって……」
「んん?」
いやいや、それはどういう意味だ。それではまるで、楓が杏のことを好きみたいではないか。
「んんんんんん?」
徐々に顔が熱くなる。
「ちょっ……と、待って……」
今更ながらスカートの裾を直し、セーターもお腹まで下げる。やることやっといて恥じらうのもどうかと思うが、楓の気持ちを知る前と後ではこちらの心構えが違う。
「本気で言ってる?」
「こんな状況で言うのもどうかと思うけど、杏のことがずっと好きだった」
涙で潤んだ目で言われた。可愛い男がそんな表情をすると芸術的ですらある。
「ごめん、傷ついてるのは杏の方だよね。好きでもない相手と『仕方なく』寝ただけだし」
楓が顔をこすりながら起き上がる。
「忘れて。いや、俺が言うのもどうかと思うけど。今までも普段通りで……、ってのは無理だよね。こんなことしておいて今更……ごめんね」
ぼそぼそ言いながら楓はそそくさと身繕いを始める。決してこちらを見ようとしない。
無性にイラッとした。
「何勝手に結論出してんの?」
告白してもいないのに振られた経験はあるけれど、告白されたのに振られるのは初めてだ。どいつもこいつも杏の気持ちを聞く前に答えを出すのはやめて欲しい。
「なんで、私が断る前提?」
やっとこっちを見た楓が、きょとんとした目で首を斜めに傾けている。なんだその仕草は。女の杏より可愛いのが悔しい。
「え……?」
楓の目に力が戻ってきた。首から額まで、下の方から順に赤くなっていく。
「それって、まだ望みはあるってこと……?」
「いやいやいやいや、まだわかんないけど! 急にこんなことになって私も混乱してるっていうか」
慌てて否定しつつ、うつむいて前髪を撫で付ける。
「でも、正直に言うと……楓に触られるの、嫌じゃ、なかった」
心臓が暴れすぎて肋骨が痛かった。もう爆発して死ねる。
「もう一回、触ってもいい?」
楓が四つん這いになってこっちへやってくる。上目遣いが反則だ。杏がイエスと言うべきかノーと言うべきか迷っているうちに、楓の手が頬へと伸びてきた。
唇が重なる。さっき抱かれながらめちゃくちゃにキスをしたのに、初めてしたみたいに心臓が高鳴った。
「好きだよ、杏」
「う、うん。ありがとう?」
杏はまだ好きとは言い返せない。今まで楓のことを異性として見たこともなかったのだ。
楓の腕が抱き締めてくる。温かい。しばらくそうしていると、ぬくもりが溶け合って、お互いの体の境界線がわからなくなる。
ずいぶん長いことそうしていた気がする。楓がぼそりと言った。
「ヤバい。たっちゃった」
「え?!」
楓は杏の肩に突っ伏したまま顔を見せない。でも耳がこれ以上ないくらい真っ赤なのはわかる。
「ほんとごめん、こんな時に」
「え、いや、いいよ全然?!」
自分でも何が「いいよ」なのかわからない。
「さっきの杏、可愛かったなぁって思ったら、つい……」
そういうことを言われるとこっちも照れる。
「もう一回してもいい?」
「え?」
さすがにそれはどうだろう。
付き合うかどうかも決まっていない状態で、ずるずると関係を持ってもいいものだろうか。
こんな非常時で何度も盛るのもどうかと思う。セックスしろとは言われたが、回数は特に指定されなかったはず。
そういえば一回合体し終わったが、ドアは開いたのだろうか。ミッションとやらを遂行したものの、本当に解放されるのかどうかわからない。ドアの鍵が開いているのかだけは確認したい気もする。
――だというのに。
「杏……」
やっと楓が顔をあげた。その目が熱っぽく杏の体を焼く。そんなに見つめられたら疼いてしまうのも仕方ないだろう。
杏は、断ることが出来なかった。
「一回、だけだよ?」
杏の言葉に、楓の背後で揺れまくる犬の尻尾が見えた気がする。
「さっきはちょっと強引でごめんね。次は優しくするから」
楓に抱き締められる。確かに一回目は性急だった。それでも気持ち良かったのに、優しくされたら自分の体はどうなってしまうのだろう。
すでに期待でいっぱいになりながら、杏も楓の肩に手を回す。
唇が重なる。入り込んできた舌は柔らかく、杏をくすぐるように動いた。
「杏、好きだよ……」
生々しい吐息の合間に、楓が呟いてくる。
「好き……好き……」
何度も吹き込まれて、同じ言葉が頭の中をぐるぐると回る。まるで洗脳されていくかのようだ。
楓に促されて、後ろから抱き締められる形になる。背中からすっぽり包まれていると、安心感がすごい。守られている感じだ。
楓の匂いがする。さっきパーカーで目隠しされた時のことを思い出して、また足の付け根がきゅっとなる。
「あんまり肌は出さないようにするね。犯人が見てるかもしれないし」
「そっか……」
それでさっきも服を脱がさなかったのだろうか。
セーターの裾から楓の手が入り込んでくる。すぐに胸にいくかと思ったのに、腹を優しく撫で回された。穏やかな快感が背筋を這い上がり、後頭部のあたりでしゅわしゅわと弾ける。
ホックの外れたままのブラジャーが、ゆっくりとずらされる。柔らかさを楽しむように手が膨らみをまさぐり始めた。楓の手に合わせてセーターの生地が歪むのを、杏は切なく唇を噛みしめながら見つめる。
「んん……」
「声、我慢しないでね? 杏の声、可愛いから」
そんなことを言われてもどうしろと。
「あっ……」
胸の尖りに触れられる。両方同時にくるくるとくすぐられて、肩が震える。
「は、ぁ……!」
それからも楓の指は、痛いまでに固くなった場所を縦に弾いたり、横に弾いたり、押し潰したりして翻弄する。宣言通りの優しいタッチだが、凶悪なほどにじっくりとしつこい。
「あ、あっ……もう……もうっ……」
足の付け根がすごいことになっている。早くそちらにも触れられたくて疼くのが我慢できない。膝をこすりあわせて訴えてみるが、気づいているのかいないのか、楓は胸への愛撫を止めない。
「かえ、でっ……」
「ん?」
後ろから耳に吸い付かれて、唇がわなわなと震える。
「下、もっ……」
「……ここ?」
焦らすように楓の手がスカートの中に入ってくる。杏は必死になってこくこく頷く。下着はさっき脱がされて足首に引っ掛かったままだった。触られるとダイレクトに濡れた場所だ。
「はあああっ」
小さな水音がしたような気がした。スカートまで濡れていないだろうか。
楓に一撫でされただけで膝ががくがく震える。中指がゆるゆると割れ目にめりこんでくる。
「ここ、好き?」
クリトリスをツンツンつつかれる。
「あああ!」
顎が跳ね上がって、もう少しで楓に頭突きしてしまうところだった。
「やっぱり好きなんだ?」
耳元で楓が軽く笑う気配がした。とたんにクリトリスに宛がわれた指が暴れ出す。
「ひぃん! やぁあ!」
一回目も感じまくっていたけれど、エクスタシーまでは到達できなかった。その時の熾火が再び燃え上がって、杏の体を焼く。飛び散る火の粉が目の奥に見える。
「やっ! やっ! あああんっ!」
――このままではイッてしまう。
と思った時には遅かった。
「あああああっ!」
びくん、びくん、と体が跳ねる。全身に力がこもって、一気に汗が吹き出した。
「は、あ……」
ぼんやりしていると、後ろから唇を奪われた。酸欠で頭が働かない。密着度の高さとあまりの幸福感に、まるで楓と恋人同士であるような錯覚が芽生えてくる。
「こっちは、どうされるのが好き?」
「あっ……!」
痙攣したばかりの膣内に指が潜り込む。一度楓自身を受け入れたからか、そこは柔らかく解れていた。
「んっ! んんっ!」
「浅いとこ? それとも奥?」
「わ、っかんなっ……!」
楓の指は長くてしなやかだった。好きなように動き回っては、杏の弱い場所をあぶり出そうとする。
「こことか、どう?」
「ひぃいい!」
深いところでじんわりと広がる何か。腰の内を快楽の蛇が這い回る。
「そ、こっ!」
「ここがいいんだ?」
「んんっ!」
同じ場所を重点的に責められる。水音が響いて耳から溶けてしまいそうだ。
「杏、ごめんね、もう我慢できない」
思ったよりも逞しい腕にうつ伏せにさせられる。手早くゴムをつけた楓が、後ろからのし掛かってきた。
「あああっ!」
最も深いところが抉られる。猫のように背中を反らせながら、杏は必死でシーツにしがみついた。突き上げの激しさに体が上へとずれていく。それを楓が引きずりおろして、また貫かれる。
「あっ! あ! あ! ああっ!」
「杏っ! 杏!」
ああ、まただ。楓が名前を呼んでくる。そんなことをされたら、本当に好きになってしまいそうで怖いのに。
「かえでっ」
首をねじりながら後ろを振り向く。
「きすっ、したいぃ……」
つい口走ってしまった言葉に、楓がはっとしたような表情になった。
「こっち向いて」
足を捕まれて器用に体を回転させられる。あっという間に正常位だ。
楓の顔が目の前にあった。汗びっしょりで髪額に張り付いている。可愛いだけでなく色気も出せるとは、この男に死角はないのか。
「やっぱり、顔見れた方がいい……」
杏がへにゃりと笑うと、楓は今にも泣きそうな顔になった。
「杏、好き!」
「ひあ!」
体内の楔が動き始める。
「好きだよ! 愛してる!」
「あっ! あっ!」
さっき探り当てられたいいところもゴリゴリと擦られる。しゅわしゅわ、ぞわぞわ、繋がっている部分から説明できない感覚が沸き起こってきた。視界が白く濁って、星が飛ぶ。
「ねぇっ、もういいよね? こんなことしちゃって、杏、もう俺の彼女でいいよねっ?」
「やあぁん……っ!」
「杏っ! 好きだよ!」
だから、脳がどろどろに溶けている時に、そんなこと刷り込まないで欲しい。楓といると気持ちいいって、体で覚えてしまう。
「か、ぇでっ……」
「あんず!」
腕も足も楓に絡み付かせて、全身で抱きつく。
どうしよう、好きかもしれない。これは本当の本当に。勘違いとかでもなくて。
流されてどうする、と思っていたけれど。
――流されてみるのもいいんじゃない?
「かえで……私も、好き……」
呟いて、そして思い知る。予想以上に自分が楓のことを好きかもしれないことに。
このやるせなさ。相手にぶつけただけではもの足りない、好きという気持ち。だからさっきから楓も好きだ好きだと暴力的に繰り返すのだろうか。
楓の肩に額を押し付けて杏は絶頂した。
「杏っ……!」
少し遅れて楓も身を震わせた。
二人で抱き合ったまま荒い息を吐く。どちらともなしにキスをした。静かな部屋に、ちゅ、ちゅ、とリップ音が響く。
「みっしょん 達成!!」
突然あのアナウンスが流れた。二人で顔を見合せる。
「オメデトウ ゴサイマス! コレデ 晴レテ 自由ノ 身デス! 末長ク オ幸セニ!」
ぼふん、という音とともに大量の煙が沸き上がった。視界が真っ白に塗りつぶされる。
「な、なにこれっ?!」
「杏、大丈夫?」
楓がぎゅっと抱き締めてくれる。
煙が薄くなってくるにつれ、次第に周囲の様子がわかってきた。
がらんとした室内。今までいたピンク色の部屋より広く、体育館くらいの空間が広がっている。コンクリートがむき出しで殺風景だ。廃墟とまでは言わないが、寒々しさは似たようなものだった。大きな窓には、テナント募集の張り紙が外に向けて貼ってある。
意味がわからない。今までピンク一色だったあの部屋はどこへ行ったのか。ふかふかのベッドに座り込んでいたはずが、いつの間にか埃だらけのコンクリートにへたりこんでいる。
「なんで急に場所が違うの?! テレポート? それとも今までのが幻覚?」
「わからない。都市伝説によると、いつも終わりは狐に化かされたみたいになるって」
あらかじめ情報を知っている楓は私よりも冷静だった。
「俺、ここ見覚えがあるんだけど」
「ほんと?」
「うん、ちょっと行ってみよう」
二人とも身支度を整え、周囲を探索する。奪われた荷物はドアの近くに置いてあった。ビーズなんてひとつも付いていない、黒い塗装が剥げた扉を、おっかなびっくり押してみる。錆びた音がして、あっさりとそれは開いた。
外には普通に人が歩いていた。太陽は傾き始めているが、日が暮れるには少し早い。スーパーの買い物袋を持った主婦や、ベビーカーを押す若いママさんとすれ違って、急に拍子抜けした。
なんだこれ、ピンク色の部屋と世界が違いすぎる。
「ここ、あの空きビルじゃない? 大学に行く電車の中からよく見えるやつ」
今出てきた建物を指さして楓が言う。言われてみればその通りだった。よかった。これで帰り道もわかる。
とたんにスマホの着信音が鳴った。杏のだ。相手はバイト先の店長だった。勤務時間が過ぎてるのにいつになったら来るんだ、とのお叱りの電話だった。
「や、ややややややばい! 店長、めちゃくちゃ怒ってる! すぐ行かなきゃ!」
不思議なことに、誘拐されていた間の時間もほとんど経過していないようだった。ちょうどこれからバイトに行く時に杏はあの部屋へ閉じ込められたのだ。
「杏、待って!」
楓が杏の腕をつかむ。突然キスをぶちかまされた。ここは道路の真ん中。人の往来もある。
「な、なっ――!?」
「また後で話そう? 二人のこれからについて」
やっていることは急に強引になるくせに、楓はその可愛らしい顔で女の子みたいにふんわり笑っている。
「えっ? あ、うん?? って、ばかー!」
ピンク色の部屋に閉じ込められた時よりもぎゃーぎゃー騒ぎながら、杏は駅に向かって走り出した。
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