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第2話 アクアリウム・パニック

バスに揺られて

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「シトラス、今日は制服じゃないポメ?」

朝の支度をするシトラスを見上げながら、ポメポメは尋ねる。
シトラスはいつも、学校のある日はえんじ色のブレザーにグレーのスカートの制服を着ているのだが、今日は違う。ネイビーブルーに白い差し色の入ったジッパー式の上着と、それとおそろいのハーフパンツ。

体育の授業の時に着るはずの体操着を、何故かまだ登校前なのにもう身に着けている。

「うん!今日はいつもの授業じゃなくてね─」

───

聖フローラ学園において、初夏に行われる校外学習は生徒たちの一大イベントである。

学年ごとに行先は異なるのだが、今年の二年生の行先は数カ月にも及ぶ大規模な工事を経てリニューアルオープンしたばかりのラコルト市内の水族館「マリン・ユートピア」であることもあり、生徒たちの間でも期待が高まってた。

そしてこの日を何より楽しみにしていたのは─

「わーっどうしよどうしよ!昨日寝ようと思っても目がギンッギンになっちゃって!!マリン・ユートピア、リニューアルしてからまだ行ったことなかったしめちゃくちゃ楽しみ~!!」

シトラスの親友、キルシェだった。

(キルシェってイベント大好きだもんね……)

学校で行われる行事はもちろん、クリスマスやハロウィン、夏休みや文化祭といったお祭り騒ぎではいつも人一倍張り切っているのがキルシェである。

そんな彼女がマリン・ユートピアへの校外学習を楽しみにしていたのは言うまでもなく、今朝学園に集合した時点からずっとこの調子であった。

キルシェは付箋がびっしりとついたマリン・ユートピアのガイドブックをバッグから取り出すとページを開いて見せる。

「やっぱりイルカショーは絶っっっ対外せないよね!シトラス知ってる?ここの水族館のイルカさん、人懐っこくて有名なんだよ!」

そう言ってキルシェが見せたページには、一般の客と思わしき女性がイルカから頬にキスされている写真が掲載されていた。

「わぁ……こんな風に仲良くなれたら絶対楽しいよね」

どうやらショーの時間外でもイルカを見学できる時間帯があり、運が良ければこうしてイルカとの触れ合いも楽しめるらしい。ガイドブックの中でも大きく取り上げられているところを見ると、この水族館はイルカをだいぶ前面に押しているようだ。

「でしょでしょ!自由時間になったら行ってみようよ!!」

「うん!」

目を輝かせるキルシェの提案にシトラスは頷く。

「それにしても、リニューアルでほんとにあちこち変わったんだね。この巨大水槽もすごそう……」

「ね!世界的に見ても最大級の大きさなんだって!実際の海に近い感じにしたいからって色んな工夫してるみたいだよ!こんなの見ごたえしかないじゃん……!」

「すごいなぁ……」

二人がガイドブックに載った様々な情報を見ながらそんな会話をしていた時だった。



「ねぇ、シトラスちゃん。さっきからずっとリュック膝の上に置いてるけど……邪魔じゃないの?」

「えっ」

話しかけてきたのは、向いの通路に座っていた女子生徒のひとりだった。
どうやら、大半の生徒がリュックを座席の上にある網棚に収納している中、シトラスだけが膝の上に置いていたのが気になったらしい。

「あっ、えっと……だい、じょうぶ……だよ……?」

(うぅ……リュックの中にはポメポメがいるから置けなかったんだよ……!!)

シトラスの脳裏に、バスが急カーブを曲がったり急停車した時に起こる可能性が浮かび上がる。




遠心力によって他の生徒のリュックとぶつかり、「ポメーッ!」と悲鳴を上げるポメポメ。

思わぬ揺れや衝撃によって網棚からリュックごと落下してしまい、「ポメーッ!」と悲鳴を上げるポメポメ。

そして─到着した頃にゲッソリとした顔でリュックから這い出てくるポメポメ。





そんな光景を思い浮かべただけで冷や汗が流れ、やはり網棚に置くわけにはいかないとシトラスは改めて思う。

「えー?でもずっと膝に置いておくの疲れない?上にまだスペースあるし、よかったら載せてあげようか?」

(うぅーっ!!すごい親切だけどその申し出には頷けないよー!)

善意しかない申し出に対して申し訳ない気持ちでいっぱいになる。もし本当にこのリュックの中が自分の私物だけであればありがたくその言葉に甘えさせてもらいたいところなのだが、中には大事な相棒であるポメポメが入っているのだ。
しかしあまり頑なに断るのも、感じが悪いと思われそうで悩ましい。

どう答えたらよいものかとシトラスが考え込んでいると、

「大丈夫だよ!シトラス、車酔いしやすいから酔い止めとかビニール袋とかすぐに取り出せるようにしておきたいんだって!」

キルシェが横から助け舟を出した。
思わずシトラスが振り返ると、キルシェはいつぞやのようにシトラスにだけわかるように悪戯っぽくウィンクして見せる。

「そうなんだ……無理しないで、具合悪くなったら言ってね?」

「う、うん……ありがとう、今のところ大丈夫だよ」

お礼を言うと彼女はにっこり微笑み返してくれた。どうやら上手くごまかせたようで、ホッと胸を撫で下ろす。

(……シトラス、車酔いするポメ?)

周りに聞こえない声で、リュックの中からポメポメがこっそりと尋ねてくる。

(ううん、全然。三半規管は丈夫な方だし、キルシェにもそんな事言ったことないよ)

小声で返答しつつ、内心で首を捻る。
キルシェがフォローを入れてくれたことには、とても感謝している。しかし、一方で疑問も浮かぶ。



本当にただ偶然、シトラスの気持ちを汲んでくれただけなのか。それとも─



(まさか私がポメポメを連れていることに気付いてる……なんてことはないよね?)



ちらりと横目で確認すると、キルシェは窓の外を眺めているようだった。表情までは窺えないが、特に変わった様子はないように見える。



(考えすぎかなぁ……)

これ以上考えても答えは出なさそうなので、とりあえずこのことは頭の片隅に置いておくことにした。



「聖フローラ学園の皆さん、お待たせいたしました!本バスはまもなくマリン・ユートピアに到着いたします!お忘れ物の無いよう、降車の準備をお願いします」



見計らったかのようなタイミングでバスガイドから声がかかり、周囲の生徒たちはいそいそと降りる準備を始める。

「シトラス、もうすぐ着くって!降りる準備しよ!」

「あ、うん……!」

シトラスがキルシェの声に反応して、しばらくの疑念や不安を振り払い、降車の準備に取り掛かる。リュックのジッパーを確認して、中にいるポメポメに向かってこっそりと声をかけた。

(ポメポメ、大丈夫だった?)

(大丈夫ポメ!シトラスがリュックをちゃんと持っていてくれたから、安心安全だったポメ)

どうやらリュックの中でポメポメは思ったよりも快適に過ごせていたようだ。聞こえてきた声色も元気そのものだったので、シトラスは安堵の息を漏らす。

座席のシートに浅く腰掛け直して、リュックを背中に背負う。駐車場に入って徐々に速度を落としていったバスがゆっくりと停車する音が聞こえ、ようやく一行は今日の目的地へと到着した。
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