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第二章 元最強勇者のアルファが俺の元に帰ってくるまでの話
12. 勇者は二度、恋に落ちる
➕ ➕ ➕
船の中は、大きな貨物室と四つの船室に分かれている。
一番広いのは小さなキッチンが付いたダイニングで、あとはグレン専用の船室と客室が二つ。
レオスをダイニングに案内し、俺は来るときに使わせてもらった客用のキャビンから、水差しとグラスを二つ取ってきた。
そして、グレンのキャビンから葡萄酒を一本、厨房にあったリンゴとチーズの塊、ビルが作った燻製肉などを失敬し、それもどん、とそのままテーブルの上に並べる。
……我ながら、もてなしのセンスが皆無だが、急だったので仕方がない。大体、国王陛下の晩餐会を蹴ってまで、こんなところにいるレオスもレオスだった。
グラスの一つには開栓した葡萄酒を、もう一つには水を注ぎ、葡萄酒の方をレオスの前に置く。
それから、隣同士で並んで椅子に腰掛けた。
「あ、しまった」
チーズや肉を切り分けるナイフがないことに気づき、もう一度厨房に行って取ってこようとすると、
「大丈夫、ナイフならここに」
と、レオスが礼服の内ポケットから、昔持っていた物よりも上等な折り畳み式のナイフを取り出す。
そして、器用な手つきでチーズを手頃な大きさに切り分けると、「行儀が悪いが、いいか?」と断ってから、それを刃に突き刺して俺に差し出してくれた。
昔、冒険者だった頃もよく、野営中にそうやって何か食べ物を切り分けては、必ず俺に先に食べるよう勧めてくれていたことを思い出す。
「……ありがとう」
俺は、かつてそうしたように、素直にナイフに刺さっているチーズをそっと摘んで口に入れる。
たったそれだけのことでも、胸に溢れるものがあって、正直なところ味はよくわからなかった。
まるで、十四年もの間、会えなかったのが嘘のように。
或いは、記憶がないことが嘘のように。
互いの気持ちが、一気に距離を詰めたのがわかった。
そうやって、肉やチーズを摘みながら、二人でとりとめのない話をした。
レオスはやはり、レルネ島のヒュドラダンジョンのことがかなり気になっているようだった。彼が冒険者だった頃は、まだ島への立ち入りは禁止されていたのだ。
それから、パットやヴォルフが今どうしているかの話……、そこから仲間たちの昔の話になりかけて、だがそれはすぐに終わった。
レオスの冒険の思い出の中に、俺の存在はない。
そのことに、二人同時に気づいたからだった。
脆いつながりは、呆気なく解けてしまった。
……それにしても、とキャビンの壁や天井を見渡しながら、レオスは強引に話題を変えた。
「中はもっと狭くて息苦しいのかと思ったが。案外と居心地がいいもんだな」
キャビンは船艙に作られているので、甲板や操舵室よりも低い位置にあって、その分高さにも少し余裕がある。各個室は、ダイニングよりもさらに手狭ではあるものの、寝たり座ったりして過ごすだけなら、なかなか快適に過ごせる造りだった。
窓は天井に近い壁の上部にあり、昼間はそれが明かり取りになるので、晴れていればそこまで暗くはならない。
「だろう? だから俺も、今朝王都に着くまで、向こうの寝室でずっと休んでいた」
「……休む? もしかして、具合が悪かったのか?」
端整な顔が、心配そうに覗き込んでくる。
その首筋から、ほんの僅かに懐かしいオスの匂いを嗅いだ瞬間、俺は反射的にさっと身体を引いてしまった。
「ああ、失礼」
すぐにレオスが詫びる。
「いや……」
今の場合、失礼なのは過剰な反応をしてしまったこちらだろう。
何か言わなくては、レオスを傷つけてしまう。
だが、急に強い喉の渇きを覚えて我慢ができず、俺はグラスの水を呷った。
ふわ、ふわ、と身体に小さな熱が灯りかけている。
あ、不味い。
薬、は──。
いや、今日もちゃんと飲んだ。王宮に行くのだからと、念の為に。だからそのせいで、船が王都に着くぎりぎりまで、キャビンで休んでいた……。
(それに俺はもう、まともなヒートは起こらないはず……)
そう思った途端、俺は愕然とした。そうだ……、そうだった。
かつて言ってくれたように、もしもレオスが俺と番うことを望んでくれたとしても。俺は、もう……。
すると、葡萄酒の入ったグラスを空にしてから、レオスが立ち上がった。
「……外で少し、風に当たってくる」
「レオス?」
「もし、まだ具合が悪いなら、俺のことは気にせずキャビンで休んでいてくれ。戻った時に君がここにいなければ、俺も船から降りて帰るから」
片頬だけを歪めるような笑みでそう言うと、レオスは甲板に出て行ってしまった。
「……あ」
今のは。
傷つけたというより、怒らせた?
いいや、違う。
逃げられた、気がする。
俺が、弱いながらもヒートを起こしかけているとわかったはずだ。
でも、よりを戻したいと言ったのに、逃げた? 何故?
まだ、肝心なことは何も話せていないのに。
──記憶が、ないから?
他の仲間や、かつて敵だったはずのグレンのことですら覚えているのに、愛し合っていたはずの俺のことだけ、憶えていないから。思い出せないから。
だがそれは、レオスの所為ではない。でも本人は、俺が思う以上にそのことに苦しんでいるのかもしれなかった。
記憶のない自分がそばにいることで、俺を傷つけると思って?
「それは……」
それは違う、いや違わない。現に俺は傷ついている。そして、それがレオスに伝わることを恐れている。傷つくことより、傷つけることの方が怖い。
だけど、だけどもだ。
これまで、恐ろしい知らせが舞い込んでくる度に、何度もレオスを失ったと思った、あの絶望を思えば。
──このぐらい、なんだというのか。
このとき、何かはっきりとした意図があってそうしたわけではなかった。
ただ、それが目に入った瞬間、何故かそうしなければと思った。
俺は、テーブルに置いてある葡萄酒の瓶を掴むと、グラスには注がずに瓶から直接、その中身を口に含んだ。勢い余って、口の端から少し溢れてしまう。それを手の甲でぐいと拭ってから立ち上がる。
香りは芳醇で、でも味は苦い。本当に、滅多と飲まないものだから、酒の良し悪しなどは全くわからないが、グレンが大事に持っていたのなら、まあそれなりのものなのだろう。
そうして俺は、意を決してレオスの後を追った。
➕ ➕ ➕
いくら年齢を重ねても、酒精に対する耐性はからきしだった。
たったのひと口でも目が回る。抑制剤のせいで、もともと体調がよくなかった所為もあるのだろうが。
少しふらつきながら甲板に出ると、レオスは海の方を見ていた。
空の高い位置には、上弦の月が昇っている。
彼は振り返らずに訊いてきた。
「レルネ島は……、どこなんだろう。ここからは見えないのか?」
「さあ。今は暗いし、わからないな。グリギアの本土からだと、アクラ岬が一番島には近い」
それでも、グレンのこの船で三時間ほどはかかるが。
「アクラ岬?」
「ここからずっと西にある。俺の実家の領地内に」
レオスが俺を振り返って見た。
「レイブン家だな。さっきお会いした、お前の兄イヴリール殿がご当主の。レイブン家は、かつてレルネ島でのモンスター殲滅戦において勇躍したと聞く」
「よく知っているな」
「一応少し、政治をやっていたからな」
「じゃあ……、この先は? 何をやるんだ」
「……トワ?」
レオスが怪訝そうに眉根を寄せる。
「どうした、なんか呂律が怪しい……」
「言っておくが! 俺と息子は、これからも、ずっと、レルネ島で暮らしていく、つもりだから、な!」
「あ、ああ、それはわかっている……」
レオスは目を丸くしている。
──ふふん、驚いているな。
酒の力を借りるように、俺はペラべらと思いつくままに喋った。
「……息子は、イコは、冒険者になりたいんだそうだ。だから、俺も一緒に、イコと……」
「イコ?」
レオスの碧眼がぱちぱちと瞬く。
「イコ……、それが子供の名前か?」
「そうだ。なんだ、知らないのか?」
「ああ、知らなかった。キリィに訊ねたが、トワに直接訊けと言われて」
──いつ訊ねようかと思っていた、とレオスは吐息交じりに呟く。
「イコ。良い名だな。ロダの古い言葉で、宝物という意味があるんだ」
知っている。だからそう名付けたのだ。
「俺は、お前が帰ってくるまで……、イコに本当のことを話してやれない」
「本当のこと?」
「今まで、お前を待ちながらずっと二人で生きてきた。イコは、お前を母親だと思っているが、」
「母親?」
「そう……。イコは、俺がオメガだと知らない。あの子にとって、父親は俺だ。だけど、あの子を産んだのも俺。……だから俺が、お前の分まで、二人分、愛情を込めて大事に、育てたから、な……」
「そうだったのか……」
すまなかった、とレオスは溢れる感情を押し殺すように、両目を閉じながら言った。
「そうか。ずっと二人で……、か」
──なんだか少し妬けるな、と。
開いたレオスの碧眼が一瞬だけ、まるで獣のように炯った。
「ふ、イコが、羨ましいのか?」
「当たり前だ。ずっと……君のそばにいて、君の愛情を独り占めにしていたんだから」
おどけるようにいいながら、レオスがそっと俺の腕を掴んできた。
そして、俺がさっきのように身体を引かないとわかると、そのままぐい、と逞しい腕の中に引き寄せた。
「全く。いい加減にしろ、この酔っぱらいめ」
フラフラと頼りない俺の身体を腕の中に閉じこめるようにしながら、レオスが甘い声で叱った。
「ふん。酔ってない。一口だけだし」
「飲めない奴は、皆そう言う。酒に弱いと、たった一口でも酔いが回るだろう?」
「飲めないって、なんで知ってる?」
「いやさっき、自分のグラスには水を注いでいたじゃないか。わかっていないだろうが、あの葡萄酒はかなりの上物だぞ」
「ああ……、なんだ、そうか。思い出したのかと、思った……」
レオスの肩口に、自分のぐりぐりと額を擦り寄せるようにしながら、俺はクスクスと笑う。
ああ、なんだか楽しくなってきた。
「何がそんなに可笑しいんだ?」
それとも、笑い上戸か? と訊かれて俺は笑いながら首を振る。
「だったら昔の俺のことなんて、別に知らなくてもいいじゃないかって、思って」
「……それは。どういう意味だ?」
怪訝そうなレオスの声。
「だって……、お前は今の俺のことを、ちゃんと余さずに見てくれている。だから、昔のことを忘れてようが関係ない。それでもう充分だな、と思って……」
「トワ……」
レオスが俺の肩を掴み、じっと顔を見下ろしてくる。
なんてまっすぐで、強い目なんだろう。見つめ返すうちに、俄に酔いが覚めてきた。
それなのに、顔が火照って……、いや、身体が熱い。
──そして不意に。胎の奥底から覚えのある衝動が突き上げてきた。
まだ、かなり緩やかな、でもこれはもう間違いない。
「……っ、ヒート、が……?」
「だから言っただろう? 俺が外に出ている間に、部屋に入っておけと」
「あ……」
咄嗟に俺が身動ぐと、もう遅い、と低い声が降りてきた。
レオスに腰を抱かれ、逃げられないように固定された状態で、囁かれた。
「トワ。俺は、王宮でお前を一目見たときからそう思っていた。俺とお前の間に、過去など全く関係がないと。例え何度忘れようと、お前に逢えば、俺は必ず落ちて……恋を繰り返す」
「レオ……」
「だから、もしお前にこれまでの不義理を赦して貰えるのなら。そうしたらもう、今度こそ二度と離さないと……、そう決めていた」
「……っ、レオ!」
「だから……この先は、お前と、それからイコと。一緒にレルネ島で暮らしたい。もしかしたら、記憶はもう一生戻らないかもしれないが」
──それでも……、構わないだろうか?
と。微かな震えを帯びたレオスの声。
俺は叫ぶように言った。
「いい……、いいに決まっているだろう! この阿呆がっ」
「参ったな。罵られても愛しい」
レオスは脂下がった笑顔でそう言うと、ようやく俺の唇を深いキスで塞いできた。
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