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第二章 影の魔物

15. 声

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「……え、と。あの、殿下……」

 肩にジスティの手が置かれたまま……、というか重いなちょっと。
 振りほどきたいのを我慢しながら、俺はエドアルド王太子に返すべき言葉を探す。

 ……余談続きで申し訳ないが、実は前世では身長が百八十センチあった俺である。
 ところが、シリルはそれより十センチほど低いうえ、体つきもどちらかといえば細身だ。
 ジオルグとジスティは前世の俺よりさらに少し高い身長で、エドアルドが同じぐらいか。いずれにせよ、かつての身長であったなら物理的にここまでことはなかった。
 屈辱とまで言わないが、男の矜持みたいな、そういう部分に引っかかる小さなわだかまりのようなものはある。
 すると、カイルがつっと歩み寄ってきて、ジスティの手を軽く払うように叩く。
 肩に乗っていた重い手はすぐさま退けられ、思わずほっと息をいた。
 ああ、なんて良い人だ。身長もシリルよりほんの少し高い程度で、まったく威圧を感じさせないことにも親近感がわく。

「殿下。シリルは本当にまだ何も知らぬ故、やはり後日、私から……」
「いや、お待ちください宰相閣下」

 話そのものを切り上げてしまおうとしたジオルグを、俺から離れたジスティが遮った。

「私とシリルは、殿下よりアイリーネ殿の公的な場での護衛役に任じられております。ですが今、殿下はシリルの事も守られるべき立場であると仰られた。ならば、私としても是非、その真意をお伺いしたいのですが?」

 燃えるような真紅の髪をもつ護衛師団長は、腕組みをしながら、常の快活さを捨てた不敵な表情でジオルグを見遣る。
 不遜な態度にも見えるが、ジオルグにそれを咎める様子はない。顔つきが不機嫌なのは、瞬間移動をする前からもうずっとだ。さきほどからの王太子と宰相、護衛師団幹部二人とのくだけたやりとりを見るに、この場ではある程度、身分や立場を超えた物言いが許されているのだろう。

「確かに」

 ジスティの隣で、眼鏡の奥にある目を細めて頷いたのはカイルだった。

「そのために我々も今、ここに呼ばれているわけですよね? 今、団長が言ったようにシリルのについては、ここにいる全員が把握しておくべきことだと、そう殿下はお考えになっている……」

 カイルの灰紫の瞳が、言葉の最後でひたと俺を見据えた。
 その目に問われたのは、俺自身が出す答えであり、覚悟のほどだ。



 俺はそっとジオルグの腕に手をかける。

「私のことならかまいません。事が私自身のみならず、アイリーネ様にも関わることであるのなら、コーゼル団長は当然ですが、ユーディ副団長にも知って頂いた方がいいと思います」
「シリル……」

 ほんの少しだけ、和らいだ顔つきになったのは気のせいだろうか。

「それに王太子殿下も、宰相閣下もとてもお忙しい身です。こうして私のために時間を割いてくださるだけで、ありがたいことだと思っています」
「シリル、そんなことは気にしなくていい。これは必要な事だからだ。私こそ、今日まで話してやれなくてすまなかったと思っている。だが君に徴が現れるまでは、

 ついさっきまでの不機嫌は一体どこへ行ってしまったのか、ジオルグの金の双眸が真摯な熱を帯びて俺を見つめる。

 ──ああ、まただ。今せっかく冷静に話し合えていたのに……。

「よし、では決まったな」

 執務机につき、成り行きを見ていたエドアルドが、机上に据えられていたベルを持ち上げて鳴らす。
 そのおかげで、俺はジオルグの瞳に囚われかけていた意識を引き戻すことが出来た。やれやれ危なかった。
 待つ間もなく、いくつかある扉のうち廊下側に一番近いひとつが開き、黒服の侍従が入ってくる。どうやらずっとこの部屋の控えの間で待機していたようだ。

「お呼びでございましょうか、エドアルド殿下」
「少し早いが朝食の支度を。ここにいる皆の分も、なるべく話しながらでも食べやすいものを頼む。場所は隣りの部屋でいい」
「かしこまりました。すぐに御用意致します」

 侍従が去ると、ジスティがため息をつく。

「本当に早いな。まだ一番目朝六時の鐘も鳴ってないぞ」
「そう言うな。私と叔父上とカイルは、昨日の昼過ぎからほとんど何も食べていないし、ましてや寝てもいない」

 神殿に帯同した治癒魔法師の魔法で、体力といくらかの魔力はすでに回復済みだというが、それだけではとても充分とはいえないだろう。

「俺とシリルも、似たようなもんだ」

 そうジスティは嘯くが、本当のところは違う。
 俺たち待機組は、夜通し護衛師団の庁舎に詰めていたとはいえ、実は交代で少しだけ仮眠をとったり、夕食もきちんと食べていたりするので、こうして聞かされると儀式に参加していた者たちの過酷さが改めて伝わってくる。
 アイリーネもかなり疲れているようだったし、お披露目の時間までに、少しでも体を休められたらいいのだが。

「ところでシリル。公式の場以外では、俺のことは団長じゃなくてジスティでいいぞ」
「じゃあ俺も、カイルでよろしく」

 朝食会の準備を待つ間、護衛師団の幹部二人がいきなりそんなことを言い出す。
 ならば私もで、とエドアルドまでもが言い出し、さすがにそれはまずいでしょうとカイルがツッコミを入れる。

「エドでもいいが」
「いやよくないです。殿下は殿下のままで」
「なんだ。つまらないな」
「そういえばシリル、宰相閣下のことは普段、何とお呼びを?」
「え?」
「いや、殿下は叔父上と呼ばれているし、養子の君はどうなのかなと」

 ジスティに訊かれ、もちろん父上です、と答えようとした時だった。

(──ジル。)

 頭の中で、そう言った。

 ──え?

「……だ。おおやけの場では父上、護衛師団に入団してからは先程のように役職名で呼ぶ」

 代わりに何故かジオルグが答えている。
 というか、ちょっと待ってくれ。普段は父上じゃなくて、ジオルグでもジオでもなくて、ジル?
 …………知らなかったのだが。
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