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第五章 王妃のお茶会

32. 決心

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 聖女召喚の儀、そしてお披露目があった日の夕刻。
 初日の任務を終えた俺は、急いでロートバルの屋敷に戻り、部屋で必要最低限の衣服と下着などを手早くまとめ、旅行鞄に詰め込んでいた。
 今の自分が冷静さを欠き、ほとんど衝動だけで動いているのはわかっていたが、それでも止まらなかった。あらかたの衣類を詰め終え、次に櫛やハンカチなどの小物類を集めていると、いつものように水差しとグラスを持ったルイーズが部屋にやってくる。

「おかえりなさいませシリル様。今日のお披露目はいかがでしたか?」
「ただいま、ルイーズ。なんとか無事に終わったよ。……ゼフェウス様も、聖女様へのご挨拶にお見えだった」
「まあ! お元気でいらっしゃいましたか?」
「うん。……俺は初対面だったから。それに任務中で、個人的な挨拶を交わす時間もなかった」
「左様でございましたか。でも、そのうちにきっと、ゆっくりお話できる機会がありますわ」

 ルイーズはにこにこと答える。ゼフェウスとも見知った仲のようだ。きっとこの屋敷にも訪れたことがあるのだろう。もしかしたらそれは、俺が引き取られる前のことかもしれない。
 テーブルに水を乗せたトレイを置いてから、ルイーズはようやく俺の作業に目が止まったようだ。

「シリル様? 荷造りなどして、これからどこかへお出かけになるのですか?」
「うん。今晩から、護衛師団本部に泊まり込もうかと思って」
「え、どうしてでございます?」

 宿直の任務でもないのにと驚いている彼女に、俺はさりげない調子で、王都で新しい任務についたことをきっかけに、そろそろ自立したいのだと話した。

「そんな……なぜまた急にそんなこと」
「全然、急じゃないよ。そもそも貴族の生まれでもない俺が、いつまでもここで世話になってるのはおかしいし、それにせっかくここまで育てて頂いて、騎士にまでして貰えたんだからさ。早く一人前の男になって、閣下にも御恩を返さなきゃならないだろう?」
「旦那様にも、そう申し上げたのですか?」
「いや、まだだけど。今度帰ってきたら、ちゃんと話す。とりあえず今は、聖女様の護衛任務を何より優先させる必要があるし、本部に詰めてる方が何かと都合がいいのは確かだし……」

 言い訳を重ねる俺に、ルイーズは完全に黙ってしまった。
 あれ、怒ったかな? それとも、恩知らずな孤児みなしごだと呆れてしまったか……。
 失礼しますと早口に言って、部屋を出ていってしまう。

 ──ああ、やってしまったかな。

 彼女と気まずくなってしまうのは嫌だったが、仕方がない。少しやりきれない思いで荷物を作り続けていると、ふいにノックの音が響く。ルイーズの柔らかい音とは違うなと思ったが、顔もあげないまま「はい」と返事をする。

「失礼いたします」

 入ってきたのは、ロートバル家の家令だった。長身の痩せ型で、歳の頃はルイーズと変わらない感じだが、乱れなくきっちりと整えられた黒い短髪と片眼鏡モノクルが印象的で、なんというか見た目からしての切れ者感がすごい。

「クリスチャードさん……」
「シリル様、この家を出られるおつもりだというのは本当でございますか」

 まるで単刀直入を絵に書いたような尋ね方だった。

「もうルイーズから聞いたんですか」
「理由をお伺いしてもよろしいでしょうか」
「話さなきゃそこを通さないって顔をしてますね」
「旦那様がご承知でないとあれば、それも致し方ございません」

 つまり、不在である主人に代わって話を聞いてやるというわけだ。今から言うことは、全て確実にジオルグにも伝わる。
 俺はルイーズに話した通りのことをそのまま話した。

「お仕事の件については、了解致しました。ですが護衛師団本部にお泊まりになることと、当家を離れて自立なさりたいという話とはまた別のような気が致しますが」

 ルイーズもクリスチャードも容易には聞き入れてくれない。
 とりあえず、数日の間だけでも護衛師団本部で寝起きして、休暇の日には一人で暮らすための家を探しに行き、そのままなし崩し的に屋敷から出て行ってしまいたかったのだが。

「シリル様。その急なご決心は、一月後、ゼフェウス様がこちらにご養子にお入りになることと、もしや関係がございますか?」

 ──仕事が早いな、ルイーズ!

 まあ、あのタイミングで俺の口からゼフェウスの名前が出れば、それなりに察するものがあったのだろうが。熟練の使用人から二人がかりで容赦なく図星をさされてぐうの音も出なかったが、それよりもまた何かショッキングな発言があったような……。

「一月後?」

 呆然と聞き返す俺を見て、クリスチャードは眉宇を顰めた。

「シリル様、まず一度旦那様と……」
「違います! いや……、確かにそんなに早いとは思わなかったけど、違います。ゼフェウス様のことは、単なるきっかけというか、自立したいのは本当なんです!」

 俺は、自分がロートバルの籍に入った正式な養子ではないことを知っている。だからは最初から、ブライトの姓をそのまま使っていたのだ。
 この国の貴族階級は、まず血統を重んじる。実子以外を正式に養子にする場合は、その相手との間に血縁関係がなければ成立しない。
 それでも、貴族や富裕層が孤児を引き取って養うこと自体は、特段珍しい話でもなかった。前世の日本でいったら、里親制度のようなものだ。親権を持たない養育者といったところか。

 ──だから、ジオルグから言われるまでもなく……、本当は『父上』なんて、気安く呼んではいけない人だった。

「閣下には、返しきれないご恩があるのも重々承知しています。だからこそ、いつまでも甘えていたくない。俺にもそろそろ、身の程を弁えさせて欲しいんです」

 ──嘘だった。

 もちろん、全部が嘘というわけではない。だが、今すぐこの屋敷を出ていきたい理由がそれだけではないことぐらい、さすがに自分でもわかっている。
 俺……いや、はきっと欲張りすぎたのだ。血の繋がりなどなくても、ずっと一緒に。最期まで家族としていられるのなら、と。
 いつしか、貴族の養い子としての分を弁えない、願ってはいけない祈りを抱いていた。俺にとってはたった数日のことでも、シリルの中では、それは十年もの時間をかけて少しずつ育まれていったものだから。
 この世界のジオルグは、ゲームのジオルグよりもずっと情け深くて、ずっと細やかな愛情でシリルを育ててくれた人だ。
 恩を感じないわけがない。
 その情を疑うわけがない。
 だけど。

 ──ジオルグにとって、シリルはではなかった。

 それは哀しい思い違いだった。の悲嘆は、俺の心に怒りにも似た感情を湧きあがらせる。

 そうとわかった以上、強く深く思うのは、ただひとつ。

 ──しばらくジオルグの顔は、見たくない。
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