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底に知れぬ深い沼の底 番外編1
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時は春、
日は朝、
朝は七時、
片岡に露満ちて、
揚雲雀なのりいで、
蝸牛枝に這い、
神、そらにしろしめす。
すべて世は事もなし。
俺は、事務所の自分のデスクに座り、古びた文庫を広げて、ぼうっとしていた。
「あら、珍しい。それはポール・ヴェルレーヌの詩?」
そう言いながら部屋に入ってきた水崎さんの声を聞いて、俺は思わず体がびくっとするほど、驚いてしまった。
「ノックしましたよ。それに気づかないほど、集中してらした?」
「あ、すみません。全く聞こえなかった」
水崎さんは、うちの事務所で事務全般をやってくれているスーパーレディだ。
以前は、隆一さんと同じ法律事務所で働いていたリーガルアシスタントだったが、彼が独立するのに伴い、なんと一緒に退職してついてきてくれたんだ。世間ではこれを「引き抜き」ともいうけど、「私から引き抜いてと、柏木先生にお願いしたんです」と、水崎さんは笑顔でいう。
隆一さんは、前の事務所では、同僚だった水野先生と、ぶっちぎりのツートップで、稼ぎ頭のブル弁(ブルジョワ弁護士)だったから、独立に際しては、それは色々とあったらしい。でも、ボス弁(ボス弁護士、上司)・松井先生の 鶴の一声で、綺麗に独立できたと聞いている。
しかし、その松井先生をもってしても、隆一さんがよもや水崎さんまで引き抜くとは予想しなかったそうで、鷹揚な松井先生も焦っておられたと聞いた。水崎さんは、それくらい優秀なんだ。
通常、法律事務所のリーガルアシスタントは、書面作成時の入力補助や書証の整理・提出準備などに忙殺されるけど、水崎さんは、それを同時に、しかも複数の案件について、サッサッサッと、魔法のようにこなすんだ。
彼女のデスクには、ディスクトップ型ディスプレイが二台、その前にノートPCが一台あり、それらをさながら天才ピアニストのように操って、次々に仕事をこなしていく。その手際の良さに見とれたのは一度や二度じゃない。この仕事ぶりじゃ、松井先生も「水崎だけはやめてくれ」と言うはずだ。もっとも、松井先生が「やめてくれ」と言った理由は、これだけじゃないんだけどね。
それはさておき、水崎さんは、お孫さんもいて、年齢は60を超えているらしい。「らしい」というのは、隆一さんがちゃんと教えてくれないからだ。もちろん、隆一さんは雇用主なので、彼女の正確な年齢は知っているけど、「口が裂けても言えない」と、真顔で俺にいった。
彼女が、お気に入りのカップにいれたコーヒーをデスクに置きながら、チラっと文庫を見たので、「これは、ヴェルレーヌではなく、ロバート・ブラウニングです」と、俺は答えた。
「まあ!失礼しました。詩人?」
「そうです」
「海野先生が、海外の詩人の本をお読みになるなんて珍しい」
俺の太宰治びいきを知っている水崎さんが、綺麗な目を丸くて、革張りのソファに座る。これは、しばらくここにいるぞという彼女のアピールだ。頭の良い水崎さんは、自分の手が空いたからといって、俺に話しかけてくるような、空気の読めない行動はしない。きっと、俺のことを心配してるんだ。
俺はつとめて明るい口調で言った。
「俺が読むためじゃなく、今日、水野先生から紹介された依頼人から預かったんです」
「まさか、その詩人に関する案件とか?」
「はは、そんなロマンチックな話じゃなくて。…ある夫婦がいて。まあ、既に離婚しているから、元夫婦だけど。俺の依頼人は、奥さんの方で、夫は聴覚障害者なんです。耳は聞こえず、話も出来ない。彼女は、そんな夫に代わり、仕事をして献身的に支えてきたんですが…」
「経済的な問題で離婚された?」
「それもあるけど…それだけじゃなくて。依頼人が言うには、夫は、実は聞こえて、話もできるんじゃないかって」
「え!?ずっと奥さんを騙(だま)してきたってことですか?」
「うーん。騙すと言えば、騙してきたんでしょうね。依頼人も、夫が健常者並みに聞こえるとは思っていなくて、でも全く聞こえないということはなく、音は拾えるから、話もできるだろうと。実際、彼が独り言をつぶやいていたのを聞いたそうです。その独り言が、このブラウニングの詩だった」
「その御夫婦、何年連れ添ったんですか?」
「20年」
「20年!…一緒に生活していたんでしょう?同じ家に住んでいながら、耳が聞こえず、話もできないっていうフリを20年も続けられるかしら?私には無理だわ。もしそんなことしたら、そうね、一週間、持たないわ」
「俺なんて、1日でも無理かも。それはともかく、依頼人がいうには、聴覚障害のある男性との結婚ということで、周囲の、特にご両親から反対されたそうです。それを押し切って結婚したものの、夫は定職につけず、彼女が仕事をして生活を支えていて。家に帰ると疲れてしまって、夫との手話での会話も少なかったと言っていました。夫を見るよりは、まあ見るというか、観察するというか、うーん…そう、夫に注意を向けるが正しいか。つまり夫に注意を向けるより、少しでも寝ていたいと思っていたと…」
「若くしてご結婚されたのね」
「ええ。結婚したのは23歳。彼女は大学で手話サークルに入っていて、そのサークルのボランティア活動中に知り合ったそうです」
「もしかして、その女性の方、いいところのお嬢さんじゃありませんか?」
「そうです。よく分かりましたね」
水崎さんは、ちょっと胸をはる仕草をしながら、「私の経験でいくと、あまり世間慣れしていないお嬢さんほど、結婚してから苦労するんですよね」と言った。
「なるほど。周囲が反対すると、逆に燃え上がって、二人だけの世界に入る。けど現実は厳しいと」
「そうそう」と言いながら、水崎さんは優雅にカップを取ってコーヒーをすすり、「恋心なんて、光熱費の支払いと、仕事のストレスの前では、風前の灯火よ。で、結局、その奥さんの依頼はなんです?」と聞いてきた。
「損害賠償です。ずっと20年も騙されて、生活費を搾取された。その20年間に彼女が払ってきた生活費の半分を支払ってほしい。それに、完全な健常者ではなくとも、聞こえて話せたのに騙されたってことで、その精神的苦痛に対する損害賠償」
水崎さんは腕を組み、「ふーん」というと、俺をじっと見た。あまりにガン見するので、「え、何?」とうろたえると、「お顔の色が冴えない」とつぶやく。
俺はしどろもどろになった。
「え、だって複雑な案件でしょ。依頼人は弁護士事務所を知らなくて、最初は、松井先生の事務所に相談にいったそうです。でも、あそこは、ほとんど企業弁護でしょ。それで、松井先生が依頼人を気の毒がって、水野先生を紹介して。でも水野先生がいっぱいいっぱいらしくて、俺のところにきたんです。それに、その、元夫は聴覚障害であるという診断書を出してくるかもしれないから。だ、だから」
「まったく、弁護士のフリしちゃって」
「え、弁護士ですけど」
「先生たち夫婦の間のことには、口を挟(はさ)まないって決めてましたけど!ごまかしてもだめですよ。この案件が理由で、お顔が冴えないんじゃなくて、今、事務所に漂う、この悪趣味で下品な香りのせいでしょ!」
水崎さんは、そう啖呵を切って腕を組み、俺をにらむ。
彼女に隠し事は無理なんだ。今更ながら、俺は悟った。
今、隆一さんの部屋には、一人の女性が相談にきていた。その依頼人は、金山咲子さんといって、銀座でクラブ経営をしている人だ。
半年ほど前、クラブの客が金山さんに惚れて、ストーカーまがいの付きまといをした時、相談に事務所にやってきたのが最初の依頼だった。
その案件は、すぐに片付いたものの、それ以来、金山さんは、わりと頻繁に色々な相談で事務所にやってくるようになった。
うちの事務所は日本橋で、銀座ならタクシーですぐだし、徒歩でも来れる距離だ。隆一さんは優秀だから、金山さんが頼りにするのは無理ない。
そう、優秀だからだ。
隆一さんの俺に対する愛情は、まったく疑っていない!
疑ってはいないけど、金山さんが来る時、隆一さんは個室のドアを閉めて対応するんだ。
元々、隆一さんの顧客は法人が多く、個人の依頼人はそんなにいない。しかし、顧客である企業が、所属社員の個人的な案件の処理について、隆一さんを紹介するケースはあって、その中には女性もいる。そういう場合、隆一さんは、必ず水崎さんを伴って相談にのるから、個室に女性の依頼人と二人だけになるということは、絶対にしないんだ。
だから、隆一さんの金山さんに対する扱いに、俺はモヤモヤしていた。
日は朝、
朝は七時、
片岡に露満ちて、
揚雲雀なのりいで、
蝸牛枝に這い、
神、そらにしろしめす。
すべて世は事もなし。
俺は、事務所の自分のデスクに座り、古びた文庫を広げて、ぼうっとしていた。
「あら、珍しい。それはポール・ヴェルレーヌの詩?」
そう言いながら部屋に入ってきた水崎さんの声を聞いて、俺は思わず体がびくっとするほど、驚いてしまった。
「ノックしましたよ。それに気づかないほど、集中してらした?」
「あ、すみません。全く聞こえなかった」
水崎さんは、うちの事務所で事務全般をやってくれているスーパーレディだ。
以前は、隆一さんと同じ法律事務所で働いていたリーガルアシスタントだったが、彼が独立するのに伴い、なんと一緒に退職してついてきてくれたんだ。世間ではこれを「引き抜き」ともいうけど、「私から引き抜いてと、柏木先生にお願いしたんです」と、水崎さんは笑顔でいう。
隆一さんは、前の事務所では、同僚だった水野先生と、ぶっちぎりのツートップで、稼ぎ頭のブル弁(ブルジョワ弁護士)だったから、独立に際しては、それは色々とあったらしい。でも、ボス弁(ボス弁護士、上司)・松井先生の 鶴の一声で、綺麗に独立できたと聞いている。
しかし、その松井先生をもってしても、隆一さんがよもや水崎さんまで引き抜くとは予想しなかったそうで、鷹揚な松井先生も焦っておられたと聞いた。水崎さんは、それくらい優秀なんだ。
通常、法律事務所のリーガルアシスタントは、書面作成時の入力補助や書証の整理・提出準備などに忙殺されるけど、水崎さんは、それを同時に、しかも複数の案件について、サッサッサッと、魔法のようにこなすんだ。
彼女のデスクには、ディスクトップ型ディスプレイが二台、その前にノートPCが一台あり、それらをさながら天才ピアニストのように操って、次々に仕事をこなしていく。その手際の良さに見とれたのは一度や二度じゃない。この仕事ぶりじゃ、松井先生も「水崎だけはやめてくれ」と言うはずだ。もっとも、松井先生が「やめてくれ」と言った理由は、これだけじゃないんだけどね。
それはさておき、水崎さんは、お孫さんもいて、年齢は60を超えているらしい。「らしい」というのは、隆一さんがちゃんと教えてくれないからだ。もちろん、隆一さんは雇用主なので、彼女の正確な年齢は知っているけど、「口が裂けても言えない」と、真顔で俺にいった。
彼女が、お気に入りのカップにいれたコーヒーをデスクに置きながら、チラっと文庫を見たので、「これは、ヴェルレーヌではなく、ロバート・ブラウニングです」と、俺は答えた。
「まあ!失礼しました。詩人?」
「そうです」
「海野先生が、海外の詩人の本をお読みになるなんて珍しい」
俺の太宰治びいきを知っている水崎さんが、綺麗な目を丸くて、革張りのソファに座る。これは、しばらくここにいるぞという彼女のアピールだ。頭の良い水崎さんは、自分の手が空いたからといって、俺に話しかけてくるような、空気の読めない行動はしない。きっと、俺のことを心配してるんだ。
俺はつとめて明るい口調で言った。
「俺が読むためじゃなく、今日、水野先生から紹介された依頼人から預かったんです」
「まさか、その詩人に関する案件とか?」
「はは、そんなロマンチックな話じゃなくて。…ある夫婦がいて。まあ、既に離婚しているから、元夫婦だけど。俺の依頼人は、奥さんの方で、夫は聴覚障害者なんです。耳は聞こえず、話も出来ない。彼女は、そんな夫に代わり、仕事をして献身的に支えてきたんですが…」
「経済的な問題で離婚された?」
「それもあるけど…それだけじゃなくて。依頼人が言うには、夫は、実は聞こえて、話もできるんじゃないかって」
「え!?ずっと奥さんを騙(だま)してきたってことですか?」
「うーん。騙すと言えば、騙してきたんでしょうね。依頼人も、夫が健常者並みに聞こえるとは思っていなくて、でも全く聞こえないということはなく、音は拾えるから、話もできるだろうと。実際、彼が独り言をつぶやいていたのを聞いたそうです。その独り言が、このブラウニングの詩だった」
「その御夫婦、何年連れ添ったんですか?」
「20年」
「20年!…一緒に生活していたんでしょう?同じ家に住んでいながら、耳が聞こえず、話もできないっていうフリを20年も続けられるかしら?私には無理だわ。もしそんなことしたら、そうね、一週間、持たないわ」
「俺なんて、1日でも無理かも。それはともかく、依頼人がいうには、聴覚障害のある男性との結婚ということで、周囲の、特にご両親から反対されたそうです。それを押し切って結婚したものの、夫は定職につけず、彼女が仕事をして生活を支えていて。家に帰ると疲れてしまって、夫との手話での会話も少なかったと言っていました。夫を見るよりは、まあ見るというか、観察するというか、うーん…そう、夫に注意を向けるが正しいか。つまり夫に注意を向けるより、少しでも寝ていたいと思っていたと…」
「若くしてご結婚されたのね」
「ええ。結婚したのは23歳。彼女は大学で手話サークルに入っていて、そのサークルのボランティア活動中に知り合ったそうです」
「もしかして、その女性の方、いいところのお嬢さんじゃありませんか?」
「そうです。よく分かりましたね」
水崎さんは、ちょっと胸をはる仕草をしながら、「私の経験でいくと、あまり世間慣れしていないお嬢さんほど、結婚してから苦労するんですよね」と言った。
「なるほど。周囲が反対すると、逆に燃え上がって、二人だけの世界に入る。けど現実は厳しいと」
「そうそう」と言いながら、水崎さんは優雅にカップを取ってコーヒーをすすり、「恋心なんて、光熱費の支払いと、仕事のストレスの前では、風前の灯火よ。で、結局、その奥さんの依頼はなんです?」と聞いてきた。
「損害賠償です。ずっと20年も騙されて、生活費を搾取された。その20年間に彼女が払ってきた生活費の半分を支払ってほしい。それに、完全な健常者ではなくとも、聞こえて話せたのに騙されたってことで、その精神的苦痛に対する損害賠償」
水崎さんは腕を組み、「ふーん」というと、俺をじっと見た。あまりにガン見するので、「え、何?」とうろたえると、「お顔の色が冴えない」とつぶやく。
俺はしどろもどろになった。
「え、だって複雑な案件でしょ。依頼人は弁護士事務所を知らなくて、最初は、松井先生の事務所に相談にいったそうです。でも、あそこは、ほとんど企業弁護でしょ。それで、松井先生が依頼人を気の毒がって、水野先生を紹介して。でも水野先生がいっぱいいっぱいらしくて、俺のところにきたんです。それに、その、元夫は聴覚障害であるという診断書を出してくるかもしれないから。だ、だから」
「まったく、弁護士のフリしちゃって」
「え、弁護士ですけど」
「先生たち夫婦の間のことには、口を挟(はさ)まないって決めてましたけど!ごまかしてもだめですよ。この案件が理由で、お顔が冴えないんじゃなくて、今、事務所に漂う、この悪趣味で下品な香りのせいでしょ!」
水崎さんは、そう啖呵を切って腕を組み、俺をにらむ。
彼女に隠し事は無理なんだ。今更ながら、俺は悟った。
今、隆一さんの部屋には、一人の女性が相談にきていた。その依頼人は、金山咲子さんといって、銀座でクラブ経営をしている人だ。
半年ほど前、クラブの客が金山さんに惚れて、ストーカーまがいの付きまといをした時、相談に事務所にやってきたのが最初の依頼だった。
その案件は、すぐに片付いたものの、それ以来、金山さんは、わりと頻繁に色々な相談で事務所にやってくるようになった。
うちの事務所は日本橋で、銀座ならタクシーですぐだし、徒歩でも来れる距離だ。隆一さんは優秀だから、金山さんが頼りにするのは無理ない。
そう、優秀だからだ。
隆一さんの俺に対する愛情は、まったく疑っていない!
疑ってはいないけど、金山さんが来る時、隆一さんは個室のドアを閉めて対応するんだ。
元々、隆一さんの顧客は法人が多く、個人の依頼人はそんなにいない。しかし、顧客である企業が、所属社員の個人的な案件の処理について、隆一さんを紹介するケースはあって、その中には女性もいる。そういう場合、隆一さんは、必ず水崎さんを伴って相談にのるから、個室に女性の依頼人と二人だけになるということは、絶対にしないんだ。
だから、隆一さんの金山さんに対する扱いに、俺はモヤモヤしていた。
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