15 / 30
番外編 果てしなく遠い空の彼方①
しおりを挟む※大手弁護士事務所を退職して独立した弁護士・水野 巧と、その事務所のリーガルアシスタント・白川龍之介のお話。水野先生が主人公です。水野が独立してそんなに日が立っていない頃の話です。
ここ最近の俺は、自分でもびっくりするくらい上機嫌だ。
そんな上機嫌なまま、俺は自分の事務所のあるビルに入った。
かつての職場、港区の法律事務所に比べたら、多少は見劣りするが、ここが俺の新しい個人事務所だ。
何よりも、ドアを開ければ「お疲れ様です!」という、温かい声でねぎらってくれる、アシスタントの白川龍之介がいる。それだけで、俺にとっては紛れもなく、ここが「城」だ。
龍之介は、前事務所でも同僚だった。
それが突然、退職するといったので、次の職場は決まっているのかと聞けば、とても悲し気に首をふった。
もともと、柏木が独立するのと同じころに俺も独立を考えていたが、柏木の方が先に松井先生に退職を申し出ていたらしく、その後、俺が言ったら松井先生から「いきなり二人も辞めるのは勘弁してくれ」と泣きつかれ、しぶしぶ残っていたという経緯があった。
だから、龍之介が退職する情報を事前に得た俺は、そこに便乗して辞めることにした。そうすれば、龍之介は俺の事務所に勤められるし、俺は独立と同時にアシスタントを確保できるしで、万々歳だ。
龍之介は、退職理由を言わない。
前の事務所は、日本でも指折りの法律事務所だったので、待遇もよく、早々、退職者は出ない。その厚待遇の職場を辞めるというのだから、よっぽどのことがあったはずだ。
俺は、ずっと龍之介に恋をしている。
彼に引かれたきっかけは、龍之介が「実家から送ってきたから」と、事務所にたくさんの蜜柑を持ってきた時だ。
小粒の蜜柑は、相当な量だったはずだが、同僚に分けると、あっという間になくなって、結局、龍之介の分は手元に残らなかった。蜜柑をたくさん持って満員電車に乗るのは大変だったろう。遠慮がちな彼は、きっと恐縮して、何度も周囲に「すみません、すみません」と、言いながら出勤してきたはずだ。それなのに、結局、自分の分まで人に分けてしまった。
俺が、机に置かれた蜜柑を龍之介に渡すべく近づいたら、彼は「自分はいつでも食べれるから」と、照れくさそうに笑って言った。
その時、俺は恋に落ちた。…と思う。
もっと器用なら、宅配便で送るとか思いつくはずだが、俺は不器用な龍之介がいい。自分でいうのもなんだが、俺はなんでも器用にこなせるから、こういう世間慣れしていない龍之介に惹かれたんだ。
それから事務所でPCに向かっている時、ふと目を上げると、彼の姿を追っていた。
穏やかでまじめに仕事していた龍之介の身に、何が起きて辞めようと思ったのか。
松井先生のせいで、いつも俺は多くの案件を抱え忙殺されていたから、龍之介を守れなかったことが悔しくて、どうしても真相が知りたかった。
「これ、お土産」
そういって龍之介に、たい焼きを渡す。
彼は嬉しそうに「駅前で買ってきてくれたんですか?ありがとうございます。今、お茶入れます」といって、白地の茶碗に緑茶を入れてくれた。
「うちの茶碗は、みんな白地だな」
「母が、緑茶は白地の茶碗で飲むのが好きなんです。緑がきれいに見えると言って。あ、他の色の茶碗が良かったですか?」
「いや、これでいい。これがいい」
「よかった!」
そういって、はにかみ笑いをする彼が愛おしい。
俺は、前から気になっていたことを口にした。
「『龍之介』というのは、芥川龍之介からとった?」
「あ、はい、そうです。父がつけたんです。父は文学部で、若いころは小説家になりたかったみたいで。でも、農家を継がなければならないし、才能もなかったから諦めたって」
「…だからか。よく言ってたろ、『雲がきれい』って」
港区の事務所は高層階だった。都内を一望できるほどの景観で、龍之介は仕事の合間に窓から見える雲を「きれい」と言っていた。
「そんなの、聞いていたんですか?」
「聞こえるんだよ。龍之介の声を拾うことに関しては、俺の耳は野生動物並みだ。超音波でも分かる。試しに出しみて、超音波。絶対、拾うぞ」
「なんですか、それ。出せませんって」
「そうか、出せないのか。残念だな」
そういうと、龍之介は、はにかみ笑いをした。
俺は、彼から目をそらさずに続けた。
「……芥川は、子供のころ、先生に美しいと思うものを上げなさいと言われて、『雲』と答えたんだろ」
「よく知ってますね。…でも、その時、先生や同級生から笑われたって」
「芥川の鋭い感性が分からなかったんだろうな」
「…自分が、その逸話を知ったのは、だいぶ後でした。その前から『雲はきれいだ』って思ってて。でも、俺の場合は…。俺、不器用で、とろいから、すぐ下を向いちゃうんです。だから、自分で意識して、前を向いて、上を向いてって、言い聞かせているところがあって。そうすると、目に入るのは、はるか先の空で、…雲があった。それで、よく雲を見てるっていう。…だから自分の場合は、鋭い感性とかじゃないんです」
「そういう姿勢でも、『雲はきれい』と思ったのが、龍之介の感性だろ」
「…そっか、そうなのかな。…水野先生はすごいですね。人のいいところを見つける天才?」
「それ、柏木に言ったら、爆笑されるぞ」
「柏木って、柏木先生?」
「そう!俺とヤツは似てるから。皮肉屋なところがそっくりなんだ」
柏木をネタに龍之介を笑わせて、俺は核心に触れることにした。
「どうして、前の事務所、辞めようと思ったんだ」
龍之介は、そのまま俯いてしまった。
俺は、俯く龍之介の顔を下からのぞき込むようにして、「龍之介には、ずっと仕事してもらいたい。さらに定年後は嘱託で。つまりだな、一生、俺は」といって自分を指し、次に龍之介を指して「おまえと、ずっと一緒に仕事したいんだ」
龍之介が顔をあげ、目を丸くしながら「定年?嘱託?」といったので、俺はすかさず「もう作ってあるんだ、二人のライフプランチャート。見るか?」
「え、え?」
俺はビジネスバックから、俺たちのライフプランチャートを取り出して広げた。
「まあ、俺は、自分でいうのもなんだが、ブル弁(※ブルジョワ弁護士)だったから資金は貯蓄した。しかし、あと3年は、この事務所を拠点にして、さらに資金を貯めたい。その間に、イソ弁(※居候弁護士)を増やして、龍之介の負担を減らすためにアシスタントも雇う。
その後は、港区あたりに土地を購入して事務所兼自宅を建てるんだ。それまでは、この事務所でがんばる。
この事務所は、結構、掘り出し物件だったんだ。
まず、駅から近い上に、龍之介のアパートにも近い。歩いて通勤できただろ?
それに、パーテーションで個室が作れるから、人を増やしても対応できる設計が気に入った。
ほんとは、龍之介には独立と同時に俺と同居して欲しかったけど、倹約家の龍之介は、今のアパートの更新までは、もったいなから転居しないっていうだろうと思った。アパートの更新は7月だったよな?もう更新しないって、不動産屋に伝えてもいいじゃないか?」
龍之介は、大きな目を、さらに大きく見開いて、俺をガン見した。
かわいいな。そんなに見られたら、何をするかわからないぞ。
「え、あ、あの、あの、それって」
「かなり最速でかっ飛ばして話したけど、一番、重要で肝心なことは、俺は龍之介のことが好きだってことなんだ」
「え、え、ええー!」
驚きながら龍之介は、無意識にスラックスのポケットに手を入れた。
きっと、スマホを握りしめてる。
知っているよ。
龍之介のスマホの待ち受けが、俺の写真だってこと。3年前の社員旅行で、みんなで撮った集合写真。その中の俺の顔写真をトリミングして使ってるってこと。
「龍之介は、俺と一緒に生きてくれない?それは嫌か?」
「ち、違う。そうじゃなくて」
かわいいな。早く頷かないと、その前にキスするぞ。
「あ、俺、俺も」
そういうのが精一杯の龍之介は、あとはポロっと涙を落とした。
俺は笑顔のまま、龍之介を抱きしめ、そのままキスをしたんだ。
10
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
愛してやまなかった婚約者は俺に興味がない
了承
BL
卒業パーティー。
皇子は婚約者に破棄を告げ、左腕には新しい恋人を抱いていた。
青年はただ微笑み、一枚の紙を手渡す。
皇子が目を向けた、その瞬間——。
「この瞬間だと思った。」
すべてを愛で終わらせた、沈黙の恋の物語。
IFストーリーあり
誤字あれば報告お願いします!
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる