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番外編 春はあけぼの④
しおりを挟む水崎さんの今日のネイルは薄いピンクで、爪の先がキラキラしていた。その長い爪で彼女は手際よく、さっさと茶器を洗う。
俺は彼女の横でペーパータオルで器を拭きながら、気になっていた片瀬さんが論外な理由を聞いた。
「うーん、なんていうか、あの方って、一枚、薄い皮を被っているような感じなんですよね~」
なんだそりゃ。薄い皮?俺はちょっとあらぬことを想像して赤くなった。
水崎さんはペーパータオルで手を拭きながら、「あら、やだ、先生!」と言ったあと、声を潜め「仮性包茎、想像したでしょ」という。
「え、違うの?!」
「違いますって!そんなとこまで分かりませんよ。全くこれだから現役の方は!ほんといつまでも新婚ですこと!」
なんだよ、変なことをいうから!
「まあ冗談はさておき。片瀬さんはね、薄い皮じゃなかったら、なんていいますか、そうですね、例えば怪しげな占いの館の占い師の後ろのカーテン。そんな館に入ったら、そのカーテンが気になりますよね?後ろはどうなってんのって思いますよね?片瀬さんの場合、そのカーテンが微妙に薄いというか…」
何を言っているのか、まったくわからなくて俺は沈黙。
「そのカーテンが微妙に薄いくて、奥が見えそうで見えないみたいな。ほんとに隠したいなら、もっと厚いカーテンにしろよって、ちょっとイラっときますでしょ。
つまりそんな感じなんですよね、片瀬さんて。うん、そうですね、全てが中途半端な印象です。隠したいなら隠せるような厚いカーテンにすればいいのに、なぜか微妙に薄いカーテンを選ぶと。隠すの隠さないの、いったいどっちなのという中途半端なところがありそう。
私、そういう人、だめなんですよね」
例えはアレだけど、なんとなく分かるような分からないような。でも、俺と隆一さんは水崎さんの人間観察力と洞察力に脱帽している。俺の中に片瀬さんは中途半端という情報がインプットされた。
水崎さんは電気ポットをオンにしてお湯を沸かし、中国茶を茶器にいれ、南雲さんの母親からもらったどら焼きを紙袋から出した。
「あら、これ満腹堂本店で買ったものだわ!」
彼女は包装紙をみていう。
「え、満腹堂って銀座四越に入っているよね?そこじゃないの?」
うちから銀座までは歩いていける距離だ。だからうちへの手土産は四越で買ったのだと思った。
「四越に入ってますけど、あれは支店で本店は高円寺にあるんですの」
「高円寺?」
「そうです。水野法律事務所のある中野の隣の駅です」
「いや、高円寺は分かるけど。へえ、そうなんだ。老舗の和菓子屋だから本店は銀座にあるんだと思ってた」
「違うんですよ。しかも本店と支店では包装紙が違うんです。ほら、ここの満腹という文字が青色でしょ。これは本店の包装紙なんです。四越の支店だとここが赤。わざわざ本店まで行って買ってきてくださったのね。これ、予約しないと買えませんからね。たしかちょっと前に、元首相がインタビューで『好物は満腹堂のどら焼き』と言っちゃったから、余計に繁盛しちゃって」
水崎さんはどら焼きに「ありがとうございます」と頭をさげた。どら焼きにというか、実際には買ってきてくれた南雲母に感謝したんだ。彼女の南雲母に対する評価はうなぎ上りだな。
「あとね、私、あの方、どっかで見たような気がするんです」
俺は棚から少し大きめのカップを三つ取って並べながら「片瀬さんを?」と聞く。
「そうです。どこだったかな。ちょっと思い出せない。でも、たぶんどっかでお見掛けしてると思います」
「とても印象に残る顔立ちだもんね」
水崎さんは「そうですね」と言った後、ちょっと声を潜め「今度から片瀬さんではなく、仮性さんって呼びますか?」とふざける。
「やめて!うっかり仮性さんとかいいそう!」
俺は顔を赤くしながらじたばた。
「楽しそうだな。カセイってなんだ」
俺たちの動作が止まる。晴天から一転、大暴風雨になった(冷気付き)。
「あらやだ、柏木先生、お部屋で待っていて下されば、お持ちしますのに」
変わり身の早さは彼女の真骨頂って、誰かが言ってなかったか?
「なかなか樹が戻らない、そのうえどら焼きも出てこない。だったらここに来るだろ?」
「ほら、海野先生がポヤポヤしているからですよ!」
え、俺?俺だけ?
水崎さんは菓子盆に目にも止まらぬ速さで二つのどら焼きを置くと、俺に渡しながら「お茶は後から持っていきますから、ごゆっくり!」といって、俺たちを給湯室から追い出した。
目の前にはやや機嫌悪そうな隆一さん。俺はどら焼きを手にしつつ、「隆一さんの部屋で一緒に食べよう」と、ちょっと引きつった笑顔をみせた。
二人でソファに座り、どら焼きを手にする俺。ここはまずは仕事の話だな。
「完璧なアリバイだけで、南雲さんの容疑は晴れる。でしょ?」
「そうだな。会社の出入口の防犯カメラ映像、IDカードの出退記録、これだけで十分だろう。あとはわざわざ就業中の会社に押しかけ、任意同行を求めた件につき、警視庁に人権侵害として徹底的に抗議する」
「うちは警察じゃないから、誰が現場に南雲さんの万年筆を置いたのかまでは関係ない。でも、気になるね」
「…それは確かに気になるが…。樹が言う通り、俺たちは警察ではないからな。存外、早く終わるんじゃないか。警察が逃亡した被疑者を逮捕するだろう。あちこちに防犯カメラがある昨今、逃げ切れんだろう。それよりも気になるのが…」
隆一さんが俺を見た。俺も隆一さんを見る。見つめ合う夫婦。ここは事務所で今は就業中。水崎さんもいる。ごくりと唾を飲む俺。
「樹…」
わざと耳元で低音ボイスを響かせる隆一さん。
「隠していることがあるだろ?」
ごめんなさい、水崎さん。やっぱり隆一さんに隠し事は無理でした。一緒に怒られよう?
俺は速攻で水崎さんが入手した片瀬さんの情報を自白した。
隆一さんは微妙な顔をしつつも、特にお仕置きはない様子。
あ~、良かった!
そして、この日のうちに大和組から押印済の委任状がメールで届き、俺たちは正式に南雲さんの弁護を引き受けた。
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