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番外編 春はあけぼの⑤
しおりを挟む片瀬さんが事務所にきた翌日。
俺は、大和組の法務部からメールで送られてきた南雲さんの退社時の防犯カメラ映像、それに会社のIDカードの出退記録を持って警察に行き、南雲さんと接見した。
任意での取り調べは、強制ではないので本人が帰りたいと言えば解放してくれる。しかし真面目な南雲さんは聴取に付き合っているのだ。
一方、隆一さんは、任意でありながら会社に押しかけて同行を求めた件につき、警視庁に厳重に抗議した。警視庁から所轄に連絡がいったことも相まって、南雲さんはアリバイ成立と共に、すぐに解放。南雲さんは俺と一緒に所轄を出た。
「先生、ありがとうございました」
所轄を出ると、深々と頭を下げる南雲さん。
いやいや、そんな大したことはしてませんって。
南雲さんによれば、大和組の法務部が派遣した顧問弁護士が、任意同行後、すぐに署にて彼に接見したことで、無理な取り調べはされず、無理やり供述調書にサインさせられる等のこともなかったそうだ。
しかし、それでも警察の対応は酷い!
これは俺が事務所に帰ってから知ったのだが、南雲さんの解放前に逃亡していた最後の被疑者が、実は逮捕されていたんだ!つまり、彼が解放される時には既に被疑者逮捕の一報は所轄に連絡がきていたはずで、それにも関わらず、所轄は最後までそれを俺たちに告げなかった。それでシレっと「捜査にご協力ありがとうございました!」の一言で終わりだ。
まったく警察は!
この対応には腹が立つものの、とりあえず依頼については無事に解決したわけで、これは、まあ、警察が本気になって逃亡した被疑者を追った結果だと考えると、プラマイゼロかな。
解放された翌日、南雲さんは直接の上司である片瀬さんのさらに上の第一建設部の部長、清原さんと一緒に事務所にきた。
清原部長は温厚そうな40代後半の男性だった。スーパーゼネコンの建設部の部長なんていうから、なんかこう脂ぎった中年を想像していたら、まったく逆だ。南雲さんの母親もはずしたし、俺の想像は外れてばかりだ。
「このたびは先生方の御尽力により、弊社の大切な社員を守って頂き、ありがとうございました」
応接に入るなり、清原部長と南雲さんから直角に腰を曲げて感謝された。俺と隆一さんは面食らってしまう。そこまで頭を下げられるほどのことはしていない。むしろ、南雲さんに早急に接見した顧問弁護士の力が大きく、それにより無理な取り調べはされなかったわけだし。感謝するなら、むしろそっちかな。
隆一さんも俺と同じことを思ったようだ。
「清原部長、我々はそれほどのことはしておりませんので、どうか頭を上げてください」
やっと頭を上げた清原さんは、「いやいや、どれほど御尽力を頂けたか、片瀬から聞いています」といった。
思わず俺と隆一さんは見つめ合った。片瀬さん、何をいったんだ?
「とにかくどうかお座りください」
やっと二人は座ってくれた。
そこに水崎さんがコーヒーを持って入ってきた。
ふーん、コーヒーですか?
俺と水崎さん限定の「茶語」には「玉露」の上、プレミアムというのがある。それがコーヒーだ!
水崎さんがコーヒーを出したら「大のお気に入り」という意味。
それだけじゃない。お茶だとその場で茶たくにのせて出して終わり。あっという間だ。しかし、コーヒーとなると、彼女はワゴンで運ぶ。皿にカップを乗せ、そこにミルクと砂糖をセットし、恭しく出すんだ。
つ・ま・り、長く応接にいられるのだ。こうやって水崎さんは「お気に入り」よりさらに上の「大のお気に入り」となった顧客を、接客しながら完璧に観察。この様子だと水崎ネットワークで入手した南雲息子の情報は、相当良かったんだったのだろう。
そんなことを思っていると、全員にコーヒーがいきわたる。
さりげなく水崎さんの顔をチェック。俺がチェックしていることを分かっている彼女は、ちょっと首を傾げて満面の笑み。どうやら南雲息子は水崎さんの「大のお気に入り」コレクションに加わった模様。
初めて所轄で接見した時も思ったが、改めてみると南雲さんはすっごい美形だ。
もっとも隆一さんには敵わないけどね。まあ、隆一さんや水野先生クラスではないにしろ、こんな同僚にいたら、女子はテンションあがるだろう。
南雲さんの身長は、隆一さんより少し低いから、180そこそこか。育ちの良さげな雰囲気で、髪は短くて少し日焼けしていた。いわゆる細マッチョという体形だ。顔立ちは、先日会った母親にはあまり似ていない。切れ長のやや大きめの目に肉厚の唇。
「改めまして、ほんとうにありがとうございました」
「ありがとうございました」
お二人からもう一度、感謝された。
「いや、やったことと言えば、警視庁に抗議したくらいのものですので、もう勘弁してください」
隆一さんが困っている。この人は善意の人からの100%の感謝というのが苦手だ。
この仕事をしていると、腹黒い人を山ほど見る。
ついこの間の案件は、誰もが知っている大企業の会長の遺産相続だった。その企業とは隆一さんが前職から顧問契約をしていて、会長個人の顧問弁護士もしていた。会長は大変なやり手だったが、家庭人ではなかったようで、妻との関係は最悪。子供とはそこそこ。そんな時、会長が倒れた。心筋梗塞だった。救急車で病院に運ばれたものの一旦は持ち直したので、ご家族は帰宅。しかし深夜に容態急変。もうまずいかもしれないと判断した病院が深夜2時に妻へ電話。すると、なんと彼女は「今、何時だと思ってるの!この時間に私が駆け付けたら、夫は助かるわけ?」と宣い、電話を切った。結局、その1時間後に会長は亡くなった。これを知った子供たちは激怒。相当な額の遺産があったが、子供たちは母には権利はなしと話し合った(それはできないだけどね)。
しかし、隆一さんが開示した遺言書で子供の態度は一変。会長は妻には現金を一切残さず、山だけ遺産として残したんだ。
今度は妻が激怒。結局、実母VS実子という構図で訴訟になった。その厚化粧の妻は、隆一さんと面談するや否や「弁護をお願いします」と猫なで声でいってきた。
隆一さんは完全無表情の体感温度-20度くらいの声色で「私は、会長個人の弁護士ですので、利益相反からお受けできません」と即答。隆一さんは故人(会長)の意志(遺言書)を守る立場だから、その意志(遺言書)が不満で訴訟を起こした配偶者の弁護は、利益相反になるから受けられるわけないのにね。
その会長にも多々問題はあっただろう。だけど会長が稼いだ金銭で、妻はその厚化粧に派手な服装が出来たのも事実だ。それなのに臨終に立ち会わず、金だけ欲しいとは。
こんな人種をたくさん見てるから、彼は善意からの感謝が苦手だ。魔王と呼ばれる彼が、一番苦手としているのが人の善性。魔王らしいといえばそうだ。…だけど隆一さんの繊細な部分が垣間見えて、俺は彼のこういうところも大好きだったりする。
顔に出さずにニマニマする俺にお構いなく、清原部長が口を開いた。
「本日はお礼と共に、後日、弊社の法務からも連絡があると思いますが、柏木先生と海野先生に、どうか弊社と顧問契約を結んでもらえないかというお願いでも伺いました」
え?
隆一さんも相当、驚いている。
「いや、しかし御社には既に顧問契約をしている法律事務所がありましたよね」
直訳すると「他の事務所とはもめたくない」だな。
「ええ、それはございますが、昨今、恥ずかしながら工事現場での事故が多発しておりまして、その現状から、弁護士を増やすと上が決めました。もちろん正式には弊社総務と法務部からお願い致しますが」
通常はこんな大企業からの依頼を断る事務所なんていないよね。顧問料も大きいし。でもね、うちの魔王は売れっ子弁護士なんですよ!
とはいえ隆一さんは、ここは大人の対応。
「そうですか。御社のような大企業から顧問契約を頂けるのは大変光栄です。とはいえ、御社からの正式連絡を待って返事をさせていただきます」
「ええ、もちろんです。宜しくお願い致します」
しばらく雑談したあと、清原部長が南雲さんに視線を移す。
「これで心置きなく、南雲を韓国に送り出せます」
「韓国?」
俺はオウム返しで聞いた。
「ええ、ソウルに米国のヒラトングループがホテルを新築することになり、弊社がそれを受注しました。竣工まで4年以上かかる大きな案件ですので、弊社から常駐の代理人を置くことになり、南雲が決まったのです」
「そうですか。それはおめでとうございます、でいいのかな」
隆一さんが南雲さんに声をかけた。
南雲さんは「ありがとうございます」と返答。嬉しそうだ。
「しかし、海外への常駐ですと、御社ほどの規模になると既婚者が行くと思っていましたが。最近は変わったんですね」
隆一さんの顧客である大手商社は、既婚者が海外に出されるので、彼がそう思うのも無理はない。むしろ海外赴任させるためにお見合いを設定するところまである。単身での海外赴任はかなりのストレスだからだろう。
それまで場をわきまえた対応をしていた南雲さんが、いきなり爆弾を落とした。
「自分はゲイなので、結婚しません」
はい???
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