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住処へ 3
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絶叫するように、彼女は泣いた。
俺もハインもどうすることもできない。
絶望の中で、独り泣く少女を、ただ見ていることしかできないのだ。
俺には彼女に何が起こっているのかが全く分からない。だが、どうしようもないほどに、彼女が独りであるということだけは、はっきり分かった。
彼女の中では、答えが出ているのだ。
自分がこの世界に独りであるという結論が。
だからこんな、喉が千切れそうなほどに、慟哭している……。
そしてそれを招いたのは……。
「ごめん…………俺が、引っ張ったからだ……」
罪悪感が、胸を潰しそうだった。
俺は、ただ役立たずなだけじゃなく、こんな少女まで不幸にした。大切なものを奪ってしまった。
こんな風になるなんて考えてなかった……溺れてるなら、助けなければと……。
なのに、浅はかな俺の行動で、この子はこんな風に、絶望している……!
この子に何ができるだろう……どうやって謝罪すればいい……どうやって元の場所に帰してやればいいんだろう……俺は、どうやって責任を取ればいいんだ⁉︎
だが、サヤさんは泣きながらも首を振った。
「ち、違います。
レイシールさんは、なんも悪うない。
だって、助けようと、してくれはったん、分かってます。
そもそもが、おかしかったんです。泉に手ぇ入れたんは、私やから。
せやから、そんな風に、思わんといて」
言われた言葉に俺は目を見開いた。
この子はなんて強く、優しいんだろう。
こんな状況、俺だったら誰かに気を回す余裕なんてない。
お前の所為だと罵られたって、おかしくないはずなのに……。
涙も止まらず、未だ悲しみの中なのに、それでも俺を責めず、庇うなんて……。
言葉にならない俺の横で、ハインは何か考えている風だったが、急に口を開いた。
「……分かりました。
とにかく、今大切なことは、貴女は無一文で、天涯孤独だということですね。
異界がどうこうは全く意味不明ですし、正直信じることも出来かねますが……」
「ハイン!」
お前、こんな泣いてる女の子にまでそんなこと言うのか!
「落ち着いて下さい。異界はどうでも良いのです。
今大切なのは、彼女をどうするかという問題です。
十六歳の女性。一人で置いておくことはできません。そうですね? レイシール様。
そして、ここはセイバーン領内ですよ。貴方の管轄です」
ハインに諭されて、俺はハッとした。
そうだ。責任というなら、俺はサヤさんを守らなければならない。
謝罪したって彼女は帰れない。謝られたって、この子は救われないんだ。
領内の問題で、俺が招いたことなら、彼女がこの先、きちんと生きて、いつか帰れるようにしなければ……。
「そう、そうだな。
まずは、サヤさんがきちんと生活できなきゃ駄目だ。いつか帰るために……。
じゃあ、まず未成年の女性だ。
孤児院……に入る程幼くないしな……とはいえ一人で暮らすのは無理だよな……」
一般的に、親を亡くした子供は孤児院か、神殿に入るが……サヤさんは未成年とはいえ、もう働いていてもおかしくない年齢だ。孤児院は無い。神殿は、自身を神に捧げる誓いを立てねばならないから、却下。
従来なら、働き口を世話してやることになる。住み込みとかで、自分の面倒は基本自分で見ることになるのだ。
だがサヤさんは、ここでのことを何も知らないと仮定するしかない。学校に行っていたと言うからには、貴族等の高貴な生まれだろうし……働き方なんてきっと知らないよな。
と、なると、一番妥当なのは後見人探しだ。
成人貴族は慈善活動や、有望な人材確保の為に後見人という立場を取ることが多々ある。
後見人となった人物の衣食住に責任を持つのだ。当然教育も含まれる。
後見人となった者が、将来有名になれば、それによって貴族の名声も上がる。
とはいえ女性の場合は……育てて嫁として貰ったりとか……他国に嫁がせるとか…………。
なんかあまりサヤさんにはお勧めできないな……。
「でしょうね。そもそもまともな後見人は見つからないと思いますよ。
見返りも後ろ盾もない女性を保護する奇特者は、奴隷商人か、女好きくらいです」
バッサリとハインが斬って捨てる。
まあ、俺もあまり良くないかなって思ってたんだけど、そうきっぱり否定されると何かなぁと思う。
手駒として使わない人に託せば大丈夫だと思いたい。しかし……
「……父上や異母様は……受けて下さらないだろうな……」
「むしろ、より危険でしょう。フェルナン様の毒牙に掛かるだけですよ」
兄上の名前を出し、汚い言葉を口にしてしまったとばかりに嫌な顔をする。
君の心情は分かるけれども、もうちょっと取り繕ってくれないか……一応身内なんだから。
俺が成人してれば、俺の裁量でサヤさんの後見人になれたけれど、あいにく未成年だ。
でも、後見人以外で思いつくものなんて、妾とかくらいしか……でもそれは絶対駄目。色々最低の選択肢だと思う。
となると結局働き口を探してやるくらいしか俺にできることってなくない⁉
「じゃあどうすればいいって⁉︎」
「簡単にして下さい。普段さして使わない頭を、なんで今、敢えてややこしい方に使おうとするのですか。
雇えば良いんです。彼女をここで。使用人として」
…………!
「え⁉︎ いいのか? お前が一番嫌がると思ってた!」
思い掛けない提案だった。
ハインはサヤさんを警戒してるし、絶対にそれは許さないと思ってたんだ。
だから、あえてその手段は考えていなかったのに……。
着替えの間すら監視して、事情を聞き出すために剣で脅そうとまで提案したんだ。明らかに彼女を俺のそばに置きたくない。そう思ってるはずだよな。
そんな風に考えていた俺に、ハインは嫌そうに、眉間にしわを寄せて言った。
「貴方が手を引いたのですから、責任を取るしかないでしょう。
……九年前と同じだと思えば……まあ、頷けなくもないです」
それだけ言って顔を背ける。
イヤイヤですからねと、言うかのように……。
俺はそんなハインの分かりづらい優しさに、つい口元が緩んでしまう。なんだ、こいつもサヤさんを心配してるんじゃないか。
口や態度で出さなかっただけで、サヤさんを怪しいとか、危険とか、それほど思ってないってことだよな?
俺のことも心配だから、厳しい顔をして厳しい対応をしていたってことなのか。
早くしてくださいとばかりに急かすハインに背中を押され、俺はしゃくりあげつつも、状況を見守っていたサヤさんの前に座る。
「じゃあ、サヤさん。聞いてほしい。
申し訳ないけれど、君を元の世界に返してやれるかどうかは、まだ分からない。
……ごめんね。俺が手を引いたせいで……君をこんな目に合わせてしまって。
だけど、とりあえず帰れる日が来ると信じて、ここで生きていかなきゃ駄目なのは、分かるね?
だから、君が帰る時まで、俺が君を雇うことにする。建前上」
「……建前?」
「うん。俺はまだ未成年だから、君の後見人にはなれないんだ。
けれど、雇うことならできる。これでも貴族の端くれだし、使用人がいるのが普通だから。
……ここで生きて行く方法を身につけるまでは、俺が君の生活の面倒を見ると約束する」
俺の言葉に、ハインが補足を入れる。
「貴女の特殊な事情を他に言っても信じてもらえません。
ここは、未成年の女性を一人にできるほど治安も良くない。
そうなると、我々の取れる手段は限られるのです。
少なくとも、我々は貴女の事情を多少は理解した。全部信じるわけではありませんが……ね。
貴女にとっても、事情を全く知らない人間に雇われるよりは、まだ我々の方が安心できるでしょう。
全く知らない人間に囲まれ、生活の仕方がわからないまま働き、暮らすよりは、まだ過ごしやすいと思うのですが」
サヤさんは、両手を握りしめ、膝の上に置いて、俯いた。
考えているのだと思う。俺たちの提案がどういったものかを。
言葉は通じても、元の世界とは何かが違うであろうこの場所は、彼女にとって心休まる場所ではないと思う。
だから、せめて、事情を知っている俺が、彼女を信じなくてはいけないと思った。助けにならなくてはいけないと。
俺が手を引いたのは事実。責任の一端は、確実に俺にあるのだ。
そんな俺のそばに居るなんて、嫌かもしれない……。けれど、俺は彼女の力になりたい。こんな風に泣かせたくない。
ただひたすらそう思って、俺はサヤさんを見つめた。
しばらく俯いていたサヤさんは、俺の視線に気付いたのか、顔を上げ……
「うん。分かりました。
おおきに……よろしく、おねがいします」
そう言って、泣きながらも微笑んだのだ。
「うん……こちらこそ、よろしく」
俺もちょっと泣きそうになった。
罪滅ぼしにはならないと思うけど、少なくとも、彼女のために何かができるのだと思うと、少し救われた気持ちになる。
「せやけど、建前やのうて、きちんと、雇われたいです。
レイシールさんの所為やあらへんのに、責任負わせとうないもの。
やれる事あるか分からへんけど、自分の面倒は自分で見な、あかん思う」
泣いて真っ赤になった目をゴシゴシとこすりながら、気丈にサヤさんが言う。
ほんと……強いなこの子。なんて前向きなんだろう。
見た目は本当嫋やかで、儚い感じなのに……心には宝石を備えているような娘だと思った。
そんな姿に、ハインも多少はほだされたのか……。
「そうですか……。でしたら、レイシールさんではなく、レイシール様と呼んで頂きます」
「レイシール様……ハイン様?」
「使用人に様はいりません」
素っ気ない……。
なんか全然素っ気ない……泣いてる女の子に遠慮もない!
涙って何ですか、目から水だしてどうしたんですかくらいに頓着せず、ハインは矢継ぎ早に要求を突き付けていく。
「貴女のことはサヤと呼び捨てますが、構いませんか」
「はい、私が一番年下やろうし、向こうでもそう呼ばれてたから、構いません」
「ではサヤ、まずは、広域語を覚えてもらわねばなりません」
「……?できますよ?
お二人が話してはるんは日本語の、標準語です。私も喋れます」
「…………じゃあ、なんのために訛ってるんですか……?」
「……地域の特色として?」
小首を傾げてサヤさん。
喋れるのにわざわざ訛ってたんだ……。よっぽど好きなのだろうか、その訛りが。
ハインは、そんなサヤさんにしばし沈黙してから、試すように言った。
「それでは、貴女のやれること。特技を述べなさい。……標準語で」
「はい。やれること……ここでどのような生活をされているのかが分かりませんから、きちんとやれるとは言い切れないのですが、掃除、洗濯、料理は一通り祖母に仕込まれました。
掃除機、洗濯機、ガスコンロはございますか?」
「それはなんの呪文ですか……」
「無いのですね……。大丈夫。はじめは上手くできないかもしれませんけど、身につけます。
特技ですが、少林寺拳法二段です」
「……それもなんの呪文ですか……」
「護身術は通じますか?叩いたり、蹴ったり、関節技をかけたりします」
「……ちょっと待って下さい……意味が分かりません。
叩く、蹴る、カンセツワザ?最後は特に意味不明ですが、叩く蹴るはただの喧嘩では?」
「違います。武道……武術です」
「え?サヤは女性だよね?なのに武術⁉︎」
ハインがサヤに質問する度に眉間にシワを刻んでいく。
有能なハインが、言葉についていけないなんて……こんなのなかなか見れるものじゃない。
面白くて眺めていたのだが、あり得ない単語が飛び出した為、びっくりして口を挟んでしまう。
ハインもこいつマジかという顔だ。ここで女性は武術などしない。サヤの国では違うのか?
「珍しくないとは言いませんけれど……私の通っていた道場でも、一割程は女性でした。
ですから、特殊な事例というわけではないです。
でも、二段ですから、素人よりマシな程度の実力ですよ?」
そんな大層なもんじゃないと言うように、サヤはさらっと流してしまう。
だが……武術を体得しているのか……それならうん。頷けるな。
サヤの姿勢の良さや、間合いの取り方。偶然に……無意識にできるものじゃない。
普段の行動に刷り込まれているほどに、鍛錬されたものだったのだ。
「なんか、妙に姿勢がいいと思ってたんだ。
それに、サヤは常に間合いを測ってるだろ?」
「……いえ……あ!そうかもしれません。
その……私、少し……男性の方に近付かれるのが苦手だから……
とりあえずすぐに逃げられるように、一定以上に近寄らないようにしてます……。えっと……きっと今はもう、無意識かもしれません」
何かを思い出したのか、一瞬怯えたような表情をした。
ちょっと気になったけれど、俺の気のせいかもしれないし、とりあえず追求はしないでおく。
心なしか、若干身を引いたような気もするし……。
「素人よりマシな程度……ね。
そうだとしても、一度見てみないと分かりかねますね」
顎に手を当てて、眉間にシワを寄せたハインが言う。
うん……。正直俺も分からない。拳を握ってポカポカと叩いてくるくらいのものしか想像できなかった。
俺たちのそんなやりとりを見たサヤは、もう一度こてんと首を傾げ、しばし考え込んだと思ったら「じゃあお見せします」と言って、部屋の少し広い場所に移動した。
え?今?ここでする?
呆気にとられる俺たちから数歩ぶん距離を取り、こちらに向き直る。
右手を握り込み、腰のあたりに固定、左手は開いたまま、すっと前に出して、右足を引き、腰を落とす。ふうっと息を吐くと、急に空気がピリッと鳴ったような気がした。
俺もハインもどうすることもできない。
絶望の中で、独り泣く少女を、ただ見ていることしかできないのだ。
俺には彼女に何が起こっているのかが全く分からない。だが、どうしようもないほどに、彼女が独りであるということだけは、はっきり分かった。
彼女の中では、答えが出ているのだ。
自分がこの世界に独りであるという結論が。
だからこんな、喉が千切れそうなほどに、慟哭している……。
そしてそれを招いたのは……。
「ごめん…………俺が、引っ張ったからだ……」
罪悪感が、胸を潰しそうだった。
俺は、ただ役立たずなだけじゃなく、こんな少女まで不幸にした。大切なものを奪ってしまった。
こんな風になるなんて考えてなかった……溺れてるなら、助けなければと……。
なのに、浅はかな俺の行動で、この子はこんな風に、絶望している……!
この子に何ができるだろう……どうやって謝罪すればいい……どうやって元の場所に帰してやればいいんだろう……俺は、どうやって責任を取ればいいんだ⁉︎
だが、サヤさんは泣きながらも首を振った。
「ち、違います。
レイシールさんは、なんも悪うない。
だって、助けようと、してくれはったん、分かってます。
そもそもが、おかしかったんです。泉に手ぇ入れたんは、私やから。
せやから、そんな風に、思わんといて」
言われた言葉に俺は目を見開いた。
この子はなんて強く、優しいんだろう。
こんな状況、俺だったら誰かに気を回す余裕なんてない。
お前の所為だと罵られたって、おかしくないはずなのに……。
涙も止まらず、未だ悲しみの中なのに、それでも俺を責めず、庇うなんて……。
言葉にならない俺の横で、ハインは何か考えている風だったが、急に口を開いた。
「……分かりました。
とにかく、今大切なことは、貴女は無一文で、天涯孤独だということですね。
異界がどうこうは全く意味不明ですし、正直信じることも出来かねますが……」
「ハイン!」
お前、こんな泣いてる女の子にまでそんなこと言うのか!
「落ち着いて下さい。異界はどうでも良いのです。
今大切なのは、彼女をどうするかという問題です。
十六歳の女性。一人で置いておくことはできません。そうですね? レイシール様。
そして、ここはセイバーン領内ですよ。貴方の管轄です」
ハインに諭されて、俺はハッとした。
そうだ。責任というなら、俺はサヤさんを守らなければならない。
謝罪したって彼女は帰れない。謝られたって、この子は救われないんだ。
領内の問題で、俺が招いたことなら、彼女がこの先、きちんと生きて、いつか帰れるようにしなければ……。
「そう、そうだな。
まずは、サヤさんがきちんと生活できなきゃ駄目だ。いつか帰るために……。
じゃあ、まず未成年の女性だ。
孤児院……に入る程幼くないしな……とはいえ一人で暮らすのは無理だよな……」
一般的に、親を亡くした子供は孤児院か、神殿に入るが……サヤさんは未成年とはいえ、もう働いていてもおかしくない年齢だ。孤児院は無い。神殿は、自身を神に捧げる誓いを立てねばならないから、却下。
従来なら、働き口を世話してやることになる。住み込みとかで、自分の面倒は基本自分で見ることになるのだ。
だがサヤさんは、ここでのことを何も知らないと仮定するしかない。学校に行っていたと言うからには、貴族等の高貴な生まれだろうし……働き方なんてきっと知らないよな。
と、なると、一番妥当なのは後見人探しだ。
成人貴族は慈善活動や、有望な人材確保の為に後見人という立場を取ることが多々ある。
後見人となった人物の衣食住に責任を持つのだ。当然教育も含まれる。
後見人となった者が、将来有名になれば、それによって貴族の名声も上がる。
とはいえ女性の場合は……育てて嫁として貰ったりとか……他国に嫁がせるとか…………。
なんかあまりサヤさんにはお勧めできないな……。
「でしょうね。そもそもまともな後見人は見つからないと思いますよ。
見返りも後ろ盾もない女性を保護する奇特者は、奴隷商人か、女好きくらいです」
バッサリとハインが斬って捨てる。
まあ、俺もあまり良くないかなって思ってたんだけど、そうきっぱり否定されると何かなぁと思う。
手駒として使わない人に託せば大丈夫だと思いたい。しかし……
「……父上や異母様は……受けて下さらないだろうな……」
「むしろ、より危険でしょう。フェルナン様の毒牙に掛かるだけですよ」
兄上の名前を出し、汚い言葉を口にしてしまったとばかりに嫌な顔をする。
君の心情は分かるけれども、もうちょっと取り繕ってくれないか……一応身内なんだから。
俺が成人してれば、俺の裁量でサヤさんの後見人になれたけれど、あいにく未成年だ。
でも、後見人以外で思いつくものなんて、妾とかくらいしか……でもそれは絶対駄目。色々最低の選択肢だと思う。
となると結局働き口を探してやるくらいしか俺にできることってなくない⁉
「じゃあどうすればいいって⁉︎」
「簡単にして下さい。普段さして使わない頭を、なんで今、敢えてややこしい方に使おうとするのですか。
雇えば良いんです。彼女をここで。使用人として」
…………!
「え⁉︎ いいのか? お前が一番嫌がると思ってた!」
思い掛けない提案だった。
ハインはサヤさんを警戒してるし、絶対にそれは許さないと思ってたんだ。
だから、あえてその手段は考えていなかったのに……。
着替えの間すら監視して、事情を聞き出すために剣で脅そうとまで提案したんだ。明らかに彼女を俺のそばに置きたくない。そう思ってるはずだよな。
そんな風に考えていた俺に、ハインは嫌そうに、眉間にしわを寄せて言った。
「貴方が手を引いたのですから、責任を取るしかないでしょう。
……九年前と同じだと思えば……まあ、頷けなくもないです」
それだけ言って顔を背ける。
イヤイヤですからねと、言うかのように……。
俺はそんなハインの分かりづらい優しさに、つい口元が緩んでしまう。なんだ、こいつもサヤさんを心配してるんじゃないか。
口や態度で出さなかっただけで、サヤさんを怪しいとか、危険とか、それほど思ってないってことだよな?
俺のことも心配だから、厳しい顔をして厳しい対応をしていたってことなのか。
早くしてくださいとばかりに急かすハインに背中を押され、俺はしゃくりあげつつも、状況を見守っていたサヤさんの前に座る。
「じゃあ、サヤさん。聞いてほしい。
申し訳ないけれど、君を元の世界に返してやれるかどうかは、まだ分からない。
……ごめんね。俺が手を引いたせいで……君をこんな目に合わせてしまって。
だけど、とりあえず帰れる日が来ると信じて、ここで生きていかなきゃ駄目なのは、分かるね?
だから、君が帰る時まで、俺が君を雇うことにする。建前上」
「……建前?」
「うん。俺はまだ未成年だから、君の後見人にはなれないんだ。
けれど、雇うことならできる。これでも貴族の端くれだし、使用人がいるのが普通だから。
……ここで生きて行く方法を身につけるまでは、俺が君の生活の面倒を見ると約束する」
俺の言葉に、ハインが補足を入れる。
「貴女の特殊な事情を他に言っても信じてもらえません。
ここは、未成年の女性を一人にできるほど治安も良くない。
そうなると、我々の取れる手段は限られるのです。
少なくとも、我々は貴女の事情を多少は理解した。全部信じるわけではありませんが……ね。
貴女にとっても、事情を全く知らない人間に雇われるよりは、まだ我々の方が安心できるでしょう。
全く知らない人間に囲まれ、生活の仕方がわからないまま働き、暮らすよりは、まだ過ごしやすいと思うのですが」
サヤさんは、両手を握りしめ、膝の上に置いて、俯いた。
考えているのだと思う。俺たちの提案がどういったものかを。
言葉は通じても、元の世界とは何かが違うであろうこの場所は、彼女にとって心休まる場所ではないと思う。
だから、せめて、事情を知っている俺が、彼女を信じなくてはいけないと思った。助けにならなくてはいけないと。
俺が手を引いたのは事実。責任の一端は、確実に俺にあるのだ。
そんな俺のそばに居るなんて、嫌かもしれない……。けれど、俺は彼女の力になりたい。こんな風に泣かせたくない。
ただひたすらそう思って、俺はサヤさんを見つめた。
しばらく俯いていたサヤさんは、俺の視線に気付いたのか、顔を上げ……
「うん。分かりました。
おおきに……よろしく、おねがいします」
そう言って、泣きながらも微笑んだのだ。
「うん……こちらこそ、よろしく」
俺もちょっと泣きそうになった。
罪滅ぼしにはならないと思うけど、少なくとも、彼女のために何かができるのだと思うと、少し救われた気持ちになる。
「せやけど、建前やのうて、きちんと、雇われたいです。
レイシールさんの所為やあらへんのに、責任負わせとうないもの。
やれる事あるか分からへんけど、自分の面倒は自分で見な、あかん思う」
泣いて真っ赤になった目をゴシゴシとこすりながら、気丈にサヤさんが言う。
ほんと……強いなこの子。なんて前向きなんだろう。
見た目は本当嫋やかで、儚い感じなのに……心には宝石を備えているような娘だと思った。
そんな姿に、ハインも多少はほだされたのか……。
「そうですか……。でしたら、レイシールさんではなく、レイシール様と呼んで頂きます」
「レイシール様……ハイン様?」
「使用人に様はいりません」
素っ気ない……。
なんか全然素っ気ない……泣いてる女の子に遠慮もない!
涙って何ですか、目から水だしてどうしたんですかくらいに頓着せず、ハインは矢継ぎ早に要求を突き付けていく。
「貴女のことはサヤと呼び捨てますが、構いませんか」
「はい、私が一番年下やろうし、向こうでもそう呼ばれてたから、構いません」
「ではサヤ、まずは、広域語を覚えてもらわねばなりません」
「……?できますよ?
お二人が話してはるんは日本語の、標準語です。私も喋れます」
「…………じゃあ、なんのために訛ってるんですか……?」
「……地域の特色として?」
小首を傾げてサヤさん。
喋れるのにわざわざ訛ってたんだ……。よっぽど好きなのだろうか、その訛りが。
ハインは、そんなサヤさんにしばし沈黙してから、試すように言った。
「それでは、貴女のやれること。特技を述べなさい。……標準語で」
「はい。やれること……ここでどのような生活をされているのかが分かりませんから、きちんとやれるとは言い切れないのですが、掃除、洗濯、料理は一通り祖母に仕込まれました。
掃除機、洗濯機、ガスコンロはございますか?」
「それはなんの呪文ですか……」
「無いのですね……。大丈夫。はじめは上手くできないかもしれませんけど、身につけます。
特技ですが、少林寺拳法二段です」
「……それもなんの呪文ですか……」
「護身術は通じますか?叩いたり、蹴ったり、関節技をかけたりします」
「……ちょっと待って下さい……意味が分かりません。
叩く、蹴る、カンセツワザ?最後は特に意味不明ですが、叩く蹴るはただの喧嘩では?」
「違います。武道……武術です」
「え?サヤは女性だよね?なのに武術⁉︎」
ハインがサヤに質問する度に眉間にシワを刻んでいく。
有能なハインが、言葉についていけないなんて……こんなのなかなか見れるものじゃない。
面白くて眺めていたのだが、あり得ない単語が飛び出した為、びっくりして口を挟んでしまう。
ハインもこいつマジかという顔だ。ここで女性は武術などしない。サヤの国では違うのか?
「珍しくないとは言いませんけれど……私の通っていた道場でも、一割程は女性でした。
ですから、特殊な事例というわけではないです。
でも、二段ですから、素人よりマシな程度の実力ですよ?」
そんな大層なもんじゃないと言うように、サヤはさらっと流してしまう。
だが……武術を体得しているのか……それならうん。頷けるな。
サヤの姿勢の良さや、間合いの取り方。偶然に……無意識にできるものじゃない。
普段の行動に刷り込まれているほどに、鍛錬されたものだったのだ。
「なんか、妙に姿勢がいいと思ってたんだ。
それに、サヤは常に間合いを測ってるだろ?」
「……いえ……あ!そうかもしれません。
その……私、少し……男性の方に近付かれるのが苦手だから……
とりあえずすぐに逃げられるように、一定以上に近寄らないようにしてます……。えっと……きっと今はもう、無意識かもしれません」
何かを思い出したのか、一瞬怯えたような表情をした。
ちょっと気になったけれど、俺の気のせいかもしれないし、とりあえず追求はしないでおく。
心なしか、若干身を引いたような気もするし……。
「素人よりマシな程度……ね。
そうだとしても、一度見てみないと分かりかねますね」
顎に手を当てて、眉間にシワを寄せたハインが言う。
うん……。正直俺も分からない。拳を握ってポカポカと叩いてくるくらいのものしか想像できなかった。
俺たちのそんなやりとりを見たサヤは、もう一度こてんと首を傾げ、しばし考え込んだと思ったら「じゃあお見せします」と言って、部屋の少し広い場所に移動した。
え?今?ここでする?
呆気にとられる俺たちから数歩ぶん距離を取り、こちらに向き直る。
右手を握り込み、腰のあたりに固定、左手は開いたまま、すっと前に出して、右足を引き、腰を落とす。ふうっと息を吐くと、急に空気がピリッと鳴ったような気がした。
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ことあるごとに厳しくあたしを指導する、目の上のたんこぶみたいな男――だったはずが。
「おまえの顔、えっろい」
神様仏様どうしてあたしはこの男に今宵も激しく愛しこまれているのでしょう。
――2000年代初頭、IT系企業で懸命に働く新卒女子×厳しめの俺様男子との恋物語。
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