異界娘に恋をしたら運命が変わった男の話〜不幸の吹き溜り、薄幸の美姫と言われていた俺が、英雄と呼ばれ、幸運の女神と結ばれて幸せを掴むまで〜

春紫苑

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 瞳を閉じ、深く呼吸を繰り返してから開く。すると、眼光まで鋭くなっている。
 ハインが、すっと俺の横に移動した。多分、警戒したのだ。俺を守るために距離を詰めたのだと分かる。
 けれど、俺は別に身の危険を感じてはいなかった。
    彼女の雰囲気は一変したけれど、危険な気はしない。何故かとても美しい。目を離せなかった。凛として綺麗な彼女から。
 そして、フッと鋭く息を吐くと同時に、サヤは動いた。

 拳が空気を裂き突き出され、脚が高く上がり空間を薙ぐ。体を捻りながらさらに身を屈め、また拳が振るわれる。黒髪がフワリと広がって、身体の動きを追っていく。
 舞のようだった。剣技で言うところの型のようなものなんだろう。
 飛び跳ねたり蹴り上げたり、流れるように動く。
 と、いきなりハインが動いた。
 腰の剣を鞘ごと引き抜き、あろうことかサヤに向けて踏み込み、振り下ろしたのだ。

「ハイン!」

 制止の声は無視され、剣は過たず、サヤに迫る。
 ハインが本気で攻撃したのが分かる。俺なら気付いたらいきなりぶん殴られているに違いない速さ。横からだから見えているだけだ。
 しかし、彼女は違った。急な展開だろうに、悲鳴をあげるでもなく、弾む様に、右に半歩だけ身体を外し、身を捻るようにしながら左の拳の甲で剣の腹を弾く。
 ビシッという音。

「……⁈」
「⁉︎」

 そこで彼女の舞は終わった。
 左の拳はハインの剣の軌道を逸らし、受け止めている。が、大した衝撃も受けていない様子。器用なことに、打撃の重みは流してしまったらしい。
 右の拳はハインの顔の手前、顎から紙一重で止められていた。剣を弾くと同時に、一気に距離を詰め、同時に一撃を繰り出していたようだ。一瞬すぎて、全然分からなかった……。
 流石のハインも驚いたのだろう。動くに動けないのが分かる。
 俺も驚きのあまり、声すら出なかった。
 言っとくけど、ハインはそこそこ強いんだよ?    これのどこが素人よりマシな程度⁉︎
 だが、驚いたのは俺たちだけではなかったらしい。

「わっ、嘘⁈    ゴメンなさいっ、なんか勝手に体が動いたというか……やたら軽かったというか……っ、絶好調だったみたいです!    申し訳ありませんっ」

 サヤは両手ををささっと背中に引いた。若干腰も引けている。今までの気迫が嘘のように霧散してしまっていた。
 申し訳なさそうな顔で、眉を下げる。
 いや、先に手を出したのはハインなんだから、どっちかというと君はハインを責めていいと思うんだけど。
 そう言おうと口を開きかけた俺の目の前で、もう一つ信じられないことが起こった。
 なんと、ハインの剣が真ん中からパキンと折れて落ちた。鞘ごと。

「…………」
「ぅうえぇ⁉︎」
「ひああぁぁ⁉︎な、なんで、なんで⁈」

 ハインは呆然と言葉を失い、俺は意味のない奇声を上げることしかできず、サヤは泣きそうな顔で大混乱。
 ないないない、だってこれ鉄製だよ?   拳で叩いて折れるようなもんじゃないからね⁉︎

「お、落ち着こう。きっとあれだ、剣が古かったんだ。たまたまだよ、うん、たまたまっ!」
「そ、そう?    そうですよね?    金属なのに叩いて折れるっておかしいですよね!」
「失礼な。確かに長年使っておりますが、手入れはきちんとしてありますし、つい先日も研ぎに出しましたし、充分使用に耐えるものですよ」

 一生懸命現実を飲み込もうとしているのにハインが否定する。
 鞘から剣を引き抜くと、見事に中程から先が無かった。
 いきなり強力な負荷が掛かったのだと解る。曲がりもせず、きっちり綺麗に、まるで切り取られたかのように折れているのだ。
 ハインの言葉通り、ちゃんと手入れの行き届いた曇りも錆もない刀身。
 鞘の方はというと、こちらは多少破片も飛び散っているようだ。というか凹んでいたりもする。これも鉄製です。
 恐る恐る剣の有様を覗き込む俺とサヤをさせるがままにして、ハインは剣をひっくり返したり、断面を見たり。そして暫く考えた後……。

「もう一つ気になっていたのですが……先ほどサヤは、我々の話が普通に聞こえていたと言いましたね?
 初めの方の、怒鳴り合いならまだしも……全て聞こえていたのですか?」
「え?    はい……多少聞き取りにくくはありましたけど……普通に聞こえてました」
「……レイシール様、窓の外に出て、こちらに背を向けたまま、何かを喋っていただけますか」

 急に話を変えたハインの意図が分からない。
 あえて現実逃避してみました。……と、いうわけでもないだろうし……?
 分からないが……とりあえず、言われた通り、露台に出て窓を閉め、ハイン達の方に背中を向けたまま「ハインはいつも怖い顔」と呟く。怖いので結構な小声で。

 そして振り返ると……歪んだ窓硝子の向こうで、サヤが明らかに困った顔をしていた。
 窓を開け、室内に戻る。

「やってきたけど?」
「私には何も聞こえませんでした。ではサヤは?」
「………き……聞こえました……」

 ちらりと俺を見、ハインを見て、なんでそんなことを言ったのと言いたげな顔。

「じゃあ、言ってください」
「……い、良いんですか?」

 俺がこくんと頷くと、サヤさんは絞り出すような小さな声で……。

「ハインはぃつもこわぃかぉ……」
「ほぉ……」
「うん、正解」

 凄い。あんな小さな声が本当に聞こえたんだ……。
 初めはびっくり、ただ凄いとだけ思った。だが、よくよく考えてみると、なんか変だぞと気付く。
 だって俺は、相当小声で言った。しかも窓に背を向けて。
 窓に耳を貼り付けて聞いても聞こえないのでは?ましてや……

「サヤは……ハインより後ろにいたのに……聞こえた?」

 三人でしばし沈黙した。

 到底、聞こえないような声を聞き取り、鉄の鞘に入った剣を拳で叩くだけで折る。
 これは、偶然?    それとも、サヤが異界の人間だからなのか?
 サヤを見ると、何か怯えたかのように、俯き青い顔をしている。
 サヤは剣を折って驚いていた。
 あの顔が演技だとは思えない……。

「一応聞くけど……サヤは、鉄を折ったのは、はじめて?」
「は、はい……そんな、ありえないです……。
 さっきも言った通り、私は二段……十段階ある階級の、たった二段目なんです。
 師範は、昇段試験受けるかって言うてくれてはったけど……師範かて鉄を叩き折るとか、できると思えへん……」

 おどおどとサヤが答える。気持ちに揺らぎがあるためか、言葉遣いに気を回す余裕もないのか、訛りが戻ってしまっている。
 俺は、サヤを泉から引き上げた瞬間のことを、思い返した。
 泉から出た手を、俺は右手で握った。そう、左手は泉の岸辺についていたはずだ。
 全力で、力一杯引いたよな…うん。そうしたら、スルッと抵抗もなく、一気に持ち上がって…サヤと目が合ったんだ……。それまで俺は、重さを何も感じていなかった…。
 そして、サヤが水面を離れたと瞬間に、重さが掛かった?
 握力の低い右手だったから、負荷に耐えられず、すぐ手も離してしまったんだ…。で、俺の上に落下した。

「うん。とりあえずあれだ。サヤのいた場所と、こことでは、何かが違うってことでいいんじゃないかな」

 こことは違う場所からやって来たサヤという存在の不思議。
    全く違う世界から来て言葉が通じる不思議。
    サヤは夕方と言っていたのに、今は朝だと言う不思議。
    理由を探したってどうせ分からない。そして、今更それが増えたってなんだというのか。

「サヤにとって良いことだと思おう。
 人より秀でた能力がある。それだけのことだよ」
「え……アマゾネスとか、狂戦士とか……怖いとか、思わへんの?」

 あっさりと考えることを放棄した俺に、サヤがびっくりした顔をする。
 そしてまた出てくる謎の呪文。

「アマゾネス……それも謎の単語だ。意味が分からない。
 でも、狂戦士は違うんじゃないかな?    サヤは別に、戦場に身を置きたいわけじゃないよね?」
「う、うん……別に、敢えて戦いたないし……」
「ほら、じゃあ違う。それから、怖いとかはないよ。
    どちらかというと、サヤは可愛い?    綺麗?    そんな分類かな。
 怖いっていうのは……こんな感じだよ」
「……左様ですか」

 ハインを指差すと、いつもの眼力でギロリと睨まれた。
 うん。怖い。

「そんなことより、俺は重大なことを思い出したんだ。
 朝食!    もういい加減、食べさせてくれ!    こんなんじゃ頭も働かないと思う!」

 まずは落ち着くために、食事と、休息を取るべきだ。
 俺の主張に、ハインがポンと手を打つ。

「そうでした。サヤ、手伝ってください。貴女のぶんも用意しなくてはいけませんから」

 そう言って、返事も待たずにスタスタ行ってしまう。
 サヤは、「え?あっ……は、はいっ」と、とりあえずハインに従うことにしたようだ。ハインを追って、部屋を出て行く。
 俺は、それを見届けてから、長椅子にどさりと身を投げた。

 なんなんだ……今日は一体何が起こってるんだ……。
 嫌な夢を見て飛び起きて、泉に行って不思議な少女を拾って、その少女が異界の人間で、鉄を素手で折ったり妙に耳が良かったり……ここまで盛り込んでまだ朝だ!
 はぁ……と、溜息をついて、暖炉横の衝立に視線をやる。
 ………片付けなきゃ。ハインもサヤも行ってしまったし……。
 そう思いつつ立ち上がり、衝立を畳んでいくと、濡れた服が、きっちり畳まれて、籠の中に収めてあった。
 貸した俺の上着が一番上に、畳まれている。
 律儀だなぁと思うと同時に、サヤの顔と、艶やかな黒髪を思い出す。

 異界の人間は、皆あんなに風に美しいのだろうか……。

 微笑んだら本当に綺麗で可愛くて……なのに、出会ってから今まで、ほぼ彼女を困らせ、泣かせてばかりだ。
 雇うと決めたからには、俺は彼女を守らなければならない。
 いつかサヤが故郷に帰れる日まで。
 何から守る?当然、まずは、異母様と兄上からだ……。

「作戦……立てないとなぁ……」

 サヤは女性だ。兄上に見つかれば何をされるか分からない。
 強いのは分かったけれど……兄上に手を出させるわけにはいかない。俺は妾の子で、兄上は跡継ぎ。立場が違うのだ。身を守る為であっても、罰せられるのはこちらになる。
 雇うと決めた以上、兄上の前に立つ日もあるだろう。始終俺が付いて回るわけにもいかないだろうから、一人になる瞬間もあるだろう。
 そんな時、どうやって彼女を守ればいい?
 やっぱり、雇うべきじゃなかったかな……。例えばそう、信頼できる人間に、事情を説明して預けるとか…その方が、彼女の為だったか?

「いや……あの泉から出てきたんだ。帰り道もあそこかもしれない……。遠く離れてしまったら、良くないよな……」

 言い訳するように自分で呟いて、急に恥ずかしくなってしまった。

「まあいい、食べてから考えよう。今は頭働かないし」

 結局衝立を畳んだだけで、片付けも保留して俺は部屋を出た。
 一階の食堂にしている部屋に向かうのだ。
 ハインのことだから、そろそろ降りないとまた顔が怖くなるに違いないのだから。
 ほどなく、汁物の良い香りが鼻腔に届く。俺の腹が、思い出したかのようにきゅうっと鳴った。
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