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悪夢 2

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「幼い頃の夢を見るんだよ……。
 川か、湖に向かって母と歩いて行く夢なんだ」

 根負けした俺がそう口にすると、サヤはまだ警戒を緩めていない顔でこう切り返して来た。

「それだけなら、怖くもなんともないはずですよね。何が怖いんですか」

 絶対に誤魔化されてやらないぞという気迫すら感じる……。
 視線も逸らさない。本気だ……。

「……分かってる。話すから……そんな顔しない。
 サヤ……これは内緒の話だ。仕事の外のことだ。だから、その口調をやめてくれないか……。なんか詰問されているみたいだよ……」
「ほな、普段通り話します。
 レイシールさんも、普通に喋ってくれな、あかんよ?」

 訛りのある喋り方に戻り、サヤが小机の蝋燭に手を伸ばした。
 灯を灯して、寝台脇の小机に戻す。
 その仄かな明かりに照らされたサヤの顔は、心配げに俺を見ていた。
 情けない……。サヤは自分のことで手いっぱいだろうに、俺のことにまで気を回す……。
    それはサヤがとても優しいってことであり、俺が頼りないって言っているようなもので……。でもまあ、今更か。俺が頼りないことも、凡庸な人間であることも、もうサヤは知っているだろう。
 そう思えば諦めもついた。

「歩いて行って……そのまま……引きずり込まれるんだよ。水の中に」
「っ……⁈」

 若干勇気が必要だったけれど、先を続ける。

「無理心中ってやつ?ちょっとその……母は、おかしなことになってたみたいで……。俺一人をおいていけないと思ったのか……俺も、いらないと思ったのか……。
 すぐに助けられたらしいんだけど、俺は死にかけたみたい。その時の事が、たまに……夢に出てくるんだよ」

 俺の話に動揺したのか、サヤが思わずといった風に、俺の手を握り締める。
 ちょっとそれにびっくりしたけれど、サヤの手が暖かくて、柔らかさが心地よくて、ああ、今俺にはこれが必要だったのかと、思った。
 引き摺り込まれる瞬間のことは、バカみたいによく覚えてる。ぬるりと纏わり付くような濁った水が、口や鼻から、空気の代わりに押し寄せて来たのを。
 必死で暴れる俺の腕や肩を痛いほどの力で掴んだ母が、そのまま奥へ奥へと進んで行き、小さな俺の視界は、水に埋め尽くされて、苦しさと、悲しさと、怒りと、恐怖と……そのうち苦しいなんて状況通り越してしまって、むしろ何も考えられなくなって、なんだか眠いような、よく分からない感覚になって……。ただ最後に思ったのは、もう、いらなくなったの?という、そんな疑問だった。

「いつ頃の、こと?」
「んー……三歳くらい。
 あ、後にも先にも、その一回きりだよ。父上がそのことを知って、母を呼び戻してからは、安定したんだ。
    寂しかったんだろうね……。もう父上に必要とされていないと、思い詰めてたんだと思う。
 それから三年は……恙無く、過ごして、学舎に行って……十年経ったら、母は亡くなってて……。
 学舎にいた時は、そんなにすごい回数、夢に見ることはなかったんだけど……ここに帰ってからは……。雨季が来ると、時期的なものか、水絡みか、なんか増えちゃってね……」

 一年目は、混乱した。頻発する悪夢に疲弊したし、日々の仕事に忙殺された。
 疲れて眠りたいのに眠れない日々。ハインは、俺が消耗していくのを、忙しさと、異母様や兄上との関係の所為だと思ったようだが、夢のことを言うことはできず、ただ耐えるしかなかった。雨季を過ぎると、自然に悪夢が減っていき、ホッとしたのを覚えている。
 二年目は、納得した。そうか、この時期になると増えるのだなと。あの出来事の起こったのがこの時期なのか……それとも水が絡む所為なのか……そこは分からなかったけれど。
 ただ、耐えれば終わると分かっていたので、一年目よりはマシだった。
 そして今年が三年目。もう解りきっているから、耐える気もない。眠れないなら、寝なくても良い。疲れて気絶でもすれば、夢も見ずに眠れるだろうとすら思っている。
 サヤの手は、相変わらず俺の手を握っている。
 その手に視線を落として、俺は言葉を続けた。

「ハインには……言いたくなかったんだ……。あいつは孤児だから……親がいなかった奴だから……こんな話されても困るだけだろ?
    俺は両親共にいて、食べることに困ったわけでもない、寝る場所が無かったわけでもない。……ハインに比べたら、馬鹿みたいに恵まれた環境だよ。
 なのに、たった一回のことをうだうだ引きずって……情けないだろ」
「情けなくない!
    レイシールさん、私には、不甲斐なくないって言うたやない。せやのに、なんで自分のことは棚上げしてしまうん?」
「サヤとは違うよ。サヤは……何度もだろ?
 誘拐されかけたのは、始めの一回だとしても。それからも、度々怖い思いをしてるんだろ?
    世界中どこに行っても男はいるだろうし……気が休まらない。そうじゃなきゃ、無意識に間合いを測るような……そんな習慣、身につかないよ」
「私は、死ぬような思いしたことなんて、一度もない。レイシールさんの方が、よっぽど怖い思いしてはる。私なんかの比やない!」
「…………あの……やめない?不幸自慢みたいだよ……」
「せやったら、自分のこと棚上げするんを辞めなあかん!」

 いつになく強気で怒られて、俺は若干怯んでしまった。
 手を握られたままだから、距離を取ることもできず……どうすりゃいいんだ?困っていると、サヤはもう!    と、また怒り出した。怒っているのに、なんか泣きそうで、どう対応すればいいのかわからない。

「……私は、あん時のこと夢に見たことなんてない……。
 レイシールさんは……夢で何度も繰り返してはるってことやろ?    辛くないわけあらへん……。
 …………ずっと、十五年も……誰にも言わんと、おったん?」
「こんな話誰にするんだよ。そもそも、父上や母は、この出来事をなかった事にしてたよ。
 きっと幼いから、覚えてないと思ったんだろうな。誰も、触れなかった。
 だから俺も、あえて知ってるなんて言う必要なかったんだ」

 知ってると言ってしまったら、また母が壊れそうな気がした。
 息子を殺そうとしたなんて、思い出したくもないだろうし……。無かったことにできているなら、その方がいいと思ったんだ。
 俺がそう言って苦笑すると、サヤはそれをどう思ったのか……涙ぐんで、謝罪しはじめた。

「かんにん……初めに気ぃ付いたとき、勇気出して、来れば良かった……こんな苦しい思いしてはるやなんて、知らんかった……かんにんな」

 握りしめた手を、額に押し当てて、何故か、謝ってくる。
 それを聞いた途端、どういう訳か、目頭が熱くなった。や、やばいっ!

「さ、サヤ……サヤが謝ることじゃないだろ⁈
 もう良いから、手を離して……」
「あかん」
「なんで⁈俺はもう、大丈夫だって……」
「大丈夫やあらへん。ずっと自分虐めとったんやから、今はあかんっ」

 いい加減にしてくれ、もう、限界だから……!
 怒ってでも手を離してもらおうと思ったのだが、涙腺が限界だった。
 勝手に涙が溢れてきて、慌てて顔を背ける。
 うわ、決壊した⁉︎    なんだこれ、なんでこんな……別に泣きたいわけじゃないのに!
 なんで自分が泣いているのかが意味不明だった。嗚咽が溢れそうになるのを、歯を食い縛って耐えていたのだが、サヤが両手で握り締めた手を、ひとつ離して、俺の背中をさすったら……もう歯止めが効かなかった。
 恥ずかしすぎる……膝の間に顔を埋めるようにして、泣き顔だけは見られないようにと足掻くが、どうせ泣いてるのはバレてしまってるわけで……居た堪れない。
 そんな状態の俺の背中を、サヤはずっとさすっていた。
 背中から染み込んでくるような温もりが、また余計涙を誘うのだ。泣いて、ひたすら泣いて、サヤに慰められていた。

「……もしまたうなされとったら……私、起こしにくる」

 サヤの声。

「寝られへんのやったら、寝れるまでここにおる」

 いや、それは色々な意味で、やばい。

「あのな……。初めの日は夜着の俺を見ただけで体調崩してたくせに、何言ってるんだ」
「あ、あれは……!ちょっ、と……その……いらん心配してしもたからやし……」
「いらん心配なわけあるか。常にしろよ、その心配は」

 軽口を叩いたおかげで少し気持ちが軽くなった。
 袖で顔を強引に拭って、涙腺に喝を入れる。
 いい加減、情けない姿を見せるのはよせ。
 一方的にとはいえ、好きな相手にこれ以上醜態を晒したくない。

「せやけど……雨季はこれからなんやろ?    そんなん、身が持たへん……」
「二年持ったんだから、大丈夫だよ」
「こっちが持たへん!    そんなん嫌や……ほっといて寝れるわけあらへんやん」
「あー……そうか……煩いよね……」
「阿呆!    そんな問題と違う!」

 返答がまずかったのか、サヤがまた怒り出してしまった。
 ああもう……だけど考えてよ……毎夜のように男の部屋を訪ねる女性って、どう考えてもおかしいだろ?
 何度も訪ねてたら、ハインだって気づくと思うし、いくら男装し、男のふりをしてもらっているとはいえ、女性のサヤを危険に晒したくない。俺だって男だし……。夢の後は気持ち的に余裕もない。いつもサヤに優しくできるとは限らないのだ。

「そんなにあかんのん?せやったら……たまになら、いい?」
「いや、回数の問題じゃないだろ?」
「じゃあ何ならええの!」
「サヤ、落ち着いて。なんでそんな、俺の問題に首を突っ込もうとするの?
 大丈夫だよ。今までも大丈夫だったんだから……」
「せやから、大丈夫やあらへん!    気ぃ付いてへんの?    レイシールさん、どんどん顔色悪ぅなってるし、食欲かて落ちてるやん!
    全然平気やあらへん…………今日かて、ずっとしんどそうにしてはった‼︎」

 え?    そんなことないでしょ?
 俺は普通にしてたはずだ。ハインだって何も言ってなかった。あいつが俺の不調に気付いて放置しているとは思えないし……ちゃんと隠せてるはずだ。
 俺の考えが透けて見えたというように、サヤが怒り顔になった。

「隠せてれば、それでいいって思ってるん?」

 うわ……未だ嘗てないほど怒ってる……。相当きてる!
 握られた手にギリっと力が加わった。想像だにしなかった怒り顔のサヤに、俺は圧倒されてしまった。

「もう、レイシールさんの意見は聞かへん。
 私が勝手にする。何を言おうと、譲らへんから」

 戦う時の顔で言われてしまった。
 その怖い顔のまま、俺をギン!    と見据えて言う。

「ずっと張り付かれとぅなかったら、寝て」
「さ、サヤ……寝るから、君も部屋に……」
「意見は聞かへんて言うた。聞いてなかったん?」

 は、はい……。
 もう逆らうのとか、論外。
    鬼神と化したサヤはそれから俺が寝るまで手を握ったまま張り付いた。
 寝れるかな……怖すぎて無理じゃない?    と、思っていたのだが、俺も消耗していたのか、案外簡単に眠ってしまった。夢の後は眠れなかったのに……だ。
 しかし翌日もサヤの怒りは収まっておらず、俺はハインのいないところでサヤに平謝りする羽目になった。
 そして、それ以後サヤは俺がうなされるたび、張り付きにくるようになってしまったのだ。
 何を間違ったんだ……どうしてこうなった……。しかもなんなんだこれは、なんの苦行だ。好きな女性がうなされる度に起こしにくるって、逆に拷問だよ⁈
 そう思いつつも、おかげで俺の睡眠時間は確保されるようになり、食欲も回復。疲労はましになった。しかしまあ、それはこれから先の話だ。
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