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執着 4
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「ご馳走様でした。
あの、レイシール様、ちょっと良いですか? 少し気になることがあって。相談に乗って下さい」
サヤが、早口でそんな風に言い、埋もれかけていた俺の意識が、そちらに引かれた。
「……相談?」
「はい。すぐ片付けますから、ちょっと待ってて下さ……あっ、ハインさん……」
「片付けておきますから、どうぞ、行って下さい」
ハインに礼を言ったサヤが、俺の右手を握った。
温かい手に包まれて、暴れそうになっていた気持ちが少し、宥められて……そのまま引っ張られるように、食堂を後にした。
なんだろう……どうしてサヤは急いでるんだ……俺はなぜサヤに手を引かれているのだろう……いつか居なくなってしまう、遠くに行ってしまう、絶対に手の届かないはずの、出会うわけもなかった相手。なのになんで俺は、今サヤと……。
「レイ!」
結構な大声で呼ばれてびっくりした。
何⁉︎ 視線を彷徨わせると、妙に暗い視界の中、鳶色の、少々釣り気味な瞳が間近にあって、俺を真っ直ぐに見据えていた。
「朝から、少しピリピリしとる気ぃは、しとったんや。
レイ、夢、見たん? 沈んでしもたん? それとも、異母様やお兄様が、なんや言わはったん? 今、またあん時みたいになってはる。って、こっちを見ぃ! 視線逸らしたら怒るしな!」
夢や、異母様たちを持ち出され、つい逃げ腰になって視線を逸らしてしまった俺に、サヤの鋭い声が飛んだ。
怒ると言われ、びくりと身が竦むが、そんな俺をサヤが近くから見上げていて、視線が合うと、俺の両手を取り、そのまま引っ張るようにして座らされる。
左手の打ち付けた部分にサヤの指が触れ、ビリッ!と、痛みが走った。おかげで混乱しかけていた意識が痛みに捕らわれ、更に、サヤの手が俺に触れていることに気付き、そのままサヤに引き寄せられて、その肩に頭が当たって、ハッとする。
「さ、サヤっ!
ごめんっ、大丈夫だから! ちょっと気が動転しただけで、別に今俺は……」
「じっとしとき! 大丈夫やない。大丈夫な時のレイは、そんな風と違う」
がっちりと頭を抱え込まれていて、動けずに焦る。ちょっ、ほんと待って、他のみんなが見たら……こんな状況見せられないから! サヤの沽券に関わるから!
どうやって逃れようかと視線を彷徨わせると、薄暗い視界に、ぼんやりと白く浮き上がる、見慣れない小机と、自分が今座る長椅子の一部が見えた。
灯りがついていないから分かりにくいけれど、どうやらサヤの部屋だ。ならすぐには見られたりまはしないか……サヤの部屋? うわっ、更に問題だと思う!
「大丈夫やから。
誰か来ても聞こえるんやから、レイが恥ずかしい思うようなら離す。安心し。
それに、訪い無しに部屋に入ってくるような、不躾な人は居らへんやろ?
兎に角じっとしとき。レイが落ち着いたて、私が思えるまでは離さへん。観念し!」
「む、無理!せめて灯り……部屋を明るくしてサヤ!」
こんな薄暗い自室に男を入れるな! この状態で俺を抱きしめるな!
万が一ってことを考えてくれ‼︎
灯りを付けろと必死で懇願する俺に、それでもサヤは暫く手を離してくれなかったのだが、あまりにしつこいからか、そこにちゃんと座っておくようにと前置きしてから、やっと動いてくれた。いったん廊下に出て、廊下の行燈を持って来る。火皿を取り出し、室内の行燈に火を移していった。
最後の行燈に火が入り、壁に戻されてから、俺は打ち拉がれ、盛大に溜息を吐いた。
サヤ……危機感を持とう。
いくら俺が女顔で、警戒心が湧かないのだとしても、それでも一応、男なんだよ……。
普段は警戒し過ぎなくらいに警戒しているだろうに、なんで俺には無頓着なんだ……。いくら俺が警戒するに値しない相手なのだとしてもだ。何かあって傷付くのはサヤなんだから……!
廊下に借りた行燈を戻しに行ったサヤが、部屋に戻って来て俺の横に座るので、説教しようと口を開きかけたのだが、サヤの手が俺の頬に触れたので、また身を引く羽目になった。
「…………良かった。ピリピリ、おさまらはったみたいやね……」
間近に眼を覗き込まれ、ホッと、安堵に溶けてしまったような表情をされて、言うに言えなくなる……。
邪なことを考えてしまっているのは俺だけで、サヤは、ただひたすら純粋に、俺を心配してくれていたのだと、嫌という程分かったから。
「堪忍な。なんとのぅ、感じとったのに……もっと早う、聞けば良かった」
「ち、違う……から。俺は何も、なんともなかったのに……」
「レイ。なんともないレイは、急に机を叩いたりしいひん。
ギルさんの言葉の、何かがあかんかったんやとしても、あんな風に、拳を振り上げたりしいひんのや」
真剣な眼差しでそう返されて、ぐうの音も出なかった……。
反論出来ずにいる俺の頬から、サヤは手を離す。そうしてから、その両手で俺の右手を包む様にして握った。
「何が、あかんかったん?
私には、ギルさんが、囲うて言うたことに、もの凄く怒らはった様に見えた」
囲う……。
そう、ギルが、サヤを見てそう言ったのが、俺には許せなかった。
あの時はあまりに一瞬で、自分がどうしていきなり、振り切れるほどに感情を爆発させてしまったのか、分からなかったけれど……今度は、明確に認識できた。
けど……その説明を、サヤにして良いものか……。サヤには気分良く聞ける話ではないだろうから……。
だがサヤは、言うまでは離さないとでもいう様に、しっかりと俺の右手を握っている。
誤魔化そうにも、上手い言い方が思い付かない……困った……。
悩んだ挙句、言うしかないかという結論に至る。けれど、当たり障りのない部分までにしようと決めた。
「…………その言葉が、嫌だったんだ。
俺と母は…………囲われていた者だったから……」
そう、貴族となる前、俺たち親子は囲われていた。
母は、妻ではなく、妾であったから……。
それは、籠の鳥と一緒だ。繋がれて、環境からも、呪詛からも、逃げ出せない。そんな場所に母を括り付けた、母の鎖は………………多分、俺だった。
俺の苛立ちが伝わってしまったらしい。
サヤが俺を引き寄せようとするのが分かって、慌てて逃げる。
そんなにすぐに抱きすくめられてたら、身がもたない。理性が保てるうちに全力で逃げるべきだ。
「子供じゃないんだから、そこまでしなくていい!
サヤも、そんな簡単に、俺に触れるなよ」
そう言うと、サヤの眉が下がった。
うわっ、傷付けた? 違う、サヤが思うような意味じゃないんだ!
「違うから……、サヤに触れられるのが嫌とか、そういうんじゃないから……。
サヤはあまりに無防備だって言ってるんだ。俺が何かしたらどうするの!」
「え? レイは、そないなことせえへんの、知ってるし」
うわ……本当に、全く、意識されてない……いっそ清々しいくらいに……。
それはそれでとても辛い……。ま、まあ、信頼されてるってことだ。うん。サヤから信頼が得られているって、素晴らしいことじゃないか。
「レイは、嫌なことなんもせえへん。せやし、私、平気なんやで?無理とかはしてへん。
レイかて、私が怖い時、そうしてくれてはるんやから、遠慮とか、心配とかせんでええ。私はちゃんと、やりとうてやってるんや。
それにな、これは手当や。心の傷は、こうやって治すのやて、私の世界のお医者様が教えてくらはったんや」
また妙なことを言うサヤ。なんとなく言うことの意味は分かるような、分からないような……。
俺が訝しげな表情をしているからか、いまいち伝わってないと分かってしまった様だ。
サヤは、両手で包み込んだ俺の右手に視線を落とし、言葉を続ける。
「温めてもらうと、ホッとするやろ……。せやからおばあちゃんは、私が不安になる時は、そうしててくらはった……。
レイも、そうしてくれてるやろ……私が震える時は、いつもそうしてくれる……。
せやし私、この世界に一人でも、不安に負けんで済んでるんやで……」
右手を包み込んだまま、それを額に押し付けるようにして、サヤは消えそうな小声で「せやから、触れるなやなんて、言わんといて」と言った。
泣いている? 怒っている? それとも怯えているのか? 顔が見えないから分からない……。けれど、サヤを突き放すことだけはしてはいけないのだと、それだけは分かったから、もう何も言えなかった。
「ごめん……。もう、言わない」
要は、耐えれば良いのだ。サヤの優しさにつけ込むような愚行だけは犯さない。自分にそう言い聞かせる。
そして、サヤが安心して手を離せる様に、俺が気持ちを乱さなければ良いのだ。
「母は、父上に囲われていたから。妻ではなく、妾だったから……。
サヤを、繋がれてしまうと、身体が勘違いしたんだ。
頭では違うと分かってたのに、身体が反射で動いてしまった。
もう、大丈夫。落ち着いたから。ちゃんと理解したから」
繋がれた母は、結果的に死を選ぼうとし、失敗した。俺という鎖すら断ち切れず、父上に繋がれたまま……だけど、父上は慈悲深い方だったから、俺の身を案じ、母の身を案じ、手元に引き取ってくださった。母にとっては、それが結果的に、良かったのだ……。
サヤが「繋がれてしまう?」と、俺の言葉を拾って返すから、少し緊張した。
「貴族にとって、囲うってのは、そういうことだからね。その家や、相手に、繋がれるってことだよ……。
でも、ギルが言ったのは、そんな意味じゃないって、分かったから」
無理矢理話を引き戻す。母のことは、掘り起こしたくない。
ギルは……バート商会は、サヤを閉じ込めたりはしない。あの人たちは、商人だけれど、ただ儲けを追う様なことはしない。数代に渡り大店と言われてきた矜持がある。与えられる為に、与えることを知っている人たちだ。
だからきっと、専属契約というのは名目だ。サヤが天涯孤独の身の上であるということを、ギルは報告しているだろう。そして、才能豊かな、立場の弱い女性を保護することと、店の利益を両方取ったのだ。
仮り姿を作ることも、サヤの為に考えたのだと思う。
俺の傍にサヤを置いておけと、そう言ってセイバーンに戻したギルだけれど、そのことで万が一、サヤが危険なことになったら、すぐに助け出せるよう……手を打っているのだと思う。
あいつは本当に、女性に手厚いから。サヤをただ危険に近付けたりはしない。
そうだよな。ギルが、女性のサヤにそんな危ない橋を、ただ渡らせる筈がない。
この契約は、ギルの懐にサヤを入れる為のものなのだ。それはつまり、アギー家の庇護も、サヤに及ぶ様になるという……っ。
鋭い痛みが胸を刺した。
「サヤ、戻ろう。風呂に入らなきゃだろう?」
サヤに気取られる前に、俺はそう言って、サヤを促す。
唐突すぎたのか、サヤが少し、不思議そうな顔をしたけれど、気付かれはしなかった様だ。いえ、その前に相談があります。と、そう言われ、食堂で言っていたのは方便ではなかったのかと、少々驚く。
「あの、警備をしていたのは、理由があるんです。
賄いを配膳している時に、話し声を拾いました。『思ったよりやりにくそうだな…』『馬鹿、今はよせ』って、そんな話し声だったんですけど……なんとなく、気に掛かってしまって……。
その後も何か拾えないものかと粘ってたんですけれど、それ以後は特に何も……。
ただの普通の会話だったのかもしれないなと、思ったんですけど、何か引っかかって、一応、お伝えしておこうかと」
仕事の口調に戻ったサヤに、俺も腕を組んで考える。
思ったよりやりにくそう……今はよせ……確かに引っかかりはするけれど、ただそれだけの会話だ。今というのは、誰が聞いているか分からない、集会場の中を指すのだろうか。それとも、サヤが居たことだろうか……。
「ん……確かに気になるけれど、まだなんとも言えないな……。
今はよせって言ったなら、集会場の中ではもう話さないことなのかもしれない。明日以降、ちょっと注意を払う様、皆にも伝えておこうか」
「はい。ではそうします。あの、日中私も、暇な時間は見回りをする様にしますね」
「あ、ちょっと待って。
日中なんだけどね、ハインとやってた見回りを、サヤに交代してもらおうと思ってるんだ。
サヤに、馬術を教えようって話が出てね」
俺の言葉に、サヤの顔が輝いた。
「馬術……教えて頂けるんですか⁉︎」
「う? うん… …馬は怖くない?」
「怖くないです!乗りたいです!練習します!あの、どなたに習えば良いですか?」
「いや、見回りついでだから俺が教えるんだけど……嫌じゃなければ…」
「嫌じゃないです!」
嬉しそうに顔を輝かせるので呆気にとられてしまった。
そんなに、乗りたかったんだ……。なら、言ってくれれば良かったのに……。
そう思いつつも、サヤがそれほどまでに喜んでくれるならと、気持ちが少し軽くなる。しかし……。
「ギルさんも仰ってたんです。馬に乗れる様になれって。行動範囲が断然広がるし、従者には必須だって。
そうすれば、メバックにもほんの数時間で来れる様になるからって」
サヤが笑顔でそう口にしたことが、何故か俺を搔き乱した。
静まれ。気持ちを荒らすな。サヤが気付く。
「じゃあ、明日から頑張ろう」と、笑顔で伝え、先に出るよと、サヤの部屋を逃げ出した。
そのまま自室に逃げ込んで、薄暗い部屋で、扉を背に呆然と立ち竦む。
どうしよう。
なんだこれ、なんでこんな気分になるんだろう。
どうして俺は……怖いと感じてるんだろう……。
自分が信じられなかった。ギルが……ギルが、怖い。
ギルは俺の為に行動してくれているって、分かっているのに、なのにどうして……。
サヤが、どんどん俺を必要としなくなる……俺から遠くなる……彼女は、どんどん離れ、進んでいってしまう。そしてその先に、ギルがいる様な気がするのだ。彼女の進もうとしている道は、俺なんかじゃなく、ギルの進む道に沿っている……そんな気がするのだ。
どうしよう……いや、どうしようってなんだ?
サヤがそれを望むなら、それが正しい道だ。恙無く笑って過ごす為に、サヤが、幸せである為に、その道が正しいなら……。
正しいって、なんだ……サヤが望むなら、それが全てだ。
そうやって、外堀を埋めていく様にして、ギルは、サヤを、囲うのか?
違う!そういう意味じゃない、ギルは純粋に、サヤを保護するために、そうしているだけだ!
混乱していた。
囲われていた母と、囲われようとしているサヤと、仮面の笑顔で微笑む母と、優しく微笑むサヤと、自分が今、何に焦り、不安を感じ、恐怖に怯えているのか分からなくなってきていた。
兎に角落ち着けと、自分に言い聞かせる。ただただそれだけを、延々と繰り返す。
そうやって無心になって、サヤが呼びに来る頃には、なんとか心を凪ぐことに成功していた。
「レイシール様、お風呂の準備が整いました」
丁度部屋を出たところで、階段を上がって来たサヤとかち合い、俺にそう言ったから、有難うと礼を言ってから、ともに階段を下りる。
「お部屋で何をされていたんですか?」
「うん、学舎で、馬の乗り方をどんな風に習ったかなって、思い出してたんだ。
よくよく考えたら、人に教えるって初めてなんだ……大丈夫かなと思って」
当たり障りないことを、当たり障りない顔で話し、食堂に向かう。
風呂を利用し、サヤと交代した。久しぶりだから、ゆっくりしたらいいよと前置きして、食堂で順番を待つギルに、風呂の使い方を説明して過ごす。少し心配そうな顔をしているギルに、さっきは悪かった、なんでもないんだよと、笑顔で伝えた。
乱れては駄目だ。あんな醜態、もう晒したくない。
明日からが本番なのに、日数が限られているのに、これ以上はもう、駄目だ。
全力で顔に仮面を貼り付けて、俺はその後の時間を過ごした。
あの、レイシール様、ちょっと良いですか? 少し気になることがあって。相談に乗って下さい」
サヤが、早口でそんな風に言い、埋もれかけていた俺の意識が、そちらに引かれた。
「……相談?」
「はい。すぐ片付けますから、ちょっと待ってて下さ……あっ、ハインさん……」
「片付けておきますから、どうぞ、行って下さい」
ハインに礼を言ったサヤが、俺の右手を握った。
温かい手に包まれて、暴れそうになっていた気持ちが少し、宥められて……そのまま引っ張られるように、食堂を後にした。
なんだろう……どうしてサヤは急いでるんだ……俺はなぜサヤに手を引かれているのだろう……いつか居なくなってしまう、遠くに行ってしまう、絶対に手の届かないはずの、出会うわけもなかった相手。なのになんで俺は、今サヤと……。
「レイ!」
結構な大声で呼ばれてびっくりした。
何⁉︎ 視線を彷徨わせると、妙に暗い視界の中、鳶色の、少々釣り気味な瞳が間近にあって、俺を真っ直ぐに見据えていた。
「朝から、少しピリピリしとる気ぃは、しとったんや。
レイ、夢、見たん? 沈んでしもたん? それとも、異母様やお兄様が、なんや言わはったん? 今、またあん時みたいになってはる。って、こっちを見ぃ! 視線逸らしたら怒るしな!」
夢や、異母様たちを持ち出され、つい逃げ腰になって視線を逸らしてしまった俺に、サヤの鋭い声が飛んだ。
怒ると言われ、びくりと身が竦むが、そんな俺をサヤが近くから見上げていて、視線が合うと、俺の両手を取り、そのまま引っ張るようにして座らされる。
左手の打ち付けた部分にサヤの指が触れ、ビリッ!と、痛みが走った。おかげで混乱しかけていた意識が痛みに捕らわれ、更に、サヤの手が俺に触れていることに気付き、そのままサヤに引き寄せられて、その肩に頭が当たって、ハッとする。
「さ、サヤっ!
ごめんっ、大丈夫だから! ちょっと気が動転しただけで、別に今俺は……」
「じっとしとき! 大丈夫やない。大丈夫な時のレイは、そんな風と違う」
がっちりと頭を抱え込まれていて、動けずに焦る。ちょっ、ほんと待って、他のみんなが見たら……こんな状況見せられないから! サヤの沽券に関わるから!
どうやって逃れようかと視線を彷徨わせると、薄暗い視界に、ぼんやりと白く浮き上がる、見慣れない小机と、自分が今座る長椅子の一部が見えた。
灯りがついていないから分かりにくいけれど、どうやらサヤの部屋だ。ならすぐには見られたりまはしないか……サヤの部屋? うわっ、更に問題だと思う!
「大丈夫やから。
誰か来ても聞こえるんやから、レイが恥ずかしい思うようなら離す。安心し。
それに、訪い無しに部屋に入ってくるような、不躾な人は居らへんやろ?
兎に角じっとしとき。レイが落ち着いたて、私が思えるまでは離さへん。観念し!」
「む、無理!せめて灯り……部屋を明るくしてサヤ!」
こんな薄暗い自室に男を入れるな! この状態で俺を抱きしめるな!
万が一ってことを考えてくれ‼︎
灯りを付けろと必死で懇願する俺に、それでもサヤは暫く手を離してくれなかったのだが、あまりにしつこいからか、そこにちゃんと座っておくようにと前置きしてから、やっと動いてくれた。いったん廊下に出て、廊下の行燈を持って来る。火皿を取り出し、室内の行燈に火を移していった。
最後の行燈に火が入り、壁に戻されてから、俺は打ち拉がれ、盛大に溜息を吐いた。
サヤ……危機感を持とう。
いくら俺が女顔で、警戒心が湧かないのだとしても、それでも一応、男なんだよ……。
普段は警戒し過ぎなくらいに警戒しているだろうに、なんで俺には無頓着なんだ……。いくら俺が警戒するに値しない相手なのだとしてもだ。何かあって傷付くのはサヤなんだから……!
廊下に借りた行燈を戻しに行ったサヤが、部屋に戻って来て俺の横に座るので、説教しようと口を開きかけたのだが、サヤの手が俺の頬に触れたので、また身を引く羽目になった。
「…………良かった。ピリピリ、おさまらはったみたいやね……」
間近に眼を覗き込まれ、ホッと、安堵に溶けてしまったような表情をされて、言うに言えなくなる……。
邪なことを考えてしまっているのは俺だけで、サヤは、ただひたすら純粋に、俺を心配してくれていたのだと、嫌という程分かったから。
「堪忍な。なんとのぅ、感じとったのに……もっと早う、聞けば良かった」
「ち、違う……から。俺は何も、なんともなかったのに……」
「レイ。なんともないレイは、急に机を叩いたりしいひん。
ギルさんの言葉の、何かがあかんかったんやとしても、あんな風に、拳を振り上げたりしいひんのや」
真剣な眼差しでそう返されて、ぐうの音も出なかった……。
反論出来ずにいる俺の頬から、サヤは手を離す。そうしてから、その両手で俺の右手を包む様にして握った。
「何が、あかんかったん?
私には、ギルさんが、囲うて言うたことに、もの凄く怒らはった様に見えた」
囲う……。
そう、ギルが、サヤを見てそう言ったのが、俺には許せなかった。
あの時はあまりに一瞬で、自分がどうしていきなり、振り切れるほどに感情を爆発させてしまったのか、分からなかったけれど……今度は、明確に認識できた。
けど……その説明を、サヤにして良いものか……。サヤには気分良く聞ける話ではないだろうから……。
だがサヤは、言うまでは離さないとでもいう様に、しっかりと俺の右手を握っている。
誤魔化そうにも、上手い言い方が思い付かない……困った……。
悩んだ挙句、言うしかないかという結論に至る。けれど、当たり障りのない部分までにしようと決めた。
「…………その言葉が、嫌だったんだ。
俺と母は…………囲われていた者だったから……」
そう、貴族となる前、俺たち親子は囲われていた。
母は、妻ではなく、妾であったから……。
それは、籠の鳥と一緒だ。繋がれて、環境からも、呪詛からも、逃げ出せない。そんな場所に母を括り付けた、母の鎖は………………多分、俺だった。
俺の苛立ちが伝わってしまったらしい。
サヤが俺を引き寄せようとするのが分かって、慌てて逃げる。
そんなにすぐに抱きすくめられてたら、身がもたない。理性が保てるうちに全力で逃げるべきだ。
「子供じゃないんだから、そこまでしなくていい!
サヤも、そんな簡単に、俺に触れるなよ」
そう言うと、サヤの眉が下がった。
うわっ、傷付けた? 違う、サヤが思うような意味じゃないんだ!
「違うから……、サヤに触れられるのが嫌とか、そういうんじゃないから……。
サヤはあまりに無防備だって言ってるんだ。俺が何かしたらどうするの!」
「え? レイは、そないなことせえへんの、知ってるし」
うわ……本当に、全く、意識されてない……いっそ清々しいくらいに……。
それはそれでとても辛い……。ま、まあ、信頼されてるってことだ。うん。サヤから信頼が得られているって、素晴らしいことじゃないか。
「レイは、嫌なことなんもせえへん。せやし、私、平気なんやで?無理とかはしてへん。
レイかて、私が怖い時、そうしてくれてはるんやから、遠慮とか、心配とかせんでええ。私はちゃんと、やりとうてやってるんや。
それにな、これは手当や。心の傷は、こうやって治すのやて、私の世界のお医者様が教えてくらはったんや」
また妙なことを言うサヤ。なんとなく言うことの意味は分かるような、分からないような……。
俺が訝しげな表情をしているからか、いまいち伝わってないと分かってしまった様だ。
サヤは、両手で包み込んだ俺の右手に視線を落とし、言葉を続ける。
「温めてもらうと、ホッとするやろ……。せやからおばあちゃんは、私が不安になる時は、そうしててくらはった……。
レイも、そうしてくれてるやろ……私が震える時は、いつもそうしてくれる……。
せやし私、この世界に一人でも、不安に負けんで済んでるんやで……」
右手を包み込んだまま、それを額に押し付けるようにして、サヤは消えそうな小声で「せやから、触れるなやなんて、言わんといて」と言った。
泣いている? 怒っている? それとも怯えているのか? 顔が見えないから分からない……。けれど、サヤを突き放すことだけはしてはいけないのだと、それだけは分かったから、もう何も言えなかった。
「ごめん……。もう、言わない」
要は、耐えれば良いのだ。サヤの優しさにつけ込むような愚行だけは犯さない。自分にそう言い聞かせる。
そして、サヤが安心して手を離せる様に、俺が気持ちを乱さなければ良いのだ。
「母は、父上に囲われていたから。妻ではなく、妾だったから……。
サヤを、繋がれてしまうと、身体が勘違いしたんだ。
頭では違うと分かってたのに、身体が反射で動いてしまった。
もう、大丈夫。落ち着いたから。ちゃんと理解したから」
繋がれた母は、結果的に死を選ぼうとし、失敗した。俺という鎖すら断ち切れず、父上に繋がれたまま……だけど、父上は慈悲深い方だったから、俺の身を案じ、母の身を案じ、手元に引き取ってくださった。母にとっては、それが結果的に、良かったのだ……。
サヤが「繋がれてしまう?」と、俺の言葉を拾って返すから、少し緊張した。
「貴族にとって、囲うってのは、そういうことだからね。その家や、相手に、繋がれるってことだよ……。
でも、ギルが言ったのは、そんな意味じゃないって、分かったから」
無理矢理話を引き戻す。母のことは、掘り起こしたくない。
ギルは……バート商会は、サヤを閉じ込めたりはしない。あの人たちは、商人だけれど、ただ儲けを追う様なことはしない。数代に渡り大店と言われてきた矜持がある。与えられる為に、与えることを知っている人たちだ。
だからきっと、専属契約というのは名目だ。サヤが天涯孤独の身の上であるということを、ギルは報告しているだろう。そして、才能豊かな、立場の弱い女性を保護することと、店の利益を両方取ったのだ。
仮り姿を作ることも、サヤの為に考えたのだと思う。
俺の傍にサヤを置いておけと、そう言ってセイバーンに戻したギルだけれど、そのことで万が一、サヤが危険なことになったら、すぐに助け出せるよう……手を打っているのだと思う。
あいつは本当に、女性に手厚いから。サヤをただ危険に近付けたりはしない。
そうだよな。ギルが、女性のサヤにそんな危ない橋を、ただ渡らせる筈がない。
この契約は、ギルの懐にサヤを入れる為のものなのだ。それはつまり、アギー家の庇護も、サヤに及ぶ様になるという……っ。
鋭い痛みが胸を刺した。
「サヤ、戻ろう。風呂に入らなきゃだろう?」
サヤに気取られる前に、俺はそう言って、サヤを促す。
唐突すぎたのか、サヤが少し、不思議そうな顔をしたけれど、気付かれはしなかった様だ。いえ、その前に相談があります。と、そう言われ、食堂で言っていたのは方便ではなかったのかと、少々驚く。
「あの、警備をしていたのは、理由があるんです。
賄いを配膳している時に、話し声を拾いました。『思ったよりやりにくそうだな…』『馬鹿、今はよせ』って、そんな話し声だったんですけど……なんとなく、気に掛かってしまって……。
その後も何か拾えないものかと粘ってたんですけれど、それ以後は特に何も……。
ただの普通の会話だったのかもしれないなと、思ったんですけど、何か引っかかって、一応、お伝えしておこうかと」
仕事の口調に戻ったサヤに、俺も腕を組んで考える。
思ったよりやりにくそう……今はよせ……確かに引っかかりはするけれど、ただそれだけの会話だ。今というのは、誰が聞いているか分からない、集会場の中を指すのだろうか。それとも、サヤが居たことだろうか……。
「ん……確かに気になるけれど、まだなんとも言えないな……。
今はよせって言ったなら、集会場の中ではもう話さないことなのかもしれない。明日以降、ちょっと注意を払う様、皆にも伝えておこうか」
「はい。ではそうします。あの、日中私も、暇な時間は見回りをする様にしますね」
「あ、ちょっと待って。
日中なんだけどね、ハインとやってた見回りを、サヤに交代してもらおうと思ってるんだ。
サヤに、馬術を教えようって話が出てね」
俺の言葉に、サヤの顔が輝いた。
「馬術……教えて頂けるんですか⁉︎」
「う? うん… …馬は怖くない?」
「怖くないです!乗りたいです!練習します!あの、どなたに習えば良いですか?」
「いや、見回りついでだから俺が教えるんだけど……嫌じゃなければ…」
「嫌じゃないです!」
嬉しそうに顔を輝かせるので呆気にとられてしまった。
そんなに、乗りたかったんだ……。なら、言ってくれれば良かったのに……。
そう思いつつも、サヤがそれほどまでに喜んでくれるならと、気持ちが少し軽くなる。しかし……。
「ギルさんも仰ってたんです。馬に乗れる様になれって。行動範囲が断然広がるし、従者には必須だって。
そうすれば、メバックにもほんの数時間で来れる様になるからって」
サヤが笑顔でそう口にしたことが、何故か俺を搔き乱した。
静まれ。気持ちを荒らすな。サヤが気付く。
「じゃあ、明日から頑張ろう」と、笑顔で伝え、先に出るよと、サヤの部屋を逃げ出した。
そのまま自室に逃げ込んで、薄暗い部屋で、扉を背に呆然と立ち竦む。
どうしよう。
なんだこれ、なんでこんな気分になるんだろう。
どうして俺は……怖いと感じてるんだろう……。
自分が信じられなかった。ギルが……ギルが、怖い。
ギルは俺の為に行動してくれているって、分かっているのに、なのにどうして……。
サヤが、どんどん俺を必要としなくなる……俺から遠くなる……彼女は、どんどん離れ、進んでいってしまう。そしてその先に、ギルがいる様な気がするのだ。彼女の進もうとしている道は、俺なんかじゃなく、ギルの進む道に沿っている……そんな気がするのだ。
どうしよう……いや、どうしようってなんだ?
サヤがそれを望むなら、それが正しい道だ。恙無く笑って過ごす為に、サヤが、幸せである為に、その道が正しいなら……。
正しいって、なんだ……サヤが望むなら、それが全てだ。
そうやって、外堀を埋めていく様にして、ギルは、サヤを、囲うのか?
違う!そういう意味じゃない、ギルは純粋に、サヤを保護するために、そうしているだけだ!
混乱していた。
囲われていた母と、囲われようとしているサヤと、仮面の笑顔で微笑む母と、優しく微笑むサヤと、自分が今、何に焦り、不安を感じ、恐怖に怯えているのか分からなくなってきていた。
兎に角落ち着けと、自分に言い聞かせる。ただただそれだけを、延々と繰り返す。
そうやって無心になって、サヤが呼びに来る頃には、なんとか心を凪ぐことに成功していた。
「レイシール様、お風呂の準備が整いました」
丁度部屋を出たところで、階段を上がって来たサヤとかち合い、俺にそう言ったから、有難うと礼を言ってから、ともに階段を下りる。
「お部屋で何をされていたんですか?」
「うん、学舎で、馬の乗り方をどんな風に習ったかなって、思い出してたんだ。
よくよく考えたら、人に教えるって初めてなんだ……大丈夫かなと思って」
当たり障りないことを、当たり障りない顔で話し、食堂に向かう。
風呂を利用し、サヤと交代した。久しぶりだから、ゆっくりしたらいいよと前置きして、食堂で順番を待つギルに、風呂の使い方を説明して過ごす。少し心配そうな顔をしているギルに、さっきは悪かった、なんでもないんだよと、笑顔で伝えた。
乱れては駄目だ。あんな醜態、もう晒したくない。
明日からが本番なのに、日数が限られているのに、これ以上はもう、駄目だ。
全力で顔に仮面を貼り付けて、俺はその後の時間を過ごした。
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