異界娘に恋をしたら運命が変わった男の話〜不幸の吹き溜り、薄幸の美姫と言われていた俺が、英雄と呼ばれ、幸運の女神と結ばれて幸せを掴むまで〜

春紫苑

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執着 4

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「ご馳走様でした。
 あの、レイシール様、ちょっと良いですか?    少し気になることがあって。相談に乗って下さい」

 サヤが、早口でそんな風に言い、埋もれかけていた俺の意識が、そちらに引かれた。

「……相談?」
「はい。すぐ片付けますから、ちょっと待ってて下さ……あっ、ハインさん……」
「片付けておきますから、どうぞ、行って下さい」

 ハインに礼を言ったサヤが、俺の右手を握った。
 温かい手に包まれて、暴れそうになっていた気持ちが少し、宥められて……そのまま引っ張られるように、食堂を後にした。
 なんだろう……どうしてサヤは急いでるんだ……俺はなぜサヤに手を引かれているのだろう……いつか居なくなってしまう、遠くに行ってしまう、絶対に手の届かないはずの、出会うわけもなかった相手。なのになんで俺は、今サヤと……。

「レイ!」

 結構な大声で呼ばれてびっくりした。
 何⁉︎    視線を彷徨わせると、妙に暗い視界の中、鳶色の、少々釣り気味な瞳が間近にあって、俺を真っ直ぐに見据えていた。

「朝から、少しピリピリしとる気ぃは、しとったんや。
 レイ、夢、見たん?    沈んでしもたん?    それとも、異母様やお兄様が、なんや言わはったん?    今、またあん時みたいになってはる。って、こっちを見ぃ!    視線逸らしたら怒るしな!」

 夢や、異母様たちを持ち出され、つい逃げ腰になって視線を逸らしてしまった俺に、サヤの鋭い声が飛んだ。
 怒ると言われ、びくりと身が竦むが、そんな俺をサヤが近くから見上げていて、視線が合うと、俺の両手を取り、そのまま引っ張るようにして座らされる。
 左手の打ち付けた部分にサヤの指が触れ、ビリッ!と、痛みが走った。おかげで混乱しかけていた意識が痛みに捕らわれ、更に、サヤの手が俺に触れていることに気付き、そのままサヤに引き寄せられて、その肩に頭が当たって、ハッとする。

「さ、サヤっ!
 ごめんっ、大丈夫だから!    ちょっと気が動転しただけで、別に今俺は……」
「じっとしとき!    大丈夫やない。大丈夫な時のレイは、そんな風と違う」

 がっちりと頭を抱え込まれていて、動けずに焦る。ちょっ、ほんと待って、他のみんなが見たら……こんな状況見せられないから!    サヤの沽券に関わるから!
 どうやって逃れようかと視線を彷徨わせると、薄暗い視界に、ぼんやりと白く浮き上がる、見慣れない小机と、自分が今座る長椅子の一部が見えた。
 灯りがついていないから分かりにくいけれど、どうやらサヤの部屋だ。ならすぐには見られたりまはしないか……サヤの部屋?    うわっ、更に問題だと思う!

「大丈夫やから。
 誰か来ても聞こえるんやから、レイが恥ずかしい思うようなら離す。安心し。
 それに、訪い無しに部屋に入ってくるような、不躾な人は居らへんやろ?
 兎に角じっとしとき。レイが落ち着いたて、私が思えるまでは離さへん。観念し!」
「む、無理!せめて灯り……部屋を明るくしてサヤ!」

 こんな薄暗い自室に男を入れるな!    この状態で俺を抱きしめるな!
 万が一ってことを考えてくれ‼︎

 灯りを付けろと必死で懇願する俺に、それでもサヤは暫く手を離してくれなかったのだが、あまりにしつこいからか、そこにちゃんと座っておくようにと前置きしてから、やっと動いてくれた。いったん廊下に出て、廊下の行燈を持って来る。火皿を取り出し、室内の行燈に火を移していった。
 最後の行燈に火が入り、壁に戻されてから、俺は打ち拉がれ、盛大に溜息を吐いた。
 サヤ……危機感を持とう。
 いくら俺が女顔で、警戒心が湧かないのだとしても、それでも一応、男なんだよ……。
 普段は警戒し過ぎなくらいに警戒しているだろうに、なんで俺には無頓着なんだ……。いくら俺が警戒するに値しない相手なのだとしてもだ。何かあって傷付くのはサヤなんだから……!

 廊下に借りた行燈を戻しに行ったサヤが、部屋に戻って来て俺の横に座るので、説教しようと口を開きかけたのだが、サヤの手が俺の頬に触れたので、また身を引く羽目になった。

「…………良かった。ピリピリ、おさまらはったみたいやね……」

 間近に眼を覗き込まれ、ホッと、安堵に溶けてしまったような表情をされて、言うに言えなくなる……。
 邪なことを考えてしまっているのは俺だけで、サヤは、ただひたすら純粋に、俺を心配してくれていたのだと、嫌という程分かったから。

「堪忍な。なんとのぅ、感じとったのに……もっと早う、聞けば良かった」
「ち、違う……から。俺は何も、なんともなかったのに……」
「レイ。なんともないレイは、急に机を叩いたりしいひん。
 ギルさんの言葉の、何かがあかんかったんやとしても、あんな風に、拳を振り上げたりしいひんのや」

 真剣な眼差しでそう返されて、ぐうの音も出なかった……。
 反論出来ずにいる俺の頬から、サヤは手を離す。そうしてから、その両手で俺の右手を包む様にして握った。

「何が、あかんかったん?
 私には、ギルさんが、囲うて言うたことに、もの凄く怒らはった様に見えた」

 囲う……。
 そう、ギルが、サヤを見てそう言ったのが、俺には許せなかった。
 あの時はあまりに一瞬で、自分がどうしていきなり、振り切れるほどに感情を爆発させてしまったのか、分からなかったけれど……今度は、明確に認識できた。
 けど……その説明を、サヤにして良いものか……。サヤには気分良く聞ける話ではないだろうから……。
 だがサヤは、言うまでは離さないとでもいう様に、しっかりと俺の右手を握っている。
 誤魔化そうにも、上手い言い方が思い付かない……困った……。
 悩んだ挙句、言うしかないかという結論に至る。けれど、当たり障りのない部分までにしようと決めた。

「…………その言葉が、嫌だったんだ。
 俺と母は…………囲われていた者だったから……」

 そう、貴族となる前、俺たち親子は囲われていた。
 母は、妻ではなく、妾であったから……。
 それは、籠の鳥と一緒だ。繋がれて、環境からも、呪詛からも、逃げ出せない。そんな場所に母を括り付けた、母の鎖は………………多分、俺だった。

 俺の苛立ちが伝わってしまったらしい。
 サヤが俺を引き寄せようとするのが分かって、慌てて逃げる。
 そんなにすぐに抱きすくめられてたら、身がもたない。理性が保てるうちに全力で逃げるべきだ。

「子供じゃないんだから、そこまでしなくていい!
 サヤも、そんな簡単に、俺に触れるなよ」

 そう言うと、サヤの眉が下がった。
 うわっ、傷付けた?    違う、サヤが思うような意味じゃないんだ!

「違うから……、サヤに触れられるのが嫌とか、そういうんじゃないから……。
 サヤはあまりに無防備だって言ってるんだ。俺が何かしたらどうするの!」
「え?    レイは、そないなことせえへんの、知ってるし」

 うわ……本当に、全く、意識されてない……いっそ清々しいくらいに……。
 それはそれでとても辛い……。ま、まあ、信頼されてるってことだ。うん。サヤから信頼が得られているって、素晴らしいことじゃないか。

「レイは、嫌なことなんもせえへん。せやし、私、平気なんやで?無理とかはしてへん。
 レイかて、私が怖い時、そうしてくれてはるんやから、遠慮とか、心配とかせんでええ。私はちゃんと、やりとうてやってるんや。
 それにな、これは手当や。心の傷は、こうやって治すのやて、私の世界のお医者様が教えてくらはったんや」

 また妙なことを言うサヤ。なんとなく言うことの意味は分かるような、分からないような……。
 俺が訝しげな表情をしているからか、いまいち伝わってないと分かってしまった様だ。
 サヤは、両手で包み込んだ俺の右手に視線を落とし、言葉を続ける。

「温めてもらうと、ホッとするやろ……。せやからおばあちゃんは、私が不安になる時は、そうしててくらはった……。
 レイも、そうしてくれてるやろ……私が震える時は、いつもそうしてくれる……。
 せやし私、この世界に一人でも、不安に負けんで済んでるんやで……」

 右手を包み込んだまま、それを額に押し付けるようにして、サヤは消えそうな小声で「せやから、触れるなやなんて、言わんといて」と言った。
 泣いている?    怒っている?    それとも怯えているのか?    顔が見えないから分からない……。けれど、サヤを突き放すことだけはしてはいけないのだと、それだけは分かったから、もう何も言えなかった。

「ごめん……。もう、言わない」

 要は、耐えれば良いのだ。サヤの優しさにつけ込むような愚行だけは犯さない。自分にそう言い聞かせる。
 そして、サヤが安心して手を離せる様に、俺が気持ちを乱さなければ良いのだ。

「母は、父上に囲われていたから。妻ではなく、妾だったから……。
 サヤを、繋がれてしまうと、身体が勘違いしたんだ。
 頭では違うと分かってたのに、身体が反射で動いてしまった。
 もう、大丈夫。落ち着いたから。ちゃんと理解したから」

 繋がれた母は、結果的に死を選ぼうとし、失敗した。俺という鎖すら断ち切れず、父上に繋がれたまま……だけど、父上は慈悲深い方だったから、俺の身を案じ、母の身を案じ、手元に引き取ってくださった。母にとっては、それが結果的に、良かったのだ……。

 サヤが「繋がれてしまう?」と、俺の言葉を拾って返すから、少し緊張した。

「貴族にとって、囲うってのは、そういうことだからね。その家や、相手に、繋がれるってことだよ……。
 でも、ギルが言ったのは、そんな意味じゃないって、分かったから」

 無理矢理話を引き戻す。母のことは、掘り起こしたくない。
 ギルは……バート商会は、サヤを閉じ込めたりはしない。あの人たちは、商人だけれど、ただ儲けを追う様なことはしない。数代に渡り大店と言われてきた矜持がある。与えられる為に、与えることを知っている人たちだ。
 だからきっと、専属契約というのは名目だ。サヤが天涯孤独の身の上であるということを、ギルは報告しているだろう。そして、才能豊かな、立場の弱い女性を保護することと、店の利益を両方取ったのだ。
 仮り姿を作ることも、サヤの為に考えたのだと思う。
 俺の傍にサヤを置いておけと、そう言ってセイバーンに戻したギルだけれど、そのことで万が一、サヤが危険なことになったら、すぐに助け出せるよう……手を打っているのだと思う。
 あいつは本当に、女性に手厚いから。サヤをただ危険に近付けたりはしない。
 そうだよな。ギルが、女性のサヤにそんな危ない橋を、ただ渡らせる筈がない。
 この契約は、ギルの懐にサヤを入れる為のものなのだ。それはつまり、アギー家の庇護も、サヤに及ぶ様になるという……っ。

 鋭い痛みが胸を刺した。

「サヤ、戻ろう。風呂に入らなきゃだろう?」

 サヤに気取られる前に、俺はそう言って、サヤを促す。
 唐突すぎたのか、サヤが少し、不思議そうな顔をしたけれど、気付かれはしなかった様だ。いえ、その前に相談があります。と、そう言われ、食堂で言っていたのは方便ではなかったのかと、少々驚く。

「あの、警備をしていたのは、理由があるんです。
 賄いを配膳している時に、話し声を拾いました。『思ったよりやりにくそうだな…』『馬鹿、今はよせ』って、そんな話し声だったんですけど……なんとなく、気に掛かってしまって……。
 その後も何か拾えないものかと粘ってたんですけれど、それ以後は特に何も……。
 ただの普通の会話だったのかもしれないなと、思ったんですけど、何か引っかかって、一応、お伝えしておこうかと」

 仕事の口調に戻ったサヤに、俺も腕を組んで考える。
 思ったよりやりにくそう……今はよせ……確かに引っかかりはするけれど、ただそれだけの会話だ。今というのは、誰が聞いているか分からない、集会場の中を指すのだろうか。それとも、サヤが居たことだろうか……。

「ん……確かに気になるけれど、まだなんとも言えないな……。
 今はよせって言ったなら、集会場の中ではもう話さないことなのかもしれない。明日以降、ちょっと注意を払う様、皆にも伝えておこうか」
「はい。ではそうします。あの、日中私も、暇な時間は見回りをする様にしますね」
「あ、ちょっと待って。
 日中なんだけどね、ハインとやってた見回りを、サヤに交代してもらおうと思ってるんだ。
 サヤに、馬術を教えようって話が出てね」

 俺の言葉に、サヤの顔が輝いた。

「馬術……教えて頂けるんですか⁉︎」
「う?    うん… …馬は怖くない?」
「怖くないです!乗りたいです!練習します!あの、どなたに習えば良いですか?」
「いや、見回りついでだから俺が教えるんだけど……嫌じゃなければ…」
「嫌じゃないです!」

 嬉しそうに顔を輝かせるので呆気にとられてしまった。
 そんなに、乗りたかったんだ……。なら、言ってくれれば良かったのに……。
 そう思いつつも、サヤがそれほどまでに喜んでくれるならと、気持ちが少し軽くなる。しかし……。

「ギルさんも仰ってたんです。馬に乗れる様になれって。行動範囲が断然広がるし、従者には必須だって。
 そうすれば、メバックにもほんの数時間で来れる様になるからって」

 サヤが笑顔でそう口にしたことが、何故か俺を搔き乱した。
 静まれ。気持ちを荒らすな。サヤが気付く。
「じゃあ、明日から頑張ろう」と、笑顔で伝え、先に出るよと、サヤの部屋を逃げ出した。
 そのまま自室に逃げ込んで、薄暗い部屋で、扉を背に呆然と立ち竦む。

 どうしよう。
 なんだこれ、なんでこんな気分になるんだろう。
 どうして俺は……怖いと感じてるんだろう……。
 自分が信じられなかった。ギルが……ギルが、怖い。
 ギルは俺の為に行動してくれているって、分かっているのに、なのにどうして……。
 サヤが、どんどん俺を必要としなくなる……俺から遠くなる……彼女は、どんどん離れ、進んでいってしまう。そしてその先に、ギルがいる様な気がするのだ。彼女の進もうとしている道は、俺なんかじゃなく、ギルの進む道に沿っている……そんな気がするのだ。
 どうしよう……いや、どうしようってなんだ?
 サヤがそれを望むなら、それが正しい道だ。恙無く笑って過ごす為に、サヤが、幸せである為に、その道が正しいなら……。
 正しいって、なんだ……サヤが望むなら、それが全てだ。
 そうやって、外堀を埋めていく様にして、ギルは、サヤを、囲うのか?
 違う!そういう意味じゃない、ギルは純粋に、サヤを保護するために、そうしているだけだ!

 混乱していた。
 囲われていた母と、囲われようとしているサヤと、仮面の笑顔で微笑む母と、優しく微笑むサヤと、自分が今、何に焦り、不安を感じ、恐怖に怯えているのか分からなくなってきていた。
 兎に角落ち着けと、自分に言い聞かせる。ただただそれだけを、延々と繰り返す。
 そうやって無心になって、サヤが呼びに来る頃には、なんとか心を凪ぐことに成功していた。

「レイシール様、お風呂の準備が整いました」

 丁度部屋を出たところで、階段を上がって来たサヤとかち合い、俺にそう言ったから、有難うと礼を言ってから、ともに階段を下りる。

「お部屋で何をされていたんですか?」
「うん、学舎で、馬の乗り方をどんな風に習ったかなって、思い出してたんだ。
 よくよく考えたら、人に教えるって初めてなんだ……大丈夫かなと思って」

 当たり障りないことを、当たり障りない顔で話し、食堂に向かう。
 風呂を利用し、サヤと交代した。久しぶりだから、ゆっくりしたらいいよと前置きして、食堂で順番を待つギルに、風呂の使い方を説明して過ごす。少し心配そうな顔をしているギルに、さっきは悪かった、なんでもないんだよと、笑顔で伝えた。
 乱れては駄目だ。あんな醜態、もう晒したくない。
 明日からが本番なのに、日数が限られているのに、これ以上はもう、駄目だ。
 全力で顔に仮面を貼り付けて、俺はその後の時間を過ごした。
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