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執着 5

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 六の月十七日。
 朝起きたら、妙な音がしていた。

 ダン!……ガッ……ッ…………ダァン!

 ゾッとした。
 いったい何の音か分からないから飛び起きた。
 寝室まで聞こえてくるって、相当な騒ぎなのではと思ったのだ。
 寝室の扉を開くと「おはようございます」と、部屋にハインがいる。あれ……俺寝坊したのか?
 部屋の入り口が開いていた。これで階下の音がよく聞こえてたのか……にしたって、何の音……。

「間もなく異母様方が出立されそうなので、起こしに来たところです。急いで身支度をして下さい」
「あ、ああ……。ハイン、あの音は?」
「身支度が終わりましたら、ご自分で見に行かれたら良いですよ」

 扉を閉めたハインが、そう言って寝室に入って来て、衣装棚から服を取り出す。
 そっけない態度に、俺は首を傾げながらも、着替えを優先することにした。音は微かにしか聞こえなくなっが、気になって仕方がない。

「御髪はお見送りの後、サヤに整えてもらって下さい。今は一括りにしておきます」

 上着を纏う前に座らされ、さっさと髪を纏められた。
 俺はそれを待って立ち上がり、上着を羽織ってから外に向かう。
 扉を出て、階段の手摺に手を掛けた時、階下で動いているものに気付いた。
 その光景に、俺は悲鳴を必死で飲み込む。
 小剣を振るうギル相手に、サヤが突撃と退避を繰り返していたのだ。
 ギラリと光る刀身。軽やかに身を翻すサヤは、膝丈の短い細袴と、袖の無い短衣という、ごくあっさりとした出で立ち。髪はいつもの如く、馬の尻尾の様に纏められていた。女性が腕も足も出していることに本来なら赤面ものだが、刃物が振り回されている現場では、それを指摘するどころじゃない。一応、脛と腕に防具らしきものを着けてはいたが、胴体や顔には守るものが何も無かった。

 ギルが刃を横薙ぎに振り回し、サヤはそれを身を低くして躱す。そのまま動きを止めずに、今度は上段から斬り下ろす。それは半歩だけ横に移動し、ギリギリで躱した。すると引き戻した剣をくるりと回転させる様にして軌道修正したギルが、サヤに向かって躊躇なく突き出す。背の高いギルの肩のあたりから、斜め下に向かって突き出された剣に血の気が下がった。回避で体重を片足に掛けているサヤには避けられない様な気がしたのだ。
 しかしサヤは、突き出されを剣をもう半歩の移動で危なげなく交わしたかと思うと、そのまま一瞬で間合いを詰め、ギルの腕に手を添えた。ギルはその動きに腕を引き、サヤの手はギルの腕を捉えることは出来なかった。が、剣に身体を吸い付けるかの様に、そのまま更に肉薄する。
 剣の間合いに戻そうとしたのを阻まれた形のギルは、更に大股で後方に一歩逃げる。と、見せかけて肩でサヤを吹き飛ばそうかという様に、後ろに移しかけていた体重移動を前方に戻す。いつ腰から引き抜いたのか、左手で逆手に握った短剣を、サヤの顔に突き立てる様に、無造作に突き出す。
 容赦の無い攻撃だった。これほど真剣に、奥の手まで使って攻撃を繰り出すギルは、もうサヤを殺す気でいるとしか思えない!
 だがサヤはそれすら避けた。どうやっているのか、急に一歩半ほどの距離が二人の間に開く。サヤが、瞬間移動している様にしか見えない。ギリギリ短剣の届かない、小剣は振るいづらい絶妙の距離を空け、サヤのとギルの間に何かが掠めた。
 ガランガラガラとけたたましい音を立てて小剣が床を滑っていき、短剣を握る手を取られたギルが床の上に背中を叩きつけられる一瞬手前で、引き上げられる。

「………参った」

 ダン、と音を立て、床に背をつけたギルが、脱力してそう答えた。
 汗が凄かった。
 だが運動した為のというよりは、冷や汗が大半であるといった様子だ。サヤに投げられたというのに、どこかホッとした顔で身を起こす。
 そして、俺に気付いてバツの悪い顔をし「おぅ……」と、片手を上げた。

「おはようございます」

 サヤがにこやかに挨拶してくるが、俺はホッとすると同時に、膝が崩れた。
 階段の手摺にしがみ付いて、詰めていた息を吐く。
 怖かった……殺気が無いのは分かっていたけれど、下手をしたら、死んでる。
 座り込んでしまった俺に、サヤが慌てて階段を駆け上がってきた。ギルは短剣を腰の鞘に戻し、吹き飛ばされた小剣を拾いに行く。視線をこちらに向けてこないのは、きっと俺の反応に罪悪感を覚えているからだろう。

「申し訳ありません、驚かせてしまいましたか?」

 駆け寄ってきたサヤは、そう言って俺の背中をさすったが、俺は返事が出来なかった。
 近くに来たサヤの腕には、昨日、上着で隠れ、見えていなかった細かい切り傷が幾つもあり、ギルとの鍛錬が、決して無傷で済んでいないことを物語っていたのだ。

 嘘だろ……こんなことを、していたのか?こんな鍛錬を、何故そこまで⁉︎

「おや、ひと段落しましたか。
 サヤ、朝食の前に、私達は異母様方の見送りに行って来ます」
「畏まりました。戻られたらすぐに食べられる様、準備しておきますね」
「お願いします。レイシール様、惚けている場合ではありません、行きますよ」
「まっ、待て!    こんな、こんな鍛錬をお前は……っ」
「従者ですから。鍛錬くらいします」

 俺の動揺などどこ吹く風で、ハインは俺を急き立てるようにして外に向かった。
 ギルとサヤは、そんな俺を玄関広間から見送る。
 外に出て、口を開こうとした俺に、ハインがギラリと怒気をはらんだ視線を寄越してきて、黙れ。と、言われているのが分かり、反射的に口を噤む。
 厩に続く道の前を横切り、正門前に差し掛かった辺りで、ハインはやっと口を開いた。

「従者は、主人を守るのが仕事です。サヤはその為の鍛錬をしているに過ぎない。貴方に彼女の努力を妨害する権利はありません」

 ハインの言葉に息を呑む。言葉が突き刺さる様だった。
 俺の反応を見たハインが溜息を吐き、館の玄関に留まる馬車に、異母様方が乗り込むのを目にして姿勢を正す。だから俺も、慌てて姿勢を正した。

「あの娘は安全と平穏より、あの鍛錬とここの仕事の方を選んだのです。その覚悟を踏み躙る行為はおやめ下さい。受け入れると決めたのでしょう、いちいち、そんなことでブレていてどうするのですか」

 護衛の騎士が進める馬に続き、馬車が動き出した。その後を、荷物や女中を乗せた次の馬車が続く。護衛だけで十人に及ぶ大所帯だ。ハインは深々と頭を下げていて、俺も先頭の騎士が前を過ぎる直前で頭を下げる。が、視界の端に、小麦色の髪がチラリと見えて、兄上が目前を通り過ぎているのだということは分かった。

 ざまあみろ……。

 そう言われたのを、最近思い出した。
 あの人を、始末したと……… そう俺に言った時……。
 ざわりと胸が泡立ち、怒りなのか、悲しみなのか、分からない負の感情が腹の底で蠢くけれど、グッと堪える。
 ギルに話すと約束したこともあり、俺は時間がある時に、昔のことを、少しずつ思い返していた。
 ただ、それをすると、一度に嫌なことが溢れ出てくる事があり、気持ちが暴走しがちだ。
 自分の過去なのだから、自分で始末をつけなければならない。だから行っている行為なのだが、自分の未熟で、短慮だった行動が思い出され、罪悪感や後悔に苛まれる。
 幼くて、取れる手段が限られていた……だなんて、言い訳だ。やりようはいくらだってあった。

「無事出立されましたし、戻りましょう」

 ハインの声で、行列がもうとっくに通り過ぎていたのだと気付く。
 頭を上げた俺に、ハインは「レイシール様」と、低い声音で呼び掛けてきた。

「もし、何者かが貴方を襲う様な事があった場合、私は貴方を守ることを優先します。
 サヤが己を鍛えることは、貴方を守る為でもあり、自身を守る為でもあるのです。
 中途半端な心配で、あの娘を危険に晒すような発言は控えて下さい。
 そのようなこと、言うまでもなく、分かって頂けていると思っていましたが」

 反論出来ない……。うん、分かっていたはずだった。
 けれど、実際に見てしまったら、あまりに衝撃だったのだ……。
 項垂れて戻る。これからもあの鍛錬が日課として続くのかと思うと、心臓がギュッとなる。
 しかし、俺はこれを受け入れなきゃならないんだよな……。
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