異界娘に恋をしたら運命が変わった男の話〜不幸の吹き溜り、薄幸の美姫と言われていた俺が、英雄と呼ばれ、幸運の女神と結ばれて幸せを掴むまで〜

春紫苑

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獣 8

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 そのままその音は続き、床に爪を立てるようにしていた胡桃さんの手の指が、何故か短くなっていることに目を疑った。
 指だけじゃない。肌の下で、何かが蠢いている……。
 そのうち毛穴という毛穴から、体毛が伸び始めた。
 それが全身を覆って行き、ゴリゴリギチギチという音と共に、胡桃さんの骨格自体が変形していく。
 正直、呼吸を忘れた。呆気にとられて、ただひたすら、見つめていた。
 時間にすれば、ほんの一分かそこらだと思う。そんな短い時を挟み、人型の胡桃さんは消失し、そこには巨体の狼が現れた。ゆったりと、寝そべった体制で。

 胡桃さんの髪の色と同じ、胡桃色の毛並みで、菫色の瞳の大狼……。人の時にあった白目の部分はほぼ無くなり、瞳全体が菫色だ。神々しさすら感じる程、立派な姿だった。
 すると、その狼が、のそりと起き上がる。当然左脚は無く、本来あるべき場所は空白。その大狼が、その辺に落下していた下着を咥え、ペイっと、風呂敷の上に投げた。

 ……なんか、感動が一瞬で薄らいだ……。
 凄く立派な姿なのに……。

「あっ、衣服を纏めてるんですね。私がやりますから!」

 同じく呆気にとられていたと思われるサヤが、慌ててそう言い、胡桃さんの下着を拾う。俺たちの視線を気にしたのか、自分の身体でそれを隠すようにしてたたみ、胡桃さんの脱ぎ捨てた衣服もたたんで、風呂敷の上に纏めた。
 すると、胡桃さんがサヤにすり寄り、首元を彼女の腰にグイグイと押し付ける。サヤはびくともしないが、俺だったら押し倒されてそうな力強さだ。

「えっ、あの……?」
「そうそう。その姿になると吠えるしかできないんだよねぇ。
 胡桃は多分、衣服を纏めて、首に括り付けて欲しいのだと思うよ」
「あっ、そうなんですね。畏まりました」

 言われた通り、風呂敷の端を織り込んで、細長くしてから、胡桃さんの首の上にそれを置く。しゃがみ込んで、覗き込むようにしながら、首の下を括り、苦しくありませんか?と、問うた。
 すると、ベロンと鼻先を舐められてしまう。

「ひゃあっ!」
「大丈夫らしいねぇ」
「そ、そうですか……びっくりしました……」

 そのまま胡桃さんは、のそりと歩き出す。
 扉の方に向かうので、サヤが慌てて先回りし、扉を開いた。
 外まで送る様だ。先導し、玄関も開けるつもりなのだと思う。
 部屋に残された俺たちは、ただ彼女らを見送り……沈黙が続いた。

「あ……あれ、あれ……な、なん…………」

 違った。喋らなかったんじゃなく、喋れなかった様だ。
 やっとのことでといった風に、ギルが言うが、言葉が言葉になっていない。
 生肝を抜かれたとは、今のギルの為にある言葉だな。
 ハインはというと、ギル以上に呆然としていた。
 理由は分からないが、ハインにとっても、獣化するというのは、特殊なことである様子だ。

「さあレイ様、狼の胡桃は如何でしたか?」

 またもやマルが、そんな風に問うてくる。
 如何って言われてもな……。

「神々しいとすら思ったのに……下着をペッてした辺りで、なんか冷めた」

 胡桃さん本人があまりに無頓着というか……。
 ああ、胡桃さんは狼でも胡桃さんなんだなぁと、納得したというか。
 彼女の人となりはまだあまり知らないけれど、なんか性格が現れていたというか……。

「ああでも……見れて良かったと思う。
 神話は所詮神話なんだと思ったよ。
 ハインだって胡桃さんだって、普通に話すし、気持ちが通じる。狼の彼女にだって、普通に意思があるのは感じれたし。なんだって大災厄は、あんな風に語られているのかな」

 首を傾げるしかない。
 そんな俺に、マルはケタケタと笑った。

「まあ、レイ様はそんな感じですよね。ほんと胆力があるというか、無頓着というか」

 彼女が獣化することに対して恐怖とかは無いんですか?   と、そう問われ、ああ、そういえば恐怖は全く感じていなかったなと気付く。

「あんな状況が目の前に急にあったら、びっくりするどころじゃないと思うんだよ」
「いや、びっくりしろよ!」
「……レイシール様は……サヤの時も的外れでしたよね……」

 ぽそりと呟かれたハインの言葉に、サヤの時?   と、思い出す。
 あの時は……混乱したんだよ……。あんな光景じゃそれも仕方がないだろ?
 俺が当時を思い出し、濡れそぼったサヤの、透けた衣服なんかまで思い出してしまって赤くなっていると、サヤが戻ってきた。

「出発されました。
 気配も消えたので、外の方も戻られたのだと思います」

 そんな風に報告してくる。
 さて。じゃあ後は……。

「こんな遅い時間に申し訳ないんだけど、俺はもう少し、やることができた。
 ハイン以外は、一度退室してもらって構わないか」

 そう問うと、皆首肯してくれた。
 ギルが、少し心配そうにハインを見てから、マルにせっつかれて渋々廊下に足を向ける。
 夜番の準備をして参りますと、サヤも一礼して退室した。

「さてハイン。お前に渡したいものがある」

 皆が去ってから、一呼吸あけて、俺はそう口を開いた。
 叱責の類と思っていたのか、ハインが眉をひそめる。お前はどうせ、言ったって全然反省しないんだろうからな。俺はそんなことに労力を割く気はない。
 執務机に移動し、引き出しから小箱を取り出す。
 サヤが戻った日、ギルが持ってきてくれた小箱。それを開け、三つの中から一つを選ぶ。これは、ハインの為の意匠だ。

「これをお前に」

 銀で作られ、青玉で飾られたそれは、小さな盾の形。
 手のひらに乗せたそれを差し出した瞬間、ハインの顔は親の仇でも見るかのように、嫌悪に歪んだ。

「貴方は……まだそのような戯言を……!
 私は、それを受け取れる様な立場ではございません!」
「お前にこれを受け取って欲しいと思うのは、俺の自由だよな」
「言わなければ分かりませんか……?   私は、もう貴方の従者でもない……」
「俺がいつ、お前に従者を辞めてもいいなんて言った?」
「もう私が獣だと分かったでしょう!」
「言葉を喋って、二本の足で立って、服を着た獣か。ふざけるのも大概にしろ」
「ふざけてるのはレイシール様です!」
「お前だよ!   獣人だったらなんだっていうんだ⁉︎   俺はさっき、凄く悲しかったんだ、お前が俺の傍に居たのが、ただ手の代わりの為だけだったなんて言われて‼︎
 俺ははじめっから、一度だって、お前をそんな風に考えたことなんかない!」

 はじめのはじめから、俺は言った筈だ。気にしてないって。手の償いなんか必要無いって。
 お前の自由にして良いと言ったんだ。俺はお前に、縛られて欲しくなかったから。
 だって俺は、縛られる苦しみを知ってる。
 奪われる痛みを知ってる。
 手から何もかもがすり抜けていく絶望を知ってる。
 お前にそんな経験、してほしいなんて、思うわけがないじゃないか‼︎

「お前俺に、全てを捧げているって言ったよな。俺はお前を縛りたくなかったから、その言葉が本当は、嫌だった。けど……お前がそんな風に、俺と距離を取ろうとするなら、お前にそんな自由は与えてやらない……だってお前の魂は、俺に捧げられてるんだからな‼︎
 命令だ!   俺から離れることは許さない、命を絶つことも許さない!
 これを受け取り、俺の従者であり続けろ‼︎   お前の自由は、俺が奪ってやる‼︎」

 盾の衿飾りを握った手で、ハインの胸をドンと突く。
 胸が苦しかった。命令は嫌いだ。命令をすると、人は仮面を被る。意に沿わないことを押し付けられても、笑顔で畏まりましたと言うのだ。
 その表情が、俺は怖い。本心と裏腹なことが透けて見えて、針を刺されているような心地になる。
 それが積もりに積もると、人は、壊れてしまうのだ。
 だけど……それでも俺は、ハインを失いたくない。

「……そんな顔して、言う言葉じゃ、ないでしょうに……」
「どんな顔してるって言うんだ」
「泣きそうな顔です。いい年した男が、恥ずかしげもなくする顔ですか」

 馬鹿だなこいつ。と、表情で示して、ハインが俺の手を取った。
 指を開かされ、中にあった飾りを見る。

「何故、盾なのですか……」

 お前は、俺の盾なのだと、思ったからだ。だけど、それは言ってやらない。

「俺は命令したよな。これを受け取れと」
「……そうですね。命じられました。貴方は私の全てを自由にする権利がある」

 そんな権利、糞食らえだ。

「畏まりました。仰せのままに。
 レイシール様の傍を離れません。貴方に命じられぬ限り、自ら命を絶つこともしません。
 貴方の為に私はあります」

 飾りを受け取り、俺の手を取るハイン。恭順の意を示す様に、手のひらと、甲に、唇を落とし。

「俺の魂は、貴方に捧げておりますから」

   忠実な家臣であるとでもいうように、首部を垂れる。
 けど、そんな風に顔を隠したって、俺は誤魔化されない。
 棘が、胸に刺さる痛みを感じているから。
 お前は、畏まりましたと言いながら、そんな風に思っちゃいない。
 だけど俺だってな、ただ手をこまねいておくなんてしない。

「お前は俺に望めと言った。
 幸福になることを願うと言った。
 だから俺はお前を望む。九年前と一緒だな……俺は初めて、俺の意思でお前を拾ったんだ。
 だから、俺が持つ一つ目は、お前だ」

 杭を打つ。ハインが俺から離れられない様に、深く打ち込むのだ。

「お前が死ねば、俺の呪いは本物だな……。
 持ってはいけないということだ……」

 そうなれば、俺はもう何も望まない。お前の希望通りになど、なってやらない。
 お前が幸福にならないなら、どっちにしたって、そうなるのだから。

「……性格歪みましたね」
「お手本がそんな風だからな」

 簡単に死なせてなど、やるものか。
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