異界娘に恋をしたら運命が変わった男の話〜不幸の吹き溜り、薄幸の美姫と言われていた俺が、英雄と呼ばれ、幸運の女神と結ばれて幸せを掴むまで〜

春紫苑

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癒えぬ苦しみ 3

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「だから、なんで一人で対処しようとするんです?
 いい加減、そこに無理があるのだということを理解して頂きたいのですが」

 唐突に割って入った、ハインの怒りを孕んだ声に、二人して飛び上がった。
 腕を組み、鬼の形相をしたハインが、何やら既視感を覚える仁王立ちで立っている。

「一向に帰ってこないので探しに来てみれば……。
 何故、泥まみれで掴み合いの喧嘩に発展しているのです?
 まあどうせ、サヤを無理矢理にでも帰らせようとして、怒らせたんでしょうが」

 ネチネチそんな風に言われ、自分たちの体勢に泡を食った。
 ぬかるんだ地面に尻餅ついたり膝をついたり、しかもサヤが俺にまたがっている状況だ。お互いの服に泥も跳ねている。
 抱き合っていると判断されてもおかしくない……ていうか、そう見えなかったことが奇跡っ!
 良かった、ハインがそういうのに頓着しない性分でほんと良かった!

 そそくさと立ち上がって咳払いしたり、無意味に髪の乱れを整えたりしつつ、ハインを伺うが、誤解されている雰囲気は無い。それよりも、泥汚れを落とすのがどれだけ大変だと思っているんですかと文句を言われた。
 はい……ごめんなさい、以後気をつけます。と、二人して謝る。
 帰りますよと有無を言わさず宣言され、仕方なしにトボトボと後に続いた。

 なんか、なし崩しに帰る羽目になった……。
 けど、サヤを、このままにしてはおけない……。姫様方が帰ってしまったら、きっと異母様は、もう待ってはいないだろう……。
 そんな風に考え、眉間にしわを刻んでいた俺に、ハインが唐突に、問うてくる。

「で?   サヤの帰り方は、見つかったのですか?」
「……まだ見つけてない……」
「なら喧嘩するまでもないでしょうに。
 だいたい、はじめに泉の底をかき回した時だって、サヤは帰れなかった筈です。
 そんな安直に、泉の底に帰り道があるわけではないと思いますよ。
 そもそも……息が続くんですか?   サヤの世界まで」

 そんな風に言われ、そういえば、もしあの底に入口があるのだとしたら、サヤは泳ぎ、潜っていかなければならないのだと気付いた。
 肘までしか浸からない様な浅い泉。その砂地を掘って、奥に進む?   そんな馬鹿な。
 そんな方法で異界に行ける様な気が、全くしない……。
 サヤを見ると、少し考える風に首を傾げていたが、

「そういえば私、泉に腕を入れましたけど……岸から身を乗り出していただけです。潜ってはいません。
 そうしたら引っ張られて……薄い皮膜を破ったみたいに、ちょっとした抵抗だけで……水面を抜けたと思ったら、レイシール様と、視線が合いました」

 あの瞬間を、そんな風に表現する。

「まるで、鏡をすり抜けてきたみたいな、感じです」
「……なら、泉の底は関係ないんじゃないですか?」
「そ、そんなこと言われても、他にあてもないだろう?」

 サヤの帰り方の手がかりは、あの泉だけだ。
 するとハインは、さも当然と言った風に、切り返してきた。

「そうですよ。あてはあそこにしか無く、結果、帰り道は見つかりませんでした。それが結論です。
 ならもう、焦ってサヤを追い帰すことを考えるより、どうやって守るかを考えるべきでは?
 だから、相談しろと言ってるんですよ。私も、ギルも、散々口を酸っぱくして言っている筈なんですが?」

 皮肉をたっぷり込めて、こちらを振り返るでもなしに、淡々と言う。

「どうせ、雨季が終われば、異母様や兄上様のちょっかいが入る。サヤを狙ってくると考えて、また一人で焦ったのでしょう?
 馬鹿の一つ覚えみたいに、同じことを繰り返さないで下さい」

 グサグサと棘のある言葉で責められる。
 だけどその通りであるから、言い返せない……。
 そんな俺たちの様子を見ていたサヤは、俺の暴走の理由に得心がいったらしい。
 どこか不安そうにしていた表情が和らぎ、呆れた様子で俺を見る。

「そんな心配をして、あんなこと言ったんですか?」
「そんなじゃない!
 俺は、本当にあんな経験……もう、二度と、ごめんなんだ!」

 人一人を簡単に死なせてしまう……、サヤに落ち度なんて無くても、いくらだって、どうとだってしてしまう。あの恐ろしさを、甘く見てはいけないんだ!
 思い出す度に、グラグラと内臓を煮溶かされているような心地になる。
 どうしようもない虚無感と、悲しみに襲われる。
 もう子供じゃない、あんな風に、簡単に、丸め込まれたりはしないと、思いたい。
 だけど……兄上と視線が合ったと思うだけで縮み上がってしまう俺が、もしもの時動けるのかと、ちゃんとサヤを守れるのかと、そう考えたら不安で仕方がないのだ。

 鬱々と、暗い思考にどっぷり浸かってしまっている俺を振り返り、ハインが溜息を吐く。
 またやってやがる。そんな顔。けれど、

「貴方の時のようには、しません。
 あのようなことは、私も二度と、ごめんです。
 さあ、急いで戻りましょう。着替えなければ失礼でしょうし。
 まったく、いらないことをするから、支度に時間が掛かる羽目になるんです」

 そんな風に言われ、気付いた。
 そういえば……朝食にはまだ早い時間帯だ。
 ……なんで、探してたんだ?

 俺の疑問は、顔色を読むまでもなく、理解出来たらしい。

「異母様方が問題であると考えているのは、貴方だけではないのですよ。
 姫様と、ルオード様がお呼びです。
明日、帰路に就かれるそうで、今後のことを、話しておきたいから急ぎ来い。とのことですよ」

 それっ、早く言えよ⁉︎

 大慌てで別館に戻った。
 ハインに湯を用意してもらい、俺とサヤはそれぞれ身支度しに、部屋に戻る。
 下着まで泥水が染みていた為、全部脱いで濡らした手拭いで拭き、新しい服を着る。泥汚れの酷い服は、身体を清めるのに使った湯の中に突っ込んでおいた。
 なんとか体裁を整えて、サヤとハインを伴い、姫様のお部屋に伺うと、リーカ様方が帰り支度の準備に追われている真っ最中の様子で、ちょっとまずい時に来てしまったかと狼狽えたのだが……。

「遅い」

 姫様は優雅にも、長椅子に寝そべっていた……。
 ルオード様もいらっしゃって、姫様の後方に直立で待機している。

「申し訳ありません、村の見回りに、出ていたもので……」
「早朝すぎるわ。こんな時間から働くな馬鹿者。
 ……まさかこの様な時間から出かけているとは思わなんだわ」

 ……まさかこの様な時間に呼ばれるとも思いませんでしたよ……。

 内心でそう思いつつ、申し訳ありませんでしたと、素直に謝っておく。
 拗れるとややこしい。
 姫様はそれに満足した様子で、うむと慇懃に頷いてから、サヤ、こちらに来い。と、宣う。
 俺を呼んでおいて、サヤに来いと言う……。少し警戒した俺に気付いたのか、ルオード様が小さく咳払いをした。
 視線をやると、大丈夫だ。と、いった笑顔。

「サヤにこれを渡しておこうと思うたのでな。
 王都に戻り次第、レイシールに令書を送るが、それまでの保険だ」

 そう言い、サヤの掌にコロンと置かれたのは……襟飾だった!

「姫様⁉︎   サヤは私の……っ!」

 俺の従者であるサヤに、襟飾⁉︎
 まだこの人は、サヤを引き抜こうとしているのか⁉︎
 カッと頭に血が上り、不敬であることも忘れ、声を荒らげたら、シッシと手を払われる。

「煩い。分かっておる。別にサヤを引き抜こうというのではない。
 サヤは一番不安定な立場であろうが。
 元の生まれがどれほど高貴であろうが、異国の者ではその立場も利用出来ぬし、そもそも従者という身ではな、身の安全を図るのは難しい。
 特にここには、魔女がおる……私はもう、二度と、横から私のものを掠め取られる気は、無いのだよ」

 不機嫌そうにフンっと鼻を鳴らし、後は任せた。と、ルオード様に手を振り指図する。
 それに苦笑を返しつつ、ルオード様が口を開いた。

「姫様は、近衛へと推挙され、実力を認めた者に、これを与えておられる。
 ディートフリートも身につけていたろう?   成人すれば、近衛となることを約束された証なのだよ。
 ただ、サヤの場合はまだ、あまりに幼い。
 暫くは、推挙者であるレイシール。君に、サヤの教育を任せておくこととなった。
 ……と、いう建前だよ。
 まだ成人前である君には、サヤを守るにも限界があるだろう?
 サヤはとても優秀であるから、立場を悪用し、君に無理を強いる輩が……サヤを奪おうとする輩が、現れないとも限らない。
 ……姫様は、学舎でのことを大層悔やんでおられるのでね。同じ轍は踏まない。とのことだ。万が一、不埒な手を伸ばされる様なら、それを盾に使いなさい」

 王家が将来召し抱えると約束している者だ。手出し無用。
 それを示す為の、襟飾りである。と、いうこと……。
 そして、学舎でのことを悔やんでいる……というのは……俺の、こと?

「二年したら返上すれば良い。
 それまでは色々使えよう。適当に、持っておけ」

 利用しろ。と、そっぽを向いたまま、姫様は暗に言う。
 ルオード様に任せたくせに、口を挟んだのは……サヤを心配してのことなのだろう。
 ありがとうございますと、頭を下げるサヤに、行け。と、手を振る。
 俺の横に戻ったサヤは、瞳を潤ませ、手の中の飾りをしっかりと握りしめていた。

「ありがとうございます!」

 俺も、感謝の気持ちを込めて、頭を深く下げる。
 サヤの身を案じてくれたその気持ちが嬉しくて、サヤを守る為に手を差し伸べて下さったことが、有難かった。

 これがあれば、サヤを守れる……サヤを、失わずに済む。
 込み上げてくる涙を抑え込むことに、俺は必死で、なかなか顔を上げることが出来なかった。
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