異界娘に恋をしたら運命が変わった男の話〜不幸の吹き溜り、薄幸の美姫と言われていた俺が、英雄と呼ばれ、幸運の女神と結ばれて幸せを掴むまで〜

春紫苑

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二度目の祝い 5

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「……うん」

 その返事に、思考が爆発しそうになった。

「でも、触れ、触れられるん、は、怖い……」

 付け足されたその言葉で冷静さを取り戻さなかったら、食らいついてしまっていたかもしれない。

「……じゃあ、他には触れないようにする。…………唇だけに、触れるから」

 そう言ったらサヤは、腕と背もたれに埋めてしまっていた顔を、やっと解放してくれた。

「ど、どうすれば、良い?
 う、上を向いといたら、できる?」

 恥ずかしさと恐怖を振り切れず、視線を逸らしたままそう問われて、たかだか口づけひとつのことなのに、まるで初夜に、怯えつつも身を委ねようとしてくれているかのようで……。

「そのままでいい」

 まだ背もたれにしがみついたままのサヤに向かい、身を乗り出した。
 その瞬間から、恐怖と緊張で肩が強張り、キュッと唇が引き結ばれる。顔がまた半ばまで、腕の奥に引っ込んでしまった。
 触れないよう、肘掛けと背もたれに両腕を掛けて身を支えて「もう少しだけ、顔をこっちに向けて」と囁くと、暫く戸惑った後、ギュッと瞳を閉じたまま、サヤは意を決したように、頭を上げ、こちらを向いた。

 引き結ばれ、白く血の気の引いた唇。
 固く、固く、絶対に開くまいと閉ざされた瞳。
 大きな恐怖に苛まれながら、それでもサヤは勇気を振り絞ってこちらを向いてくれたのだと、そう思えば、涙が溢れそうなくらい嬉しくて、愛おしかった。

「もし怖かったら……駄目だと思ったらいつでも、突き飛ばして良いから」

 耳元でそう囁くと、微かに頷く。
 あまり時間を掛けると不安が育ってしまいそうだと思ったから、その頷きの直後に、サヤの白くなった唇に、自らのそれを重ねた。

 啄むだけの口づけ。
 記憶にあるサヤの唇よりも薄く硬いのは、それだけ力んでいるのだろう。
 すぐに身を離すと、サヤの唇がするりと解れて「え……」と、戸惑いの声。
 そこにもう一度、丁寧に唇を合わせた。
 できるだけ優しく、触れるだけのそれを、ゆっくりと何度か繰り返す。
 突き飛ばされる衝撃も、唇がまた強く引き結ばれることもなく、触れるたびに温かく、柔らかい皮膚が合わさって、離れる。
 逃げない……、怯えて、いない。
 サヤの瞳は閉じたままだったけれど、それでも必死に求めてくれているのだと分かった。
 唇で甘く噛み、舌先でちろりと舐めたら、ほんの少しだけサヤの唇も開き、桃色の舌先が覗いて、そこに自分の舌を触れ合わせる。

 本当に、ただ触れ合わせるだけの、稚拙な口づけ。
 それでもずっと、求めて、叶わなかったものだった。

「嬉しい」

 唇を触れさせたままそう囁くと、ポロリとサヤの瞳から滴が溢れる。

「嬉しい、サヤ。有難う」

 あぁ。まだ耐えられる。
 前のようには触れられなくても、こうしてサヤも、求めてくれていると分かったから。
 望んでくれていると実感できたから、俺はまだ大丈夫だ……。

 俺は、孤独じゃない。

 きっとまたいつか、触れ合える日が必ず来る。
 求め合っているのだから。
 今ならそう、信じることができた。


 ◆


「遅かったな」
「私用です。それと私も食事を済ませて参りましたので。……よっぽど気に入ったのですか?」
「え⁉︎ あ、うん! まぁ……子供たちが頑張った品だし……?」
「えぇ、そう。そうです! 良い出来栄えですよね!」

 昼を大きくまわり、更に一時間以上も経過して、ハインが部屋に戻ってきた時俺たちは、またもや半面を身に付け、何食わぬ顔で机を挟み、席に着いていた。

 唇を重ね、舌先を触れ合わせ絡ませて、今までの時間を取り戻すみたいに、何度も口付けを交わしてからふと我に返ってみると、なんだか無性に恥ずかしくなってしまい、お互いに顔を直視できなかったのだ。
 半面、買っておいて良かった……。口元以外は隠してくれるから、俺の現在カッカしてどうしようもない頬も、面の下。ハインには見えない。

「サヤも、ちゃんと召し上がられましたか?」
「はい。沢山いただきました」
「それはようございました」

 ハインと言葉を交わすサヤを見つめつつ、俺はそっと、息を吐いた。

 思えば俺、ちょっとどうかしていたよな……と。
 なんというかこう、変に追い詰められていたというか、焦っていたというか……。
 自分で気付かないうちに、サヤに触れられないことがどんどん苦しくなっていたのだと思う。
 触れ合えることを当たり前にしていたのに、それが叶わなくなったことが、思ってた以上に、俺にとっては重たいことだったのだと、今更実感していた。

 そこに、婚姻の準備やら、誕生の祝いやら絡み、時間が迫ってきているという切迫感の中、触れられないということを、無意味に意識していたのだろう。
 なんのことはない、サヤより俺の方が参りかけていたのだ。

 結局、またサヤに、助けられちゃったなぁ……。
 俺の方が、支えにならなきゃいけないのに……。

「それでサヤ、貴女は贈り物はいらないとおっしゃいましたが、これは前々からの約束でもありましたから、受け取ってもらえますね?」

 思考の間に滑り込んできたハインの言葉。
 前々からの約束ってなんだろうな? と、訝しく思っていたら、今日は休みを出していたはずのセルマとメイフェイアが、蓋付きの大皿を抱えて入室してきた。

 いつも通りの女従者の出で立ちをしたメイフェイアに対し、セルマは祭りを楽しむ娘らしく着飾っていて、祭りというものの存在意義の違いが如実に現れて面白いなと思う。
 ハインといい……獣人って、祭りに興味が無いのかな……? でも特性としては楽観的なんだよな? それって別に、祭りを楽しめないわけじゃないと思うんだけど……。
 そんな益体もないことを考えていたのだが、大皿の上の蓋が取り払われると……。

「あっ!」

 サヤから上がった、歓喜の声。

 皿の上にあったのは、立派な肉の塊。
 サヤが、故郷で食べたローストビーフと同じ味だと言って涙を流した、あの鹿の蒸し焼きだった。
 そういえばそうだったと思い出す。誕生日の祝いにまた作ってもらおうと、そんな話をしていたっけ。

「たまたま運良く、良い肉が手に入ったものですから」

 ハインはそう言ったけれど、きっと前々から至る所にお願いし、なんとか手に入れたのだと思う。
 感激するサヤを微笑ましく見ていたのだけど、またコンコンと、開いたままの扉が叩かれた。

「楽しんでるか?」
「あぁ、ギル……と、ルーシーどうしたの⁉︎」

 何やら大きな布包みを抱えたギルと、何故か瞳を真っ赤にしたルーシー。

「なんでもありまぜんっ」

 鼻声でそう言い、握ってヨレヨレになってしまっている手拭いで目元を拭う。
 全然なんでもなくないが……そのルーシーが、俺を見て、サヤを見て、またうるっと瞳を潤ませたものだから、ぐわっと顔面が再熱した。

 これ絶対、見てたろう……、俺たちのやり取りを! どこからだよ⁉︎

「ルーシーさんどうしたんですか⁉︎」
「いや、旅の楽師が歌っていた悲恋が切なすぎただけだから、気にするな」

 慌ててルーシーに駆け寄ったサヤに、ギルが苦笑しつつ言い訳。ルーシーはそのままサヤの首に抱きついて「切なかっだんでずぅ!」と、本泣きに入った。
 そうしたら、どうしたの? なんでお姉ちゃん泣いてるの? と、孤児院の幼子らが、年上の子らに連れられ、ぞろぞろとやってきて……。

「お前たちこそどうしたんだ?」

 そっちは気にしなくて良いからと、ここに来た理由を聞いてみたところ……。

「あのね、ぼくらのお祝いにも、いろいろしてくれるでしょ」
「いままでそんなこと、なかったの」
「きょうもおまつり、いかせてくれた」
「おこずかいもくれたし」
「それにきょうは、サヤのおいわい」
「だからね、ことほぎを言いたかったの」
「サヤは、あたしたちの母様だからね」
「かあさまなんていうのはじめて!」

 少し恥ずかしそうにもじもじしつつ、口々にそう言って、中から男女一組が進み出てきた。
 一人は手に、秋桜の花を一輪持っており、もう一人は重ねた手の中に、何かを隠している。

「「わたしたちからです。せーの」」
「「「「「サヤかあさま、十八さい、おめでとうございます」」」」」

 皆で声を揃え、そう言い差し出されたのは、屋台で買ったのだろう、髪留め。
 皆で小遣いから、少しずつ出したのだろうか。年長者が頑張っていたのも、これのため?
 髪留めは確かに安価だけれど、この子らに渡した小遣いを思えば、買いたいもののひとつ、ふたつくらいは、我慢したはずだ。

「あのねっ、お仕事の時、使ってもらえたら嬉しいなって、選んだのよ」
「おしごとじゃなくてもいいよ」
「かあさまっていうのはずかしいね」
「サヤは母様より姉様くらいだもん」
「でも姉様より母様って呼ぶべきだってトゥーレとスティーンが言うから……」
「あっ、それ言っちゃダメって言ってたやつだろ!」

 そんなふうに言ってる間に、サヤは顔を伏せ、お面を外して、素早く涙を拭ってから子供たちを呼んだ。
 ありがとうと、一人ずつに言葉を添え、頭を撫でたり抱きしめたり……。子供たちはくすぐったそうにしていて、だけど嬉しいのだろう。いつの間にやらサッと列を作って、順番を待っていた。

「大きな子たちはどうしたの?」
「お仕事してるよ」
「やくわりぶんたんなの」
「かあさまってよべっていってたくせに、はずかしいっていってこないんだよ」

 筒抜けだな……。
 わきゃわきゃしてる子供達に一通り感謝を伝えたら、サヤはもらった髪留めを横髪に刺し、秋桜を受け取った。
 それを見て女の子らは更にキャッキャとはしゃぎ、男の子らはもじもじ度合いが増す。分かりやすい。

「ありがとうな……。
 じゃあまたお前たちも、祭りを楽しんでおいで。
 日が暮れるまでにちゃんと戻ってくるんだぞ」
「「「はーい!」」」

 そろいの生地を使った制服の一団が、ぞろぞろと部屋を出て行く。
 何して遊ぶー? お芋食べに行こうよ! と、そんな会話が聞こえてくるのを微笑ましく見送ってからギルが……。

「じゃあ俺たちからのはここに置いとくな」

 そう言って包みから取り出されたのは、大きめの花瓶。
 それが、ハインの手でいつの間にやら片付けられていた机の上に、ドンと置かれた。

「この一年も、お前にとって幸多からんことを。なんか困ったことがあったら、ちゃんと言えよ」
「あっ、私もです! サヤさん、この一年も仲良くしてくださいね!」

 涙を拭って笑顔を取り戻したルーシーがそう言っている間に、ハインが花瓶へ水差しの水を注いだ。そこにギルとルーシーが其々、四分咲きほどの蕾の秋桜コスモスを入れる。

「それじゃまた後でな」
「あら、早かったわねギル」
「おう」

 入れ替わりでヨルグがヘイスベルトと来て、サヤに寿ぎの言葉と、またもや秋桜をそれぞれ一本。
 ハインたち従者組も花を用意してくれていたらしく、更に三本追加され、クロード家族も訪れてくれた。

「我が家は中央広場に納めてまいりましたが、寿ぎだけは直接言いたいと、娘が」
「中央広場?」
「あちらも結構なことになっておりますよ」

 くすくす笑うセレイナとシルヴィが、サヤの両手を取り、窓辺に誘った。
 俺もそれについて行ったのだが……窓から広場を見下ろすと、料理を振る舞うための机ひとつひとつに、いつの間にやら、それぞれ大きな花瓶が置かれていた。
 そこにやはり同じく、大量の秋桜が活けられていたのだ。

 白色、黄色、桃色、橙色……色とりどり。まるで鞠のように沢山の花が、これでもかと活けてある。
 そしてその花瓶への花は、今もまだ増えていた……。料理を食べに来た者、子供の手を引いた母親など、広場に集った人々が花瓶に一輪ずつ、持参した秋桜を添えていくのだ……。

 こんな話、聞いていなかった……。
 両手で口元を覆ったサヤも、その光景に瞳を見開き、ただただ唖然とするばかり……。

「あっ、サヤさーん!」
「ほんとだっ! サヤちゃんおめでとうねーっ!」

 そのうち、通りにいた見知った顔に発見されてしまい、おめでとうの大合唱をいただいて、顔を手で覆ったサヤはひとしきり涙をこぼしてから、手を振り返す。

「姉様おめでとう」
「おめでとうございます」

 セレイナ母娘にも言祝ぎの言葉をもらった。

「では、また夕食時になったら参りますので、ゆっくりなさってください」

 お茶を入れ、切り分けた鹿の蒸し焼きを皿に盛り付けたハインが、それだけ言って、皆を部屋の外に促して、また俺たちは二人きり。

 嬉し涙の止まらないサヤの隣で、触れられないけれど、幸せな気持ちで、皆の優しさに感謝した。
 それからも入れ替わり立ち替わり、色々な人が花を届けてくれ、たまに細やかな祝いの品が届けられる。

 サプライズか……悪くない。

「俺たち幸せ者だよな」
「うん……」

 触れられないけど、二人でいる心地よさの中、長椅子に座って。
 俺たちはたまに言葉を交わしながら、外の喧騒に耳を傾け、和やかな時間を過ごした。
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