異界娘に恋をしたら運命が変わった男の話〜不幸の吹き溜り、薄幸の美姫と言われていた俺が、英雄と呼ばれ、幸運の女神と結ばれて幸せを掴むまで〜

春紫苑

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終幕 6

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「全く身に覚えがない」

 堂々と宣言したホライエン伯爵様に、俺は静かにそう答えた。
 だいたい、フェルドナレンの中でも南に位置するここから、北の荒野の更に先にあるスヴェトランまで、どれだけ距離があると思っているのか……。
 無茶にも程がある訴え。なのにホライエン伯爵様は自信を持った態度。

「しらばっくれても無駄だ。
 我が領内で発見された、スヴェトランとの密会。潜伏先の調査でセイバーンの出荷情報と共に、其方の悪事の確固たる証拠を得ていた。
 その確信を、昨日掴んだのだ。もう言い逃れはできぬと心得よ!」

 証拠? 昨日?

 嫌な予感は更に強まった……。
 昨日得た証拠というものが、獣人に襲われたと言うあの事件のことと思えたからだ。
 この状況的に、あれは俺を呼び出すための口実であった可能性が高い……。伯爵家からの騎士団派遣要請ならば、俺が自ら指揮を取り、出ることとなったろう。
 だが、積荷を奪われたのみ、しかもたった一人の獣人を相手にそれはやり過ぎだ。
 ジークもそう思ったから、自ら出向いて確認をした上で、騎士の派遣が必要かどうかを検討するとしたのだ。
 なのに。
 そのジークを拘束し、武装した集団を引き連れてここに来ている……。

「では、その証拠を示していただきたい」

 気持ちは揺さぶられていたけれど、冷静な態度を崩してはならないと、静かにそう告げた。
 動揺を見せない俺の様子に、ホライエン伯爵様は少し虚を削がれたような表情となり、視線をチラリと横に向ける。
 そこには誰も立っていなかったけれど……ずっと後方、橋の向こうに、正装で立つ大司教様の姿。

 大司教様を伺った……?

 神殿に、証拠の提示許可を伺ったような動きだ。
 そう思った時、ただ立つのみだった大司教様が、更に後方に向けて合図を送るのが見えた。
 すると、少しの間があり、神殿騎士団の一部が動く……。

 武装した男たちをかき分けて、前に出てきたのは…………。

 あの、侍祭殿だった。
 ごく薄い灰髪が、陽の光を浴びで白く輝き、翡翠の珠のような瞳が長い睫毛で半分隠されている……。
 武装した男性の間から現れた、華奢な女性は、このような状況でありながらどこか、神秘的に見えた。
 けれどその表情は、とても険しい……。
 手に持つ盆……その上に、絹布を掛けて置かれているそれ……を、持つことが、嫌で嫌でたまらないという思考が、隠されもせず晒されている……。

 盆…………。
 そこの上にあるのは、小ぶりな水瓜すいか程度の大きさのものだ。
 進み出て来た侍祭殿が近付いてくるにつれ、その手元が小さく震えていることが見てとれ、俺に近付くことへの恐怖心ゆえなのか、手に持つ盆に乗せられたもののためか……それが判断できず、少し思考が迷走する……。

 すると急に、俺の後方に控えていたハインがザッと前に進み出て来て、俺を背に庇う様子を見せた。

「ハイン、下がれ」
「いけません」
「下がれ」
「レイシール様!」

 少し焦ったハインの声と、やはり苦痛に耐えるような、表情……。
 そして、その表情の歪みの理由が分かったのは、なんとも異様な匂いを、感じた時だった……。

 腐敗臭……? いや、少し違う……が、似た匂いは知っていた。
 越冬中には、辟易するほど嗅ぐことになる匂いだったから……。

 大型の家畜を屠殺した時……一度には食べきれないから、保存のため大量の塩に漬け込む。
 水分を吸った塩は溶けて流れ、腐敗した肉ごと落ちていく。
 その匂いに近い……。
 獣人であるハインはいち早くこの匂いを感じたのだと分かった。

 証拠を示すようにと言い、持ち出されて来たのがこの匂い……だと?
 すると今度はシザーまでもが、俺の前に。

「シザー」

 制止を掛けるが、返事は返らない……。彼もやはり、この匂いを警戒したようだった。
 そしてそれ以上に、表情が……。

「レイ様……塩漬けの匂い……」

 声を、発した…………?

 掠れ、低い声……。彼はこれを殆ど発さない。年に数度あるかどうかの特別なこと……。
 シザーに言葉を口にすることを、決意させた匂い……。

「首。あれは、罪人の首の匂い」

 どくりと心臓が跳ねた。

 罪人の首の塩漬け。
 シザーがその匂いを知っているのは、彼にも衛兵であった前歴があるからだ。

 罪人に関わることが多い衛兵……。彼らは世の闇に触れることが職務だ。
 重罪人などだと、各地へ余罪が散らばっていたりもするため、首を保存し保管する必要があるのだが、その処置や準備を行うのは、もっぱら衛兵だ……。

 脳裏にマルがチラついた……。
 ホライエンの一連の事件……スヴェトランとの取り引き、まさか……マルじゃないよな?
 殺してしまえばなんとでも言える。例え正しくなくても……死人は言葉を発しない。

 アイルも、北で何か不測の事態が起こった可能性があると言っていた……。北……っ、マルが吠狼を伴い向かったのは、北か?

 何を見ても、何を聞かれても、預かり知らぬことと切り捨てろ。

 嫌だ。
 まさか、そんな……?

 進み出てきた侍祭殿は、アヴァロンに続く橋の途中で足を止めた。
 そして共に来ていた騎士の一人が、簡易の台座をそこに置き、更に盆は、その台座の上に置かれた。

「お改めください」

 侍祭殿の手が、絹布の先を少しだけ摘み、そのまま取り去る。

 そこに現れたのは……蓋付きの硝子瓶。
 そして中にあったのは、白い粒に覆われていたけれど、明らかに人の顔と分かるもの……。
 乾涸びしわくちゃになった、頭蓋と皮……。くり抜かれた眼窩にも白い粒が敷き詰められている……。
 ごわごわとした頭髪は赤茶色。雑に扱われたように跳ね回り、瓶の中で白の粒を纏わりつかせて渦巻いていた。

 息を呑んだのは、その人物の頭部……塩から突き出ていたものを、見慣れていたからだ。

「…………耳?」

 マルじゃない。
 獣の耳……あれは、獣人の首だ。

 動揺はあったけれど、マルの首ではないことにホッとし、けれど、吠狼の一人なのではないかという思考は働いた……。
 皺々に縮んでしまっているけれど……面影を探す。しかし、記憶にある色と顔は、重なることはなかった……。

「……申し訳ないが……全く記憶に無い人物だと言わざるを得ない」

 安堵を押し隠しそう言う。
 この人物を証拠だと言うならば、それは思い違いだと胸を張れる。
 しかし俺のその様子に、ホライエン伯爵様と……大司教様は、にんまりと笑った。

「ほう……この耳を見ても、驚かぬか。
 余程見慣れておるのだろうな、獣人を」
「っ⁉︎ それは、誤解です。驚いておりますよ……。
 けれど、全く身に覚えのないことで、身に覚えもない人物を証拠として差し出されたこちらの心境を、察していただきたいものだ。
 私は今、獣人に驚いている場合ではないのですよ」

 咄嗟にそう言い返すと、そうだそうだ! と、俺の後方で声が上がった。
 慌てて振り返ると、街の住人たちの輪が、思いの外近くなっている……っ⁉︎

 彼らの瞳は全て門前に向き、ホライエン伯爵様方への敵意を滲ませていた……。
 こっ、こらっ、貴族相手にそういうことしては駄目だ!

「皆、ここは良いから仕事に戻りなさいっ、騒いで申し訳ないが、お前たちを煩わせるものじゃない!」

 思いの外大ごとになってしまっている状況に、慌ててそう声を上げたが、方々から不満の声。

「だけどレイ様をあんなふうに言われて、黙ってられるかってんだ!」
「国賊ってどういうことだいっ、こんなに国に尽くしてる人が、どこにいるって言うのさっ⁉︎」
「そうだっ、うちの領主様をまるで罪人扱いじゃねぇかっ」
「ジークさんを離せ!」
「だいたい連日、迷惑千万だってんだ!」
「陛下をお助けとはどういうことだよ。陛下は離宮建設に赴かれているんだ、掻っ攫おうとしてるのはそっちじゃないか!」

 次々に上がる怒りの声。
 それで住人の彼らにも、かなりの鬱憤が溜まっていたのだということに、今更気付いた。
 どうやら、街の中にも何かしら、噂が広まっていたようだ……。
 そこは全く想定していなかったから、対処も何もできていない。

「良いからっ! きっと色々事情があるのだし、誤解だと理解していただく。
 お前たちは仕事に戻りなさい!」
「武装して来てる奴らだよ⁉︎」
「レイ様の細腕じゃ太刀打ちできないだろ」

 ………………俺って、そんなに軟弱そうに見えるの……?
 ちょっとそれはそれで……もの凄く傷付くことなんだけども……。

 いやっ、今はそんなことで心を削られている場合ではない。
 とにかく、貴族に喧嘩売るのは止めて、それはほんと、危険だから!

「騎士や衛兵だけじゃないよ。あたしたちだっているんだからね!」
「こっちに喧嘩売る時はアヴァロン全体を敵に回すんだからな!
 アヴァロンだけじゃねぇ……ここに来た職人は皆が同じ思いよ、国中にいる職人が、黙ってねぇかんなっ!」

 どうにも収まらない怒りの声。
 そこでようやっと駆けつけてきた衛兵らが、慌てて住人を抑えようと向かっていく。
 その中にトゥーレの姿を見た気がした。

 よ、良かった……。
 とりあえず、誤解を解いて、この件もなんとか有耶無耶にしてもらえるよう、頑張らねば……。
 何人も職人を処罰されたらたまらないし、他領からお預かりしている職人も多い、絶対に大ごとにできない……っ。

「ほう……なんとも小狡い男よ。住人までもを欺いておるのだからな」

 しかし、俺のその決意を折る、ホライエン伯爵様の、嘲笑が滲み出た声……。
 あらためて向き直ると、嘲りを込めた視線が、小揺るぎもせず俺を見ていた。

 どこまでも自信に満ちたその態度……。
 示した証拠を俺が否定しても、揺るがない……。

 まだ、何かを持っているのか?

 まるで、台本のある舞台を演じさせられているみたいな感覚だ……。
 いや、あながち外れてはいない気がする……。これは、誰かの用意した舞台、そして演目なのだと思う。
 ならば、この先にあるものは何だ……。

 つい不快感を表情にこぼすと、ホライエン伯爵様は更に深く笑った。
 もう一度、言葉を尽くして話し合うつもりでいたけれど、何とも心を折られる態度。
 萎えそうになる気力を、奮い立たせた時だ。

「そこまでだ」

 ここで聞くはずのない声が、また後方で上がった。
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