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開戦 11
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「許す? あなたは今、自分がどのような状況に置かれているのか分かっておられない?」
冷笑を浮かべて執事長が言うと、周りを取り囲んでいた兵らが包囲の輪を少し縮めた。
武装した者たちが、十重二十重に俺たちを取り巻いている。
「私が一声行けと言うだけで、貴方は身体中を切り刻まれて、血を噴き出して、来世に旅立つことになるのに」
「お前たちこそ……本当に分かっていないのか?」
そう返した俺に、ピクリと執事長の目元が反応する。
虚勢を張っていても、お前が俺たちを恐れているのは、充分見えているんだよ……。
だから、それを思う存分煽って利用してやろう。
お前たちの得意とする方法で、お前たちを追い詰めてやろう。
サヤの名を知っているはずなのに、そう呼ばないこの男。彼らにサヤを渡せば、彼女がどんな仕打ちを受けることになるか……。
それを考えただけで、もう無かったはずの力が漲る気がした。
どこからだって引っ張り出すさ、動くための動力を。命だって燃やしてやるとも。
サヤに手を出そうとしたことを、後悔させてやる。
「お前は、神殿の有利を疑っていないようだが、何故そう思える。ここに、俺がいるというのに」
たった今向けられた表情を真似て冷笑を浮かべてみせると、口元を笑みの形に引き攣らせた執事長は、俺の言葉を笑い飛ばせず、瞳に動揺を見せた。
けれど瞬時に、それを振り捨てる。こんなものはハッタリだと。
分かるよ……。散々俺に振り回されたと言いながら、それでも尚お前にとっての俺は、幼く弱い子供のままなのだろう?
妾の子として、俺が今世に産まれ落ちた瞬間から知っている。ただ震え、耐え、蝕まれながらも状況にしがみついていることしかできなかった幼い頃を、ずっと長く見てきたのだものな。
だから、本質的な俺は、あれなんだと思っている。
変わったのじゃない。俺が得たものが特別であったから、俺が大きく見えているだけだと。
渡人という虎の威を借りて、特別になれただけなのだと。
そう思ったからこそお前は、その特別であるサヤが欲しいんだ。
その特別が、自分が存在する時代に現れた幸運を、簡単に諦めたくないんだ。
ありがとう。お前のその欲が、神殿が一枚岩ではないことを教えてくれた。お前とアレクとの関係も。
アレクを凌ぐために力が欲しい。アレクの裏をかきたい。あの若造に、これ以上の権力を握らせたくない……。
「お前たちは、陛下を見くびっているよ。
彼の方が、俺やサヤがどういった人間かを把握せずに使っていたと、本気で思っていたのか?」
お前が俺を知るように、俺だってお前を知っている。
ずっと顔色を伺って過ごしてきたんだ。
あの苦しかった時間も、今は感謝しているよ。お前を知るための貴重な時間だったんだから。
「お前たちの計画は、既に破綻しているんだよ。
神殿はもう、国に正しく敵と認識されている。お前たちがスヴェトランと内通していたことも、陛下は把握なさっている。
先程、どうして俺がここにいるのかと言ったな?
それはお前たちが、山脈を越えて荒野から入ることを知っていたからに決まっている。
獣人を使って、大災厄を演出する。そんな算段を立てていると、理解していたからに決まっているだろう?
アヴァロンでの一連は、このための下準備だったんだよ。
俺がお前たちの策謀に弄ばれ、陛下の下を去ったと見せた方が、お前たちは油断するものな」
勿論、俺の言ったことは憶測と出まかせばかりだったけれど、今ここで、それを真偽する術は無い。
スヴェトランから山脈を越えてきたならば、その間の情報は得られていないだろうしな。
それに推測も、あながち外れてはいないだろう? ジェスルと名乗りセイバーンに居たお前が、スヴェトラン兵と獣人を従えてここにいる。それがそのまま、俺の憶測の裏付けになってくれているものな。
「荒野の村や町にも、陛下はもう手を打っておられる。
お前たちの算段は悉く潰されているだろう。狩猟民らが決起することもない……。
わざわざ山脈を越えてきたというのに、その手間は全て無駄だったな」
俺の言葉に瞳を見開き、唖然と口を開いていた執事長は、惚けたように固まった。
ここだけでなく、荒野中に手を打ってあると言ったことに、動揺したのだろう。
その反応が、俺の推測が正しかったと教えてくれた。
やはり、東や西にも、別の経路を使い山脈越えが決行されているのだろう。
ジェイドやオーキスが上手くことを運んでくれていれば良いのだけど……。
内心ではそう思っていたが、彼らがきちんと役割を果たしてくれたとしても、俺がここを切り抜けなければ、全て無駄になる。
これで諦めて、投降してくれれば良いのだけど……。
「……ふっ、それを我々が信じるとお思いで?」
勿論、そうはならないよな……。
動揺と混乱はあるものの、はったりである可能性も充分高い。
そう考えたろう執事長は、俺にこれ以上を話させないという選択をしたようだ。
彼が右手を上げると、周りを取り囲んでいた兵らも身構える。
「我々の策謀にはまったふりをした。ほう……それでその右腕を失ったというのは、些か大きな代償でしたね」
あざけるように表情を歪めた執事長。
ずっと外套で覆って隠したままの右腕。
こちらを晒せないのは、失った右手を隠すためだと思っているのだろう。
その指摘に、シザーの肩にもグッと力が篭る。
「面白いお話をありがとうございます。余興としては充分楽しめましたが……些か腹立たしい内容でしたね。
これ以上は聞くに耐えないので、そろそろ黙っていただきましょう」
さっさとここを片付けて、隠れ里と渡人を確保して、虚構と事実はそれから確認すれば良い。
万が一そのようなことであったにしても、渡人さえ確保できれば、巻き返しも考えられるというもの。
そもそもが、気に食わないあの男の計画だ。これに全面的に賛成したわけではない。失敗しているならばそれで、あれの計画を中止させる切っ掛けにすれば良い……。
執事長の瞳が、俺の命を狩るという結論を示した。
だから外套の紐を口に咥えて、左手には懐から、小刀を一本取り出してみせる。
館の襲撃で、俺が投擲を得意としていることは知られているだろう。左手で短剣を扱えるようになっていることも、もう知っていると考えた方が良い。
だが……。
「抵抗するのですか? ならばせいぜい、足掻いてください。
ほんの数秒くらいならば、長らえられるかもしれませんので」
二頭の狼が、俺たちを取り囲むように身を寄せた。
背を借りていたウォルテールも、鼻に皺を寄せて、喉の奥で唸るような声をあげる。
「谷までなんとしても、行くぞ」
紐を噛んだままのくぐもった小声でそう言うと、こくりと頷いたシザー。背後の姉妹も身構えたのが分かる。
「殺れ」
声と共に手が振り下ろされ、周りが動き出す。それと同時に振り向きざまに紐を引きつつ、姉妹の先にいた一人の喉に、俺は小刀を放った。
多少は休憩できた。動ける。
飛び出したウォルテールの背後を追って足を踏み出すと、外套が重みで、肩からずるりと落ちた。
そうして露わになった右腕を振り上げると同時に、左腕は胸の小刀へ伸ばす。
さぁ、俺の剣を、味わってもらおうか。
冷笑を浮かべて執事長が言うと、周りを取り囲んでいた兵らが包囲の輪を少し縮めた。
武装した者たちが、十重二十重に俺たちを取り巻いている。
「私が一声行けと言うだけで、貴方は身体中を切り刻まれて、血を噴き出して、来世に旅立つことになるのに」
「お前たちこそ……本当に分かっていないのか?」
そう返した俺に、ピクリと執事長の目元が反応する。
虚勢を張っていても、お前が俺たちを恐れているのは、充分見えているんだよ……。
だから、それを思う存分煽って利用してやろう。
お前たちの得意とする方法で、お前たちを追い詰めてやろう。
サヤの名を知っているはずなのに、そう呼ばないこの男。彼らにサヤを渡せば、彼女がどんな仕打ちを受けることになるか……。
それを考えただけで、もう無かったはずの力が漲る気がした。
どこからだって引っ張り出すさ、動くための動力を。命だって燃やしてやるとも。
サヤに手を出そうとしたことを、後悔させてやる。
「お前は、神殿の有利を疑っていないようだが、何故そう思える。ここに、俺がいるというのに」
たった今向けられた表情を真似て冷笑を浮かべてみせると、口元を笑みの形に引き攣らせた執事長は、俺の言葉を笑い飛ばせず、瞳に動揺を見せた。
けれど瞬時に、それを振り捨てる。こんなものはハッタリだと。
分かるよ……。散々俺に振り回されたと言いながら、それでも尚お前にとっての俺は、幼く弱い子供のままなのだろう?
妾の子として、俺が今世に産まれ落ちた瞬間から知っている。ただ震え、耐え、蝕まれながらも状況にしがみついていることしかできなかった幼い頃を、ずっと長く見てきたのだものな。
だから、本質的な俺は、あれなんだと思っている。
変わったのじゃない。俺が得たものが特別であったから、俺が大きく見えているだけだと。
渡人という虎の威を借りて、特別になれただけなのだと。
そう思ったからこそお前は、その特別であるサヤが欲しいんだ。
その特別が、自分が存在する時代に現れた幸運を、簡単に諦めたくないんだ。
ありがとう。お前のその欲が、神殿が一枚岩ではないことを教えてくれた。お前とアレクとの関係も。
アレクを凌ぐために力が欲しい。アレクの裏をかきたい。あの若造に、これ以上の権力を握らせたくない……。
「お前たちは、陛下を見くびっているよ。
彼の方が、俺やサヤがどういった人間かを把握せずに使っていたと、本気で思っていたのか?」
お前が俺を知るように、俺だってお前を知っている。
ずっと顔色を伺って過ごしてきたんだ。
あの苦しかった時間も、今は感謝しているよ。お前を知るための貴重な時間だったんだから。
「お前たちの計画は、既に破綻しているんだよ。
神殿はもう、国に正しく敵と認識されている。お前たちがスヴェトランと内通していたことも、陛下は把握なさっている。
先程、どうして俺がここにいるのかと言ったな?
それはお前たちが、山脈を越えて荒野から入ることを知っていたからに決まっている。
獣人を使って、大災厄を演出する。そんな算段を立てていると、理解していたからに決まっているだろう?
アヴァロンでの一連は、このための下準備だったんだよ。
俺がお前たちの策謀に弄ばれ、陛下の下を去ったと見せた方が、お前たちは油断するものな」
勿論、俺の言ったことは憶測と出まかせばかりだったけれど、今ここで、それを真偽する術は無い。
スヴェトランから山脈を越えてきたならば、その間の情報は得られていないだろうしな。
それに推測も、あながち外れてはいないだろう? ジェスルと名乗りセイバーンに居たお前が、スヴェトラン兵と獣人を従えてここにいる。それがそのまま、俺の憶測の裏付けになってくれているものな。
「荒野の村や町にも、陛下はもう手を打っておられる。
お前たちの算段は悉く潰されているだろう。狩猟民らが決起することもない……。
わざわざ山脈を越えてきたというのに、その手間は全て無駄だったな」
俺の言葉に瞳を見開き、唖然と口を開いていた執事長は、惚けたように固まった。
ここだけでなく、荒野中に手を打ってあると言ったことに、動揺したのだろう。
その反応が、俺の推測が正しかったと教えてくれた。
やはり、東や西にも、別の経路を使い山脈越えが決行されているのだろう。
ジェイドやオーキスが上手くことを運んでくれていれば良いのだけど……。
内心ではそう思っていたが、彼らがきちんと役割を果たしてくれたとしても、俺がここを切り抜けなければ、全て無駄になる。
これで諦めて、投降してくれれば良いのだけど……。
「……ふっ、それを我々が信じるとお思いで?」
勿論、そうはならないよな……。
動揺と混乱はあるものの、はったりである可能性も充分高い。
そう考えたろう執事長は、俺にこれ以上を話させないという選択をしたようだ。
彼が右手を上げると、周りを取り囲んでいた兵らも身構える。
「我々の策謀にはまったふりをした。ほう……それでその右腕を失ったというのは、些か大きな代償でしたね」
あざけるように表情を歪めた執事長。
ずっと外套で覆って隠したままの右腕。
こちらを晒せないのは、失った右手を隠すためだと思っているのだろう。
その指摘に、シザーの肩にもグッと力が篭る。
「面白いお話をありがとうございます。余興としては充分楽しめましたが……些か腹立たしい内容でしたね。
これ以上は聞くに耐えないので、そろそろ黙っていただきましょう」
さっさとここを片付けて、隠れ里と渡人を確保して、虚構と事実はそれから確認すれば良い。
万が一そのようなことであったにしても、渡人さえ確保できれば、巻き返しも考えられるというもの。
そもそもが、気に食わないあの男の計画だ。これに全面的に賛成したわけではない。失敗しているならばそれで、あれの計画を中止させる切っ掛けにすれば良い……。
執事長の瞳が、俺の命を狩るという結論を示した。
だから外套の紐を口に咥えて、左手には懐から、小刀を一本取り出してみせる。
館の襲撃で、俺が投擲を得意としていることは知られているだろう。左手で短剣を扱えるようになっていることも、もう知っていると考えた方が良い。
だが……。
「抵抗するのですか? ならばせいぜい、足掻いてください。
ほんの数秒くらいならば、長らえられるかもしれませんので」
二頭の狼が、俺たちを取り囲むように身を寄せた。
背を借りていたウォルテールも、鼻に皺を寄せて、喉の奥で唸るような声をあげる。
「谷までなんとしても、行くぞ」
紐を噛んだままのくぐもった小声でそう言うと、こくりと頷いたシザー。背後の姉妹も身構えたのが分かる。
「殺れ」
声と共に手が振り下ろされ、周りが動き出す。それと同時に振り向きざまに紐を引きつつ、姉妹の先にいた一人の喉に、俺は小刀を放った。
多少は休憩できた。動ける。
飛び出したウォルテールの背後を追って足を踏み出すと、外套が重みで、肩からずるりと落ちた。
そうして露わになった右腕を振り上げると同時に、左腕は胸の小刀へ伸ばす。
さぁ、俺の剣を、味わってもらおうか。
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