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後日談
職を辞す 2
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「……今、なんて言った?」
「従者を辞すと、申しました」
越冬直前のとある日、私はレイシール様にその決意を伝えました。
オゼロより戻ってひと月弱、色々と模索しておりましたが、やはりこの結論を覆すことはできなかったのです。
本日はギルも訪れており、越冬の間にバート商会の研究所をアヴァロンに纏めたいという旨の話をレイシール様と進めておりました。
二人が揃っているので丁度良いと思い、区切りがついたところでこの話を伝えさせていただいたのです。
片脚で歩むためには杖が必要で、杖をつけば残る手が塞がります。
片眼も見えませんから、死角も大きく気付くべきことにも気付けない……。
これではなんのお役にも立てません。
「自身の身の回りのことすら思うようにならぬ状態で、職務の遂行は困難と判断しました」
ギルと、控えていたウォルテールが瞳を最大限に見開き、私を凝視して固まっております。
そんなに驚くことではないでしょうに……。私の状態を考えれば、分かりきっていたことなのですから。
従者は主の手足となり、盾となれなければいけません。
けれど私はもう、そのどれにもなれないのです。
ここに残っている意味など、無いではないですか。
「今日までそれでも何かしらお役目を果たせるのではと模索しておりましたが、やはりそれも難しく……。
ですので、職を辞すお許しをーー」
「駄目だ‼︎」
怒りに満ちた声が、私の言葉を遮りました。
滅多に声を荒げたりしないレイシール様の剣幕に、執務室にいた他の面々が驚き顔を上げ、こちらを見る気配を背中に感じます。
視界の端で、慌てて立ち上がったサヤ様が部屋を飛び出していくのが見えました。それをメイフェイアが追いかけていきます。
その足音が遠去かると、部屋はしんと静まり返りました。
そこにレイシール様がもう一度、念を押すように拒否の言葉を重ねてきました。
「駄目だ。それは許さない」
…………貴方はそう言うと分かっておりましたとも。
ですが、今後のセイバーンに私という者は不要です。使い道が無い者は、処分を考える。それも獣人の主として必要なことなのですよ。
「……許されない意味が理解できません。役に立たぬ者を傍に置くのは非効率です」
「効率の話なんかどうだって良い!」
「良くありません。職場の秩序を乱しますし、他の者にも示しがつきません」
「お前はっ! 俺を庇ってその身体になったんだ!」
「それがなんだと言うのです。だからそれに報いるために使えもしない者を雇用し続けると?
事情を知らぬ新しく入る者らには分からぬことですし、このような役立たずを侍らせ重用しておくことは、貴方の醜聞にも繋がります」
「言わせたい奴には言わせておけば良い!」
「良くありません。貴方は立場ある身です。皆の生活も背負っているのです。
私を獣人への同情心を煽るための看板としてご所望なのだとしても、人にしか見えない私ではやはり役不足でーー」
執務机をバン!と、叩きつけて立ち上がったレイシール様は、そのまま左手を私の胸元へ。
衣服を掴まれ強引に引かれて、片脚しか無い私はぐらりと身を傾けました。それを見たギルが慌てて腕を伸ばし、私を支えます。
「…………いちいちわざと、俺を怒らせる言葉選びをするな」
私の襟元から手を離したレイシール様が、怒りと悲しみに歪めた表情で、私を睨み絞り出したのは、そのような苦しい掠れ声。
勿論、貴方は私のことをそんな風には考えていないと承知しておりますが、こうでもしなければ貴方は無駄に足掻くでしょう?
「私は間違ったことを言っておりますか?」
私は片眼は失いましたが、耳は両方残っているのです。
ですから、色々拾いますよ。私を気味悪く思う方は当然多いですし、死んでもおかしくない怪我で生き残っているのは、悪魔の使徒であるからかもしれないと、まだそんな風に嘯く者もいるのだと。
私を未だに傍に置くことを、仕事をせぬ者に高待遇すぎる。獣人贔屓だと揶揄する声も。
貴方が私の耳に、それを入れぬよう苦慮していることも……。
人と獣人という、今まで反目していた我々が共にいる場なのですから、小さなことを大きく言う輩は当然出るでしょう。
けれど越冬を前に、これを放置してはいけません。
今は小さな傷でも、雪に閉ざされる冬の間に、軽視できぬ問題になる可能性もございます。
私がいることがこの場の為にはならず、レイシール様に私を切る気がないから、自ら動くのです。
「もう私に従者は勤まりません。それは今日までの日々で、充分お分かりでしょう」
そう言えば返す言葉がなく、レイシール様は口を閉ざして視線を逸らしました。
実際にそれは感じていたのでしょう。けれど口にできなかった。私を切り捨てられなかった。
大丈夫。貴方に仕えたいと考える獣人はいくらでもおります。
傍に置くならば、使える者を置いてください。獣人の主として正しく振る舞っていただきたいのです。
貴方は今、人と獣人を繋ぐ唯一の歯車。規則正しく回らねばなりませんし、そこに使えぬ歯車は必要無いのです。
「役にも立たぬのに、ここにいることは私にとっても苦痛です」
そう言うと、傷付いたように眉が下がりました。
この言葉を私に言わせてしまったことが苦しい顔。
……それでも、言うべきことだから言っているのだと、ご理解ください。
「長らくお世話になりました」
「俺はお前に命じたはずだよな、盾の襟飾を渡した時に、俺の従者であり続けろって!」
「残念ながらそのお約束は無効でお願いします。
私はもう、その盾を所持しておりませんし……」
去年のあの日に失いました。本来ならお返しすべきですが、それも叶わず残念です。
そしてもう私は、新たなものを受け取れはしません。その襟飾ひとつすら、自ら身に付けることができないので。
「ですが誓い通り、私の魂はこれからも貴方のものですし、一生、この残った血肉も全て、貴方に捧げる。そのことに変わりはございません」
こんな身になった私が貴方に残せるものは、限られる。
「明日より、ウォルテールに職務の引き継ぎを行ない、越冬中に、彼を一人前の従者に育てます。
それを私の最後の職務といたしましょう。
獣人の従者は、やはり人と同じではございませんから……」
彼がいてくれて良かった。
私の経験を彼に引き継げば、きっと今後も、従者を目指す獣人らに活かすことができるでしょう。
そして彼らがこの方を守ってくれる。
越冬中に、春からの私の身の振り方も、考えなければなりませんね……。
「俺は許可してない!」
それでも尚、レイシール様は引き下がりませんでした。
どうせ何を言おうと、受け入れてはもらえないと分かっておりましたとも。
ですが私は貴方の従者ですから、主の過ちは正さなければならない。本能よりも、主の命と名誉が重要なのです。
そこにパタパタと、サヤ様が走って戻られました。
だいぶん離れた場所まで行かれたのか、この方が少々息を弾ませております。
腕に何やら布の塊等、大きなものを抱えておりました。
「あのっ、ハインさん、実は……」
この方も、私を繋ぎ止めようとしている……。
「いえ、結構です。もう話はつきましたから」
そう言うと、衝撃を受けたように表情を強張らせ、次にくしゃりと歪めてしまいました。
今にも涙を溢し始めてしまいそうだったので「引き継ぎがありますので、メイフェイアをお借りいたします」と、言葉をたたみかけて視線を逸らし、ウォルテールにも声を掛けました。
「まずは打ち合わせをしましょう」
「ハイン‼︎」
「現実を見てください。まさか、領主としての責務をお忘れではないでしょう?」
私を特別にして良いはずがない。
小を捨てて大に就くのが貴方の役割です。
「もし私に、最後の使い道ができた時は、おっしゃってください」
どんな道でも従いましょう。
それが私にできる、最後の奉仕です。
「従者を辞すと、申しました」
越冬直前のとある日、私はレイシール様にその決意を伝えました。
オゼロより戻ってひと月弱、色々と模索しておりましたが、やはりこの結論を覆すことはできなかったのです。
本日はギルも訪れており、越冬の間にバート商会の研究所をアヴァロンに纏めたいという旨の話をレイシール様と進めておりました。
二人が揃っているので丁度良いと思い、区切りがついたところでこの話を伝えさせていただいたのです。
片脚で歩むためには杖が必要で、杖をつけば残る手が塞がります。
片眼も見えませんから、死角も大きく気付くべきことにも気付けない……。
これではなんのお役にも立てません。
「自身の身の回りのことすら思うようにならぬ状態で、職務の遂行は困難と判断しました」
ギルと、控えていたウォルテールが瞳を最大限に見開き、私を凝視して固まっております。
そんなに驚くことではないでしょうに……。私の状態を考えれば、分かりきっていたことなのですから。
従者は主の手足となり、盾となれなければいけません。
けれど私はもう、そのどれにもなれないのです。
ここに残っている意味など、無いではないですか。
「今日までそれでも何かしらお役目を果たせるのではと模索しておりましたが、やはりそれも難しく……。
ですので、職を辞すお許しをーー」
「駄目だ‼︎」
怒りに満ちた声が、私の言葉を遮りました。
滅多に声を荒げたりしないレイシール様の剣幕に、執務室にいた他の面々が驚き顔を上げ、こちらを見る気配を背中に感じます。
視界の端で、慌てて立ち上がったサヤ様が部屋を飛び出していくのが見えました。それをメイフェイアが追いかけていきます。
その足音が遠去かると、部屋はしんと静まり返りました。
そこにレイシール様がもう一度、念を押すように拒否の言葉を重ねてきました。
「駄目だ。それは許さない」
…………貴方はそう言うと分かっておりましたとも。
ですが、今後のセイバーンに私という者は不要です。使い道が無い者は、処分を考える。それも獣人の主として必要なことなのですよ。
「……許されない意味が理解できません。役に立たぬ者を傍に置くのは非効率です」
「効率の話なんかどうだって良い!」
「良くありません。職場の秩序を乱しますし、他の者にも示しがつきません」
「お前はっ! 俺を庇ってその身体になったんだ!」
「それがなんだと言うのです。だからそれに報いるために使えもしない者を雇用し続けると?
事情を知らぬ新しく入る者らには分からぬことですし、このような役立たずを侍らせ重用しておくことは、貴方の醜聞にも繋がります」
「言わせたい奴には言わせておけば良い!」
「良くありません。貴方は立場ある身です。皆の生活も背負っているのです。
私を獣人への同情心を煽るための看板としてご所望なのだとしても、人にしか見えない私ではやはり役不足でーー」
執務机をバン!と、叩きつけて立ち上がったレイシール様は、そのまま左手を私の胸元へ。
衣服を掴まれ強引に引かれて、片脚しか無い私はぐらりと身を傾けました。それを見たギルが慌てて腕を伸ばし、私を支えます。
「…………いちいちわざと、俺を怒らせる言葉選びをするな」
私の襟元から手を離したレイシール様が、怒りと悲しみに歪めた表情で、私を睨み絞り出したのは、そのような苦しい掠れ声。
勿論、貴方は私のことをそんな風には考えていないと承知しておりますが、こうでもしなければ貴方は無駄に足掻くでしょう?
「私は間違ったことを言っておりますか?」
私は片眼は失いましたが、耳は両方残っているのです。
ですから、色々拾いますよ。私を気味悪く思う方は当然多いですし、死んでもおかしくない怪我で生き残っているのは、悪魔の使徒であるからかもしれないと、まだそんな風に嘯く者もいるのだと。
私を未だに傍に置くことを、仕事をせぬ者に高待遇すぎる。獣人贔屓だと揶揄する声も。
貴方が私の耳に、それを入れぬよう苦慮していることも……。
人と獣人という、今まで反目していた我々が共にいる場なのですから、小さなことを大きく言う輩は当然出るでしょう。
けれど越冬を前に、これを放置してはいけません。
今は小さな傷でも、雪に閉ざされる冬の間に、軽視できぬ問題になる可能性もございます。
私がいることがこの場の為にはならず、レイシール様に私を切る気がないから、自ら動くのです。
「もう私に従者は勤まりません。それは今日までの日々で、充分お分かりでしょう」
そう言えば返す言葉がなく、レイシール様は口を閉ざして視線を逸らしました。
実際にそれは感じていたのでしょう。けれど口にできなかった。私を切り捨てられなかった。
大丈夫。貴方に仕えたいと考える獣人はいくらでもおります。
傍に置くならば、使える者を置いてください。獣人の主として正しく振る舞っていただきたいのです。
貴方は今、人と獣人を繋ぐ唯一の歯車。規則正しく回らねばなりませんし、そこに使えぬ歯車は必要無いのです。
「役にも立たぬのに、ここにいることは私にとっても苦痛です」
そう言うと、傷付いたように眉が下がりました。
この言葉を私に言わせてしまったことが苦しい顔。
……それでも、言うべきことだから言っているのだと、ご理解ください。
「長らくお世話になりました」
「俺はお前に命じたはずだよな、盾の襟飾を渡した時に、俺の従者であり続けろって!」
「残念ながらそのお約束は無効でお願いします。
私はもう、その盾を所持しておりませんし……」
去年のあの日に失いました。本来ならお返しすべきですが、それも叶わず残念です。
そしてもう私は、新たなものを受け取れはしません。その襟飾ひとつすら、自ら身に付けることができないので。
「ですが誓い通り、私の魂はこれからも貴方のものですし、一生、この残った血肉も全て、貴方に捧げる。そのことに変わりはございません」
こんな身になった私が貴方に残せるものは、限られる。
「明日より、ウォルテールに職務の引き継ぎを行ない、越冬中に、彼を一人前の従者に育てます。
それを私の最後の職務といたしましょう。
獣人の従者は、やはり人と同じではございませんから……」
彼がいてくれて良かった。
私の経験を彼に引き継げば、きっと今後も、従者を目指す獣人らに活かすことができるでしょう。
そして彼らがこの方を守ってくれる。
越冬中に、春からの私の身の振り方も、考えなければなりませんね……。
「俺は許可してない!」
それでも尚、レイシール様は引き下がりませんでした。
どうせ何を言おうと、受け入れてはもらえないと分かっておりましたとも。
ですが私は貴方の従者ですから、主の過ちは正さなければならない。本能よりも、主の命と名誉が重要なのです。
そこにパタパタと、サヤ様が走って戻られました。
だいぶん離れた場所まで行かれたのか、この方が少々息を弾ませております。
腕に何やら布の塊等、大きなものを抱えておりました。
「あのっ、ハインさん、実は……」
この方も、私を繋ぎ止めようとしている……。
「いえ、結構です。もう話はつきましたから」
そう言うと、衝撃を受けたように表情を強張らせ、次にくしゃりと歪めてしまいました。
今にも涙を溢し始めてしまいそうだったので「引き継ぎがありますので、メイフェイアをお借りいたします」と、言葉をたたみかけて視線を逸らし、ウォルテールにも声を掛けました。
「まずは打ち合わせをしましょう」
「ハイン‼︎」
「現実を見てください。まさか、領主としての責務をお忘れではないでしょう?」
私を特別にして良いはずがない。
小を捨てて大に就くのが貴方の役割です。
「もし私に、最後の使い道ができた時は、おっしゃってください」
どんな道でも従いましょう。
それが私にできる、最後の奉仕です。
応援ありがとうございます!
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