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第3章
1.作戦開始
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エリシアは化粧台の前に座り、ターシャの手で顔中に化粧品を塗られていた。
「化粧の力ってすさまじいですね。新しい私があっという間に誕生しちゃった……」
驚いたことに、栄養状態が悪くて痩せていた頃より顔の彫りが深くなっている。くるんとカールしたまつげは驚くほど長く、頬に影を落としていた。目は生き生きとしていて、冗談抜きで二倍近く大きく見える。
唇に色鮮やかな口紅が塗られた。ずっと背後に佇んでいたアラスターが、満を持してといった風情で口を開く。
「よし。以前のエリシアの身体的特徴はどこにもないな。ようやく君を王宮に連れて帰る作戦が決行できる。今日からエリシアは隣国の皇女『エリー』だ」
「いやいやいや、いくらなんでも向こうみずな挑戦過ぎませんか?」
エリシアは背中に冷や汗をかいた。
「やはり私のような者を、そのまま王宮に入れるなんて絶対にできませんものね。別人に変身させてようやく実現できる、と。それはわかりますが、隣国の皇女って……」
「いけるいける。君、国中の視線を一身に浴びることには慣れてるだろう?」
アラスターがにっこりと微笑んだ。
もちろんエリシアは、人々から一挙手一投足を観察されることには慣れている。しかしそれは珍獣、あるいは害獣を見るような目を向けられることであって、貴人に向けられる視線と質が異なる。
「エリシアの身の安全は、なんとしても守らなければならない。メンケレン帝国からの賓客なら、僕と仲良くやっていても不自然じゃないからね。あそこは側妃が五人、愛妾が七人で、皇女に至っては数えきれないくらいいるから。皇太子のギャレットに頼んで、そのうちのひとりから名義を借りることにした。偶然、エリーって名前なんだよね」
「なんて都合のいい……。アラスター殿下と隣国の皇太子様って、仲が悪いんだと思ってました」
エリシアが言うと、アラスターは端整な顔にちょっとズルそうな表情を浮かべた。
「国同士としては長い年月対立している間柄だし、周囲には水と油だと思われているけど。実際の僕たちは親友だよ。王太子と皇太子が社交の場で火花を散らすと、なぜか令嬢たちが喜ぶもんだから、つい」
「楽しくなっちゃったわけですか……」
先日までエリシアが付添人をしていたラーラは、ガルブレイス王国の筆頭公爵家の令嬢として隣国の皇太子にも親切にしていた。有り体に言えば粉をかけていた。
「ラーラ嬢が僕を落とせなかったときの保険的な行動は、すべて筒抜けだったよ。僕もギャレットも、たとえ女性がラーラ嬢しか残っていなかったとしても、娶る気はないという点で一致している」
「そうですか……両天秤が上手く言ってると、あの人ほくそ笑んでたんですけど」
驚くべき事実に、エリシアは目を瞬いた。やはり王太子には、何の隠しごともできないらしい。
ラーラと縁を切ろうとした理由がわかった。しかし王太子妃になりたい女性は、まだまだたくさんいる。
「まとわりついてくる令嬢たちがめんどくさいから、僕は『皇女エリー』にすっかりのぼせあがっていることにする。他人なんてどうでもいい、という体で君と甘いムードに浸る」
「すみません、ちょっと何を言っているのかわかりません」
エリシアは「まてまて」と両手を前に出した。これまでとは違う意味で崖っぷちに立たされている人間になってしまった。
「私の身を守ることに、過剰なまでに気を配っていただけるのはありがたいのですが。私が皇女の演技をしたって、すぐに見破られますよぅ……」
「僕に恩を返すためには何でもすると誓ったのではなかったか? 僕はエリシアに……エリシアの研究に集中したいんだ。他の女は必要ない。君は賢くて才能もある。必要なことは、あっという間に習得できるさ」
この王太子、見た目は爽やかだがお腹の中は案外黒い。
「ううう……王宮で働いて生計を立てている女性はいっぱいいるのに。侍女とか下女とかお針子とか料理人とか」
「高貴な身分の方がプライバシーを尊重してもらえる。うちには王女がいないから、怪しい点は『皇女様だから天真爛漫』で突破できる」
「いっそエリシア・アージェント本人として乗り込むとか。冷たい視線にさらされるのはどんとこいですし」
「もちろんそれも考えた。僕だって、君の意に反してことを強いるような真似はしたくない。でも、しばらく『エリシア』と『エリー』を切り分けておきたいんだ」
アラスターが真面目な口調で言った。
エリシアは小首をかしげた。
「それは……『エリー』とは別に『エリシア』が存在するということですか? 分身の術を可能にする魔法ってありましたっけ」
「普通に影武者を立てるだけだよ」
アラスターがにやりとした。
「12歳の見習い女騎士を、君の身代わりとして森の隠れ家に行かせる。もちろんガッチガチに警護をつけて。彼女自身、信じられないくらい強いけどね。そうすることで、誰かが接触してくるか調べたいんだ」
「12歳……。シャレド様とローリック様の治療を受ける前の私って、そこまで小さかったんですね……」
改めて突き付けられると驚くというか傷つくというか。
エリシアが遠い目になると、アラスターは若干申し訳なさそうな表情になった。
「まあ、そこらへんはこっちに任せてくれ。別人になるというのは、案外素晴らしい経験だよ。これまで見えなかったものが見えてくる」
「はあ。不安しかありませんが……頑張るしかありませんね」
エリシアはうなずいた。百年前のアージェント家に謎があったのなら、解き明かすと誓ったのだ。それはあり得ないくらい大胆な行動をとって、ようやく実現することなのかもしれなかった。
「アラスター殿下は別人になった経験がおありになるんですか?」
ふと思いついて尋ねると、アラスターはふっと笑って「内緒」と答えた。
「化粧の力ってすさまじいですね。新しい私があっという間に誕生しちゃった……」
驚いたことに、栄養状態が悪くて痩せていた頃より顔の彫りが深くなっている。くるんとカールしたまつげは驚くほど長く、頬に影を落としていた。目は生き生きとしていて、冗談抜きで二倍近く大きく見える。
唇に色鮮やかな口紅が塗られた。ずっと背後に佇んでいたアラスターが、満を持してといった風情で口を開く。
「よし。以前のエリシアの身体的特徴はどこにもないな。ようやく君を王宮に連れて帰る作戦が決行できる。今日からエリシアは隣国の皇女『エリー』だ」
「いやいやいや、いくらなんでも向こうみずな挑戦過ぎませんか?」
エリシアは背中に冷や汗をかいた。
「やはり私のような者を、そのまま王宮に入れるなんて絶対にできませんものね。別人に変身させてようやく実現できる、と。それはわかりますが、隣国の皇女って……」
「いけるいける。君、国中の視線を一身に浴びることには慣れてるだろう?」
アラスターがにっこりと微笑んだ。
もちろんエリシアは、人々から一挙手一投足を観察されることには慣れている。しかしそれは珍獣、あるいは害獣を見るような目を向けられることであって、貴人に向けられる視線と質が異なる。
「エリシアの身の安全は、なんとしても守らなければならない。メンケレン帝国からの賓客なら、僕と仲良くやっていても不自然じゃないからね。あそこは側妃が五人、愛妾が七人で、皇女に至っては数えきれないくらいいるから。皇太子のギャレットに頼んで、そのうちのひとりから名義を借りることにした。偶然、エリーって名前なんだよね」
「なんて都合のいい……。アラスター殿下と隣国の皇太子様って、仲が悪いんだと思ってました」
エリシアが言うと、アラスターは端整な顔にちょっとズルそうな表情を浮かべた。
「国同士としては長い年月対立している間柄だし、周囲には水と油だと思われているけど。実際の僕たちは親友だよ。王太子と皇太子が社交の場で火花を散らすと、なぜか令嬢たちが喜ぶもんだから、つい」
「楽しくなっちゃったわけですか……」
先日までエリシアが付添人をしていたラーラは、ガルブレイス王国の筆頭公爵家の令嬢として隣国の皇太子にも親切にしていた。有り体に言えば粉をかけていた。
「ラーラ嬢が僕を落とせなかったときの保険的な行動は、すべて筒抜けだったよ。僕もギャレットも、たとえ女性がラーラ嬢しか残っていなかったとしても、娶る気はないという点で一致している」
「そうですか……両天秤が上手く言ってると、あの人ほくそ笑んでたんですけど」
驚くべき事実に、エリシアは目を瞬いた。やはり王太子には、何の隠しごともできないらしい。
ラーラと縁を切ろうとした理由がわかった。しかし王太子妃になりたい女性は、まだまだたくさんいる。
「まとわりついてくる令嬢たちがめんどくさいから、僕は『皇女エリー』にすっかりのぼせあがっていることにする。他人なんてどうでもいい、という体で君と甘いムードに浸る」
「すみません、ちょっと何を言っているのかわかりません」
エリシアは「まてまて」と両手を前に出した。これまでとは違う意味で崖っぷちに立たされている人間になってしまった。
「私の身を守ることに、過剰なまでに気を配っていただけるのはありがたいのですが。私が皇女の演技をしたって、すぐに見破られますよぅ……」
「僕に恩を返すためには何でもすると誓ったのではなかったか? 僕はエリシアに……エリシアの研究に集中したいんだ。他の女は必要ない。君は賢くて才能もある。必要なことは、あっという間に習得できるさ」
この王太子、見た目は爽やかだがお腹の中は案外黒い。
「ううう……王宮で働いて生計を立てている女性はいっぱいいるのに。侍女とか下女とかお針子とか料理人とか」
「高貴な身分の方がプライバシーを尊重してもらえる。うちには王女がいないから、怪しい点は『皇女様だから天真爛漫』で突破できる」
「いっそエリシア・アージェント本人として乗り込むとか。冷たい視線にさらされるのはどんとこいですし」
「もちろんそれも考えた。僕だって、君の意に反してことを強いるような真似はしたくない。でも、しばらく『エリシア』と『エリー』を切り分けておきたいんだ」
アラスターが真面目な口調で言った。
エリシアは小首をかしげた。
「それは……『エリー』とは別に『エリシア』が存在するということですか? 分身の術を可能にする魔法ってありましたっけ」
「普通に影武者を立てるだけだよ」
アラスターがにやりとした。
「12歳の見習い女騎士を、君の身代わりとして森の隠れ家に行かせる。もちろんガッチガチに警護をつけて。彼女自身、信じられないくらい強いけどね。そうすることで、誰かが接触してくるか調べたいんだ」
「12歳……。シャレド様とローリック様の治療を受ける前の私って、そこまで小さかったんですね……」
改めて突き付けられると驚くというか傷つくというか。
エリシアが遠い目になると、アラスターは若干申し訳なさそうな表情になった。
「まあ、そこらへんはこっちに任せてくれ。別人になるというのは、案外素晴らしい経験だよ。これまで見えなかったものが見えてくる」
「はあ。不安しかありませんが……頑張るしかありませんね」
エリシアはうなずいた。百年前のアージェント家に謎があったのなら、解き明かすと誓ったのだ。それはあり得ないくらい大胆な行動をとって、ようやく実現することなのかもしれなかった。
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